今どき、高校生の男女が2人で街に出かけることなんか珍しくもない。
ただの友人関係でも買い物くらい一緒に行くし、それが付き合っている彼氏と彼女ならなおさら。学校からの帰り道、彼氏から「今度の週末、どっか行かないか」と誘われたところで、内心はしゃいでいるのをひた隠しにしている彼女の方がよっぽど珍しい。
それでもリンウェルは胸をときめかせずにはいられなかった。帰宅した途端自室に閉じこもり、クローゼットを開いては片っ端から手持ちの洋服をそこら中に並べる。やっぱりここは女の子らしくスカートかな。そういえばこの間、友達と出かけた時に新しいワンピースを買ったんだっけ。ああでも、それに合わせる鞄がまだ見つけられていないんだった。
あれこれ考えては膨らんでいく期待を押さえつけ、にやけてしまいそうな口元を堪えるので必死だった。別に、誰に見られているというわけでもないのに。
だってこれは初デート。
ロウと交際してから、初めてのデートになるのだ。
当日は目覚まし時計よりも早起きした。平日の1時間前にセットしたのに、それよりもボタンを押すのが先だったのだから、目覚まし時計本人(本体?)も驚いたに違いない。
いつもはなかなか起き上がることのできないベッドからも早々に脱却し、そのまま洗面台に向かう。顔を洗って寝癖を直して、ほんの少しお化粧もしてみた。ロウは気付いてくれるかな。普段は鈍感だけど変なところで目ざとかったりするから、もしかしたらすぐに指摘されるかもしれない。少しくらい褒めてくれたら嬉しいんだけどな。「かわいい」とか言ってくれないかな。そんなふうに考えているうち、鏡に映った口元がまただらしなく緩むのが見えた。
ロウは予告通りの時間に家を訪ねてきた。インターホン越しに覗いたその立ち姿が少し緊張気味に見えたのは気のせいだっただろうか。
おはよう、とあいさつを交わし、こちらを上から下へ、下から上へと眺めたロウが放ったのは、
「なんか今日、雰囲気いつもと違うな」の一言だった。
「そ、そう? いつも通りだよ」
咄嗟にそう返してしまったことをリンウェルは内心で後悔した。あれほどロウの反応を期待していたというのに、我ながらなんてそっけない。満面の笑みで頷いて「さて、どこが違うでしょう!」くらい言えたら良かったのに。
そんなリンウェルの悔恨など気付くはずもなく、ロウは呑気な様子で「じゃあ、行くか」と言ったのだった。
ロウは今日の行先を教えてくれなかった。昨日までのメッセージのやり取りでも、今こうしてバス停でバスを待っていても、最終的にどこにたどり着く予定なのかは何も言わない。それは行先が気になって仕方がないリンウェルが何度訊ねようと同じことだった。
やがてやってきたバスに2人で乗り込むと、ロウは迷わず一番奥に向かった。窓際の座席に並んで座った瞬間、バスは大きく車体を揺らしながら国道を走り始めた。
ロウはその間も窓の外を眺めたり、少し眠たそうに欠伸を噛み殺したりするだけだった。車内に乗客が少なかったこともひとつ理由になるのかもしれない。少しの話し声さえ響いてしまう状況では、どうもいつものようにおしゃべりしづらく、ロウもそれをいいことにすっかり口を閉じてしまった。
そんな中、募っていくのはリンウェルの心の中にじわじわと滲んでいく不安感だけだ。おそらく目的地には近づいているのだろうけれど、行先がわからないというのがこんなに心許ないことだとは。
それはきっと、それを選んだのがロウであるということも関係しているのだろう。目的地が遊園地や水族館なら文句はない(むしろ王道すぎて歓喜してしまう)が、ロウならあれこれ考えた挙句、初デートの行先に格闘技の観戦を選ぶ可能性だって充分あるのだ。
もし本当にそうだったとしたら、どう反応したらいいのだろう。怒る? 泣きわめく? せいぜい頑張っても無表情を作るくらいが関の山で、それくらい自分が格闘技が苦手だということもロウだってきちんと理解しているはずだった。
そんなふうに隣でみるみる不安を加速させているのに気付いたのだろうか。ロウはポケットから端末を取り出すと、とある画面をこちらに覗かせてきた。
それは街のはずれにある、大きな科学館のホームページだった。かつて小学生だった頃、何かの授業でそれを検索したことがあったが、あの時のものとは随分様子が違っている。記憶では古臭く、どこに何があるかわかりにくかったそれも、いつの間にかリニューアルされて今どき風の小ぎれいなデザインに変わっていた。
でも、どうして今これを見せるの? リンウェルは首を傾げつつ、ロウを見やる。
ロウは、今度は逆のポケットから何やら紙切れを取り出した。それは星が描かれているチケットで、そこでようやくリンウェルは今日の目的を察した。――プラネタリウム!
「お前、こういうの好きかと思って」
少し照れくさそうに笑ったロウの表情に、リンウェルはぎゅっと胸を鷲掴まれたような気持ちになった。
リンウェルがプラネタリウムを見に来るのは随分久しぶりのことだった。幼い頃に両親に連れられてどこかの科学館に行った記憶はあったが、その内容さえ覚えていないくらいには間が空いていた。
ロウの方はどうやら初めての体験らしく、大きく傾く椅子の背もたれにちょっと興奮していた。少し調べてみると、最近はベッドに寝転がって観られるプラネタリウムもあるらしい。もしそういう劇場に行ったらロウだけでなく、自分もついついはしゃいでしまいそうだなとリンウェルは密かに笑った。
上映されたプログラムはやや学術的な内容だったかもしれない。ただ、その星空の再現度と音楽の美しさには思わず魅入った。
まるで本物の星空の下にいるみたいだった。今やあちこちに高層ビルや街灯が建ち並ぶ街中では、こういった視界いっぱいに広がる星空はなかなか見られない。いつかどこかの山の上や森の中でそういう体験をしてみたいなとは思いつつ、学生の身であるうちはもうしばらくお預けになるのだろうな、などとぼんやり考えながら、リンウェルはその擬似的な宇宙を見上げていた。
その時だ。ふと右手の小指がロウの指と軽く触れ合った。一瞬にして意識がそちらへと持っていかれ、心臓が静かに音を立てる。
今の今まですっかり頭上の光景に夢中になっていたが、自分は今、ロウとのデート中だった。まさかあのロウがこんな場所を選んでくれるとは夢にも思わなかったけれど、おかげでとても素敵な経験ができている。劇場を出たらもう一度お礼を言って、ついでに褒めてあげようかな。あるいはショップで何かお揃いのものを買ったら、それこそいい思い出になるかもしれない。
もう1つ気付いたことがあった。そういえば私たちは、まだ手も繋いでないんだった。帰り道が一緒になったり、同じ部屋で2人きりになったりすることはあっても、なかなかそういった触れ合いにまでは発展していなかった。
――今、繋いじゃおうか。そんな考えがふと頭の中を過ったのは、この劇場の静寂に後押しされたからかもしれない。ほとんど顔も見えず、ひたすら青い照明に覆われた空間ではあるが、雰囲気としては充分ロマンチックなはずだ。
リンウェルは上を見上げながら、星に夢中になっているふりをしながら、じりじりと右手をロウの方へと滑らせていった。たぶん、もう少し。もうちょっとでロウの手に触れる。
ロウは今、どんな顔をして星を見上げているのかな。さすがにこちらの企みには気が付いていないと思うけれど、それにしたってちょっとくらい意識しててくれないかな。
あるいはロウの方も、私と手を繋ぎたいとか考えてくれないかな。もしそうだったら、何も言わずに受け入れてあげるのに。
そんなふうに思いながら、ちらりと横目で見やった先。
そのまぶたをまるで幕のように閉じたロウは、この上なくすやすやと穏やかな寝息を立てていた。
◇
告白は、ロウの方からだった。――たぶん。
休日だったにも関わらず暇を持て余していたリンウェルは、同じく暇を持て余していたロウの部屋を訪ねていた。家が近所の幼馴染同士、互いの家やら部屋やらを行き来するのはままあることだった。
その日もいつものようにロウの部屋でだらだら過ごし、いつものようにロウの端末を何とはなしにいじっていた時だった。突然画面上に表示されたメッセージに、思わず息を呑んだ。
〈そういや、幼馴染ちゃんには告白できた?〉
どうやらそれはクラスの友人からのようで、その表示名はうっすらロウから聞いたことがあったような気がした。
これってロウへのメッセージだよね? 幼馴染って誰? というか告白って――。
端末を見つめたまま動きを止めたのを訝しく思ったのか、ロウが「どうした?」と覗き込んでくる。その瞬間、背後から声にならない声が聞こえて、手元の端末が掠め取られていった。
「……見たか?」
ここで「見てない」と言ったところで誰が信じるだろう。リンウェルは素直に、うん、と頷いた。
「幼馴染って、誰のこと?」
「……」
「私が知らない幼馴染がいたの?」
「……」
ロウは何も言わなかった。というよりは、何も言えないでいた。ただ顔をわかりやすく赤く染めて、視線を泳がせるだけ。
「告白、するの?」
「……」
「どこの、誰に」
「……」
頑なに口を閉ざすロウの態度はこちらのもやもやを募らせるばかりだった。やがてイライラへと変化したそれは、とうとうリンウェルの中で大きく爆発する。
「もう、言いたいことがあるなら早く言って!」
そこでようやく目が合ったロウは、ひどく驚いた顔をしていた。それもごく当然の反応だろう。その時の自分の顔もロウと同じように真っ赤に染まっていただろうから。
そうしてなんとか白状させた言葉はごくシンプルなものだったが、リンウェルは迷うことなく頷いた。やっとここまできた。長い片思いを続けていたのは何もロウの方だけではなかったのだ。
そんなふうにほとんど事故のようではあったけれど、ようやく念願叶ったはずなのに――。
普通、初めてのデートでうっかり居眠りする? それもあんなにすやすや、ぐっすり!
科学館を後にしたリンウェルの心の内には嵐が宿り、それを何とか押さえつけるので必死になっていた。
「悪かったよ」
上映が終わるのとほぼ同時に目を覚ましたロウだったが、さすがにまずいと思ったのだろう。劇場の中でも、外に出てからも、それはもう何度も申し訳なさそうに平謝りしてきた。
「暗くて音楽もきれいな感じだったろ。何か途中から気持ちよくなってきちまって、つい……」
ロウの言い分は理解できた。おまけに座席もいい具合に傾いているものだから、眠たくなってしまうのも頷ける。でも……。
でも本当に寝ちゃうなんて! ひとりで舞い上がってドキドキしてたのがバカみたいじゃん!
そんな気まずさも相まって、ロウとなかなか目が合わせられない。「怒ってないよ」と口にはしてみるものの、なんとなく不機嫌そうな声にも聞こえた。
「なあ、腹減らないか? そろそろ昼時だし」
ロウの言葉に時計を確認すると、針は天上に差し掛かろうとしていた。言われてみれば確かに、ちょっとお腹が空いてきたような気がしなくもない。
「あてはあるの?」
リンウェルが訊ねると、ロウはまるで手柄を褒められた犬のようにぱあっと表情を明るくした。
「ちょっと待ってろ。確かこの近くに……」
そう言ってロウはポケットから端末を取り出そうとしたが、その手をうっかり滑らせてしまった。カタンと無機質な音を立てて転がってきたそれを何の気なしに拾い上げる。
「あ、おい……!」
画面を見た瞬間、リンウェルはまたあの時のように動きを止めた。
開かれていたのはよくあるメモ画面だったが、そこには今日の予定や行先が細かく記されていた。乗る予定のバスの時刻、科学館の営業時間。プラネタリウムの上映時刻や、それを逃した際に時間を潰せる場所の候補。昼食用だろうか、近隣にあるレストランやカフェはいくつも箇条書きにされていた。
これ、全部ロウが調べたの? 視線を向けると、ロウは気まずそうに頭を掻いてそっぽを向いてしまった。
そのメモの保存時刻を見てさらに驚いた。今日の日付に〈2:04〉。もしかして、朝から眠たそうにしてたのって……。
リンウェルはたまらず声を上げて笑った。なんだ、そういうことだったんだ。
「わ、笑うなよ」
不服そうに言うロウに、リンウェルはすぐさま「ごめんごめん」と謝った。
「だって嬉しくて。ロウがこんなふうにいっぱい考えてくれると思わなかったから」
「当たり前だろ。初めてのデートなんだから、気合入れないわけにはいかないだろ」
その成果がさっきの居眠りなんだ。そうからかってやりたかったが、今日のところは言わないでおいてあげることにした。
充分にロウの気持ちは伝わった。初めてのデート先にプラネタリウムを選んでくれたこと。夜遅くまでいろいろ調べてきてくれたこと。
「改めて、ありがとう。すごく嬉しかったし、感心した。ロウのくせにやるじゃん、って」
「くせにってなんだよ、くせにって」
ロウ曰く、本当は科学館のショップを見て回りながら、何か気に入ったものがあればプレゼントするつもりだったのだという。
「プラネタリウムもいい雰囲気だったし、お前もかわいい格好してるし、すげえデートっぽい感じだったろ。何か記念になればって思ったのに、俺ってバカだよな。なんで寝ちまったんだろ……」
さらりと言うのがロウらしくて憎らしい。リンウェルは頬の熱を手のひらで抑えながら、「それなら、」となんでもないふうに切り出した。
「また、ここに戻ってくればいいんじゃない?」
「戻る?」
「ショップ見るだけならチケットも要らないし。また戻ってきて、その時にじっくり見て何か買おうよ」
2人でね、と言うと、ロウは「おう」と笑った。
「それより今はお腹が空いたなあ。できればパフェもあると嬉しいんだけどなあ」
「そう言うと思って、いろいろ調べてきたんだぜ」
ロウが右手に握った端末を覗き込んだその隙。リンウェルは自分の右手をロウの左手に絡ませる。
「え、あ……え?」
「どうしたの? 早く連れてってよ」
調べてきたんでしょ、と言うと、ロウは再び「おう」と呟いて、端末に目を戻した。
その真っ赤になった耳といったら。
とはいえこちらにもからかう余裕はない。何故なら自分も今、この鳴りやまない鼓動を鎮めるので精いっぱいだからだ。
終わり