ロウの〈仮彼女〉になってデートするリンウェルの話。ハッピーエンド。(約13,000字)

明日、君の隣を歩くのは(1)


 目は口ほどに物を言う。
 きっとそれは正しくて、間違っている。
 ロウの目が女の子を追っている時、それはそれは眩しそうな目をしている。きらきらと輝くものをいつまでも視界に入れておきたいとどこか願うようでもある。ああいう女の子に憧れるんだなあとすぐに分かる。
「何見てんだよ」
 それなのにロウは、私の視線にはまるで気がつかない。
「俺の顔に何か付いてんのか?」
 ロウが誰かを見つめるような眼差しを自分もロウに向けているはずなのに、これがさっぱりと通じない。私の視線はロウを透過してしまっているのか、あるいはロウがそれを跳ね返してしまっているのか。どちらにせよ、ロウには何もなかったことになっている。
 そう、何もない。存在しない。
 私の想いも、その未来も。
 どれほど募らせても一方通行にしかならないそれに望みを抱けるほど、私は純真な少女ではなかった。

 青空が広がる日のテラス席はすぐに埋まる。それが昼食時ともなれば混雑は避けられない。
 そんな中で私たちがこの席を確保できたのは単に運が良かったからだ。店に入る直前、一組のカップルがテラス席から出るのを見た。そこに案内されたのが私とロウだった。
「ツイてたね」
「そうだな」
 いつものように向かい合って席に着くと、私はメニュー表を開いた。
 ずらりと並んだランチメニューの中から、いくつか候補を選ぶ。今日のおすすめはガナスハロス産の果物を使ったパンケーキらしいけれど、牧場のミルクを使ったクリームパスタも美味しそうだ。チーズのたくさんのったシーフードグラタンも捨てがたい。
「ねえ、どれがいいかな」
 そう問うた私の声はロウには届いていなかった。
 正面に座ったロウの視線の先は私でなく、店の外の通りに向いていた。そこを流れるように歩いていく、長い髪の女の子。いかにもロウの好みそうなタイプだ。
「何見てたの」
 私の声にすぐさま視線を逸らすと、ロウは宙を見やる。
「好きだもんね、髪のきれいな子」
「べ、別に」
「今さら隠さなくたっていいよ」
「そんなんじゃねえし。ほんのちょっと見てただけだろ」
 そんな否定もどきの言葉を口にして、ロウはメニュー表を眺めるふりをした。注文するものはもう決まっているくせに。どうせいつもと同じハンバーガーだろう。
 店員を呼び止めて想像通りの注文をするロウに、私は心の中で鼻を鳴らす。やっぱりね。ロウのことなんて、全部お見通しなんだから。
 そう、お見通し。
 私はきちんと理解しているつもりだ。別にロウがさっきの女の子を本気で好きなわけじゃないということも、それでいて髪の美しい女の子に惹かれるというのは間違いでないことも。
 その中に私はいないということも。
「そんなことしてると、彼女出来たときに怒られちゃうよ」
「今だってお前に怒られてるだろ」
「怒ってないよ。注意してあげてるの」
「どっちもあんまり変わらねーんだけど」
 ――全然違うよ。
 そう言いたい気持ちをぐっと堪えて、私はグラスの水を口に含む。その仕草の間に垣間見たロウの視線は、再び店の外へと向いていた。
 最初から諦めていた恋だった。その存在に気付いた時から、あるいはもっと前から。
 ロウは自分の気持ちに正直だった。どんなことに対しても。
 それはきっと恋愛に関しても同様で、視線の先にはいつも気になるものを置いていた。戦闘中はよくキサラの背中を見ていたし、街では可愛い女の子や綺麗な女の人を追ってばかりいた。
 ロウが目で追うのは総じて私と全く違うタイプの女の子、もしくは年上の女性だった。その誰もが美しい髪を持っているとか目鼻立ちが整っているとかで、いかにも目を引く容姿をしていた。
 残念ながら、私はそうじゃない。ボサボサとまではいかないけれど髪の毛は決して綺麗ではないし、可愛らしい顔立ちでもない。言ってしまえば可もなく不可もなく、普通だと思う。
 そんなありふれた存在はロウの視界には入らない。元旅仲間、仲の良い友人としては上位にいても、恋愛対象にはならないのだ。
 自分は候補ですらない。そう理解はしていても「はいじゃあ次」とならないのが恋の辛いところだ。その現実に気づいても、私は相も変わらずロウを想い続けている。
 引き摺っているとか、未練があるとかそういうわけではない。それでいて難しい理由があるわけでもない。単にこの心がロウを向いたままというだけ。一人でできるのが恋の良いところでもある。
「最近はどう? 好きな人とかできた?」
 だから、こういったことも素直に聞けた。初めから可能性のない恋に期待なんてない。
「あー……いや、どうだろうな。可愛いと思う子はいるけど」
 ちょっと照れたようにそんなことを言って、ロウは頭を掻いた。頭に何人か思い浮かべているのか、その表情はゆるゆるだ。
「私は心配だよ」
「心配って、何が」
「ロウがちゃんとデートとかできるのかなって」
「そりゃできるだろ」
「じゃあ初めてのデート。食事はどこに連れてくの? あ、彼女に任せるってのはナシね」
 数秒考えて、ロウはポンと手を打つ。
「あそこ。いつも行く食堂」
「はい不正解。あんな客層がオジサンばっかのお店、女の子が喜ぶわけないでしょ」
 確かに料理は美味しいし、店主もいい人だ。それを好んでくれるような女の子なら構わないだろうけど、ロウの好きなタイプはきっと違う。
「お待たせしましたぁ」
 そのタイミングで運ばれてきた料理は見栄えが良かった。もちろん味も良いけれど、この店は可愛らしい盛り付けで特に有名だ。自分が頼んだパンケーキにもふわふわのホイップクリームとフルーツがこれでもかと盛られていて、思わず声を出したくなるような色彩だった。彼女を連れてくる場合、きっとこんな店なら喜ばれる。
 正解は目の前にあったのに。それに気づかないほどにはロウは鈍いし、女の子がどんなことで嬉しくなるのかきっと知らない。流石にデートで闘技場に連れて行ったりはしないと信じたいけど、砂埃の舞う山道を歩かせそうな気はする。女の子がしてきたオシャレにも気づかないで。
 ロウは日々仕事でいろいろなところに出向くことが多いのだから、その話を小綺麗なカフェでするだけでも女の子はきっと楽しいと思う。もちろん、相手の話を聞いてあげるのも忘れずに。うんうんと頷いてくれるだけでも印象は随分と違うはずだ。
 そんなことを考えながら、私はどうして好きな人のデートについて懸命に思案しているのだろうとも思う。自分はそこにいないのに。
 こうして私が考えていることはいわゆるお節介なのだろう。ロウがどうなろうと私には何ら関係はないし、逆も然り。そもそも他人の恋愛事情に首を突っ込んでもいいことなんてない。
 それでも不意にはたらいてしまったのは、たった数年とはいえ仲良くしてきたよしみと、ほんの小指の先程度の下心だった。
「私が練習台になってあげよっか」
「え?」
 私の言葉に、ロウはぽかんと口を開けた。
「だから、彼女が出来たときのために、私が練習台になってあげよっかって言ってるの」
「れ、練習台って、なんだよそれ」
「別に難しいことじゃないよ。私がロウの〈仮彼女〉になるの。ロウが考えたデートに行って、私がその行先とかレストランとかに女の子目線で意見言ってあげる」
 いわば予習みたいなものだ。ロウがいいと思うものと、女の子が思うものとでは差がある。それを埋めるためのデート練習。
 結構役に立つと思うけど、と言った私にロウは鼻を鳴らした。
「そんなの、俺がお前に予定話せば良くね? わざわざ本当に行く必要ねーだろ」
「デートで大事なのは目的地だけじゃないんだよ? ロウが道中でどんな会話が出来るかも重要なんだから、実際に行ってみないと」
 よくもまあ思い付きでここまで話せるものだと自分で感心した。ロウも妙に納得したのか、なるほどな、なんてぼやいている。
 これは手ごたえがあるかもしれない。そう思う一方で私は動揺もしていた。
 こんな提案どう考えたって非常識だ。半分くらいは冗談のつもりといえば失礼だけど、それにしたって彼女の練習台になるなんて提案をロウが承諾するわけがないと思っていた。せいぜい笑い飛ばされるのがオチで、私も「それはそうだよね」と話を終わらせるつもりだったのに。
「でも、ロウに好きな人がいるなら難しい話だよね。誤解されちゃったら困るだろうし」
 結局私は怖気づいた。傷つかないようしっかりと後ろに逃げ道を用意する。理由を相手に被せてしまうあたり、私は本当に弱くて狡い人間だ。
「変なこと言ってごめん、忘れて――」
「やってみようぜ、それ」
 今度は私の方が、ぽかんと口を開けた。
「言われてみりゃ俺、女子が喜ぶ場所とか食いもんとか知らねーなと思って。明日彼女が出来たとしてデートに連れて行ける自信ねーわ」
 苦笑混じりにロウが言う。その声は軽い調子であったものの、ふざけているわけでもなかった。
「それに、お前相手だと失敗してもいいわけだし。俺のことよく分かってるから、アドバイスも上手いんじゃねえかと思って」
 失敗してもいい。ロウにとって大きいのはそこなのかもしれない。初めてのデートで醜態をさらすのはなかなかに辛いものがある。それを免れるための予防策としてはもってこいだ。加えて、アドバイスが的確であるかはともかく、ロウへのダメ出しなら一級品の自負はある。
「どうだ?」
 グラスの水を揺らしながら、ロウが笑った。
「いいけど、いいの?」
「お前が言ったんだろ」
 それはそうだけど、と一瞬言いかけて、私は首を縦に振った。
「わかった。じゃあ私は今からロウの〈仮彼女〉ね」
「今から⁉」
「あ、それはちょっと早いか。次回のデートからってことでいい?」
「そうしようぜ。お互い、ココロの準備ってもんが必要だろ」
 決まりな、と言ってロウは残りのハンバーガーを平らげた。私も遅れじと端に残ったホイップクリームをスプーンで掬いあげる。
 店を出るとロウは、
「見てろよ。お前との初デート、驚かせてやるからな」
 と高らかに宣言した。この上なく眩しい笑みを添えて。
「なにそれ」
「期待してろってことだよ」
「その言葉、裏切らないでよね」
 おう、と言って仕事に向かうロウの背中に手を振ると、私は宮殿に向かって歩き出す。鳴り止まない鼓動を胸に抱えながら。

 ロウとのデートの約束はその二週間後と決まった。お互いの休みが被ったのがちょうどその日だったのだ。
 私は前日からそわそわしていた。着ていく服を決めるのに一時間も掛かったし、髪の毛を洗うのにも気を遣った。夜も早めにベッドに入ったもののなかなか寝付けず、眠りも浅いままだった。おかげで寝坊はしなかったけれど。
 身なりを整えて最終チェックのために鏡の前に立つ。髪、お化粧、服装、オッケー。鞄を開けて財布、ポーチ、ハンカチを確認。ほかに忘れ物もない、多分。
 家を出て、鍵をしめる。待ち合わせ場所までは時間に余裕を持って向かえそうだ。
 ロウとはこれまで何回も二人で出掛けたことがあったのに、ここまで緊張したことはなかった。これだけ身だしなみに気を付けるのも初めてかもしれない。
 それもそうだ。今日の私は仮とはいえロウの彼女で、初めてのデートになる。そもそも提案したのは私だし、ロウが期待しておけと言ったのだから相応の格好をしていかなければ失礼だ。ゆえに髪留めをいつもと違うものにしたのも特別感を出すという意味では適切で、新調したワンピースを纏っているのだって何らおかしいことではない。気合が入って当然、当たり前。
 そんなことを自分に言い聞かせつつ、頬に篭る熱をどうにか発散させようとぱたぱた手で仰いだりしてみる。今日は暑い。気温が昨日よりも高めなのかもしれない。
 この二週間、私は自分なりに調査をした。仲良くしている研究仲間の女の子たちを相手に「初デートに行くならどんなところがいい?」「どんな話題なら盛り上がると思う?」なんて聞き回って意見を集めた。さもないとロウに与える助言は私の主観ばかりが含まれたものになってしまうし、あくまで私は〈女子〉代表としてロウとデートするのだから、このくらいの下調べはしておくべきだと思ったのだ。
 彼女たちは「まるで初めてデートする男の子みたい」などと笑いながらも、きちんと返答をしてくれた。この年代の女の子は皆こういう話が好きなのだ。
「私は街を歩きたいかな。買い物に付き合ってもらって、彼のセンスを見極めたい」
「アタシはどこかに座って話が出来ればいいわね。美味しい紅茶もあればなおよし」
「ふふ、それってちょっとおばあちゃんみたいだね。私なら眺めの良いところに連れてって欲しいかなあ。街の外も楽しそう」
「それって結構危なくない? ズーグルに襲われたらどうするの?」
「ええと、そこは頑張って守ってもらって……」
「あなたの彼氏になる人は兵士でもないと務まらないわね」
 相槌を打ちながら、私はそれを真剣に聞いていた。思いの外意見は様々で、見かけにもよらない。一見アクティブに見えてもデートは落ち着いたものがいいという子もいたし、普段大人しい子が外に出たがっている例もあった。好みは人それぞれ、といえば元も子もないのだが、これはこれで参考として伝えることにしよう。
 それでも意見が完全に一致するものもあった。
「服装は大事だよねえ。あまり派手すぎると待ち合わせの時点でびっくりしちゃうかも」
「ヨレヨレになった服もやめてほしいわね。最低限の清潔感は必要よ」
 分かる! と全員の声が揃ったのは後にもさきにもこの時だけだ。どうやら女の子たちは、恋人となる相手にはオシャレじゃないにしても、隣を歩けるだけの身なりを求めているらしい。
 ロウはどうだろう、と考えて思いつくのはお馴染みの服装だけだ。二人で会うのは仕事の合間だったり、それを終えてからだったりするのでその辺は仕方ないと思うけれど、休日に会うときもロウは大体あの服を着てくる。考えるのが面倒なのか、あるいはそれしか持っていないのか。いずれにしたって今日は厳しめに言うつもりだ。
「いつもと同じ格好なの?」なんてちょっと意地悪く言えば、ロウはどんな反応をするだろうか。
「めんどくせー」とため息をつくかもしれないし、「女子ってそんなとこまで気にすんのか」と一周回って感心するかもしれない。
 そう、女の子は見ている。家を出る前から勝負は始まっているんだよと教えてあげなくては。
 そんなふうに考えていたのに。
 既に待ち合わせ場所で私を待っていたロウは、見慣れない格好をしていた。
「お、来たか」
 白いシャツに黒のパンツ。トレードマークの狼の姿はどこにもない。
「どうしたの」
「何が?」
「その服。そんなの持ってたっけ」
「ああ、こないだ買ったんだよ。いい機会だしな。変か?」
 自分の身体をあちこち見回しながらロウが言う。
 パリッとしたシャツは体型に合っているし、適度に緩められた襟元と捲られた袖がいかにもロウらしかった。左の手首に覗くアクセサリーも良いアクセントになっている。
 変ではない。むしろ結構似合っていると思う。私がロウのそういう服装に慣れていないだけで。
 私はううんと首を振るのが精一杯だった。声を出したら動揺が伝わってしまいそうだった。
「そういうお前も可愛い服着てんな。新鮮でいいと思うぜ」
 追い打ちをかけるようにそんなことを言われて、私の心臓はまた大きく跳ね上がる。褒められたのは服装であって、自分ではないのに。
「あ、ありがと。相手の服装を褒めるのは大事だと思うよ。まあ合格ってところかな」
「おいおいもう始まってんのかよ。こりゃ気ぃ抜けねえな」
 頭を掻くロウの隣で、私は呼吸を整えようと息を吐いた。まったく、ロウのそういうところが心臓に悪い。
 並んで通りを歩き出すと、私はロウに問うた。
「今日はどこに連れてってくれるの?」
「それって言った方が良いのか? 着くまでの楽しみってのもあるだろ?」
 ロウの言葉に私はなるほどと思った。確かに先に聞いてしまったらつまらないかもしれない。着くまでのわくわく感と、道中の会話を楽しむのもデートの大事な要素だ。
「じゃあ聞かないでおくね。今日はロウに任せるから」
 おう、とロウが笑う。どうやら行先には自信があるようだ。
 それからロウに導かれるまま、道を歩いた。といっても見慣れたヴィスキントの街なので新鮮味は特にない。
 交わした会話もごく普通のものだ。最近あったこととか、昨日食べた夕飯の話。仕事で行ったカラグリアでの出来事までは良かったけれど、そこで戦ったはぐれズーグルの話については、あまりウケは良くないだろうなと思った。
 そうこうしているうちに何度目かの角を曲がって入った路地は、よく見覚えのある場所だった。多分ロウよりも私の方がずっと知っている道だ。
「あのさ、ロウ」
「なんだ?」
「どこに向かおうとしてる?」
 私からの視線にきょとんとした顔をして、ロウは言った。
「え、本屋だけど」
 やっぱり! 
「な、なんで!」
「なんでって、彼女が喜びそうな場所だろ?」
 ごく当たり前のようにロウが言うので、私はちょっと面食らった。そしてすぐさま取り繕って反論する。
「行先は彼女のことを考えて選んでねって言ったでしょ!」
「でも、今はお前が彼女なんだよな?」
「そ、それはそうだけど、なんか趣旨が違うっていうか……!」
 私の言葉にロウは首を傾げたままだった。どうもこちらの言いたいことがよく伝わっていないらしい。私はゆっくり、できるだけ噛み砕いて説明する。
「今日の行先は、ロウに将来できるであろう彼女を想定して欲しかったの。じゃないと、私が楽しいかそうじゃないかになっちゃうでしょ」
 それを聞いてロウはようやく合点がいったらしい。そしてあからさまに、まずいという顔をした。
「じゃあ今日俺が考えてきたコースは」
「私の好みってことでしょ? 多分、一般的にはあまり好まれないと思う」
 本屋や骨董品を好む女子はそう多くない。そもそもそれらの店がある暗い路地に連れ込むことさえマイナス評価に繋がりそうだ。
「まじかよ……」
「相手の好みを考えるっていうのは大事なことだけどね」
 肩を落としたロウにそう言いつつ、私はちょっと笑った。相手が私のような女の子ならきっと満点の解答だったに違いない。
 とりあえず今日はそのコースに従うことにして、私たちは路地を歩いた。本屋に行って古書を漁り、骨董品を置く店でなにか掘り出し物はないかと見て回った。
 この辺の路地は狭いが、好きなお店がたくさんある。中でも手作りのアクセサリーを売っているお店は毎回違う商品が置いてあるので、つい毎回寄ってしまう。
「これ可愛いなあ」
「へえ、そういうのが好きなのか」
 ロウはぼそっと呟くと横から覗くようにして視線を寄越した。
「それだけ? ほかに言うことは?」
「え? ほかに?」
「はいダメー。全然分かってない」
 私は首を振りながら本日二回目のダメ出しをする。
「そこは『似合うと思う』とか『可愛い』とか相槌打ってあげるの。本当なら『俺が買ってやるよ』くらい言えればいいんだけど」
 私の言葉にロウはげえっと声を漏らした。デートって難しいんだな、とも。
 確かにこのあたりの塩梅はちょっと難しい。選んだものを何から何まで褒めても女の子は喜ばないし、欲しがっているものを全部買うわけにもいかない。高価すぎるプレゼントも相手を萎縮させてしまう。初回のデートともなればなおさらだ。
「それでも小さいアクセサリーとかなら買ってもらって喜ばない子はいないんじゃないかな。デートの記念にもなるし」
「なるほどな」
「でもまあ、ロウはまず貯金かな」
 ロウの財布の中身はいつも寒々しい。給金を貰ってないはずはないのに、豊かにしている様子はあまり見たことがなかった。
「いつか女の子に食事とか奢れるようになると良いね」
「大将の背中は遠いな」
「あれは別格だからね」
 色んな意味で、と私が言うと、ロウは「確かに」と笑った。
 雑談をしながら路地を抜けて、通りに出たところでふと気づいた。――これってもしかして、いつもとあまり変わらないのでは?
「正直これ、いつもの買い物と同じだよな」
 どうやらロウも同じことを考えていたらしい。
 話している内容はデートについての指南ではあるけれど、雰囲気はいつも私たちがするような買い物と何ら違いはない。強いて言えば、二人とも普段と違う格好をしていることくらいだ。
 それでは〈仮彼女〉になった意味がない。これは友人関係でもできることだ。
「何とかしてよ」
「何とかって」
「デートっぽくしてみて」
 私の無茶振りにロウは少し考えた後で、そっと左手を差し出した。
「ほら」
「え……?」
「手でも繋げば雰囲気出るんじゃねえの」
 ぶっきらぼうにそんなことを言って、ロウは視線を逸らした。
 その様子を見て、私は思わずふふっと声に出して笑ってしまった。そしてその手を右手でしっかりと握る。
「ロウ」
「なんだよ」
「照れてるでしょ」
「うるせー」
 ロウはこっちを見なかった。それでも覗いた耳が真っ赤に染まっている。
 私もきっと同じ顔をしていた。私もロウと同じく、照れているのだということにしておいた。
 そのまま市場を少しぶらついて、昼食に例の盛り付けのきれいなレストランで食事を摂りながら、私たちは反省会をした。といっても内容は道中で話したことのおさらいのようなものだ。それに、ロウにたくさんのことを一度に話したところで全部覚えられるとは思えない。何度かに分けて説明するのがいいだろう。――何度もあるのかは分からないけれど。
 それなのに、私はつい「次は、」なんて声に出してしまった。それにはっとして口ごもる。
「次はどうすっかなあ」
 視線を落とした私に、ロウはあっけらかんと言った。
「来週だとちょっと予定が合わねえんだよな」
 その次じゃダメか? なんて当たり前のように言うロウに、私は面食らった。
「えーと……それは第二回もあるってこと?」
「当たり前だろ。流石に今日の出来は酷かったからな、リベンジさせてもらうぜ」
 そう言って拳を叩くロウは既に次回のことを考えているようだった。どこに連れてくかな、なんてぶつぶつ言いながら頭を悩ませている。
 その様子を見て、思わず私の頬は緩んだ。
「わかった、次こそ期待してるから」
 次回もある。ロウとデートができる。ロウが笑っているのとは違う意味で、私も笑った。
 店を出ると、ロウが再び手を差し出してきた。
「送る。家に着くまでがデートだってな」
 私は「なにそれ」と笑ってその手を取った。さっきよりもずっと優しく握られた手に鼓動を鳴らしながら、ロウの隣をできるだけゆっくり歩いた。

 二度目のデートは広場で月に一度開かれる市の日と重なった。市にはメナンシアだけでなく他領の特産品や民芸品も並ぶ。その物珍しさに惹かれる人もいれば、屋台で美味しい料理を楽しむ人もいて、ヴィスキントの住民にとってはちょっとしたお祭りみたいなものだった。
「うわあ、すっごい人」
 今日は特にそう感じられた。街はいつも賑わっているけれど、その比ではない。こんな数、一体今までどこに隠れていたのだろうと思うくらいの人で広場は溢れ返っている。
「今日はガナスハロスのものも多く届いてるって聞いたぜ。それで他の領からも人が来てるんだと」
 ロウがどこかで仕入れたような情報を呟いた。仕事仲間から、あるいは宿屋の主人から聞いたのかもしれない。
 なるほど、と私は合点がいった。復興が遅れていたガナスハロスのものは普段あまり市場に出回らない。交易のベースとなっている食料類は別にしても、工芸品などはそちらからやって来た旅商人が数点抱える程度だ。
 私はわくわくしていた。市というだけでも心が弾むのに、なかなかお目に掛かれない珍しいものがあるというならなおさら。
「お前、はしゃいでるだろ」
「そ、そんなことないよ」
 反論はしてみても、その声は小さかった。そんなに分かりやすかったかとちょっと恥ずかしくなる。
「あんまりあちこち行くなよ。すぐはぐれちまうぞ」
「子供じゃないんだから大丈夫ですー」
 私はついむっとしてべっと舌を出す。その仕草が一番子供じみているというのに。
 いざ広場に乗り出してみると、そこには期待通り心惹かれるものがたくさんあった。
 美味しそうな野菜や果物、その加工品。ジャム一つにしても、こうも種類があると気持ちがそそられてしまう。
 ガナスハロスからは観葉植物の鉢植えが多く寄せられたようで、露店には人だかりができていた。これまでならきっと、そんなのは実用的でないと見向きもされなかっただろう。美しいとか癒されるとか、そういった理由だけで存在するものに心を割く余裕ができたというのはとても喜ばしいことだ。
 食べ物、インテリアと並んで、その隣にあったのは工芸品のお店だった。メナンシアやシスロディアのものは日常でもよく目にしているけれど、中には目新しいものもいくつかあった。
「これ可愛いかも」
 特に目を引いたのはガラス細工のアクセサリーだった。原料にはカラグリアの鉱石が使われているらしく、深い濃紺のそれは他のものとは色合いが違う。中で輝いているのは細かい空気の粒で、透かすとそれが光ってキラキラして見えた。まるで夜空を閉じ込めたみたいだ。
「へえ、いいんじゃねえの」
「そうなんだけど、私ネックレスは着けないんだよね」
 普段は首元までボタンを留めていることが多いし、首飾りなら元々一つ持っている。
「おしゃれ着用でもいいけど、襟のあいた服持ってないしなあ」
 考えれば考えるほど着けられる場面が見当たらない。今買ってもおそらく部屋の飾りになってしまうだけだ。
「残念だけど、今回は見送りかな」
「いいのか?」
「いいの。買っても着けられないんじゃ勿体ないし」
 使ってくれる人のところに届いた方が良いでしょ、と言って、私は次の露店へと向かった。視線の先に骨董や古書が並ぶお店を見つけると、私の興味はすぐさまそちらへと移っていった。
 視界に映るものに次々と心を奪われているうち、私はいつの間にか広場の端の方まで来てしまっていた。はっとして顔を上げるが、そこにロウの姿は無い。
 辺りをぐるりと見回してみても近くにそれらしき影は見当たらなかった。加えて周囲の人の流れはてんでんばらばらで、もはや自分がどこの方向から来たのかもよく分からない。
 はぐれた、と気づいたのはその時になってからだ。ロウの言葉が頭の中で蘇る。
 まずい、と思って私は咄嗟に広場を出ようとした。一旦人混みを抜け出せば外からロウを探せると思ったのだ。
 そうして振り返った時、突然視界が遮られた。顔を上げると見知らぬ男が二人、目の前に立っていた。
「君、一人で来たの? それとも友達とはぐれちゃった?」
「それは大変だね。俺らも一緒に探してあげるよ」
 にやにやとした笑いを浮かべる男たちは、じりじりと私に迫ってきた。そして強引に私の腕を掴むと、向こうへ引っ張っていこうとする。
「ちょ、ちょっと……!」
 離して、という私の声も届かない。初めから私の言葉なんて関係ない、そんなふうに見えた。
 引かれた腕にバランスを崩しそうになった時、男たちと私の間に割って入ってくる影があった。その背中にははっきりと見覚えがある。
「こいつ、俺の連れなんだけど」
 背中越しにロウの声が聞こえた。男の腕を掴んで、さらに語気を強める。
「まだ何か用あんのか?」
「い、いや別に……」
 手をひっこめた男たちはそそくさとその場を去って行った。その姿が人混みに消えるのを見て胸を撫で下ろすが、すぐにはっとする。こうしている場合ではない、謝らないと。
 ロウ、と言いかけた私の腕を今度はロウが強く引いた。ロウは何も言わず、そのまま人混みを抜けると広場を出る。その先、通りを少し進んで賑わいの落ち着いた場所まで来ると、そこでようやく立ち止まった。
「あちこち行くなって言っただろ」
 向き直ったロウはため息混じりに言った。
「……ごめん」
 私は俯いて言った。あまり騒がしくないこの場所でもよく聞き取れないくらいに消え入りそうな声だった。
 声色から、ロウは怒っているのだと思った。はぐれるわけないと豪語しておきながらこの有様だ。呆れられても当然かもしれない。
「振り向いたらいなくなってるし、探してみりゃ変な奴らに絡まれてるし」
「う……」
 ロウの言葉が次々と刺さる。とはいえあの男たちに捕まったのは私のせいではないと思うけれど。
 そのとき、ロウの指が私の額をぴんと弾いた。顔を上げると、ロウは口を小さくへの字に曲げていた。そして頭を掻いて言う。
「けど、今回は俺も悪かった。ちょっと気い抜けてた」
 そうして再び私の手を握って「最初からこうしてりゃ良かったんだよな」と言った。
「デートってこと、すっかり忘れてたぜ」
 デート。そういえばそうだった。夢中になりすぎて頭から抜け落ちてしまっていた。
「私も忘れてた。朝起きた時までは覚えてたのに」
「じゃあ今から仕切り直し、な」
 うん、と頷いた私の手を引いて、ロウは再び広場の方へと歩き出した。いつもなんとはなしに眺めているはずの背中が、今日はなんだかとても眩しいものに思えた。
 帰り際、ロウは小さな箱を取り出した。手のひらに収まる大きさのそれは簡素ながらも可愛らしい包装がされている。
「お前にやる」
 開けてみると、中に入っていたのは髪留めだった。ガラス細工の飾りは、あの露店で見たものと同じものだ。
「これ、どうしたの?」
「お前すげえ気に入ってただろ。髪留めなら普段でも使えるんじゃねえかと思って、店のオヤジに頼んで作りかえてもらったんだよ」
 私を見失ったのはその時のことらしい。店主と話し込んでいるうち、はっとして振り返ると私の姿が見えなくなっていたのだとか。
 それを聞いて私は二重に申し訳なく思った。ロウが私のためにと交渉している間、自分は好き勝手出歩いていたのだ。おまけにそのままはぐれて、ほとんど迷子みたいになっていた。
 ごめん、と言いかけて、違うなと思った。
「ありがとう」
 この髪留めのプレゼントも、私を見つけてくれたことも、男たちを追い払ってくれたことも。今日一日分の感謝を込めて、私はそう言った。
「大事にするね」
 おう、と言ったロウも嬉しそうだった。そうしてまた、私たちは手を繋いで家までの道を歩いた。

 それからもロウとは二人で何度か出掛けた。街の中は一通り歩き回ったので、外に出たり街道を歩いたりもした。とはいえまだはぐれも多く見かけるので、女の子と出掛ける時はかなりの注意が必要だろう。
 デートの回数を重ねる中で、ロウは確実に成長を遂げていた。カフェやレストランも今まで知らなかっただけでその存在に気付けばいいお店を選んでくるし、服やアクセサリーを選ぶセンスも悪くない。デリカシーはないけれどそれさえ気を付ければ会話にも問題はないし、意外なことに気遣いもそこそこできている。つまりデートとしては及第点をあげられる。アドバイザーとしては嬉しい限りだ。
 一方で私の中には複雑な気持ちもある。
 これらは将来のロウのため、言ってしまえば、いずれロウと交際する彼女を喜ばせるためのものだ。私の行いは、いつかロウの隣を歩く誰かのために捧げられている。
 そう思うと、私は少しむなしくなる。今自分がロウの隣を歩いていても、それはまだ見ぬ未来で誰かにかわる。それがいつになるかは分からないけれど、確実にその日はやって来るのだ。
 ロウにそうした相手ができたとして、私は祝ってあげられるだろうか。笑顔で背中を押してあげられるだろうか。
 そんなふうに悩んでしまうくらいには、この想いは大きくなりすぎた。ロウの隣を歩けることがこんなに幸せなことだったなんて。
 このままでいたい。このままじゃダメ。
 せめぎ合う気持ちが私の中で揺れている。ゆらゆらと天秤のように傾くそれに心を重ねながら、私はひとり、ため息を吐くのだった。