2024/07/15発行のロウリン短編集のサンプルです。
☆魔法使いにはなむけを
かつての魔法使いたちはその住処も婚姻を結ぶ相手も決められていた。世界が生まれ変わった今、かけ離れた常識に戸惑うリンウェル。相手をどう選ぶのか、どんなふうに想うのか。そしてその先にあるものとは――?
 好奇心の末にロウを誘い出したリンウェルが擬似セックスしてもらう話。本番もあります。

☆魔法使いにはなむけを

 夜の足音がする。窓の外から、あるいはドアの向こうから、確かにそれは近づいてきている。
 ベッド際のものを残して、部屋の明かりをすべて消したのは私だった。こういうときはそうするものだと、私はどこかの本を読んで知っていた。
 それでも、この後に起こることについてはまったく予想できないでいる。上着を脱いだせいか、あるいはこの部屋自体が冷えているのか、ほんの少し肌寒さを感じた。微かな震えと心許なさを押し隠すようにして羽根枕を胸に抱くと、こわばった心がふっと解けたような気がした。
 それもほんの一瞬のことだ。すぐそばで聞こえていた衣擦れの音が止み、ぎし、と床が鳴く。
 顔を上げるとそこにはロウが立っていた。上衣を纏わぬ身体は想像以上に逞しくて、思わず視線が揺らいでしまう。
 ベッドが軋み、枕を取り上げられたと思うと、次の瞬間にはシーツの上に組み敷かれてしまっていた。絡んだ指の力は強く、逃れることは許されない。薄闇にぼんやり浮かび上がったロウの目はこちらを強く見据えていた。
「……後悔すんなよ」
 ロウの喉が上下する。それがまるで別の生き物のようにも見えて、私は思わず息を呑んだ。

   ◇

 人はどこから来てどこへ行くのか。そんな哲学にも似た疑問を抱き始めたのはいつの頃だっただろう。
 生まれつきか、あるいは何かきっかけがあったのか、私は幼い頃から好奇心が旺盛だった。それはもう両親がほとほと困り果てるほどで、私の質問攻めにあった二人はいつもぐったり疲れたような顔をしていた。
 それでも別に私は星霊力の根源とか、その行く末を知りたかったわけじゃない。星霊術の使い方だって習いはしたけれど、そこまで強い興味があったわけでもなかった。
 私が知りたかったのはもっと単純なことだ。花はどうして咲くのか。空は何故青いのか。雪はどうしてあんな形状をしているのか。この世界を形作るものの神秘に、私は心惹かれた。
 その中で生命の成り立ちに関心を持つようになったのはごく自然なことだと思う。とりわけ遺伝や生殖の仕組みには強く引き込まれた。 
 それは私の生まれにも関係しているのかもしれない。魔法使いの一族にとって子孫を残すこと、次の世代に命を繋いでいくことは何よりも重要視されていた。この〈血〉が途絶えることはすなわち、一族の滅亡を意味するからだ。私たちの祖先はレナが訪れるよりも遥か前からその身を隠しながらも命を紡いできた。どれだけ長い時間が経とうとも、たとえその存在が忘れ去られてしまおうとも、確実にこの〈血〉を守ってきたのだ。
 ある意味でそれはほとんど儀式のようなものだったのではないかと思う。一族を存続させるため、〈血〉を守るため、婚姻を結ぶ相手はその時の大人たちの話し合いによって決められていた。自分の気持ち、相手の気持ちはほとんど考慮されない。時には年齢をも無視した婚姻もあった。〈血〉を守ることがすべてだからだ。言ってしまえば〈優秀な遺伝子〉、それこそが一族が存続していくための最重要項目だった。
 あの頃、きっともうすぐ私にも相手があてがわれていたのだろう。両親はおくびにも出さなかったけれど、なんとなく、そういうのは空気で察するものだ。
 相手が誰なのか、その後どんな生活を送るのか。結局それらを知ることはなかった。私はほんの一瞬で、家族も仲間もすべてうしなった。
 失意の中でみんなと出会い、旅をしたことは私の転機となった。
新しい毎日を過ごす中では発見も多かった。この世界では誰もが自由に恋愛をしていて、家族を作っている。もちろんそれがごく一般的なことであると知ってはいたけれど、実際に目の当たりにするとなんだか不思議な気持ちになった。
 それだけじゃない。例えば抵抗組織の一員として明日の命もわからない中で生命を紡いだり、ダナとレナという垣根を超えての関係だったり、三〇〇年という時を超え奇跡の出会いを果たしたりと、既存の枠に当てはまらないものもたくさん見てきた。これが本当の意味での自由なのかもしれない。気持ちを抑えることなくありのままに相手を愛する。それを受け入れる。
 あるいは何者の縛りでも押さえつけられないものが愛情なのかもしれない。それを抱いてしまったら最後、そんな縄など解いてしまえ、壁など壊してしまえといわんばかりに心が声を上げてしまうものなのかもしれない。
 いずれにしたって私にとっては理解が追いつかないものであることに変わりはなかった。相手を愛することと、家族を作ることに繋がりを見出すのは無意味だと思っていたからだ。
 とくに、性行為は生殖行動だと思っていた。一族にいた頃にそう教えられた。
 でもこの世界では違う。図書の間やその他の場所であらゆる本を読んできたが、それは相手を愛し、慈しんだ先にあるものだった。
 順番が違う、と思った。私が知る限り、一族では婚姻を結ぶと何よりも先に子を作るよう命じられる。むしろ子ができて初めて正式に婚姻が認められるような節さえあった。
 それなのに、どうやら性行為とは一般的に相手への気持ちを募らせるが故に起こる事象らしい。キスやハグの延長上にあるとはよく言ったものだが、すべてを相手にさらけ出すという意味では適切なのかもしれない。
 ここまで自分の常識と世界の常識はかけ離れているのか。衝撃を受けると同時に、私の中で大きく膨らむ気持ちがあった。
 相手をいつくしむということ。互いを思いやり、大切なものとして扱うこと。言われてみれば確かに両親も仲が良かった。自分の意思とは関係なく決められた相手のはずなのに、互いを尊重し合い、気遣う心を忘れなかった。
 その先に起こること。教えられたものとはまるで違うそれは、果たしていったいどんなものなのだろう。それをするとどんな気持ちになるのだろう。
 それを味わえる方法はないものか、頭の中を巡らせる日々が始まった。
 
 ヴィスキントでの毎日はそれは楽しいものだった。住むところにも食べるものにも困らない。街の人は親切で、宮殿に行けばたくさんの本が待っている。ダナの歴史や遺物について調べ物をしたり、あるいは料理をしたり買い物をしたり、好きなことをして過ごす日々は充実していた。
 その隙間に私は例のことを思い出していた。そういう年頃であるというのもあったかもしれない。恋愛のれの字も知らない自分ではあるけれど、ふとした瞬間、例えば図書の間で小説を読んだ時や街で仲睦まじい様子で歩くカップルを見かけた時に、それはふっと頭の片隅に物陰から様子を窺う子供のようにしてひょっこり顔を出した。
 時には浴室を出た際、鏡で自分の顔を眺めていると思い出すこともあった。私の瞳は父さんのそれと同じ色をしていて、髪質はどちらかというと母さんに似ている。一人の人間が二人の人間に似ているというのはなんだかとても不思議だ。父さんと母さんの掛け合わせによって生まれたのだから当然のことではあるけれど、そんな奇跡とも言えそうな出来事が今この瞬間にも世界のどこかで起こっている。それを尊く思うのと同時に、自分の中には生命の神秘が改めて疑問として残るのだった。
 知りたい、という好奇心は日に日に大きくなっていった。それをするとどうなるのか、どんな気持ちになるのか。
小説の中の主人公に自分を当てはめて考えたこともあった。でも一向にわからない。想像がつかない。当たり前だ、彼女の気持ちは彼女のもの。その時の不安もどきどきも、相手を思う気持ちだって私とは重ならない。彼女を理解できたところで、その気持ちまでそっくりそのまま味わうことはできないのだ。
「また何か悩み事か?」
 久々に会ったロウは、ハンバーガーを大きな口で頬張りながら言った。
「どうせ、今読んでる本の意味がわからない! とか言うんだろ」
「違うもん。違うけど……」
 私は口の中に不満と不愉快を一緒くたに押し込んで、オレンジジュースでそれを流してやる。せっかくの美味しいパンが、見事にほとんどオレンジ味になってしまった。
 悩みの種が何かなんてとても打ち明けられない。この胸の中で渦巻く気持ちなどいざ知らず、ロウはむくれる私を見て可笑しそうに笑うのだった。
 ロウは旅の後、カラグリアに戻って〈紅の鴉〉に正式に加わった。頼りない頭はともかく、その豊富な戦闘経験を買われ、今は商人の護衛役やズーグル相手の先鋒として腕を振るっているらしい。旅で得た人脈も良い方向に働いているようで、各地と物資の交渉をする際も同行することが多いのだと聞いた。あのロウが領同士の真面目な話し合いに参加しているだなんて、ロウも世界も確実に変化してきているようだ。
 その一方でロウは私のところにも頻繁に顔を出した。「仕事のついで」にしてはなかなかの頻度ではあったけれど、あの旅をしていた頃の思い出に浸りながら日々を過ごす私にとっては、そうしてロウが自分のことを気にかけてくれるのが何よりも嬉しかった。
「好きなことすんのはいいけどよ、あんまり無理すんなよな。夜更かしもほどほどにしとけ」
「最近はしてないもん。そういうロウこそ、ケガしないでよね。さっきもズーグル退治手伝ってたんでしょ?」
 このところ、ロウは時間を見つけては自分の仕事の他にも依頼をこなしているようだった。多くは畑を荒らしたズーグルを追い払ってほしいだとか、街道に出たズーグルを退治してほしいとか、兵士の手が回らないようなものだ。ともすると命の危険だってあるのに、ロウはそれを何でもないことのように引き受けてしまう。
「俺の力が役に立つならそれでいいんだよ。そのために鍛えてんだからな」
 見返りも貰ってるしな、とロウは冗談めいて言ったが、それだって微々たるものだ。それをそんなふうに笑いながら話せるロウが私にはとても眩しく映った。
 
 日々は続いた。朝起きて図書の間に向かい、好きなだけ本を読んで過ごす。あるいは街に出て商人が並べる品の中に古代の遺物はないかと探し回る。ロウがやってきた時は遺跡探索についてきてもらったり、一緒に食事を摂ったりもした。
 そうした毎日の中で、私は夜寝る前に必ず本を読んだ。それは恋愛小説、言ってしまえばそういう場面が詳細に書かれているものを選んで借りてきた。
 物語を読み、空想に耽る。登場人物に自分を重ね、その空気を、感情を読み取ろうとした。
 でもなかなか上手くいかなかった。物語としては満足感を覚えても、主人公と同じ気持ちになれたかといわれればそれはまた違う。物語の登場人物はあくまで登場人物でしかなくて、私とはまるきり違う存在だった。
 それでも私はあきらめなかった。できるだけ自分に近いような主人公の物語を探したこともあった。だがそんな本はごく限られているどころか、出会えた方が奇跡だ。どこの世界に〈ダナの魔法使いの生き残り〉が主人公の物語が存在するだろう。それがさらに恋愛小説である可能性は限りなく低い。私は仕方なく違う本を借り、すごすごと自宅へと引き返したのだった。
 時間は刻々と過ぎていく。図書の間にある本も大方読み尽くしてしまった。
 十五冊目の本を読み終えた時、私は寝室のベッドに両手足を投げ出した。想像では駄目だ。想像では、その気持ちを知ることは決してできない。
 もういっそのこと、体験した方が早いんじゃないか。それに気が付いた時、これまで曇り続けていた視界が一気に開けたような気がした。
 自暴自棄になったわけではなかった。むしろいつもよりも冷静で、冴え冴えとすらしている。
 その冴えた頭で改めて考えた結果、これは良いアイデアだという結論に至った。すぐに行動に移そう、とも。好奇心はいつもこうして私を突き動かすのだ。
 私に恋人はいなかったが、相手ならすぐに思い浮かんだ。その相手とどう連絡を取るか、どう話を付けるか。私は事細かに計画を練ると、慎重にそれを実行したのだった。

「話ってなんだよ。しかもこんなところに呼び出したりして」
 現れたロウは怪訝そうな顔をしていた。不安と不思議が入り混じったような表情だった。
 私が呼び出したのはヴィスキントの片隅にある宿屋の一室だった。自宅でもなく、ロウが普段使う宿でもなく、これまでとまるで違った状況にロウは戸惑っているようだった。
「わざわざこんなとこでしなきゃいけない話なのかよ」
 うん、と頷いて、私は腰かけていたベッドの縁をそっと撫でた。柔らかいシーツの感触が手のひらに伝わってくる。
「実は、今日はロウにお願いがあって」
「お願い?」
 首を傾げるロウの目をじっと見つめると、私は静かに息を吸った。それを肺いっぱいに取り込み、暴れる心臓を抑えつけて、告げた。
「私と、セックスしてほしいの」