窓から差し込む光の明るさに耐えかねて目を覚ますと、手探りで枕元の端末を探った。寝ぼけ眼のまま画面を覗けば、時刻は午前8時を回っている。どうやら昨夜はアラームを設定せずに眠ってしまったらしい。これでは朝食どころかシャワーを浴びる時間すらない。
急いでベッドを抜け出そうとする私の腕を、これまた寝ぼけたままのロウが掴んだ。
「……どこ行くんだ」
「どこって、大学。今日1限あるから」
ふうん、と言って離れていった腕の呪縛は意外なほどあっさり引き下がる。
「がんばれよ」
うん、と返事をしようとして、私はもう一度端末の画面を覗き込んだ。時刻は8時15分。家から教室までそう遠くはない。自転車を使えばまだ授業には間に合う。間に合うけれど――。
迷いながら、開いたのはメッセージの送信画面だった。友人の名前が表示されるそこに私は一言だけメッセージを打ち込んで、送信ボタンを押した。
再びベッドへと戻る私に、
「大学、行かねえのか?」
ロウが言った。
「うん、代返お願いした。必修じゃないし」
出席まだ足りてるし、と付け加えて二人にかかった毛布を顔まで引き上げる。
「そうか」
ロウは一言呟いたと思うと、そのまま毛布の中に潜り込んだ。
「え、なに」
「時間あるなら、いいだろ」
寝間着の隙間からロウの指が侵入してくる。敏感な部分に触れられ、思わず高い声を上げると、ロウが小さく笑ったのが分かった。
「ま、まだ朝なんだけど!」
「いまさらそんなの気にするかよ」
確かに、と思った私の負けだった。諦めて身を委ねた私はなんだかんだ夢中になってしまって、結局時間いっぱいまで没頭してしまった。
2時限目の授業には間に合った。教室に入ると、友人がいつもの席を取って待っていてくれた。
「おはよー。2限には来たんだ」
「さすがに必修はね。1限はありがとう、助かったよ」
行為を終えてシャワーを浴びようとした時、端末にメッセージが届いていることに気が付いた。『了解! 代返しとくね!』という彼女からの返信に『ありがとう』のスタンプを返したのは、家を出る直前になってだった。
「お互い様だよ。私もリンウェルにはお世話になってるし」
友人はそう言うと、ファイルから1限目のレジュメを取り出した。どうやら代返のみならず、自分の分までそれを確保してくれたらしい。
私は改めて「ありがとう」と言って、席に着いた。彼女にはきちんとお礼をしなければ。今度購買で好きなお菓子でも選んでもらおう。
「それにしても、後期に入ってからリンウェル変わったよね。はじめはあんなに真面目だったのに、今じゃ授業もサボるようになっちゃって」
友人は悪戯っぽく笑って、「もしかして、例の彼氏のせい?」と言った。
思わずぎくりとする。私は慌てて「別に、そうじゃないよ」と否定するが、頭の中に浮かんだのは今朝の出来事だった。いやいや、あれだって別にロウのせいじゃない。自分の意思で、自分が休みたくてそうしたのだ。
とはいえ隣に誰も寝ていなかったら、自分は寝ぼけ眼のまま着替えて家を出て、必死に自転車をこいで授業に向かっていたのだろうなとも思う。そうした自分の生真面目な性格を捻じ曲げる程度には、ロウという存在は私に影響を及ぼした。
交際が始まってすぐ、大学は夏休みに入った。無事に前期の授業すべての単位を取得した私が真っ先にしたことといえば、部屋の合鍵を作ることだった。
ロウは自分がどこに住んでいるか、頑なに教えようとしなかった。
「だって、教えたらお前来るだろ」
あからさまにイヤそうな顔をしてロウは言った。
「狭いし、汚えんだよ。知り合いもいるし」
「へえ、シェアハウスってやつ?」
私の言葉にロウは「ああ、それ。そんなやつ」と言い、「だから教えねー。つーか知る必要ねえだろ」と不機嫌そうに言った。
その様子がこれまでと随分違ったので、私はもうその話題には触れないようにした。代わりに駅の便利屋に作ってもらった合鍵を渡して、「好きにしていいよ」と言った。
「ロウが来たい時に来ていいから。まあでも私もバイトあるし、いない時もあるかも。その時は勝手にくつろいでて」
「……いいのか?」
ロウはひどく驚いているようだった。金属製の鍵をまるで生まれて初めて見るような目つきで眺め、同じような視線を私に寄越した。
「付き合ってるんだからいいでしょ。あ、もしかして何か悪いこと考えてる? でも残念。金目の物なんて置いてないよ」
「いや別に、そういうわけじゃねえけど」
そう呟いたロウは、次の瞬間にはぷっと吹き出して笑い始めた。
「何? 何かおかしい?」
「おかしいっていうか、やっぱ面白い奴だなって」
そうしてロウは私を強く抱き締めると、「ありがとな」と言って優しく髪を撫でたのだった。
その後しばらく、私は部屋で端末を弄るロウを見かけることが多くなった。何かゲームをしているか、あるいは配信サイトで漫画でも読んでいるのかと思ったがどうやら違ったらしい。
「バイト行ってくる」
そう言ってロウが部屋を出て行こうとしたのは、午後8時を回ってからだ。
「え、こんな時間から?」
「夜間の工事現場なんだよ。そっちの方が効率いいだろ」
俺向きだしな、と笑って、ロウは出かけていった。
ロウが帰ってくるのは日が昇ってからだったようだ。というのも、私は実際にその姿を見ていない。夜家を出て行ったロウが、朝になってきちんとベッドに寝ているのを見て、私はロウが無事帰宅したことを知るのだった。
一度だけ微睡みの中でシャワーの音を聞いた。覗いた端末には〈6:00〉と表示されていて、ああ、ロウはこんな時間まで働いているのかと思った記憶がある。そうしてもう一度目を閉じて、再び開けるとロウは隣で寝息を立てていた。一晩中働いて疲れ切っているのか、ちょっとやそっとの物音じゃ起きる気配はない。私はその頬に軽くキスを落としつつ、起こさないようにと忍び足でベッドを抜け出すのだった。
そういう日が、多いときには週に3、4回ほどあっただろうか。
ある朝、テーブルの上に何か封筒が置いてあるのを見つけた。封のされていないそれからは数枚の万札が覗いていた。
「ちょっと!」
私は慌てて寝室に戻り、ロウを揺り起こした。
「ねえ、これどうしたの!?」
眠たそうに体を起こしたロウは、私の手元の封筒を見て「ああそれか」と呟く。
「生活費だよ。ほとんど一緒に暮らしてんだから、払って当たり前だろ」
ロウの言う通り、合鍵を渡してからというもの、ロウはこの部屋に入り浸っていた。バイトやほかの用事がある以外はほとんどここにいて、食事もシャワーも睡眠も、大体この部屋で済ませていた。
そうなれば自然と着替えやら私物は増えていく。この間もクローゼットの一画をロウのためにこじ開けたところだった。
とはいえ私は別に生活費には困っていなかった。家賃や食費、光熱費は仕送りで賄っているし、アルバイトもしているので遊びに使うお金もある。
それでもロウはそのお金を「いいから貰っておけ」と言った。
「そうしねえと俺の気が済まねえんだよ。好きに使ってくれていい。本でも服でも、好きなの買えよ。小遣いと思えばいいだろ」
「ロウからの小遣いって、なんだか変なお金みたいじゃん」
「彼氏に貢がれた金だぞ。どうだ、いい気分だろ」
バカ、と言って、私はその鼻を摘まんだ。
「とりあえず、このお金は〈預かって〉おく。使うべき時が来たら使うから」
まあ今はそれでいいかと、ロウも渋々納得した。
ロウがバイトに勤しむ一方で、私のバイトにはあまり変化はなかった。私は図書館で事務補助のアルバイトをしているが、特に目立った繁忙期などはないからだ。授業があった時は主に夕方からシフトが入っていたが、夏休みになるとそれが朝からだったり、あるいは夕方に戻ったりとその程度だった。
勤務時間にもほとんど差はない。およそ4時間から、長くて半日程度。ただ、夕方から閉館までのシフトの日にロウのバイトが重なると、部屋に帰る私とバイトに出かけるロウとでちょうど入れ違いになるということもあった。あるいはロウのバイトが終わってようやく寝付いた頃、今度は私がバイトに出かけなければならないという日もあった。
会えない時間は大して長くもない。せいぜい数時間とか、または夜の間だけ。
それでも寂しいと思うことはままあった。少なくとも当時、ロウに溺れるような恋をしていた私にとっては、視界にロウがいないということはある意味苦痛でもあったのだ。
そうしたすれ違いの時間を埋めるように私たちは体を重ねた。それはもう、何度も何度も。
夏休み中はロウと街でデートもした。映画も観に行った。バスや電車に乗って小さい旅行もした。それでも、夏休みに何をしていたかと聞かれて真っ先に思い出すのは、ロウとの数えきれないセックスだった。
そのほとんどは私の部屋の寝室でだった。料金も時間制限もない。多少近隣を気にする程度の正気さえあればいいのだから、手軽で気軽だったのだ。
私たちはキスをするのが好きだった。さらに夏だというのにぴったりくっついて、じゃれ合ってばかりいた。まるで子猫の兄妹のようだ。
でも視線が交わった途端、私たちはヒトのオスとメスになるのだった。汗にまみれた服を脱ぐのもそこそこに繋がり合う。揺すって揺さぶられて、まるで遊園地のアトラクションみたいだと思ったこともあった。それにしては中毒性が高くて、酔いもしない。何度でも、いつまでも没頭していられる。
私たちがそうするのに朝も夜も関係なかった。気にするのはバイトの時刻だけ。とはいえうっかり夢中になって、遅刻しそうになった日もあった。
普段のロウはというと大ざっぱで、料理をするにしても大味だし、タオルを畳むにしても形が崩れている、なんていうのはよくあることだ。
それでもセックスの時は違う。丁寧で丹念で、いちいち私の様子を窺ってはその反応を見て次に移る。その細やかさと言ったら、まるで別人のようなのだ。
私はその気遣い、指遣いにすっかり溺れてしまった。ロウに触れられる部分、すべてが気持ちよくて仕方ない。いつかどこかの本屋で立ち読みした雑誌のことを思い出す。大半の女性はそういう行為の時に演技をしていると書いてあったが、それは本当なのだろうか。こんなに気持ちがいいのに演技するなんてそんな余裕は私にはないし、そもそもそんなことをしてロウを喜ばせる必要がなかった。だって本当にどこもかしこも気持ちがいいのだ。私はただそれに身を躍らせるだけ。
あるいはロウが上手なのだろうか。ロウの経験がどれほどのものかは知らないけれど、それにしたって初めての時からずっと気持ちいいなんて、そんなことってありうるのだろうか。
ぐるぐる考えているうち、私はすっかり蕩かされてしまう。もう返事ができないほどにくたくたになって、ロウが射精するのと同時に低く呻くのを聞く。満ち足りる反面、ずるりと避妊具ごと引き抜かれるそれにどこか寂しさも覚えながら。
ロウは必ず避妊具を着けた。それはいついかなる時も、どんな状況だって、必ず避妊を欠かさなかった。
一度、避妊具を切らしたことがあった。それに気付いたのは行為の真っ最中で、互いに一番盛り上がっている時だった。
てっきり、そのまま挿入するのかと思っていた。おそらく安全日だろうし、心配ないだろうと私は脳内でひっそり計算してもいた。
でも、ロウは挿入しなかった。代わりにそれ以外で私を満足させ、やっぱりくたくたになるまで丁寧な愛撫を繰り返したのだった。
「意外だね」
ベッドの中で私が言うと、ロウはTシャツを被りながら視線だけを寄越した。
「生でするかと思ったのに」
「しねえよ。俺を何だと思ってんだ」
何って、彼氏。私の呟きにロウは困ったような顔をして、そして呆れの混じったため息で返事をした。
「彼氏でもなんでも、生はダメだろ。つーかそこはお前がダメだってちゃんと断れ」
「それはそうなんだけど、ちょっとだけ『してもいいかな』って思っちゃったんだもん。ロウならいいかって」
私の言葉にロウは再び大きなため息を吐く。と同時に、額を指で弾いてきた。思わず「痛っ」と声を上げる。
「ったく、ガキができたらどうすんだよ。俺もお前も困んだろ」
「お金とか?」
「金だけじゃねえよ。そういうのも知らねえくせに、生でしてもいいとか言うな」
ロウは珍しく本気で叱ってきた。両方の目を三角にして、まるで口うるさい中学校の先生のような言い草だ。
それでもロウの言い分は正しい。私は「はーい」と返事をすると、ベッドに転がりながらロウの横顔を盗み見た。一房だけ垂れた前髪がその表情を覆い隠す。
こんなに遊んでそうなのに、実は真面目なんだよなあ。
人は見かけによらないのだということを、私はロウから学んだ。
夢のような夏休みが終わって、大学が再開した。してしまった。
地獄の始まりだと思った。二重の意味で。わけのわからない授業を受けながら、それでいてロウに会えない。まさに地獄以外の何でもない。
すやすやと寝息を立てて眠るロウに後ろ髪を引かれながら、私は重たい足を引きずって大学に通った。ひとりならとっくに挫けていただろう。でも私には幸いなことに、一緒に並んで授業を受けてくれる友人がいた。
「おはよー。今日も授業怠いねえ」
いつも明るく教室で迎えてくれる友人だけが私の癒しだった。まるで干からびた砂漠に突如現れたオアシスだ。
せっかく教室までたどり着いたのだからと、授業を聞くときはそれなりに集中した。教科書を開き、ノートを開き、懸命にペンを走らせた。ペンのインクの消費量では、クラスの誰にも負けていなかったと思う。
「リンウェルってば真面目だねえ。あんな端っこの板書までメモして」
私の様子を見て、友人は笑った。
別にからかわれているわけではない。友人は記憶力が優れているのか、あまりノートを取らない派なのだ。
「何が試験に出るか分からないと思ったら怖くて。とりあえず全部書き写しちゃった」
逆に言えば、それは授業の要点を分かっていないということにもなる。事実、私は授業の内容に関してはちんぷんかんぷんだった。何が分からないのかも分からない。未知の言語を聞いている気分だ。
とはいえそれを打ち明けるのは仲の良い友人相手であっても恥ずかしかった。私はいつも懸命に勉学に励む大学生のふりをした。
「成績落ちたらお父さんが監視しに来るんだっけ?」
友人の言葉に、私はぐっと息を呑む。
そうなのだ。夏休みの最後、帰省した時にそう宣言されてしまった。どうやら父さんは、前期に届いた成績表があまり思わしくなかったことを憂いているらしかった。
それを聞いた私は、やっぱり、と思った。やっぱり、地元に帰るとロクなことがない。
そもそも私は帰省するつもりなどなかった。電車を使って数時間の地元には帰ろうと思えばいつでも帰れる。それに私は地元にそれほど思い入れがなかったのだ。
それでも5月の連休も、8月のお盆も過ぎてしまった。さすがにどうしようかと考えている時に、ロウが言った。
「迷ってんなら、帰った方がいいんじゃねえの」
端末を弄りながらの何の気なしの言葉かと思いきや、ロウはこちらを向いてごく真剣な眼差しをしていた。
「でも別に、連絡ならテレビ電話もインターネットもあるし」
「そうじゃなくて、家族はきっとお前自身に会いたいんだと思うぞ。お前だって、本当は家族に会いたいんじゃねえのか?」
どうにも不思議だ。ロウに髪を優しく撫でられると、実はそうだったんじゃないかという気がしてくる。
少し迷って、私は夏休みの間に帰省することに決めた。期間は1週間ほど。バイトの休みは意外なほどすんなり取れそうだった。
とはいえその間はロウとは会えない。「寂しくなるね」と私が言うと、ロウは声を上げて笑った。
「1週間なんてすぐだろ。それこそあっちから電話でもなんでもしてくりゃいい」
そうだけど、と私は呟いて、ふと思いついたことを口にする。
「そうだ、ロウも一緒に来る?」
え、と口を開けたロウは、次の瞬間分かりやすく動揺し始めた。
「い、一緒にって、俺のことなんて言う気だよ」
「正直に、彼氏です、って。父さんはひっくり返るかもしれないけど」
ひっくり返るのは父さんじゃなくてテーブルかもしれないなと思いつつ、
「いずれは紹介することになるんだし、それなら早めの方がいいんじゃない?」と言った。
「……いや、俺はいい」
ロウはぽつりと零すように言った。
「俺なんかが行っても、迷惑になるだろ」
その時一瞬ロウに何か昏いものが翳ったように見えたのは、気のせいだっただろうか。
「ほ、ほら、食事とか寝床とか、大変だろ」
そういうのは追々な、と笑顔で取り繕おうとするロウの様子をどこか疑問に思いながら、私は端末で列車の予約を取ったのだった。
その後は先述の通り。それなりにごちそうは食べられたものの、それも帰省初日だけだった。あとは特にすることもしたいこともなく、怠惰な1週間を過ごした。それでなくとも周囲には何もないド田舎だ。ロウとのメッセージのやり取りや電話での会話が無かったらどうなっていたことか。
戻る日を翌日に控え、やっとロウに会えると内心心を弾ませていたところに父さんの宣言を聞いた。帰りの列車には私の絶望が充満していたことだろう。
「彼氏がいてもいなくても、さすがに独り暮らしの部屋に親が一緒に暮らすのはキツいかも。実家暮らしでもキツいなって思うことあるのに」
友人の言葉に、私は「そうだよねえ」と肩を落とした。
「まあ、そうならないように頑張りなよ。自分のためにも、彼氏のためにも。私でよければ、一緒に勉強するし」
ありがと、頑張る。いざという時は、頼らせてもらうね。
友人にそう返してからおよそ1か月が経つが、はじめの気合もいずこやら、私は授業をサボることを覚え、経過は悪化の一途をたどっている。
決して授業の理解度が高まっているわけではない。ちんぷんかんぷんなのは相変わらずで、それならば授業に出なくても変わらないのではということに私はとうとう気付いてしまったのだ。
手を抜けるのは余裕がある者だけ。それを分かっていてなお、どうしても勉学にきちんと向き合うことができない。学内の書籍部に向かい、真面目に参考書でも探すかと思いきや、私が手にしたのは「安くて美味しいお肉のレシピ集」だった。
以前の私はこんなふうじゃなかったのにな。帰り道を歩きながらひとり思う。
あんなに真面目だったのに、今の自分ときたらロウのことを考えてばかりだ。あちこち彷徨うコンパスの針に磁石を近づけた時のように、私はいつでも、どこにいてもロウに引き寄せられてしまう。本当はダメだと分かっているのに、向くべき方向があると分かっているのに、どうしても心がそちらを向いてしまう。
それでいて私には危機感が薄い。心のどこかで「なんとかなる」と思い込んでいる節がある。たとえこうなったのを誰かのせいにしてみたところで、誰も何も責任を取ってくれるわけじゃないのに。
中間試験は頑張らないとなあ。成績表こそ出ないものの、年度末の期末試験には影響する。ここでいい成績を取っておかないと、父さんがこちらに来る可能性が高まってしまう。
今夜からロウに「勉強する」って伝えてみようかな。一緒の部屋にいるのにおしゃべりも何もできないのは寂しいけれど、先のことを考えると、きっとそうすべきなんだろうな。
わかってはいる、わかってはいるけれど――。なんとなく、気が進まないな……。
そう思った時、ふと道路の向こう側のコンビニから出てくる影があった。私はその影の正体――ロウに気付き、思い切って手を振った。
ロウもまた私に気付き、その手を振り返してくる。ロウが車の合間を縫ってこちら側に渡って来る。
「偶然だな。今帰りか?」
「うん。ロウは?」
「菓子買って、お前の部屋行くとこ」
「そっか」
互いに片側の手を空け、自然にそれを繋ぐ。自宅に向かって歩き出した時にはもう、勉強のことなど頭からすっぽり抜け落ちてしまっていた。
つづく