私がかつて暮らしていた家は、シスロディアの雪深いところにある一軒家だった。大きすぎず小さすぎず、3人で暮らすのにちょうどいいくらいの広さで、木造りの家具があたたかみをもたらすつくりだった。
家の周りは雪で囲まれていたのに、どういうわけかあの家で寒さに凍えた記憶は一切ない。もちろん友達と外で遊んだときは雪にまみれて濡れて、寒い寒いと震えながら家に帰ったものだ。
けれど家の中はいつも暖かかった。部屋に飛び込むと「おかえり」と母さんが迎えてくれて、すぐに温かいココアを出してくれた。私はそれを見るや否や大喜びで、濡れたコートをさっさと脱ぎ捨ててマグに飛びついていた。
私には自分の部屋もあったけれど、勉強する時以外は大抵両親のいる居間にいたと思う。そこには古びた暖炉があって、その前で本を読むのが好きだった。暖炉のきらきらとした炎と心地よい温度も相まって、読書の途中についうっかり眠ってしまうこともあった。そういう時はふわふわ夢見心地な気分になったかと思うと気付けば部屋のベッドで寝ていたけれど、思えば父さんが私を部屋まで運んでくれていたのだろう。勉強には厳しかったが、それ以外はとても優しい父だった。
今でもあの家のことははっきり思い出せる。母さんがせわしなく動き回っていたキッチン。父さんの背丈よりも大きな本棚。少しがたつく勉強机。風に軋んで揺れる窓。
そう考えると、私が今住んでいる部屋はあの家とは似ても似つかない。ひとり暮らし用なのでちょっと狭いし、暖炉はあまり使われていないかのようにまだ真新しい。そもそもここは寒さの厳しいシスロディアではなく、気候の穏やかなメナンシアなのでそれも当然と言えばそうだ。
それでも部屋にはなかなかの大きさの本棚がある。集めてきた本が増えてきたので、この間思い切って買ったのだ。
暖炉の前にはテーブルもあって読書もできるし、ココアも飲める。木造りの内装は心を落ち着かせると同時に懐かしさまで感じさせてくれる。
思えば全体的な家具の配置もどことなくあの家に似ているような気がした。備え付けのキッチンと暖炉は偶然にしても、本棚やテーブルを置いたのは私だ。意識していないのに似てしまうなんて、そういう好みまで遺伝したのかな。
ううん、たぶんそうじゃない。私はきっとあの家が気に入っていたのだと思う。大きくもないし豪華でもなかったけれど、寒さを感じさせないあの家が好きだった。
そこで愛情を持って私を育ててくれた両親のことも。思い出すだけで心が温かくなって、思わず笑みが零れそうになる。
今私が部屋に帰ってきてドアを開けて「ただいま」と言っても、「おかえり」と返してくれる人はいない。
でも寂しくはないんだよ、父さん、母さん。
私が暮らすこの街には親切な人がたくさんいるし、私を気にかけてくれる友達も仲間もいるの。
それにね、この街以外にもそういう人がいるんだよ。私のことを気にかけて、気にかけすぎて小言ばっかり言う人がいるの。もう子供じゃないのに、最近はフルルまでその人に同調するから肩身が狭いです。
最近というほどこの頃は会えていないけれど。体力だけは有り余ってる人なので、きっと元気に過ごしてると思います。たぶん。知らないけど。
そういうわけで、私は今日も元気です。今日も一日、勉強頑張ります。
じゃあ、行ってくるね。
心の中で祈りを捧げると、私は高い青空の広がる街の通りに向かって部屋のドアを開けた。