転生ネタのロウリン。記憶のあるロウと記憶のないリンウェルの出会い。

 モニターに映る数字の羅列。顔もわからないその一つ一つが自分たちに割り振られた記号だ。自分たちがしてきた努力とか苦労とかそんなものは反映されない。だからこそ“公平”で“平等”なのだと思う。
きっと現地では歓声でさぞ賑やかなのだろう。去年もニュースで胴上げされている様子なんかが報道されていた。
 行かなくて良かったとリンウェルは心から思った。そこに自分の受験番号は無かったのだから。

『自分の意思で決めたからこその責任だろ』
 どこの誰に言われたかもわからない言葉にリンウェルは舌打ちだってしたくなる。
 そうだ、責任は自分にしかない。受験に失敗して第一志望の大学に落ちたことも、浪人する勇気がなくてこうして滑り止めの大学に入学したことも全部全部自分に責任がある。
 だから授業がつまらないとか、レベルが低く感じるだとかそういう不満も全部自分に返ってくる。

 リンウェルは授業の感想カードを適当に書き殴ると黒板前の机に提出し教室を出た。大学の授業などたかが知れているがこの授業はつまらない以前の問題で、ただ流されたビデオの感想を書いて提出するだけのものだった。期末にはレポート提出があるが、こんなもので自分の単位の評価をされてしまうのかと思うと腹立たしくなってくる。
 幸いにも今日の授業はこれで終わりで、これからはリンウェルが唯一楽しみにしているアルバイトの時間だ。大学に入ったら絶対に図書館でアルバイトをすると決めていた。大学構内にも図書館はいくつかあるが、見知った顔に出会うのも嫌でリンウェルは公共の大きい図書館の求人を探した。愛想もたいして良くない方だと自覚していたが、大好きな本に囲まれていられるならと募集がかかっていたカウンター業務に応募し、十八年間生きてきた中で最高の作り笑いを見せ見事採用を勝ち取った。
「リンウェルちゃん、これもお願いできる?」
「良いですよ、ちょうどそっちに行くところだったので」
「助かるわあ」
 図書館のカウンターは主に本の貸出と返却を任される。貸出の予約なども行うが、リンウェルは本棚の配置なども完璧に覚えているため、返却された本を本棚に戻したり、本の並びを正しく直したりという整理も行っている。間違ったところに戻されると二度手間になるし、カウンターでバーコードをひたすら読み取っているよりずっと楽しい。
 夕方になると図書館にいた人が帰り始め、静かな図書館はさらに静かになっていく。逆にもう少しすると授業を終えた学生たちがやってくるのでそれまでのつかの間の静寂というやつだ。
 リンウェルは本の整理を終えてカウンターに戻ってくるとふうと一息ついた。小さくずれた眼鏡を直して時計を見るともうすぐ六時になるところだった。今日は閉館までシフトが入っていたからあと三時間と言ったところか。夕飯はそのあとでファミレスにでも寄ろうかと考えていると、ふと至近距離で視線を感じた。
 その人は珍しい髪色をしているなとリンウェルは思った。茶色の髪にピンクのメッシュが入っている。別に図書館の利用者に偏見を持っているわけではないが、正直に言えば似つかわしくないと思った。
「あの、何か?」
 リンウェルがそう問うと少し年上にも見える彼ははっとして「いや別に」とだけ言い残してさっさと出口の方へと行ってしまった。
 公共の建物では様々な利用者が現れる。トイレはどこかとか、電話を使わせろなんていうのはよくある話だ。だがそういうのは大抵年配の人で、あんなリンウェルとさほど歳が変わらない男性がぼうっとこちらを見つめているなんてなかなかないことで、リンウェルはそれがやけに気になった。
「あら、あの子」
「知ってるんですか」
 リンウェルよりも前から勤めている女性が先ほどの様子を見ていたようだった。
「よく来てる子よ。でもいつも何も借りていかないのよね」
「そうですか……」
 ますます深まる謎はリンウェルの好奇心を駆り立てたが、その後学校帰りの学生の集団が訪れるとその忙しさに翻弄され、図書館の閉館まで彼を思い出すことはなかった。

 閉館まで、と言ったのはなんと例の彼が図書館の門のところで待っていたからだ。
「ちょっといいか」
 リンウェルは声を掛けられたのが自分だと気づくのに数秒を要したが、辺りにはほかに誰の影もない。
「わ、わたし?」
「ああ」
 こんなところを他の人に見られたら厄介だなと思ってリンウェルは駐輪場の方まで移動する。残っているのは自分の自転車と他に数台、そしていつも置きっぱなしになっている端のものだけで、人はしばらく訪れそうにない。
「お前、警戒心とかないわけ?」
「……え?」
「知らない奴とこんなところまで来て、危ねえだろ」
 何を言っているのだろうとリンウェルは思った。そっちから話しかけてきたというのになぜそんなことを言われなくちゃいけない。
「こんな人通りの少ないところで、それもこんな時間に――」
「わざわざご忠告痛み入ります。話はそれだけですか?私帰りますね」
 早口でそう言うとリンウェルは自転車に乗って去ろうとする。気分が悪かった。なんなんだこの男は。
「あ、おいちょっと待て!違うんだって!」
 ぐん、と腕を引かれリンウェルはバランスを崩す。かろうじて足で踏みとどまったが、転倒していたらと思うとぞっとする。
 初対面の男に訳の分からないことを言われておまけに怪我もしかけた。本来ならここで悲鳴でも上げておくべきだったのだろうが、暴漢などと言う言葉とは無縁の土地で生きてきたリンウェルにはそんな考えが思い浮かぶはずもなかった。
 逆にリンウェルの頭の中は別の思いでいっぱいだった。
 この男は自分のアルバイト先を知っている。つまりここで振り払ってもまたここに訪れる可能性が高い。つまりここでの無視は何の意味もなさず、むしろバイト先に迷惑をかけることになるかもしれない。
 バイトをクビになることだけは絶対に避けたいリンウェルは観念して男に向き直る。
「……何の用ですか」
「連絡先教えてくれよ」
「教えたら、もうここには来ませんか」
「ああ、約束する」
 男がすんなり退く様子もリンウェルにはまるで関係なかった。ただ自分の居場所を守れればそれでいい。
 ちゃんとメッセージが届いたかどうかまで確認された後、リンウェルはようやく解放された。男が手を振って去っていくのをぼんやり見送っていると体は急に疲れを感じる。
 一体あいつは何だったのだ。
 教えられた連絡先には『ロウ』という名前が記されていた。