リンウェルがカラグリアにいるロウに会いに行く話。ハッピーエンド。捏造幻覚たくさん。キサラ+リンウェルの会話中心SS「食事と幸せはよく噛むべし」と繋がっています。(約2,800字)

ただいまとおかえり(2)

 朝起きて準備を済ませた私が向かう先は大抵アウテリーナ宮殿だ。その中の〈図書の間〉で本を読むのが日々の日課となっている。
 読む本のジャンルは様々だ。物語に伝記、歴史書や図鑑に、最近は料理のレシピ本なんかも手に取ってみたりする。
 どんな本を開いても、そこには自分の知らない世界が広がっている。その世界の主人公となって新しい知見を得られるのが本の素晴らしいところだと思う。
 私が今日手にしたのは、ダナの古い歴史書だった。その場でパラパラとページをめくり、大体の内容を確認していると、不意に隣に立つ影に気が付いた。
「おはよう。今日も熱心だねえ」
 声を掛けてきたのは同い年の友人だった。私以上に朝に弱い彼女はふああと大きな欠伸を一つして、涙の滲む目を擦る。
「おはよう。また夜更かししたの? 目の下のクマ、隠せてないよ」
「あたし夜型なんだもん。でも今日は朝から本の整理するから早く来てって言われちゃってさあ」
 彼女はこう見えて〈図書の間〉の司書でもある。(朝は特に)ぼうっとしている印象の強い彼女ではあるが、その知識と本への愛情は確かなものだ。
「整理するのは好きなんだけど、まだ頭が働かなくて……リンウェルとおしゃべりして目を覚まそうかなあって」
「ちょっと、人を目覚まし時計みたいに扱わないでよ」
 まあいいけど、と少し笑いながら意識をはんぶん友人の方へと傾ける。
「リンウェル、最近また小難しい本ばっかり読んでるよね。何の本探してるの? 最近読んだっていうダナの星霊術関連?」
「そう。たぶん相当古い記録だろうから、ほとんど残ってないと思うけどね。少しでも手掛かりないかなあって探してるとこ」
 少し前、街の商人から古い本を買った。表紙が気に入って買ったものだったが、中にはなんと大昔のダナの星霊術についての記述があった。
 それが気になって、私は調査を始めた。もうほとんどお伽話となってしまったそれの出所はどこか、他に言い伝えはないのか調べることにしたのだ。
 今手に取った本には直接そういった記述は見当たらない。でも中には星霊術としか考えられないような現象の目撃例もいくつか記載されていた。
「これ参考になるかも。ちょっと借りていこうかな。ほかにもこういうのあればいいんだけど」
「あたしも整理しながら探してみるよ。見つかったら教えるね」
「ありがと、助かる!」
 強力な助っ人の出現に心も弾む。これで調査ももっと捗りそうだ。
 そうした私の様子を見て友人が言った。
「いいなあリンウェル。毎日充実してるって感じで」
「そう?」
「うん、毎日楽しそう。羨ましいなあ。あたしなんか毎日同じことの繰り返しだし」
 はあ、と友人は小さくため息を吐く。
「あたしも何か個人的に調べ物でもしようかなあ。その方が生活にハリが出そう」
「いいと思うよ。目的があった方が本探しも楽しいし」
 私も手伝うよ、と言えば、友人はふにゃりと笑って「じゃあちょっと考えてみようかな」と言った。
「そろそろ戻るね。ありがと、目覚ましに付き合ってくれて」
「お役に立てたなら良かった。お仕事頑張ってね」
 うん、とひらひら手を振って友人は去っていく。その後ろ姿は心なしか、さっきよりも背筋が伸びているようにも見えた。
〈図書の間〉で見つけた本を抱えて宮殿を出ると、買い出しに向かうためそのまま市場の方へと向かった。食料が思いのほか減っていたことに今朝になって気が付いたのだ。
 最低限の野菜とお肉、そしてお米を少しだけ買い足した。本当はもっと欲しかったけれど、自分一人で持てる量には限りがある。今日は重たい本も抱えているので仕方なくの妥協案だ。
 そうして家に戻って、荷物を置くと同時にはあと深い息を吐いた。額にはうっすら汗をかいている。疲れた、ちょっと運動不足かもしれない。
 思えば最近街から出ていない。それどころかほとんど毎日家と宮殿の往復で、そのほかのルートと言えばたまに今日のように市場をぐるっと回るぐらいのものだ。前に外に出てフィールドワークをしたのは一体いつだろう。少なくともひと月以上は遺跡に行っていない。
『いいなあリンウェル、毎日充実してるって感じで』ふと友人の言葉がよみがえる。
 確かに、それは間違っていないと思う。毎日好きな本に囲まれて、好きな研究をして、いたって健康に暮らせている。まあたまに夜更かしをしてしまうこともあるけれど。
 旅をしていた時とは違って戦闘もないし、毎晩屋根のついた部屋で眠りにつける。衣食住に不足はないし、環境としてもこれ以上ないくらいだ。
 それなのにどうしてだろう、近頃の私はそんな毎日に物足りなさを感じている。夜ベッドに入って一日を振り返る時、「ああ今日もいい日だったな」と思うと同時に、胸に小さな穴が開いているような、抜け落ちたページがあるような、そんな気持ちになってしまうのだ。
 毎日楽しいか。充実しているか。そう聞かれたなら、私は間違いなく首を大きく縦に振ると思う。その問いに対する答えはもちろんイエスしかない。
 それでも私の心はすっきり快晴とはいかない。雨が降っているわけではないにしろ、辺りを照らしているはずの太陽がどこにも見えない。
 その原因は一体どこにあるのだろう。
 私はとうに気付いていた。日用品や食料の減りが以前より緩やかになったことも、街から出る機会が少なくなったことも。
 気付いていて、見ないふりをしていた。それとこれとはまったくの無関係であると言い聞かせていたのだ。

 最近ロウに会っていない。以前は仕事のついでだとか、近くまで来たからとか何かと理由を付けて現れていたのに、それがここのところまるきり姿を見せない。
 私がヴィスキントに暮らすようになった当初からロウはたびたび現れては声を掛けてきたり、遺跡調査に付き合ってくれたりしていたけれど、これほど長い間会わないことは一度もなかった。ロウにも仕事があるといえばそれまでだが、こうも連絡も何もないとこちらとしては些か不安にもなってしまう。病気をしたのかケガでも負ったのか、あるいは何かに巻き込まれているのかもとか、そんなふうに考えたこともあった。
 とはいえ大ケガでもすればさすがに何か知らせは来るだろうし、今のところそういったものは届いていない。病気は病気でも風邪程度なら話題にもならないだろうし、そもそも本人が風邪を自覚するかどうかすら怪しい。
 つまりロウはおそらく無事で、私が心配するようなことは何もなく日々を過ごしているのだろう。あちこちを風のごとく駆け回りながら充実した毎日を送っているに違いない。
 それはそれで胸を撫で下ろすとして、一方ではそれを面白くなく感じてしまう自分もいる。
 元気ならどうして会いに来てくれないの? 何か理由があるの?
 手紙を書くにしても言伝を頼むにしても、ただの「元仲間」がそんなメッセージを送るのにはなかなか壁が高いことも悩みの一つだった。