その噂を聞いたのは、宮殿で仕事仲間を待っている時だった。中庭の庭師たちの世間話がたまたま聞こえてきたのだ。
「慰霊碑の話、知ってる?」
「なあに、それ」
「わたしも人づてに聞いただけなんだけどね。真夜中、慰霊碑の前を通ると、不気味な人の笑い声が聞こえるって話よ。あるいはすすり泣く声に聞こえたって人もいたらしいわ」
「ええっ、本当に? 聞き間違いか何かじゃなくて?」
「はじめは誰もがそう思ったらしいの。動物か何かの鳴き声じゃないのかって」
「うんうん」
「不安に思う住民もいるからって、兵士が何人かでわざわざ確認しに行ったらしいのよ。そしたら……」
「そしたら?」
「本当に声が聞こえたらしいわ。兵士たちも慌てて帰ってきたって」
「なんてこと……」
「この街で恨みを抱えながら亡くなった人の幽霊じゃないかって話もあるそうよ。〈湖〉の件も考えたら、怨念なんかいくらでもありそうだけど」
「そうね……でも祈りを捧げる場に、そんな噂が立つのはなんだか悲しいわね」
声の主たちが遠ざかっていき、代わりに待ち人が廊下の向こうからやってきた。その満足そうな顔を見る限り、交易の交渉はどうやら上手くいったようだった。
2人で昼食を摂りながら、俺は先ほど聞いた話をそいつに話してみた。ヴィスキントにこんな噂が立っているらしい、と一通り説明すると、奴は「ああ、それならオレも聞いたことがある」と言った。
「ついこの間、それこそこの食堂でな。店主と客が話してたんだよ。兵士の中じゃ、その話題で持ちきりらしいぜ」
今や怖がるあまり、夜間は見回りに出たがらない人が続出しているとか。屈強な体と装備を備えている兵士とはいえ、相手が得体の知れない〈幽霊〉かもしれないと言われたら怖気づいてしまうのも無理もない。いくら体や精神を鍛え上げたって、それは常識の通用する相手にこそ力を発揮するわけで、もし死んだ人間が化けて目の前に現れたら誰だって素っ頓狂な声を上げてしまうに違いない。
とはいえこの話にはなんだか腑に落ちない部分も多く存在するような気がした。俺は午後の仕事を終えた後で仲間と別れると、そのまま真っすぐリンウェルの家へと向かった。
夕飯を食べながら、俺はリンウェルにその噂話のことを話してみた。この街に住んで長いリンウェルなら当然知っているものと思っていたが、リンウェルが見せた反応は意外なものだった。
「なにそれ。そんな話、初めて聞いたよ」
もっと詳しく、と身を乗り出してくる様子を見る限り、本当に何も知らないようだ。
そこで俺はピンと来た。
「さてはお前、ここ最近ずっと引きこもってたな」
「だ、だって、早いとこ読んじゃいたい本があったから……」
「それにしたって街のあちこちで噂されてる話だぞ。出不精にもほどがあんだろ」
「ちょっと! 今なんて言ったの!」
声を荒げたリンウェルは近頃運動不足であることを自覚しており、特にお腹周りについた脂肪分に神経質になっているようだった。
「それで、夜中に慰霊碑の近くに行くと声が聞こえるんだっけ?」
「ああ」
「笑い声だったり、泣き声だったり、兵士も何人も確認してる。〈湖〉で亡くなった人の怨念かもしれない。それで合ってる?」
俺は「ああ」ともう一度頷いて、グラスの中の水を飲み干した。
その時、そのガラス越しに見えたリンウェルの口角が不敵に歪んだ、気がした。
「……お前、なんかよからぬこと考えてないか」
「よからぬことって何よ。別に、自分でもちょっと確かめに行こうかなって思っただけなのに」
俺は「うわ」と声を上げると同時に、やっぱりな、とも思った。好奇心の強さでいったらおそらくダナでも1番2番を争うリンウェルが、こういった話を聞いて黙って家にいるわけがない。
「だって気になるじゃない。それに、みんな怯えてるっていうならその真相を突き止めて教えてあげないと」
その口ぶりからするに、リンウェル的にはあくまで人助け、というスタンスらしい。リンウェルは「ロウもそう思うでしょ」と俺にほとんど強制ともいうべき同意を求めてきた上で、上機嫌そうに言った。
「じゃあ早速今夜調査に……と言いたいところだけど、さすがに急すぎるね。ロウも色々準備あるだろうし、明日の夜にしよう」
「え、俺も行くのか?」
「当たり前でしょ。ロウが教えてくれた話だし、ロウだって噂が本当かどうか気になるんじゃない?」
「そりゃあ、まあ……」
頭を掻く俺に、リンウェルは「なら決まり!」と声を上げた。
「どうせ明日も明後日もこっちで仕事なんでしょ。夜は暇になるんだから良いじゃない。それともほかに何か予定があるわけ?」
「いや別に、そういうのはねーけど」
「ないなら私に付き合うと思って」
ね、と念を押されてしまえば断る理由は見当たらない。
俺は渋々同行を承諾すると、明日もまたこの時間にリンウェルの家を訪ねるということで約束させられたのだった。
「なんだよそれ!」
翌日、仕事を終えて夕飯を摂りながら、俺は例の仲間に事情を説明していた。
予想外(ある意味予想通りではあるが)の展開にてっきり「お前も災難だな」と同情してくれると思っていたのに、奴が放ったのは、
「お前……なんて羨ましい奴!」という一言だった。
「羨ましい? 夜な夜な幽霊探しに付き合わされるのの何が羨ましいんだよ」
ため息混じりにそう口にする俺に、奴はさらに大きいため息を被せて言った。
「お前はわかってないなあ。夜中に女の子と2人きりだぞ。興奮しないわけあるか!」
呆れてものも言えなかった。俺は聞こえなかったふりをして、皿に盛られたカレーライスを一口頬張る。
「それに実際、慰霊碑の前に行って人間のすすり泣く声なんか聞こえてきてみろ。『こわーい!』って腕を掴まれた日には……オレは……!」
「あいつはそういうタイプじゃないと思うけどな」
少なくとも怯えて俺に縋ってくるような性格ではない。驚き、心臓がひっくり返りかけたとしても、おそらく反射で星霊術をぶっ放すくらいのものだろう。そういう意味ではむしろ相手の幽霊の方が気の毒だし、街や慰霊碑が破壊されないかどうかの心配をするべきだ。
そんなどこか醒めている俺を見て、奴は2度目の「お前はわかってないな」を発した。
「いつもは明るくて気丈に振舞っている女の子だからこそ、そうやって怖がってるのが可愛いんだろ? 潤んだ瞳で上目遣いされて、『ぎゅってしてていい……?』なんて言われたら……オレは……!」
うおーっ、と声を上げる奴は傍目から見ても迷惑極まりなく、そんな輩と同類にされるなどたまったもんじゃない。俺はできるだけスマートに、かつ急いで皿を空けると、ひとり会計を済ませ食堂を出た。
日没を過ぎたばかりの空はまだ明るく、約束まではまだまだ時間があった。何をして暇を潰そうかと考えたが特に思い当たるものもなかったので、体力温存と称してとりあえずいつもの宿に戻ることにした。
部屋で仮眠を取ると、ちょうどいい頃合いだった。宿を出て大通りを進み、リンウェルの家へと向かう。ドアをノックすると、待ってましたと言わんばかりに、すぐさま「はーい」というリンウェルの返事が聞こえた。
「うん。時間通りだね」
ご機嫌そうにリンウェルは言ったが、どうもこのまますぐに出発、というわけではないらしい。
「声が聞こえたっていうのは真夜中なんでしょ? だったらまだちょっと早いんじゃない?」
ならば何故待ち合わせがこの時間なんだ、という疑問は言わないことにしておいた。俺は誘われるままリンウェルの部屋に上がり込むと、おしゃべりをしながら温かいお茶までいただいてしまった。
「じゃあ、そろそろ行こっか」
リンウェルがそう言ったのは、時計の針が天上を指す頃だった。窓の外の闇はすっかり深まり、しんとした静寂が街を覆っている。
リンウェルが用意したのはいつもの鞄に、腰につけられる小さいランプのみ。フードにはフルルの姿もあったが、特に普段と変わらない装備だった。
「別に戦いに行くわけじゃないんだから。どちらかというと素早く逃げられるように身軽な方がいいんじゃない?」
確かにそれも一理あるなと思って、俺はリンウェルの半歩後ろをついて歩いた。別に怖いからとか、そういうわけじゃない。ただ、どうしても前方よりは意識が薄くなってしまいがちな後方を、自分が気にした方がいいだろうと思ってのことだ。
あちこち気をやる俺の一方で、リンウェルはまるで昼間に街を歩くような調子で先に進んでいった。大きな通りには街灯が灯っていたが、慰霊碑のある方に近づくたびその数も減っていく。人気も感じられず、充分に視界が取れないその道を、俺たちは感覚を研ぎ澄ませながら進んでいった。
やがて聞こえてきたのは微かな水の音だ。採石場に繋がる橋に着いたのだろう。その入り口に建つのは、よからぬ噂が立っている例の慰霊碑だった。
辺りに漂う不気味な雰囲気に思わず息を呑んだ時だった。水の音でない何かが耳に飛び込んでくる。それは人の笑い声のようで、すすり泣く声のようでもあって――。
「う、噂は本当だったのかよ」
たまらず声を震わせる俺に、リンウェルは冷静にただ一言「待って」と口にした。腰についていた小ぶりのランプを外し、手早く火を点ける。
明かりが点いた瞬間、慰霊碑の後ろで何かが動く気配がした。リンウェルが〈それ〉に向かってさらにランプを近づけると、そこに居たのは――。
「……ダナフクロウ?」
慰霊碑の後ろで身を隠すように息を潜めていたのは、数匹のダナフクロウたちだった。
大、中、小とサイズも体色もバラバラ。とはいえとても仲睦まじそうな彼らは、大きな目をくりくりさせながらこちらを不安そうに見つめていた。
「やっぱり……」
「やっぱり?」
「フルルから聞いてたんだよね。最近新しいお友達ができたって。昼間は街の外にいるらしいんだけど、夜中は人も少ないから、あちこちお散歩してるみたいなんだ」
ほら、ダナフクロウは警戒心が強いでしょ。リンウェルはそう言ってあっけらかんと笑った。
どうやらこのダナフクロウたちは夜な夜な街を探索しては、人がいないのをいいことに自由気ままに過ごしているようだった。時折誰かの気配がすると一斉にここへと集まり、身を隠してやり過ごしていたらしい。
「じゃあ、さっき聞こえた声は」
「ダナフクロウの鳴き声だろうね。体色もそうだけど、鳴き声も個性的でしょ。人の声っぽい鳴き声のダナフクロウがいるんじゃないかな」
確かに、言われてみればそんな鳴き声のダナフクロウに会ったことがあるような気がした。あれは旅の途中、どこかの大きな椅子の上だったか。我が物顔でふんぞり返り、態度も大きければ体躯もこれまた立派なダナフクロウだった。
あれ? ということは……。
今までのことをすべて照らし合わせてみると、1つの結論にたどり着く。
「つまり、幽霊ってのは……」
「いないね。少なくともここの慰霊碑には」
リンウェルは何ひとつ濁すことなく、きっぱりと言い切った。
「なんだよ……」
俺はそれを聞いて思わず肩を落とした。がっかりしたからではなく、ほっとして、肩透かしを食らった気がして、体から力がすとんと抜け落ちたのだ。
「お前、最初から知ってたな」
そう問うと、リンウェルはいたずらっぽく笑って「まあね」と言った。
「フルルから話を聞いてたっていうのもあるけど、でももしかしたら本当に幽霊かもしれないでしょ。ここに来るまでは半々だったけど、実際に来てみたらすぐわかったよ。ダナフクロウたちの星霊力がぽつぽつ、ふわふわしてるのが見えたから」
なるほどな、と俺は思わず呟いた。リンウェルにはその手があった。
「幽霊に星霊力はないからね。レナの兵士ならわかったんだろうけど、本当に声が聞こえて、焦ったりして気付かなかったんじゃない?」
噂での先入観に加えて、実際に声が聞こえてきて気が動転したのだろう。微かな星霊力ほど集中力が欠けているとなかなか感じ取れないのだそうだ。
「まあ私は、ここの慰霊碑に幽霊なんかいないって思ってたけど」
「? なんでだよ」
「だって、ここに祀られてる人達がヴィスキントの人を脅かすわけないじゃない。たとえ恨みがある人がいたとしても、幸せを願ってる人の方がもっとずっと多いだろうし」
呪いより祝福の方がずっと強いんだよ。そう言ったリンウェルの笑顔は、ランプの灯り以上に明るく輝いて見えた。
疑惑は晴れたとはいえ、ダナフクロウたちをそこに留めておくわけにもいかない。再び変な噂が立つのは住民生活にも、ダナ中に名の知れたこの街の評判としてもよろしくない。
そこで俺たちはフルルを介し、ダナフクロウたちに人間を怖がらせないよう伝えてもらった。ついでに今度からの集合場所は慰霊碑の後ろではなく、リンウェルの家(の屋根)を使用してもいいということで話はついた。
「これならフルルもお友達と会いやすくなるしね。ああでも、真夜中に鳴くのはやめてほしいかな。近隣にも迷惑が掛かるし、眠れなくなっちゃうから」
「フル!」
嬉しそうにフルルが目を細めたところでようやく帰路に就く。ランプの明かりを消したことで再び辺りは暗闇に包まれたが、先刻ほどの不安も、足元の覚束なさも感じなかった。やがて通りの向こうに街灯が覗き始め、それでまたほっとひとつ安堵が増える。
「ちょっとドキドキしたけど、楽しかったね」
3歩先をスキップ半分に歩くリンウェルは、何か祝い事でもあったかのように顔をほころばせていた。
思えば今夜は最初に顔を合わせた時からずっとそうだった気がする。俺が部屋を訪れた時も、一緒に外に出た時も、慰霊碑の裏にダナフクロウを見つけた時だって、リンウェルは笑っていた。
怖がる様子なんか一瞬たりとも見せなかった。まあ俺は、初めからリンウェルが怖がるだなんてこれっぽっちも思っていなかったが。
とはいえ何度考えたって、やっぱり仕事仲間の言ったことは俺にはちょっと理解できそうにない。
「ねえ、ロウ。星がきれいだよ」
だってどう考えたって、怖がってる顔より笑ってる顔の方がかわいいだろ。
『思ってても言えないくせに!』
今夜のことを話したら、またそんなふうに言われるんだろう。
お前が一番の怖がりで臆病者なんじゃないかと、奴に笑われそうな気がした。
終わり