ロウのにおいが嫌いじゃないリンウェルの話。

多感なお年頃

「キサラはお洗濯好きなの?」
リンウェルはちょこんとキサラの隣に座る。
野営の準備をする男性陣の傍で女性陣は流れている穏やかな小川で洗濯を担当していた。キサラが洗ったものをリンウェルが伸ばして干すという流れはここ最近でのルーティンだ。
「今となってはそうなのかもしれないな。はじめこそなかなか慣れなくて苦労したものだが」
そんな時期があったのかと疑うくらい、手際良く一枚一枚を丁寧に洗っていく。キサラが洗ったものは他の人が洗ったそれとは汚れの落ちが違うのだ。
「奴隷の頃はボロボロの生地をいかに長持ちさせるか兄さんに洗い方を教わったんだ。近衛に入ってからは毎日汗臭い大量の訓練着を洗わなくちゃいけなかったんで大変だった」
うわ、とリンウェルは反射的に顔をしかめる。想像しただけで、きつい。それもキサラは懐かしいのか笑い飛ばしてしまう。
「まあすぐに慣れてしまったよ。それに比べたら今は量も汚れも少なくて楽をさせてもらっている」
「そうかなあ……」
キサラが当番の時は明らかに他の人の時よりも量が多いことにリンウェルは苦笑いする。当の本人が洗濯物を出せ!とみんなに詰め寄っているのだから何の問題もないのだろうけど。

「以前洗濯をしているときに同僚に聞いたのだが、人は匂いで相性がわかるのだとか」
「相性?」
「相性の悪い人間の匂いは体が受け付けないそうだ。逆に相性が良ければその匂いも好ましく思う、ということらしい」
一体どういう仕組みなのだろう、とリンウェルは首を傾げる。本当かはわからないが、というキサラも試した事はないらしい。
「あら、それ私も聞いたことがあるわ」
星霊術での火おこしを終えたシオンがこちらの手伝いに戻ってくる。
「レナのジンクスか何かかと思っていたけど、ダナでも知られていたのね」
「じゃあ本当のことなのかな。シオンはアルフェンの匂い、どう?」
「えっ、私?そ、そうね……あまり気にしたことはなかったけど。嫌な気持ちにはならないわ」
アルフェン、という特定の名前に動揺しながらもシオンは少し考えてから素直な感想を述べる。
「ほほお〜」
「それに」
「私はこの呪いのせいで誰も近くに来てくれなかったから。だから、アルフェンと誰かの匂いを比べることはできないのだけど」
その言葉とは裏腹に悲壮感は感じられない。美しいほど穏やかな表情でそんなことを言うものだから。
「〜〜〜っ!シオンっ!」
「くっ……!」
「ちょ、ちょっとどうしたの二人とも」
「今私、すごく〈荊〉を恨んでる。シオンをぎゅーってできないから」
「これは早々に決着をつけねばな」
「ええ……?でも、ありがとう」
悔しそうに地団駄を踏むリンウェルと力強く拳を握りしめるキサラにシオンはまた一層穏やかに笑うのだった。

※※※

あともう少しだけ、と何度も繰り返しながらリンウェルは本のページを捲る。恒例となっている食後の読書の時間だ。先日ヴィスキントの宮殿から借りたものだが、早くも二冊目を読み終えようとしている。
野営では灯りは限られている。今回リンウェルは見張りの当番ではないし、火の始末がされる前に読めるところまで読んでおきたい。
「いってー」
ゆったりと流れるようなリンウェルの至福の時間に水が差される。せっかくいいところだったのに、集中力が削がれてしまった。
呆れ半分怒り半分でそちらを見やると今日の見張り当番であるロウが腕のあたりを気にしている。先程まで向こうの方で数を数える声が聞こえていたし、また素振りか何かをしていたのだろう。明日に備えて早めに休むようにとアルフェンやキサラに言われても、ロウはじっとしていられない性分のせいか暇があれば体を鍛えている。それでケガをしていては本末転倒だというのに。
「どうしたの?ケガ?」
「いや大した事はねーんだけど。枝か何かに引っかけちまったのかな」
暗くてよく見えないなとリンウェルがロウの方へ近づく。
「ほら、見せてよ」
「あっちょっ」
有無を言わさずその腕を取ると背中に近いところに傷があり、血が滲んでいる。
「届かないでしょ、拭いてあげるから」
「いや、いいって」
「バイ菌入ったら大変だよ。キサラが消毒液持ってたよね」
「いいから!」
強く手を振り払われたことにリンウェルは驚いたものの、すぐにその理由に合点がいく。
「そりゃ、私は治療はできないけど」
リンウェルは星霊術は使えても治癒術の類は使えない。それを内心情けなく思っていた。
一瞬俯いたリンウェルにロウは気付いたのだろうか、違うんだと慌てながらそれでも真っ正直に理由を言う。
「そうじゃなくて、俺、汗かいてっから」
「あんまし近寄んなよ、臭いだろうし」
それを気にしていたのかとリンウェルは己の誤解を恥じた。
ところがそうは言われてもリンウェルには正直ピンとこなかった。確かに触れたロウの体は熱くて、戦闘を終えた後みたいに肩を上下させている。
それでも特に嫌な臭いがするとかそんな事はなくて、寧ろちょっと好きな匂いかもしれない、なんて。
ーー変態みたいじゃん!!
リンウェルはショックを受ける。人の汗の匂いを好きかも、だなんて!
頭を横にブンブン振りながら、違う違うと言い聞かせる。
『人は匂いで相性がわかる』
夕方聞いたキサラの言葉がリンウェルの脳裏に過った。
『相性が良ければその匂いも好ましく思う』
瞬間、リンウェルの顔に熱が昇る。
違う違う!!!そんなんじゃなくて!
「ちっがーーう!!」
「えっ、何?やっぱ臭い!?」
「違うけど、ロウのばか!!」
顔を真っ赤にしてキサラの所持品から消毒液を取り出すと、リンウェルはロウの背中に勢いよく発射する。
「いでででで!!」
「ほらもうこれで大丈夫!!はい!」
パシンとロウの背中を叩くとリンウェルは小走りで寝床の方へ向かう。もうこれ以上顔を合わせてはいられない。
「ありがと、な……?」
疑問符の残るロウの言葉を背中に、リンウェルはぎゅっと目を閉じた。勿論まだ夢の中へとは落ちていけそうにない。さっき感じたロウの体温よりも自分の頬の方がずっと熱かった。

おわり