一番最初に投稿したロウリン文章。

いつか晴れた日に

「はあっ!」
鋭い蹴りが風を切る音がしたとほぼ同時に最後のズーグルが倒れる。
一呼吸おいてロウが地に降り立つと周りからわっと歓声が上がった。
「やったな!これで終わりだ!」
「無事に帰れるぜ!ありがとな、若えの!」
バシバシと頭やら背中やらを叩かれてロウは戦闘中とは違う痛みにニシシと笑って見せた。

ダナとレナがひとつになったあの最後の戦いから数か月。
双世界はまるで初めから一つだったかのように融合を果たした。
しかしそこに住んでいた人間たちはというとそう簡単にはいかない。
急激な環境の変化に加え、これまで信じてきた常識までもがほんの一瞬で覆されてしまったのだ。
旅の途中であらゆる真実を聞かされてきたロウであってもなかなかそれについていくのが難しいと感じていた。
それでもやれることはやらなければならない。
メナンシアで見たような共存の実現。いや、そんな大それたことでなくても笑って暮らしていける人が増えればいい。
そんな考えからロウはアルフェンたちと別れてからも人に危害を及ぼすズーグルの討伐に手を貸していた。

「今日はまた一段と凄かったな!」
帰りの荷物をまとめているとガナルが背中を叩く。今回の依頼はガナルからのものだった。
「俺はいつも調子いいだろ?」
「まあそうなんだけどよ、なんかキレってか集中力が違ったような」
親父を慕っていた奴たちと和解するのは時間がかかった。いや、単にロウが一線を引いてしまっていただけだが。
あの手紙の一件があってようやくロウは一歩を自分から踏み出すことができた。
手伝いを〈紅の鴉〉に申し出たのもロウからだった。〈紅の鴉〉からすれば渡りに船で人手が全く足りていなかったからこれを快諾してくれた。しかし現在〈紅の鴉〉を束ねているネアズは義理堅い男でもあって、正式なメンバーでないものに仕事を頼む以上、報酬は出すと言って聞かなかった。そこは譲れないらしい。
そういうわけでロウ自身は〈紅の鴉〉に属しているわけではないが危険なズーグルを狩ったり、依頼があれば同行して一緒に戦ったりと人々の安全に尽力しているというわけだ。
「仕事が早く終わるに越したことないだろ?」
「ああ、怪我人もほとんど出なかった」
助かったぜ、とガナルに差し出された袋を受け取ると思っていたよりも重い。
「おいこれ」
「また次も頼むな!」
ひらひらと手を振って去っていくガナルを見ながらロウは小さく笑う。ネアズもネアズだがガナルもガナルだ。あいつは商売とかのほうでもうまくやっていけそうな気がする。

とはいえガナルの観察眼もなかなか鋭いなとロウは思う。
実際今日の自分はよく動けていた。拳にうまく力を伝えられていたと思うし、周りも見る余裕もあった。
はたから見ればいい動きだったのだろう。だがロウが感じていたのは全く逆のことだ。
(俺、浮かれてんのかな)
その原因というか理由というかロウには思い当たる節が一つあった。
次の仕事――賃金は出ないから仕事ではないかもしれないが――はメナンシアのヴィスキント近郊でのフィールドワーク、の助手。
言ってしまえばリンウェルと二人で出かけることになっていて、その予定をあと三日後に控えているのだ。

リンウェルはあれからメナンシアのヴィスキントで遺物の研究をしている。他でもない遺物好きのテュオハリムの頼みではあるが、本人も乗り気で話はスムーズに進んだ。宮殿内にリンウェル専用の研究室を設けるという話もあったがなかなか大掛かりな工事になりそうなこともありそれは延びているようだ。今は宮殿近くの一室で研究をしているらしい。一日のほとんどは宮殿内の図書館にいるのだとリンウェルからの手紙に書いてあった。
リンウェルから最新の手紙が届いたのは十日前。丁度カラグリアにいた時に一羽のダナフクロウが飛んできたのだ。のしっとロウの腕に留まるとその首を傾げて結えられた手紙を主張する。それを取って撫でてやれば満足そうに目を細めてホホーッ!と一鳴きし何処かへ飛び去っていくのだった。
何度かこうしてリンウェルからの手紙を受け取ってはいるがまだ慣れない。飛んでくるダナフクロウはなかなかに大きく、フルルとは大違いだ。
こんなことを言うとフルルに突かれそうだなと思いながら手紙を開けるとそこにはヴィスキントでの生活や出来事、キサラやテュオハリムの近況などが書かれていた。リンウェルの言い回しは絶妙で、すぐに想像がつく。
『二週間後、調査の手伝いをお願いします。待ち合わせはヴィスキント宿屋前で』
最後の一文を何度か読んでロウははっとした。一回読んだだけでは頭に入ってこなかったが、これは。

こういうわけで今はその最後の仕事を終えてメナンシアへと向かう途中なのだ。予定では明日仕事を終えて待ち合わせのヴィスキントに向かう日程だったがどうも気合が入ってしまったらしい。
それもそのはず、ロウがリンウェルに会うのは数ヶ月ぶりでもあるし、それもリンウェルからの頼みとあって燃え上がらないわけにはいかなかった。
いやだからといってここではぐれズーグルなんかに襲われて大けがでもしたら元も子もない。
気合を入れなおすかと、拳を叩いてみるがどうも顔がゆるむ。
早めにヴィスキントに着いたらリンウェルに会いに行くか?いや、あいつも準備があるだろうしやめておくか。
こっちも減った食材を買い足さなくちゃな――甘いものも少し買っておくか。
あいつ喜ぶかなとロウが足に少し力を入れたところでじめじめとした洞窟を抜ける。美しい緑が目に入った。メナンシアだ。


※※※

「あっロウ!もう来てたんだね」
数日後、待ち合わせの場所にひょこっと現れたリンウェルは大きめの荷物袋を抱えていた。どさっと音を立てて地に崩れるそれはなかなかの重さがありそうだ。
「準備してたらあれもこれも欲しくなっちゃって遅刻するところだったよ」
リンウェルが汗をぬぐうと前に垂らした髪が揺れる。
前よりも少し伸びたな、なんて当たり前のことを考えながらもロウはリンウェルから目が離せない。
「なぁに、じろじろ見て」
フードの中からふわりと現れたフルルがリンウェルと同じ目をする。
「い、いや、なんでもねえよ。なんか、久しぶりだな~と思って」
「そう、だね。元気してた?」
「そりゃあな。ズーグル相手だから生傷は絶えねえけどな」
「そっか、そうだよね。大きいけがは?してない?」
リンウェルがロウの体のあちこちを確かめるように覗いてくると、なんだか急に恥ずかしくなってそれを少し避けるように体を捩った。
「大丈夫だよ。じゃなきゃ来れねえだろ」
「フルー!」
なんでそんな言い方しかできないんだというようにフルルがロウの目の前で翼をはためかせる。
ロウが悪かった、とフルルと格闘しているのをみてリンウェルは安心したように笑った。
「うん。来てくれてよかった。私も楽しみにしてたし」
「え?」
「何でもない!わ、私は外に出るのが久しぶりだから!ほら、行くよ!」
駆けだすリンウェルの背中を追いかけてロウも走り出す。勿論リンウェルの用意した荷物を背負いながら。


リンウェルの古代遺物への熱意はすさまじい。
メナンシアが気候も穏やかで動きやすいという理由もあるだろうがロウはヴィスキント周辺とはいえありとあらゆる場所に連れ回されることになった。
近郊の農場付近に始まり、巨大ズーグルが現れたティータル平原。まさか釣り場しかないように見えるタルカ池周辺にまで調査しに行くとは思わなかった。
「どこになんのヒントがあるかわかんないもん」
唇を尖らせる仕草は年相応のものだったとしても、調査――特に強い星霊力を感じるようなところではその表情は一変する。
目を閉じて掌を対象に向ける。集中する様はまるで何かの儀式のように見えた。ロウには感じることはできないが、リンウェルにはその星霊力の流れとやらがわかるのだろう。
それをズーグルに邪魔されないように見張っているのがロウの役目だが、うっかりその姿に目を奪われ惚けてしまう瞬間もあった。

「何かわかったか?」
持ってきた本と記録用の手帳を見比べながらうんうん唸っているリンウェルにロウが声をかける。
高く昇っていた陽はいつの間にか落ち始めていた。
「うーん、私の予想が正しければ……。ねえ、もう一回農場の方に戻ってもいい?」
「嫌だって言っても戻るんだろ。別に構わねーよ」
「ありがとう。そこで終わりにするから!」
終わり、と言われてロウは少し肩を落とす。
助手という名の荷物持ちで見張り番とはいえ、リンウェルと過ごした今日一日は楽しかった。
ここ最近ズーグルとばかり戯れていたせいもあってか、人との会話が楽しい。カラグリアの連中とも冗談を言い合えるくらいまで仲良くはなれてきたが、リンウェル相手だと本当に気をつかうこともなくリラックスして過ごせている。外に出るのは久々だというリンウェルはぴょんぴょん跳ねるウサギみたいだし、なんかこう、ここに来られて良かったと心から思う。
また明日から頑張るか、と息を吐いて肩を大きく回せばリンウェルはもう小さく見えるほど前を歩いていて、ロウはまた小走りでそれを追いかけるのだった。

農場の入り口の看板が見え始めた頃だろうか。
「なんか天気悪くね?」
ロウが向こうに陰り始めた雲に気づいた。
「えっ?」
その重たい雲はあっという間に空を覆いつくすとこれまた鉛玉のような雨を降らせる。
「おいおい嘘だろ!」
「きゃー!!全部濡れちゃう!」
「走るぞリンウェル!ひとまずあの小屋だ!」
ばちゃばちゃと音を立てながら緩やかな坂を上り、やっとの思いで農場へとたどり着くと二人は半ば倒れこむようにして小屋に入った。ボグデルに好きに使っていいと言われながらもほとんど気にしてこなかったこの小屋が今になって役に立つなんて。

「おい大丈夫か?」
「うん…服は結構濡れちゃったけど、それ以外は大丈夫、かな?」
腰の本や持ってきた資料を確認しながらリンウェルは安心しているが、その髪からは雫が滴っている。
「そんなんじゃ風邪引くだろ!まずは頭拭けよ」
語気が強くなってしまったと思った時にはもう遅かった。
「これは貴重なものなの!濡れて破けちゃったりしたらどうするの!?もう二度と直らないんだよ!?」
「知るかそんなの!俺は、お前が心配だから……!」
売り言葉に買い言葉。お互いほとんど反射的に出た言葉なのは分かっていた。
「私のことなんてどうでもいいよ!」
しん、と部屋が静まり返る。
「フル……」
リンウェルはその言葉を吐いてはっとした。フルルが悲しそうな声を上げるのが聞こえたからだ。
「ご、ごめん。違うの、わたし」
「……いや、俺も悪かった。リンウェルにとっては大事なものだもんな」
「……」
「……」
なんとなく気まずい空気が漂う。沈黙が流れて雨の音だけが部屋に響く。
「……フルップルルルル!」
それを読んだか読んでいないのか、フルルがその濡れた体を大きく震わせた。到底人間には出せないような甲高い声は苦い空気を明るいものへと変え、ロウとリンウェルは顔を見合わせると思わず声を上げて笑った。
「フルルを拭いてやれよ。ほら」
「そうだね。ありがと」
白いタオルに包まれてフルルは気持ちよさそうに目を細める。それに続いてリンウェルも自分の髪や腕に纏わりついた水滴を拭き取ると、さっきはごめん、と改めて言うのだった。
「わたし、ついカッとなっちゃって」
まだ気まずいのか、リンウェルはこちらと目を合わせたり逸らしたりを繰り返す。
「俺も、色々足りてなかった。まずはお前が寒くないか心配でよ」
ロウはロウで勢い余って発した言葉を反省していた。言い方ってものがあったと思う。
「大丈夫。心配してくれてありがとう」
「あ、ああ。まあ、そうだな」
素直に礼を言われるとも思わず、ロウは頭を掻く。しどろもどろになりながら今度はこちらが目線を泳がせることになってしまった。
「本当はね、雨が降ったのにも動揺しちゃって。こんなはずじゃなかったのに」
リンウェルが漏らすように言う。
「天気のことなら仕方ねえだろ。誰にもわかんねーよ」
「違うの」
そうじゃなくて、とロウの言葉を遮るようにリンウェルが身を乗り出す。
「ロウが前言ってたでしょ?星霊力と話ができたら明日の天気とか教えてくれるんじゃないかって」
「あれ、そんなこと言ったっけ」
「言ったの!それで、星霊力とは話はできないけど、天気と星霊力に何か関係があるのかもって思ってヴィスキント周辺の星霊力を調べたりしたんだ」
自分でできる程度の調査だけど、と言ってリンウェルは古びた手帳を開く。そこには数ヶ月前からの天候とその変化、そして星霊力についての記録がずらりと並んでいた。
「まあ例えばだけど、晴れなら火属性を強く感じるなーとか、雨なら水属性が強いかなーとか記録してたらある程度規則性があるかもってなって」
徐々にリンウェルの声がうわずってくるのがわかる。新しい発見をしたときはいつもこうだった。
「最近は結構次の日の天気とか、その次の日とか、当たるようになってたんだよ!でも……」
「今日は外れちゃったみたい。あんな雨雲が出るなんて……」
リンウェルがしょんぼりと外の雨を眺めながら言う。叩きつける雨は無情にも未だ降り続いている。

ロウは何も言えなかった。
自分が覚えていないようなことをリンウェルが覚えていてくれて、それをヒントにこうして新たな発見をしてくれて。
「リンウェル……お前やっぱすげえな」
「え?」
「だってよ、もしこれで明日の天気がわかったら畑作業とかそういうのにも役立つんじゃねえか?山とか森とか危ない場所にも天気の悪い中わざわざ行かなくて良くなるし!」
雨でぬかるんだ地面は熟練の戦士であっても命取りになる。危険なズーグルを排除するためにはこちらの安全をできる限り確保したい。
「でも、外れちゃったよ?」
「最近は当たってたんだろ?それに調べ始めたばかりで全部当たる方がこえーよ」
「……それもそっか」
落胆と納得を両方飲み込んでリンウェルも頷く。
「逆に今がその外れた原因を調べるチャンスなんじゃねーか?星霊力になんか変化があったとか」
「むむ、ロウのくせに鋭い……」
「くせにってなんだよ。ほら、今のうちに分かる事は記録しとけよ」
「うん、じゃあ少し借りるね」
ぎぎ、と鳴るほど古びた椅子に構う様子もなく机に向かうと、リンウェルは手帳に記録を始める。その動きに合わせて羽根ペンが揺れるのをロウは後ろから眺めていた。

やっぱり真面目だな、と思う。
俺の知らないところで努力して、こうして今この瞬間も努力している。それがリンウェルなんだと分かっている反面、ついつい甘やかしたくもなるのだ。
甘やかす、でロウははたと思い出した。
「リンウェル」
「ん、なに?」
振り返ろうとしたリンウェルの鼻先には缶でできた箱。微かに甘い香りがする。
「えーと、土産。つっても、ヴィスキントで買ったんだけど……」
「……私がヴィスキントにいるのに?」
リンウェルに久々に会えることになり、さらにガナルからも報酬を多めに貰ってロウはすっかり気持ちが浮いてしまっていたらしい。ヴィスキントで暮らす人間にヴィスキントで買えるものを買ってしまうとは。それに気づいた時にはもう代金を支払ってしまった後で、ロウは自分の不恰好さにため息をつくことになってしまった。
「わ、悪かったよ!」
「あはは、ロウらしいー!でも、嬉しいな」
開けてもいい?と聞きながらロウが返事をする前にリンウェルは蓋を開ける。そこには可愛らしい形をしたクッキーがたくさん入っていた。
「クッキー!ありがとう!!大事に食べるね!」
「!」
甘い菓子に目を輝かせながらリンウェルが今日一番の笑顔を見せる。
ぎゅっと胸を鷲掴みされたみたいだった。
「リンウェル、あのさ」
「?」
思わず飛び出しそうになった心臓と言葉をロウは押し込めるようにしてぐっと飲み込む。
まだだ、もう少し。
もう少し胸を張れる自分になったら。
「クッキー、フルルが食べてるぞ」
「えっちょっと!フルル!!」
「フゴッフッフルルッ」
勢い良く缶に頭を突っ込むフルルとそれを止めようとするリンウェルを見つめながら、ロウはもう一度決意する。
守りたいものを守れる自分になる。

気がつけばもう雨は上がり、一番星が空に見えていた。


終わり