転生ネタのロウリン。夏休みに入って本屋で偶然ロウと出会うリンウェル。
夏休みを迎えたリンウェルは自分の時間を満喫していた。
起床からアルバイトの時間までは映画鑑賞や読書を楽しみ、アルバイトが終わってからは適当に食事をとりながらまた映画を観る。次の日の予定が無いときは空が白み始めるまでそんなことを繰り返し、生活リズムはとうに崩れ切っていたが、毎日が充実しているためやめられない。実家への帰省は夏休み後半に一週間だけするつもりではいるが、こんな乱れた生活をしていると知られたら雷が落ちるだろうなとリンウェルは苦笑した。
「髪伸びたわねえ」
図書館でパートの女性にそう言われて初めて、リンウェルは自分がしばらく美容院に行っていないことに気が付いた。最後に髪を切ったのは受験が終わってこちらに越してくる直前だったから、もう4か月以上何もしていないことになる。今は夏真っ盛りと言われればその通りで、やけに暑苦しいなと思っていたのはなるほど自分のこの髪の毛のせいかもしれない。とはいえこの地域に知った美容院があるわけでもなく、わざわざ調べるのも面倒なので、帰省した時にでも切りに行くことにして今は我慢することにした。
アルバイトが休みの日に、リンウェルは家から少し離れたところにある本屋に出向いた。そこは全国的に名の通った書店であることには変わりはなかったが、行きつけの店舗よりも大きく、品揃えに期待が出来そうだと前から目を付けていた。
自動ドアが開くと馴れ親しんだ本の匂いがしてリンウェルの気持ちは昂る。いつもなら真っ直ぐ小説コーナーの方に向かうはずだが、その日目に留まったのは一冊のファッション雑誌だった。表紙に「今流行りのフクロウカフェ特集!」と大きく書かれており、つい魅入られてしまったのだ。
リンウェルは物心ついた時から猛禽の類に興味があった。大きな目と鋭い爪には幼子なら恐怖も感じるだろうが、リンウェルは違った。図鑑に並ぶその勇ましい姿がとても魅力的で美しいと思った。
とりわけフクロウには並々ならぬ思いが芽生えた。動物園やそういった特殊な環境下でしかお目に掛かれないはずの彼らを、リンウェルは何故かずっと身近な存在に感じていた。
立ち読みはあまり感心しないが、これは不可抗力だと言い聞かせてリンウェルは雑誌を手に取った。ページを捲ってみると何軒かのお洒落なカフェが紹介されていて、テーブルを見守るのは何羽ものフクロウたちだ。大きく映っているのはメスのモリフクロウで、くりくりとした瞳が可愛い。シロフクロウは視線がキリっとしていてかっこいいし、メンフクロウの何とも言えない表情はミステリアスで心惹かれるものがある。人類はようやくこのフクロウの魅力に気が付いたらしい。
ほくそ笑むリンウェルの背後で、ふと誰かが近づく気配がした。
「へえ、お前もこんなの読むんだな」
声に振り返ると、見慣れた男が立っていた。
「ロ、ロウ!?」
「よ、久しぶり。お前とこんなとこで会うなんてな」
ロウと会うのはあの日以来で、あれからお互いになんの連絡も取り合っていなかった。
「なんでここに?」
「俺ん家ここの近くなんだよ。散歩がてら寄ったら、お前に似てる奴いるし」
本人だとは思わなかったぜ、と笑うロウだがリンウェルの顔を見た瞬間、何かに気付いたような表情を見せた。
「お前、髪伸びたな」
「へ? うん、まあしばらく髪切ってないし」
数週間会っていないだけでそんなに変わるものだろうか。
リンウェルが前髪を指で掬ってみせると、ロウの方もリンウェルをあらゆる角度から眺め始める。
「な、なによ」
「お前今から時間あるか? 俺ん家来いよ」
突然の誘いにあっけにとられているリンウェルに、ロウはまたニッと笑って「悪いようにはしねえから」とその手を引いた。
ロウの家は建物の三階にある1Kで、意外にもきれいに整頓されていた。黒っぽい家具で統一されている部屋はリンウェルのそれよりもはるかにお洒落だ。
その一角に大きめの姿見と道具箱のようなものが置かれている。近くのワゴンには何本ものスプレーの類が覗いていて、縁には美容室で見るようなドライヤーが掛かっていた。
「これ……」
「ああ、俺の練習道具」
「練習道具?」
「言ってなかったか? 俺、美容系の専門学校行ってんだ」
専門学校、と聞いてリンウェルはロウが学生であったことにも驚いたが、まさかそれが美容関係だとも想像しておらず二重で衝撃を受けた。
だが考えてみればロウは初めて会った時から変わった髪色をしていたし、ファミレスで会う時もいつも見たことのないような服を着ていた。それは奇抜でないにしろ、大学で見る男子の格好とはまるで違っていて、それがまたロウによく似合っていたことを思うと、リンウェルは妙に納得できた。
「ちょっとそこ座れよ」
ロウが指したのは姿見の前で、リンウェルはまさかと思って振り返る。
「……何する気?」
「何って、メイク」
「え、ちょ、待って」
ロウが取り出したポーチからガラガラと音を立てて転がってきたのは所謂化粧品というやつで、リンウェルは半ば無理やり鏡の方へ向かされる。
「じ、自分でもしたことないのに……!」
「まあそんなことだろうと思った」
リンウェルの前髪を手際よくクリップで留めると、ロウはいくつもある瓶の中から適当なものを拾い上げて色味をチェックする。
「終わったらすぐ落としてくれていい。練習に付き合うと思ってくれよ」
な? と問いかけられて、リンウェルもついに観念すると眼鏡を外した。ぼやけた鏡の中でロウと目が合ったのがなんとなくわかった。
「……」
「ちょっと、早く終わらせてよね」
「あ、ああ。そんな時間かかんねえよ」
そう言いながら触れてきたロウの指にリンウェルは思わず身震いをする。こんな風に誰かに顔を触られるなんて初めての経験だ。
ロウはこれがベースメイクのなんとかだとか、このファンデーションがいいとか説明を繰り広げていたが、リンウェルの頭には何も入って来なかった。それが他人に化粧をされるという慣れない行為への緊張からくるものだとリンウェルは信じて疑わなかったが、それにしてはやけに心臓の音が大きく聞こえた。
「終わったぜ」
ロウの言葉に鏡を覗き込むと、眼鏡をかけていなくてもわかるくらい何かが違う。
「すごい……」
なんというか、艶が違うし血色が良く見える。別人とまでは言わないが、一体どうやったらこんなふうな見た目に変わるのだろう。
「めちゃくちゃ可愛いな」
「!」
同じく鏡を覗き込んだロウの呟きは、リンウェルの心臓を不意に跳ねさせた。
「今の手持ちじゃこんなのが限界だけど、悪くねえだろ?」
何の気なしに言うロウに特に自覚はないようで、おそらく自分のメイクを褒めたのだろうがこれは心臓に良くない。動揺をどこへ隠そうかとリンウェルは迷うが、既にロウの意識は違う方へと向かっているようだ。
「髪も切ってやりたいけど、それはさすがに……」
資格がないとな、と言いかけたロウにリンウェルは別にいいよと短い返事をした。メイクがこれだけできるならきっと髪の方も悪いようにはならないだろうと思ったのだ。
結果から言えばリンウェルはそれもとても気に入った。
今までの髪型と似てはいるが何より軽い。指通りもすっとして夏にぴったりだ。
リンウェルが姿見の前でその感触を何度も確かめていると、ロウがまた思いもよらないことを言い始める。
「よし、じゃあこのまま買い物行こうぜ!」
「えっ!?」
「せっかくいい感じになったし、今度はそれに似合う服がないとな!」
もう夕方を迎える時分だというのに一体どこからそんな体力が湧いてくるのだろう。
こうなったらとことん付き合うしかないかとリンウェルは呆れたが、実際その時間を楽しんでいるのは同じで、商業施設に着いてからもリンウェルはよく笑った。
大学に入学してからは本に夢中で、服のお店なんて入ったこともなかったが、改めて見てみるといろんな発見があって面白いと気づいた。何度も同じデザインや素材を見かければそれが流行しているのかなと思ったし、逆にそれにとらわれない個性的なお店も眺めていて飽きなかった。
「お前いつも暗い服ばっか着てるからなあ。若いんだからもっと明るいの着ろよ」
これとか、とロウが当ててくる服はどれも可愛いように思えた。それが似合っている自信はなかったが、ロウが後押ししてくれたものをいくつか購入した。
「私より楽しそうだね」
「そりゃあこういうの好きだからな」
なるほどそういうものかとリンウェルは感心したが、美容の道に進むとあらば当然のことなのかもしれない。
「今度会うとき着て来いよ」
「似合わなくても笑わないでよ」
「心配すんな、俺が選んだんだから」
そう、選んだのはロウだ。
ロウが切った髪で、ロウがしたメイクを纏って、ロウが選んだ服を買う。
なんだか奇妙な感覚ではあるが、不思議と悪い気はしない。それが自分自身であるという感覚もまた薄く、例えるならもう一人の自分になったような気持ちだ。
新たな自分との出会い、なんて格好をつけてみても結局はロウの好みが半分以上を占めている。自分の好みはそのうち芽生えてくるものだとして、今はこの新鮮な気持ちを味わっていたい。
増えた荷物分よりずっと足取りが軽くなったことにも、リンウェルはきちんと気づいていた。
そろそろ帰ろうかと店を出ようとしたとき、外は結構な雨となっていた。
そういえば天気予報では夜から雨だと言っていたかもしれない。それまでには帰るだろうと折り畳みの傘すら家に置いてきてしまった。
「ねえ、どうする?」
傘を持ち合わせていないかと期待を込めてリンウェルは聞いたのだが、残念ながらロウがそれを取り出す様子はなかった。
「決まってんだろ」
そう笑ったロウの顔には嫌な予感がした。
案の定、ロウが勢いよく雨の中へと飛び込んだのに次いで、リンウェルも慌ててその後を追った。服が入った袋が濡れないようにと思ってはいるものの、当然の如く視界も悪い。転ばないようにと足元に気を付けるので精いっぱいだ。
駅の北口に着いたときには服も髪もびしょ濡れだった。きっとこの分では買った服も濡れてしまっているだろう。家に帰ったらまずは洗濯から始めないといけない。
ふと見上げると、セットに時間のかかるであろう髪の毛を萎びさせているロウがいる。
「ひどい髪だよ」
「お前もな」
これはロウがセットしたのだから私には何のダメージも入らない。寧ろあの暑苦しいままの髪だったなら、今も重たく頭を垂れていたのだろう。
ロウは前髪を掻き上げて、濡れた毛先を軽く震わせる。水の粒がいくつか地面に滴ったのが見えた。
「悪かったな、今日は付き合わせて」
「悪いなんて思ってないくせに」
「お前だって楽しんでたろ?」
「……まあね」
大学に入ってから今日が一番楽しかったかもしれない。
一日でこんなにいろいろな出来事が起こるものかと思う反面、リンウェルは普通の大学生のような生活を満喫している自分に気付く。引きこもりのような生活に満足もしていたが、外に出ることがこんなに楽しいとは思わなかった。
ミニタオルで顔を拭いた後、リンウェルは水滴に塗れた眼鏡を取った。金具が錆びでもしたら眼鏡まで新調しないといけない。浮いた美容院代は残念ながら新しい服に根こそぎ奪われてしまったので、それはできるだけ避けたいところだ。
水分を拭き取る手に集中していると、突然目の前にロウの顔が現れたものだからリンウェルは酷く驚いた。
「な、なによ」
まったく心臓に悪い。湧きあがった動揺を悟られたくはなかったが、視力が著しく悪い自分でもその表情が読み取れるくらいの距離で見つめられてしまえば視線の逸らしようもなかった。ロウの揺れる睫毛には雨の雫が残ったままだ。
「やっぱ可愛いな」
「……!」
行き交う人々の喧騒の中ではっきりとこの耳に届いたのは、数時間前にも聞いた台詞だ。ただあの時と違って、今の自分は雨に塗れ、せっかく施してもらった化粧も崩れてしまっている。
――それはどういう意味なの?
問いただす勇気もなければ、ありがとうと微笑む余裕もない。苦しくなる胸では到底何も言葉にすることはできず、リンウェルは改札までの道を無言で歩くことしかできなかった。
つづかない