遠くからネアズを見つめ続けた夢主(not固定夢主)がほかの人と結婚する話。悲恋じゃないけど結ばれない夢。記憶力が良いネアズに夢を見ている。

人生最良の日

 見つめるだけ。遠くから、あるいは近くから。
 言葉を交わしたことはほとんどない。あっても、物資の在庫や運搬先、住民からの依頼についてなどそういう業務的なことだけだ。
「ただの憧れでしょ。見ているだけなんて」
「もしくは目の保養。分かるよ、かっこいいもんね」
 知人らは口々にそう言うけれど、それは違う。
 あれは確かに恋だった。恋でなければ、一体何だったというのだろう。

「運が良かった」と言われることが多い。
 初めてそう言われたのは、カラグリアで革命が起きた直後のことだった。
 わたしは抵抗組織〈紅の鴉〉に入隊したばかりだった。この世に生まれただけで奴隷と呼ばれ、そう扱われることに嫌気が差していた。兵士たちの隙を見て逃れ、辿り着いた先で組織に拾われた。
 逃亡先から派遣されたのがウルベゼクだ。敵の拠点が近いとはいえ見回りの兵士の数は意外にも少ないという。数ある隠れ家のうちの一つなのだと聞いた。
 到着して早々、その拠点が慌ただしくなった。聞けばそれまで本拠地としていたところにレナの奇襲があったという。幾人ものメンバーがこのウルベゼクに逃れてきたものの、途中で犠牲になった人も多くいたようだ。
 混乱する間もなくケガ人の手当にあたり、住民への説明に街を駆けまわった。そうしているうち、組織内部ではとある作戦が進められていたらしい。次に集会所に戻った時には自分も戦闘員の一人として出向くよう指示が出された。
 長引くことなく勝敗は決した。領将ビエゾを討ち取ったのは炎の剣を振るう鉄仮面を被った青年と、これまた奇妙なことにレナ人の女の二人組だったのだという。なんにせよカラグリアの革命は成功した。ダナ人がレナに支配されるという300年続いた勢力図は一晩のうちにして消え去ったのだった。
「入ってすぐこうなるなんて、お前運が良いな」
 古参の一人はそう言って笑った。ケガの手当の際、いまだ霊石が残るわたしの左手を見て、彼はわたしが新入りだと気づいたようだった。
「もう何度死を覚悟したかはわからねえ。正直、こんな日が来るとは思ってなかったってのが本心だ。それでも前に進み続けりゃ、こういうこともあるもんなんだな」
 まだ見た目ではそこまで老いているわけでもない彼はそんなことを口にした。確かに彼の体の傷は凄まじいもので、これまで幾度も戦いに身を投じてきたのだろう。傷跡にはまだ当時の痛みも疼きも残っているように思えた。
「ここでは男も女も関係ない。戦える奴らは皆武器を取る。それでもお前は運がいい。こんな傷を負わなくて済んだんだからな」
 とはいえこれは俺の勲章だ、と言って笑う彼の声は清々しいほど集会所内に響き渡った。
 確かに運は良かったと思う。革命の夜も戦闘メンバーとして現場に出たけれど、自分の持ち場にレナの兵士はほとんど現れなかった。囮役としての務めが果たせたかは定かではないが、その分ケガ人の手当に回ることができ、慣れない恰好で戦闘員を演じるよりは貢献できたはずだ。
 そもそも初めに赴いたのがウルベゼクだというのも幸運だった。他の隠れ家はもっと環境が悪かったり物資が足りていなかったりでそのやりくりにはなかなか苦戦していたらしい。結果として自分は奇襲にも一度も遭わなかったわけで、危険に晒された経験も皆ほどはない。
 それでいて住民の中には〈紅の鴉〉に感謝する者も少なからずいる。何か依頼を受けるたび、物資を配るたび、神を崇めるような視線を向けられるとどうにも申し訳なく思うのだった。
 彼と出会ったのはそういう時だった。
 出会ったというより、見つけたの方が正しい。当時彼はおそらくわたしの存在には気づいていなかったはずだ。
 彼は多くの住民に囲まれていた。どうやら新たな生活をするにあたっての不満や心配事を陳情しているらしかった。
 どんな話を聞かされているのかは聞こえない。けれど彼は随分と難しい顔をしていた。時折頷き腕を組み、決して愛想は良くないが無下にしているふうにも見えない。
 彼はしばらく彼らの話に耳を傾けた後で〈紅の鴉〉の集会所に戻っていった。ただそれだけのことだったのに、わたしはなぜかその後ろ姿が気になって仕方がなかった。
 数日後、集会所の中で彼に不意に話しかけられた。
「見ない顔だな。新入りか?」
 振り向いてみて心臓が跳ねた。あの彼がそこに立っていて、なおかつ訝し気な視線をこちらに向けていたから。
「あ、はい。5日前にここへ来たばかりで」
「5日って、ちょうどあの晩の日か」
 はい、と頷くと彼はふっと表情を和らげて小さく笑った。
「それは災難だったな。驚いただろう」
「正直、何が何だかよく分からないままでした」
 苦笑いを返すと、彼も「そうだよな」と息を吐く。その表情はこの間彼を初めて見かけた時とよく似ていた。
「でも、革命って大変ですね。暮らしが楽になるかと思ったら、毎日あちこち走り回らなきゃで」
「仕方ない。ここじゃあ誰も自分の世話すらできないんだ。赤ん坊も同然だからな」
 呆れたように言って、彼は窓の外に目を向けた。耳を澄ませてみると、あちこちで住民があれこれ文句をつけているのが聞こえる。
「運が悪かったな」
 その言葉に思わず「え、」と気の抜けた声が出た。
「これからもっと忙しくなるぞ。それこそ一晩中駆け回る日も来るかもな」
 体調には気をつけてな、とそれだけ残し、彼は集会所を出て行った。足音は遠ざかったと思うと、住民たちの声の方へと近づいていった。
 彼とまともな会話を交わしたのはそれが最初で最後だ。
 彼がわたしの目を惹きつけるのか、あるいは単にわたしがめざといだけか。
 わたしは街のどこにいても彼のことをすぐに見つけられた。彼を視界にひっそり入れることに関しては誰より上手だったといっていい。
 それはわたしの仕事内容も関係していた。わたしは組織の中では主に物資の管理や運搬状況に関して任されていた。在庫を確認し、必要があれば保管場所から搬出したり、他の地域に運搬するよう指示を出す。あちこち走り回ることもあったが、大抵は大荷物となるので運搬は誰かに任せることが多かった。
 ならばすることがない時は何をしているかというと、ウルベゼクにて畑仕事をしていた。元々野菜を育てていた住民と一緒に畑を耕し、農作物を育てていた。はじめこそそんなのが組織の仕事なのかと疑っていたが、このカラグリアでは食糧の確保が重要項目の一つだ。貧相な土地と厳しい気候のおかげで実りは少なく、ともすればあっという間に飢餓にあえぐことになる。ならばその面積自体を広げなければならないということで真っ先に手を付けたのが開墾だった。
 その中でもウルベゼクはまだ気候がましな方ということもあって、隙間さえあれば畑を作った。作業をしている間は基本的に屋外にいることになる。端の方から街を眺めていれば自ずとその全体像を眺められ、彼の姿をいち早く捉えることができるというわけだ。
「ほとんど不審者じゃない」
 話を聞いた知人はそんなことを言う。
「ただ見つめるより声でもかければいいのに。同じ組織の人なんだから」
 そう言われるたび、わたしは首を横に振るのだ。
「同じ組織でも、実質まとめ役なんだから忙しいに決まってるでしょ。おしゃべりなんかしてる時間ないよ」
「おしゃべりじゃなくても話題なんかいくらでもあるでしょ?」
「いいの。わたしは見つめてるだけで満足なんだから」
 彼からはわたしが見えず、わたしからは彼が見える。彼は何も知らない。このくらいの距離がちょうどいい。
「憧れてるだけなんでしょう?」
 そんなことを言う人もいた。
「彼っていつも機嫌悪そうだけど、顔は良いもんね。よく見れば」
「分かる。この辺っておじさんばかりだからちょっとときめいちゃうよね」
 きゃあきゃあとはしゃぐ声にはうんざりしてしまう。何が「顔は良い」だ、「ときめいちゃう」だ。
 そんなことはとうの昔から知っているし、初めて会った時には心が高鳴っていた。見つめているだけで満足とは言ったが、この想いが叶うことをまったく願わなかったわけではない。いつも寝床で夢想した。彼に想いが通じて、並んで歩く日のことを。向かい合って食事を共にすることを。
 だけどその幻想でさえもほんの一瞬で終わってしまった。気が付けば彼の隣にいる自分は想像できなくなっていた。
 それでも彼を視界に入れることはやめられない。もうそれは癖というか習慣というか、わたしの生活そのものになってしまっていた。
 このままではあまり良くない。そう思って仕事に精を出す。畑作業に没頭している間だけは、彼のことを考えなくて済んだ。
 そうしてわたしは運命の出会いを果たすことになる。
「随分熱心だね」
 夢中になってクワを振るわたしに声をかけてくれたのは、近くの集落からウルベゼクに越してきたという農家の一人息子だった。
 幼い頃から農業に携わってきただけあって彼の知識は卓越していた。さらに作物に対して愛情深く、まるで我が子のように畑に接する。
 優しくて穏やかな彼とはすぐに惹かれ合った。共に土をいじっているときは身も心も解れた。ずっとこのまま時間が止まればいいのにと思った。
 植えた種から芽が息吹き、葉を広げてつぼみをつける。太陽に誘われて花が開き、次の世代へと再び種に返る。
 そうした畑の物語を見つめて二人で語らう日々を何度か繰り返した頃、わたしたちは婚礼の儀を挙げることになった。最近巷で流行っているらしいと聞き、興味を持ったのだ。
 とはいえそこまで大きな式でもない。互いの友人らを招き、わたしたちが出会ったウルベゼクの一角でひっそりと執り行った。
 驚くことにそこにはかつて焦がれた彼――ネアズさんの姿もあった。組織のメンバーに伝える際、駄目元で声を掛けたのだ。わたしの上司として参加してはいただけないかと。
 まさか二つ返事で了承してもらえるとは思わなかった。親しいわけでもなく、わたしが組織のただの末端であればこそなおさら。
「おめでとう! とうとうこの日が来たのね、嬉しいわ」
 知人たちは皆そう言って祝ってくれた。まるで自分のことのようだと涙を流す人もいて、思わず胸が熱くなった。
 新郎には親戚が多くいたが、皆とても友好的だったのも嬉しかった。
 わたしには親がいない。ずっと昔にレナの兵士に殺された。だからこそ、こうして本当の家族のように扱ってくれる義両親や親戚の存在がありがたかった。
 一通り挨拶に回ったところで、ふと声を掛けられた。
「おめでとう」
 穏やかに微笑んでいたのはネアズさんだった。場に合わせたのか、いつもとは違って白いシャツを身に着けている。
「ありがとうございます。来ていただけて嬉しいです」
 声は少し上ずっていたかもしれない。口にした言葉は本心半分、もう半分は緊張を誤魔化すために咄嗟に紡いだものだ。
「俺も招かれた時は驚いたが、祝い事はいくらあってもいい。式も料理も楽しませてもらっている」
「今日の食材はうちの畑で採れたものを使っているんです。お口に合ったのなら幸いです」
 新郎が説明し、ネアズさんはそうかと頷いた。こうして真正面から顔を合わせるのは初めてのはずなのに、終始二人の間も和やかな雰囲気に満ちていた。
 なんだか不思議な気持ちだ。今愛する彼と、かつて目で追い続けた彼。二人がこうして言葉を交わしているなんて。まあ、ネアズさんの方はわたしが片想いしていたことどころか、わたしと話をしたことさえ忘れてしまっているだろうけれど。
 ふとネアズさんが新郎に向けて言った。
「新婦のことをよろしく頼む。組織の大切な仲間でな」
 思わぬ言葉にわたしの心臓は大きくどきりと音を立てた。
 そうして次はこちらに向き直ると、
「俺は以前、君に『運が悪かった』と言ったが、あれは違ったな。運命の相手なんかそうそう出会えるものじゃない」
 そう言ってネアズさんは手元から一輪の花を差し出す。
「幸せにな。これは俺、いや、組織全員から」
 その白い花には見覚えがあった。カラグリアでしか咲かないという、身につけると幸せになれる花。
 わたしはそれを受け取ると、その小さな花を大事に胸に抱いた。
「ついでにカラグリアの食糧事情も頼んだぞ。まだまだ流通が不安定でな」
「力を尽くします」
 新郎の言葉に安堵したように笑って、ネアズさんはその場を後にした。後ろ姿が人波に紛れていく。
 残ったのはこの胸のあたたかい気持ちと、彼がくれた白い花だ。強く握りすぎて萎れないよう細心の注意を払いながら、わたしはその花の香りを嗅ぐ。甘くて優しい、包み込まれるような香り。いつまでも長く浸っていたい香り。
「随分嬉しそうだね」
 新郎が優しく微笑む。この花は愛する彼に似ている。姿形も、この香りも。きっと私を優しく包んでいつまでも守ってくれる。そう信じさせてくれる。
 嬉しい。ネアズさんがわたしとの会話を覚えていてくれたことも、この花をくれたことも。
 何より嬉しいのは、彼を褒めてくれたことだ。大事な人が大事にされるのは自分のことよりも嬉しい。
「嬉しい。嬉しいに決まってるでしょ」
 今日は人生最良の日。初恋と永遠の恋が、同時に叶った日なのだから。

終わり