ロウの〈仮彼女〉になってデートするリンウェルの話。ハッピーエンド。(約8,700字)

明日、君の隣を歩くのは(2)


 往々にして本当にツイていない日というのは存在する。今日なんかがそうだ。家を出てすぐに雨に降られたかと思いきや宮殿に着く頃には止んでいて、周りを見ると服を濡らしているのは自分だけだった。余裕を持って提出したはずの報告書にも不備があると言われ、訂正を余儀なくされた。これはまあ、確認を怠った私が悪いのだけど。
 こんな日は美味しいご飯でも食べて気を紛らそうと昼食のことを考えていたら、ふと〈図書の間〉で声を掛けられた。
「……リンウェルさん……」
 どんよりと重たい声を出していたのは、自分と同じく遺物についての調査をしている研究仲間だった。その落ち込んだ表情は、気持ちが沈んでいるはずのこちらが驚いてしまうほどだ。
「ど、どうしたの?」
「先日、商人から購入した遺物なんですが……」
 彼は言いにくそうにぼそりと口を開く。
「――ええっ!」
 ついて出た声は部屋中に響き渡ってしまった。一斉に向けられる視線が刺さる。
 私はそれどころではなかった。――まさか、あれが偽物だったなんて!
 彼曰く、その遺物を他の研究員たちに見てもらった結果、よくできた贋作だと言われたらしい。塗装の剥げ具合や古代ダナの意匠などもよく再現されていて、素人目には分からないほどの出来だという。
 それを見つけてきたのは私だった。定期的にそういった珍しいものを売って歩く商人たちがいて、そのラインナップに例の遺物があった。あまり見慣れない形をしていたけれど、なんとなくそれに心惹かれた私は同じ研究をする彼に相談し、それを経費で購入してしまったのだ。少し足が出てしまうにも関わらず。
「テュオハリムになんて言おう……」
 余計に資金を出してくれたのはテュオハリムだ。「心ときめく遺物は一期一会。機会を逃してはいけない」なんて言って、私の頼みを快く承諾してくれた。
 それなのに私は失敗をおかしてしまった。一応とはいえ専門家のような立場なのにまんまと騙され、友人の信頼も裏切る形になってしまって、あとに残ったのは出来のいい偽物の遺物だけだ。その使い道といえば、部屋の古ぼけたインテリアになることくらいだろうか。
 ツイていない日が一気にどん底の日に変わる。私は偽遺物のショックから昼食にも行けず、結局近くのパン屋で売れ残りのサンドイッチを買って食べた。レタスが萎びたそれはお世辞にも美味しいとは言い難い。
 悪いことは重なるものだ。
「あの子、あたし苦手」
「わかる。なんでか分かんないけど、年上の人とも仲良いよね」
 たまたま入ったトイレの個室で、私はその声を聞いた。
「媚びてるの見え見え。ちょっと歴史に詳しいからって」
「それでテュオハリム様にも擦り寄るとか、良い度胸だよね。ダナ人ごときが気軽に話していい相手じゃないのに」
 その声に聞き覚えはなかった。口ぶりから、おそらくレナの人たちなのだろうなということくらいしか分からなかった。
 こんなところで陰口なんて陰湿だな、なんて思っていたのに、
「星霊術使えるって聞いたよ。ダナのくせに」
 それが自分のことだと分かった途端、心臓はみるみる小さくなっていく。
「何それ、こわーい。こんなこと言ってたら消し炭にされちゃうやつ?」
「ああいうタイプはキレたら何するかわかんないしね。この街ごと滅ぼしちゃうかも」
「やっだー、早く採石場送りにしないと」
 それからしばらくして、くすくすと笑う声は扉の外に消えていった。辺りに響くのが自分の鼓動だけなのを確認すると、私はそっと個室のドアを開ける。ついて出たため息は重たい。――またか。
 こういったことを言われるのは初めてではない。それこそいまだにダナ人に対して当たりの強い人もいて、それはダナとレナの共存がいち早く進められたこの街でも同じことだ。
 生まれたての赤ん坊みたいなこの世界ではそれも致し方ないのかもしれない。三百年以上に渡って深く削がれ続けた両者の溝は、そう簡単に埋まるものではないからだ。
 彼女たちが言ったことを真に受ける必要はまったく無かった。私が彼女たちを知らないように、彼女たちもまた私のことを知らない。顔の見えない相手だからこそ言える憂さ晴らしみたいなものなのだろう。
 それでも、あんなふうに言われて傷つかないわけではない。私だって一人の人間で、感情があるのだ。たとえ怪物みたいな力を持っていたとしても。
 私はトイレを出ると〈図書の間〉へと向かった。俯いたまま歩いていたせいか、正面からやって来た兵士にも直前まで気がつかなかった。彼が避けてくれなかったら、おそらく硬い鎧に顔面から衝突してしまっていたことだろう。
 今日は何をやってもダメな日だと思った。内からも外からも良くないことが押し寄せてきて今にも押し潰されそうだ。
 こんな日は誰かに話を聞いてもらいたい。慰めるでもなく、私が話すことにうんうんと相槌を打ってくれればそれでいい。
 そう考えて、真っ先に思い浮かぶ相手はロウだった。ロウなら夕飯を食べながらでも私の愚痴を聞いてくれるに違いない。陰口についてはともかく、偽遺物のことを話せば「元気出せよ」なんて励ましてくれるかもしれない。今の私にはその一言で充分。
 そう思いながらも、それを躊躇う自分もいる。これは以前の私ならあまり考えなかったことだ。
 今自分はロウの〈仮彼女〉であっても、本当の彼女ではない。それを差し引いたって、ただ自分の愚痴に付き合ってもらいたいがためにロウを呼び出すのはなんだか違う気がした。
 ――親しい友人でも?
 いや、親しい友人だからだ。何の実りもないぼやきを聞かせてロウに何の利益があるだろう。多少なりとも明るい話題があるならまだしも、生憎今の私はそんなもの一つだって持ち合わせてはいない。暗い話題に影を落とすのは自分一人で充分だ。
 やっぱりやめよう。こんな日は仕事に打ち込むに限る。〈不備アリ〉と付箋の付けられた報告書に向き合えばそれこそ悩みのタネが一つ減る。そうして沈む気持ちを多少なりとも軽くして帰ろう。〈図書の間〉の重たい扉を開けて、私は早速机へと向かう。
 外の広場からは、夕刻を告げる鐘の音が響いていた。

 報告書の修正が終わったのは、日が暮れてからかなりの時間が経った頃だった。辺りを見回しても〈図書の間〉に残っているのはほんの数人で、そこには夜間にしか現れないという見回りの兵士の姿もあった。どうやら自分はかつてない時刻まで居座ってしまったようだ。
 急いで帰る支度をして宮殿を出ると、深い藍に染まった空が目に入った。そのあちこちで星たちが瞬き、街を淡く照らしている。
 市場はもう閉じてしまっていた。何か食べようと出来合いのものを買うこともできないし、だからといって今からどこかの食堂に入る気力もない。
 結局面倒くささが勝ると、私は今夜の夕食を諦めることにした。明日の朝まとめて摂れば何も問題はない。
 そう言い聞かせながら噴水前の階段を下りる。市場を過ぎて、真っ直ぐ通りを歩いていると、「リンウェル?」と声が掛かった。
 振り向くと、そこにはロウがいた。通りの向こうからやって来たロウはこちらまで駆けてくると「どうしたんだ、こんな時間に」と言った。
「宮殿からの帰りだよ。そっちこそどうしたの」
「俺も今帰りなんだよ。さっきまで仕事仲間たちと飯食ってた」
 あっちの店で、とロウが指したのはこの時間でも賑やかな歓楽街の方だった。まだ客がいるのか、微かに騒音が聞こえてくる。そこだけオレンジ色に染まった空は周辺の店の灯りによるものだろう。
「こんな時間まで大変だね。お酒でも飲んでたの?」
「飲んでねえよ。ひたすら酌するだけ。飯は死ぬほど食ったけどな」
 けらけらと笑ってロウはお腹を撫でてみせる。確かにちょっと膨らんでいるような気がしないでもない。
「お前は? こんな時間まで研究して、ちゃんとメシ食ったんだろうな」
「あー、うん、まあ、そこそこ?」
 視線を逸らした私にロウは大きくため息を吐いた。また抜いたな、と言われてしまえばもう言い逃れはできない。
「ちょっと待ってろ」
 と言ったロウは、そのままどこかへ駆けていった。その後、数分して戻ってきたロウの手には小さな紙袋が握られていた。
「これでも食っとけ。その辺の店で買ったやつだから不味くはねえだろ」
 中にはホットドックが入っていた。焼きたてのソーセージからは湯気が上がっている。
「……ありがと」
 こういった気遣いはさらりとできてしまう。それが気遣いであるとも気づかずに。とはいえこんな遅くに炭水化物と脂ののったお肉を女の子に食べさせるあたり、まだまだなのかもしれないけれど。
「ロウはいつもこの時間に帰るの?」
「いいや、今日はたまたまだな。奢りだって言うから付いてったんだよ。飯屋じゃなくて酒場だったけど」
 隣を歩くロウからは煙草の煙と、ほのかな酒精が香っていた。おそらく仕事仲間というのは大人たち、それも結構な年上の男の人ばかりなのだろう。
「酔った大人の相手って大変じゃない? 声大きいし、口悪いし」
「まあな。でも苦労ばっかでもないんだぜ。いろいろ話も聞けて勉強になるしな」
 経験談っつーの? と笑いながら、ロウは今日の話を聞かせてくれた。その生き生きとした表情は前向きで明るい。私の好きなロウの表情だ。
「愚痴も聞かされるけどな。飯奢ってもらってるわけだから黙って聞いとくけど」
 それを聞いて私はいいな、とちょっと思ってしまった。今日は私もロウに愚痴を聞いてもらいたかった。
 そんなことはもちろん言えずに、私は「そっか」とただ相槌を打った。「お疲れ様」とも付け加えた。
「なんかお前、元気なくね?」
 最後の角を曲がったところで、ふとロウがそんなことを言った。
「え、なんで?」
「いやなんとなくだけど」
 ロウの勘は一体どんな仕組みになっているのだろう。普段は敏いのサの字もないのに、こういう時に限って私の心を鋭く読んでくる。
「何かあったのか?」
 言ってしまおうかどうか、私は迷った。その一瞬の間があることが既に何かあったと言っているようなものだ。
「ちょっと、嫌なことがあって」
 視線をやや下に向けたままで私は言った。
「研究でもミスしちゃうし、それ以外のことでも色々あって。今日本当にツイてないことばっかりで、それで落ち込んでたんだけど」
 私の言葉をロウは黙って聞いていた。
「ロウに話聞いてもらいたいな、ってちょっと思ったりもしたけど、宮殿に篭って作業してたら結構回復したんだ。だから大丈夫」
 心配してくれてありがとう、と言って顔を上げると、ロウは真っ直ぐこちらを見て言った。
「なんで俺を呼ばねえんだよ」
「え……?」
「お前がそんなこと言うなんてよっぽどだろ。誰かに何か言われたりしたのか」
 図星を突かれて思わず言葉に詰まる。
 言われた、言われたけれど、別に大したことじゃない。
「……言われてないよ」
 ただ聞いてしまった、聞こえてしまっただけだ。ほとんど事故と変わらない。
「でもお前が傷ついてるのは事実だろ」
 そんな顔して、と言われて、そこで自分の唇が震えていることに気がついた。
「辛いなら辛いって言えよ。愚痴くらい俺がいつでも聞いてやるから」
 でも、と声が出る。
「ロウは今日他に予定があったわけだし、結果的に難しかったんじゃないの?」
 こんなことを言って、私は何がしたいのだろう。こんなふうに問われてもロウが困るだけなのに。
 私はロウに悩んでもらいたいのか。「私と仕事の付き合い、どちらを優先するの?」なんて、どこかで聞いたような稚拙な問いを投げかけたいのか。
 あるいははっきり否定してもらいたいのか。今日はダメだった、行けそうになかったと断言してもらって、とどめを刺してもらいたいのか。いずれにしたってどこまでも自分本位だ。
 それなのにロウはそのどちらも蹴散らすようにして言った。
「そんなの断ったっていい。お前が辛い思いしてんの知ってたら、抜け出すくらいわけねえよ」
 その言葉に嘘も躊躇いも一切なかった。そう確信できてしまうくらい、真っ直ぐな目だった。
「お前が呼ぶならどこだって行く。俺とお前の仲だろ」
 俺とお前の仲。
 それってどんな仲なの。どこまで許されるの。
 本当にどこでも来てくれるの。
「……彼女がいても?」
「え……?」
 ついて出た言葉に我に返ると、私はロウに背を向けた。
「ごめん変なこと言った」
「リンウェル」
「送ってくれてありがとう。ここでいいから」
 じゃあね、と言って私は路地を駆けた。おい、とロウが呼ぶ声も聞こえないふりをした。そのまま家に着くと部屋に入って、ドアを閉める。
 馬鹿なことを言った自覚はあった。だからこそこうして逃げるような真似をしてきたのだ。深く重たい息が床に沈む。
 だめだ、これ以上は。このままだと崩れてしまう。私が、今まで保ってきたものが。
 それを賭ける覚悟があったなら。そんなこと、もう願いはしない。それができたらこんなことにはなっていない。全部初めから諦めていたのだから、今更何かを望むことなんて許されるはずがない。
 なら、この気持ちはどうすれば。なかったものとするにはあまりに膨らみすぎた想いの行き場を、私はどこに見つけたらいいのだろう。
 辛い。恋って辛くて、悲しくて、残酷で、それでいて温かい。ちょっと塩辛いのも、恋の特徴かもしれない。
 この恋に私がしてあげられることは一つしかない。
 濡れた袖でもう一度目元を拭って、私は立ち上がった。右手に握られたままの紙袋のホットドックは、まだほんのり温かった。

   ◇

 ロウとの約束の日は朝から空模様が怪しかった。薄墨色の雲が薄く広がっていて、湿った風が吹いていた。
 それは私が家を出る時間になっても変わらなかった。それでもまだちらほらと見える彩度の低い青空に一縷の望みを抱きながら、私は待ち合わせまでの道を早足で歩いた。
 ぽつり、と嫌な感触がしたのは大通りに出てからだ。頭のてっぺんに何か冷たいものが触れたと思った瞬間、顔にも肩にも同じ冷たい何かを次々に感じて、私はたまらず駆け出した。
 咄嗟に逃げ込んだパン屋の軒下から空を見上げると、さっきまで覗いていたはずの青空はすっかり雲に覆われてしまっている。やっぱり、と肩を落としながら視線を向けた先、宿屋の軒下には自分と同じように空を見上げるロウがいた。
「おはよう」
 と声を掛けて、私はロウと同じ宿屋の軒下に入った。
「見事に降られちゃったね」
「昨日までは晴れてたのにな」
 雨女でもいるのかもな、なんて言うものだから私は強い視線を向ける。ロウはそれを見て悪戯っぽく笑ってみせた。
「どうする?」
「どうするって?」
「デート。雨降ってるけど、行く?」
「もう少しすりゃ止むだろ。そしたら出掛けようぜ」
 うん、と言って私は再び空を見上げた。雲は暗いが、流れは早い。ロウの言う通り、すぐに止むかもしれない。それでも地面は濡れたままだろう。歩くたび水たまりから跳ねる泥を思うとちょっと気が重くなる。
 最後なのにな、と私は心の中だけで呟いてみた。
 今回でデートは最後。私は今日、ロウにそう告げるつもりで家を出た。
 女の子とのデートに関して、ロウはもう充分理解できていると思う。改善すべき点はデートの最中に教えたつもりだし、会話や行き先は相手の好みも大きく関わることなのであとはもう実践で学んでいけばいい。私が役に立てるのはここまで。無事に卒業、というところだろう。
 そんな建前を並べつつ、私は本当はもっと自分勝手な理由でこの役目を放棄したいと思っている。――自分の心を守るため。
 もうこれ以上、私の心は耐えられそうにない。ロウと過ごす時間が長くなるほど惹かれてしまう。気持ちが大きくなってしまう。風船みたいに膨らんだ想いはいずれ弾けてしまうのだ。
 弾けると分かっていて膨らませる必要は無い。これ以上大きくなる前に踏みとどまった方が良い。
 だから今日でデートは終わり。〈仮彼女〉の役目も終わり。全部終わらせて、元の関係に戻る。気持ちを落ち着かせるためにちょっと距離を取ることも必要かもしれない。
 そんなふうに色々と決心して来たはずなのに、いざロウを目の前にするとなかなか切り出せない。どんな表情でどんな言葉を発したらいいのかまるで分からないのだ。
「それ」
 ふとロウが指したのは私の髪だった。そこにはあの日、ロウがくれた髪留めがあった。
「せ、せっかくだから着けてみたの」
 まさか気づかれるとは思わず、私は少し動揺した。「どうかな」と問うた声はちょっとぎこちなかったかもしれない。
「いい感じだな。似合ってると思うぜ」
「……ありがと」
「そういやお前、毎回髪留め変えてるよな。普段はあの黄色いやつなのに」
 そう言われて、私の心臓はどきりと跳ねた。
「き、気づいてたの」
 ロウがこれまで何も言わなかったので、てっきり見てすらいないのだと思っていた。気づかれていないと思っていたからこそ、その日の気分に応じて髪留めを変えてオシャレを楽しんでいた部分もある。ロウの意識がそこに向いていると知っていたら、もう少しアレンジにも気を遣っていただろうに。
 ロウは笑って、私がこれまでデートに着けてきた髪留めの色をつらつらと並べた。驚いたことにそれは全て当たっていて、ただの当てずっぽうではなかったようだ。
「俺、意外とお前のこと見てるんだぜ」
 どの口が、なんて言うことはできない。たった今ロウはそれを証明してみせたのだ。
 なんだか負けたような気持ちになって、私は通りの方に視線を戻した。石畳に跳ねる雨は先ほどよりも少しだけ弱くなっていた。
「あれから考えたんだけど」
 と、ロウが突然切り出した。
「俺、お前が困ってるなら、お前のとこ行くと思う」
 彼女がいても、と付け加えられて初めて、私はそれがあの夜の話題だと気がついた。
「お前には辛いこと抱え込んでほしくないっつーか、一人で泣いててほしくない。俺がいて少しでも慰めになるなら一緒にいてやりたいって思う」
 真面目な顔で一体何を言い出すのだろう。
「だ、ダメだよ」
 そんなこと許されるわけがない。彼女を放って私のところへ来るなんて。
 ロウが良くても私は許さない。それにきっと彼女もそうだろう。
「これって、お前が一番大事だってことだと思うんだよな」
 なおさらダメだ。彼女以上に大事な存在がただの元旅仲間だなんて顰蹙を買うどころではない。私は小さくかぶりを振る。
「おい、分かってるか」
 ロウが顔を近づけて言う。
「告白、してんだけど」
「……え?」
 なんて言ったの、今。――こく、はく?
 頭が追い付かない。だって、そんなまさか、ありえない。
「う、うそだよ」
 勢いよく首を振って私は言う。
「だってロウ、いつも街で女の子のこと目で追ってるじゃない」
 髪の綺麗な子。お人形のように顔立ちの整った子。時にはセクシーでグラマラスなお姉さん。いずれにしたって私とは全く違うタイプの子ばかり。
「そ、それは否定できねえけど」
 気まずそうに頭を掻きながらロウは声を落とした。
「それでも俺、お前のことも結構見てたと思うけどな」
 一瞬だけロウの視線が私の髪留めへと向いたのが分かって、私は急に恥ずかしくなってきた。
 視界に入っていなかったわけじゃない。視界に入れられていると気づいていなかっただけ。これではロウのことを言えない。私だってかなりの鈍感だ。
「し、信じられない。だって私、今日全部終わりにするつもりで」
 上ずった声のまま、私は心の内を明かす。〈仮彼女〉をやめるつもりだったことも、今日のデートが最後だと告げようとしていたことも。
「ロウのこと好きになっちゃうから。今までよりもっと好きになって、あとでロウに好きな人ができて、傷つくのが嫌だったから」
「それって……」
「私もロウが好きなの。ずっと前から。ずっとずっと、隠してきたの」
 叶うはずないと思っていたから。ひとりで始めて、ひとりで終わらせるつもりの恋だったから。
 それが今こんな思わぬ形で実ろうとしていて、私は混乱している。枯れかけた植物が突然つぼみを付け、花を咲かせるなんて。
 信じられない気持ちと嬉しい気持ちがない交ぜになっている。そこにほんの少し、ロウを疑う気持ちもないわけではない。だって、そんなすぐ信じられるわけがない。
「急にそんなこと言われて、どうしたら……」
「なら、これじゃだめか」
 そう言ったロウの手が私の髪に伸びる。次いで落とされた影に目を閉じる隙も無く、そのまま唇同士が重なった。
 数えたならきっとほんの数秒。だけど私にはその時だけ時間が止まったように思えた。睫毛で触れられそうなほどの距離でロウの目が見開かれる。
「お前が好きなんだけど」
 低く囁かれた声で、私は魔法にかかったみたいに動けなくなった。ただその場で「うん」と頷くことしかできなかった。そんな瞳で見つめられたら、信じるしかない。
「もうお前しか見ねえよ」
 不覚にもどきりとしたのに、ロウはその後で小さく「できるだけ」と付け加えた。
「~~っ何それ!」
「いや、だってもう癖になっちまってるっていうか、すぐには直んねえっていうか」
「直して、今すぐ直して!」
「わかった、わかったから」
 努力する、と誓ったロウの左手を取って、私は自分の右手を握らせた。ロウが見るのは私だけ。ロウが握るのは私の手だけ。
 そして私も同じく。ロウだけを見つめて、ロウの手だけを握る。
 ずっとロウの視線を奪えるように、隣を歩けるように、努力して可愛くなって、もっと頑張るのだ。
「あ、晴れてきた」
 見上げた雲の向こうには澄んだ青空が覗き始めていた。今朝見たものよりずっと鮮やかなそれは始まりの日に相応しい。
「……じゃ、行くか?」
 うんっ、と大きく頷いて、私は空の下に新たな一歩を踏み出した。
 今日は私たちの記念すべき最初のデートの日だ。

 終わり