2024/07/15発行のロウリン短編集のサンプルです。
☆白昼夢にみせられて
不思議な空間の中でリンウェルを抱く夢を見てしまうロウ。罪悪感に苛まれながらも会いに行くものの、やはり意識してしまって上手く目が合わせられない。逃げるように部屋を後にする一方で、リンウェルも心中穏やかではなく――。
 同じ夢を見たロウリンが互いを意識しちゃう話。ご都合遺物がご都合異空間へ誘う。

☆白昼夢にみせられて

 真っ白な部屋にいたことを覚えている。
 真っ白な天井、真っ白な床。同じく真っ白な壁に窓はなく、もはや部屋というより白色に切り取られた空間といった方が正しい。
 それでも部屋という表現をしたのは、そこにはどの家庭にもあるような一般的な家具があったからだ。辺りには馴染みのある形の机や棚が壁付けされていて、片隅には観葉植物らしきものまでが配置されていた。もちろんすべてが真っ白。それらは木や植物の質感を保ったまま、色彩だけが失われていた。
 俺はその部屋にあるベッドの上にいた。これまた脚やヘッドボードまでもが白い、なんとも無機質なベッドだ。
 そのベッドが俺の動きに合わせて軋む。荒くなった呼吸は紛れもなく自分のもので、額を今にも滴りそうな汗が一筋流れていくのがわかった。
 下にいたのは、リンウェルだった。切り揃えられた美しい黒髪。なめらかで透き通った肌。立てた両腕の間に収まるその細い身体には、何ひとつも纏っていない。
 こちらの格好も同様だった。晒された肌を覆うのはじんわり滲む汗と、この部屋と同じ色をしたシーツ一枚だけ。部屋が暑いのか寒いのかもわからないのに、その中だけはじっとりとした熱気に包まれていた。
 何がどうなってそうなったのかはわからないが、俺はリンウェルを抱いていた。お互い裸になってベッドに入り、肌と肌を合わせていた。おかしい、とは微塵も思わなかった。むしろそうするのはごく当然のことだと俺は考えている。
 漂う空気は溶けそうなほど甘い。何か言葉を交わすわけでも、激しく抱き合うわけでもなかったが、合間に絡まる視線は熱を帯び、今にも火が出そうだった。こんな満ちた気持ちは初めてだ。満ちて、さらに溢れ出てしまいそうなくらい。
 繋がれた指先に力を込めると、リンウェルは確かにそれに応えた。琥珀色の大きな瞳がこちらを捉える。潤んで蕩け切ったその中には蜜が渦巻いているようにも見えた。
 真っ白な部屋の中でただ俺たちだけが色を持っていた。リンウェルの乱れた髪、紅潮した頬、震える肩。鮮烈すぎるほどの光景から目が離せない。鼓動が大きく脈打つ。胸が苦しい。
 たまらずもう何度目になるかわからない口づけをしようと思ったところで、急に映像は途切れた。
 閉ざされた視界が再び開けた時、目の前に広がったのはボロい部屋の見慣れた天井だった。隅では一匹のクモがせっせと巣を張っている。あの眩いばかりの白い天井は一体どこへ。
 そうして辺りを見回してみて初めて、あれは夢だったのだと気が付いた。すうっと腹の底が冷えていく。冴え冴えとしていく頭とは裏腹に、体はなかなか起き上がろうとはしない。悪あがきをするように、寝返りをひとつ。またひとつ。
 軽い絶望感と、諦めにも似た納得感があっちへこっちへ反復していた。
 ――夢、だったのか。
 ――そりゃそうだ、あんなの夢でなきゃ何だというのだ。
 そうしてそれらをすっぽり包みこむ罪悪感。だからといって、いくらなんでもあれはないだろう。思わず毛布を頭から被りなおす。
 あんな夢、見ていいはずがない。自分がいくらあいつを想っているとしても――いや、想っているからこそ、見てはいけないのだ。

 自分が抱えているこの気持ちを恋だと思ったことは正直あまりない。恋をしているとか、恋に落ちたとか、そういう自覚はほとんどなかった。
 でもふと気が付いた瞬間、リンウェルのことを考えている自分がいた。街で商人が珍しい本を売っていた時や、美味しい食材に出会った時。仕事で世界を回っていてきれいな景色を見た時。頭の中に真っ先にあいつの顔が浮かんできて、この本は気に入るだろうか、とか、この料理を食べたらどんな感想を言うだろうか、とか、この景色を見せたらどんな反応をするだろうか、とか、ありとあらゆる場所でそういうことばかりを考えてしまっていた。
 しまいにはメナンシアに行く用事はないかとうっかりネアズに訊ねてしまう具合だ。その時は必死に取り繕い、闘技場の新設備を使いたいからだとかなんとか言い訳をしてやり過ごしたが、もはや重症だ。これを恋と呼ばずしてほかに何と呼ぶのだろう。
 そのくらい自然に、ごく当たり前に惹かれたのだと思う。誰より努力家で、目標に向かって頑張っている姿を間近で見てきたのはもちろん、何気ない会話が楽しかったり、悩んでいる時は活を入れてくれたり、時折覗かせる笑顔がとびきり可愛らしいのだって、その材料となるには充分だった。
 恋は人を狂わせるというが、俺の場合、狂ったのは生活リズムだったのかもしれない。それは一日の中でどうのという話ではなく、もっと二週間とか一ヵ月とか、そういうスパンでのリズムだ。
 旅の後、〈紅の鴉〉に身を置いた俺と、メナンシアのヴィスキントに部屋を借りたリンウェルでは、顔を合わせる機会はそうそうなかった。とはいえそれは普通に暮らしていればの話で、だったら顔を合わせるように調整すればいいと考えた結果、俺はメナンシアへ行く仕事を積極的に受けるようにしたのだった。幸いなことにメナンシアは今や世界の中心地で、商業の栄えるヴィスキントは市場の規模としても最大級だ。カラグリアにもヴィスキントで一儲けしてやろうという逞(たくま)しい商人はやはり一定数存在し、俺はその護衛ということで雇われることが増えていった。常に人手不足の〈紅の鴉〉からすれば、用意する人員が一人で事足りるというのも都合が良かったに違いない。頭を使う仕事はさっぱりだが、ズーグル相手の戦闘なら単独でもそれなりにやれるという自信はあった。
 意気揚々とカラグリアを出てメナンシアに向かい、道中でズーグルを蹴散らして商人をヴィスキントに送る。一仕事終えて向かう先は、リンウェルの借りている部屋だった。ドアをノックする前に、俺がひとつ深呼吸していることをリンウェルはきっと知らない。それでもいつも笑顔で「いらっしゃい」と迎えてもらえることに心からほっとした。
 リンウェルは俺がいつ、どんなタイミングで現れようとあまり驚かなかった。ただ「今回は早かったね」とか「思ったより長く間が空いたね」などと言っては微笑むばかりだった。それらに果たしてどんな意味があるのか俺にはわからない。待っていたのか、そうでなかったのか、少しくらい寂しさを感じていてはくれないかと願ったこともあった。残念ながら、リンウェルがそんな素振りを見せたことは一度たりともなかったが。
 そうして数年が経った今でも俺はリンウェルの元へと通い続けているというわけだ。狂ったと思った生活リズムはもはや体にすっかり馴染んでしまい、遠征が月に複数回あっても動じなくなった。ネアズもそれを前提に予定を組むようになり、ついでだからといって向こうの交易担当との打ち合わせなどの仕事も加わった。はじめは面倒ごとが増えたと辟易していたが、その分休暇も与えられるので結果として悪い話ではなかった。休暇はもちろん、ヴィスキントでの時間に充てている。
 今日もメナンシアに向けて発つ予定になっていた。目的は商人数名の護衛と、交易に関する書類のやり取り。一見小難しそうな内容だが、詳細が書かれた手紙もネアズから受け取っているので、要はこれを相手方に渡せば済むということだろう。
 諸々を片付けた後でいつものようにリンウェルの家に向かうつもりだが、加えて今回は是非リンウェルに見せたいものがあった。ウルベゼクを訪れていたとある商人の男から買い取ったものだ。男の店には古びた書物やら錆びた時計やら、一般市民は到底見向きもしないようなものばかりが並んでいたが、こういうものたちこそ遺物好きのリンウェルの気を引く。本当ならその商人ごとリンウェルに見せてやりたかったのだが、実際それが叶うはずもなく、俺は何かリンウェルが気に入るようなものはないかと男の店を覗いたのだった。
 いかにも年季が入っていそうな商品が多く並ぶ中に、ひと際目を引くものがあった。新品というわけではなさそうなのに、他のどれよりも輝いて見えるそれは、一本のペンだった。磨かれたようにぴかぴかの柄は木製で、そこに鳥の羽のような刻印が施されている。
「兄ちゃん、そいつが気になるかい?」
 ペンを食い入るように見つめていた俺に、店主の男が言った。
「どうにもそいつは奇怪でね、突然おれのところに現れたんだ」
 男曰く、ある日いつものように商品を並べていると、鞄の中からふとそれが転がり落ちてきたのだという。
「どこかで買い取った覚えもなければ、拾ったわけでもないんだぜ。そいつは知らない間におれの鞄に忍び込んでたんだ」
 はじめ、男はまだ真新しいそれを私物にしてしまおうかとも思ったらしい。
「けど、どうにもそいつは主を探しているように思えてな。少なくとも、それはおれじゃない。それに気付いてからはこうしてほかの奴らと一緒に店頭に並べてるんだ」
 へえ、と俺はそれを手に取ってみた。特に何の変哲もないただのペンのようにも思えたが、男の話にはなんとなく真実味があった。
「あれからいくつか街を回ったが、それに目を留めたのは兄ちゃん、あんただけだよ。何か惹かれるものがあるのかもしれないね」
「それって、俺がこいつの探してた主ってことか?」
 俺の問いに、男は「さあね」と笑った。
「そうかもしれないし、違うかもしれない。まあ、その時はまたどうにかしてあちこちを飛び回るんだろうさ」
 ふらっと誰かの鞄に忍び込んだりしてな、と男はくつくつ笑いながら言った。
 いかにも胡散臭い話だ、と思いつつも、その愉快そうな口ぶりになんだか気分が良くなってきた。気が付けば俺は「買った」と口走っていて、手は財布に伸びていた。
「いいねえ、兄ちゃん。気に入った、安くしとくよ」
 男が口にした値段は相場よりもずっと安いものだったと思う。俺はそこまでしなくてもと言ったのだが、男は頑なに首を振るだけだった。
「はじめから商品として売る気はなかったんだ。それを気に入った奴がいれば、好きに持っていってもらおうってな。その代金はさしずめここまでの輸送費ってとこか」
 それに何よりおれが兄ちゃんを気に入ったのさ、と男は笑った。無精ひげの間に覗いた不気味なほど白い歯が、やけに印象に残っている。
 それがつい昨日の出来事。購入したペンは日用品とともに鞄の中だ。このエピソードとともにこいつを見せたら、リンウェルはどんな反応をするだろう。おもしろい! と言って笑ってくれるだろうか。あるいは騙されたんじゃない? と呆れてため息を吐くだろうか。
 想像しては口元が自然と緩んでいく。いやいや気を引き締めねば、これから俺は護衛の任に就くのだから。こんなふうにあれこれ考えながら徐々に気持ちを整えていくのも、俺がメナンシアに向かう前の習慣のひとつだった。
 とはいえ今日はまた勝手が違った。リンウェルのことを考えているうち、ふと今朝見た夢のことを思い出したのだ。適度に高まっていた緊張感が一気に最大まで駆け上がる。
 脳裏に焼き付いた光景はいまだ鮮明なものだった。それも当然と言えばそうだ。たとえ夢の中の出来事だったとしても、好きな女との情事だなんて簡単に忘れられるわけがない。
 どうして突然あんな夢を見たのだろう。確かに夢というなら、これまで幾度となく思い描いたことはあった。二人でどこかへ出かけたり、一緒に過ごす何気ない日常。あるいは手を繋いだりとか、それの少し先のことだって。
 でも、あんなふうな妄想じみたことを考えたことはなかった。想像が追いつかないというのもそうだが、そもそもそんな勇気は持ち合わせていなかった。自分の気持ちすらまだ口にできないでいる奴が、夢の中でとはいえ相手を穢すなんてこと許されるはずがない。
 ――だからといって、願ってないわけじゃないだろ? 頭の中の悪魔にそう囁かれると、今度こそ何も言い返せない。これまで何度リンウェルに触れたいと思ったか。そうして何度手を引っ込めてきたか。それはほかでもない自分が一番よく知っていることだった。