セフレのロウリン。ロウリンがセフレになった経緯。
目を覚ますと、そこは自室のベッドの上だった。
どこかで鳥の鳴く声が聞こえる。窓から入る光は随分と強いようにも思えるが、日はそんなに高くない。まだ早朝なのだろう。
シーツに沈んだ肌にはじんわりと汗が滲んでいた。毎日が熱帯夜ではこれも日常であるとはいえ、不快であることには変わりない。少し体を動かしただけで薄手の毛布がまとわりつく。足先まで湿った感覚がして、思わず拭うように擦り合わせた。
そこでふと違和感に気が付いた。毛布を捲り上げてみると自分は素っ裸、生まれたままの姿だった。普段ならどんなにものぐさな時だってこんな格好でベッドに入ったりはしない。一日中熱風が吹き荒れるこの街であっても、風邪を引く時は引いてしまうからだ。
さらに視界を広げれば、ベッドの下には自分が脱ぎ捨てたのであろう衣服が散らばっていた。靴なんかも適当に投げ捨ててあって、それでいてそうした記憶もないのだから昨夜は随分と余裕が無かったらしい。
――余裕が無かった。
自分の部屋で、自分のベッドに入ることに何の余裕が無かったというのか。断片的な記憶が頭にちらつき始める。そこに覗くもう一人の影。まさか――。
「んん……」
背後で聞こえた声には覚えがあった。もしや、とおそるおそる振り返ると、目に飛び込んできたのは自分同様素肌を晒して穏やかな寝息を立てるリンウェルの姿だった。
ちょっと待て。一体何が起こっている? 混乱の中に疑問符を浮かべつつも、それが示す答えなんてひとつしかない。
久々の再会だった。五年近くも会っていなかった仲間に会うのは嬉しい反面、どこか気恥ずかしい気持ちもあって、俺は朝から緊張していた。それもほんの一時で、夕方になってリンウェルと顔を合わせてしまうまでのことだった。
リンウェルは現在、メナンシアのヴィスキントで研究員として働いている。それまで存在しなかった『研究員』という職業を職業として確立させたのはテュオハリムの提言によるものだ。ダナとレナが融合して以来、レネギスから持ち込まれた技術も多いが、それに頼るだけでなく、新たに生まれ変わった双世界での技術革新も必要だとして立ち上げたのがヴィスキントの総合研究所だった。
研究所が取り扱う分野は多岐にわたる。医療や防衛に関するものはもちろん、食糧をより効率的に収穫するための研究などはここカラグリアでも実験が行われている。過酷な土地でも育つ品種を作るためのものらしい。
リンウェルが所属するのはその研究所の中でも古代ダナの歴史に関するもので、文献や遺物の調査・研究が主な仕事となっている。今回リンウェルがカラグリアを訪れたのは、荒地のさらに奥で見つかったダナの遺跡調査に参加するためだった。なんでも、レナがダナに侵攻するよりもずっと前に建てられたものらしく、状態によってはいまだ解明されていない歴史に近づく何かを発見できるかもしれないとのことだ。
そんな話を嬉々として語るリンウェルは、あの頃とちっとも変わっていないように思えた。好きなものに対しては並々ならぬ情熱を注ぎ、目を爛々と輝かせるその様は、自分にとっては随分と眩しく見えた。あまりの眩しさで、直視できないほど。
「ロウは? 最近どう?」
「うん、まあ、それなりにやってるぜ」
「それなりって何よ。それにしてはあんまり元気じゃなさそうだけど」
「そんなことねえよ。今日は外の作業が多かったから、暑さでだれてるだけだ」
酒追加で、と店主に声を掛けて、冷えたジョッキを煽った。酒の味でなく、酒が喉を通って全身に染みわたっていくようなこの感覚が好きになったと言えば、自分は随分と老けてしまったのではという気がしてくる。実際は旅を終えてから5年とか、その程度しか経っていないのだが。
酒を飲んで話をして、また酒を飲んで話を聞いていれば、時間はあっという間に過ぎていった。薄められた酒精でも量を摂れば同じことだ。酔いが回ってきたなと思い始めた時、目の前のリンウェルは既に潰れかけていた。肩を貸すというよりほとんどリンウェルを背負いながら店を出ると、空には星が瞬いていた。宿に送り届けようにも、部屋をとっているのがどの宿か分からない。おい、と声を掛けてみても、リンウェルはむにゃむにゃと訳の分からない単語を発するだけだった。
結局自分の部屋に連れ帰った方が早いなという結論に達して、街からは少し外れたところにある自宅に向かった。周辺の開発が進んでいない、舞った風に砂ばかりが混じるような荒れた土地にある小さな住まいだ。
ベッドにリンウェルを転がしてひと息つくと、疲れがどっと押し寄せた。吐いた息に酒精が混じっている。水道で水を注いで喉を潤せば、酔いも幾分マシになった気がした。
お前も飲むか、と背後を振り返ると、リンウェルはベッドの上で微睡み始めていた。酔ってはいるが特に具合も悪くなさそうなので、ブーツを脱がせて毛布を被せてやる。
随分髪が伸びたな、とその額に手を伸ばした時だった。リンウェルの目が薄く開いたと思うと、伸びてきた腕が首に回る。
声を上げる間もなかった。
「ロウ……」
誰と勘違いしたのかは知らないが、引き寄せられるまま唇が合わさる。先ほどリンウェルが飲んでいた酒の甘い香りがして、それに火がついたかのように身体が熱を持つのが分かった。
長い口づけだったと思う。自分が戸惑ったのも初めだけで、気が付けばその柔さと淫靡さに囚われるまま、ひたすらそれを貪っていた。
酒のせいか、あるいは夢と思ったか。狭くなっていく視界の中でただリンウェルの身体だけがはっきりと目に焼き付いていた。
その後のことは断片的にしか覚えていない。印象に残らない行為だったのではなく、快感が強すぎて一部の記憶が飛んでしまっているのだ。
それほどには良かった。全身にある自分の凸とリンウェルの凹がひとつ残らず一致しているのではないかと錯覚するくらい、全てがぴたりと合わさった感じがした。汗と体液に塗れ、仲間どころか男女の一線まで超えてしまった俺たちは、大した言葉も交わさないまま朝を迎えたのだった。
身体が覚えている記憶と、目の前で眠っているリンウェル。よく見れば周囲には自分の服だけでなく、脱がしたリンウェルの服や下着までもが転がっていた。もはや何の言い逃れもできない。俺は昨夜リンウェルを抱いたのだ。
眩暈がした。それが酒のせいであったならどんなに良かったか。残念ながらそうではない。酔いは完全に醒めていて、寝起きで口の中が粘ついている以外はほとんど酒精の匂いもしない。これは夢でも何でもない。現実に起こったことなのだ。
さて、これからどうしよう。リンウェルを起こすべきかどうか。あるいは再び眠りについて、問題を先送りにするか。シャワーを浴びて頭を冷やすというのもアリかもしれない。音でリンウェルを起こしてしまうかもしれないが、それならなおのことそうした方がいい。リンウェルが目覚めてしまったのなら、おそらくもう自分に自由な時間など与えられないだろうから。
そう思ってこっそりベッドを抜け出そうとした時、リンウェルの瞼が持ち上がったのが見えた。
「うう、ん……」
腕を伸ばして大きな欠伸を一つし、指で目端を擦る。リンウェルの視界の焦点が段々と合っていくのが分かる。さぞ驚いただろう。目の前で裸の元旅仲間の男が顔を青ざめさせていたのだから。
はだけた毛布からは胸元が露わになっていた。張りの良いそれを昨夜幾度もねぶったのを思い出す。その度に甘い声を上げるリンウェルに気を良くして、ああこいつは胸が弱いのか、などと思いながら繰り返しそれに吸い付いたのだった。
そんな記憶が新たに呼び起こされるとともに、朝の生理現象も相まって自分の下半身はいとも簡単に反応を見せた。これはまずいぞ、と思った時、リンウェルの悲鳴が上がった。反射的にその口を手のひらで塞ぎ、近隣に声が漏れないようにする。
「な、なな、なんで……っ!」
手を離すと、リンウェルは顔を真っ赤にして口をパクパクさせた。そうして引き上げた毛布の中身を確認して、わなわなと肩を震えさせる。
「あ、あんた、私に何かした……?」
何かとは何か、聞くのも恐ろしいが、この状況ではもう言い訳もできない。決まり悪さに頭を掻いて、言葉を濁しながら呟く。
「あー……まあ、その、やったな」
「やったって……」
「ヤりました」
馬鹿正直にそう言えば、次に視界に入ったのは羽毛の詰まった枕だった。顔面に衝撃が走るが、サンダーブレードでなかっただけまだ良かったのかもしれない。
「バカ! なんで⁉ なんでそうなったの!」
罵声が飛び、それでいて枕も飛ぶので返答のしようもない。待て、落ち着け、なんて言葉は聞こえもしないし、むしろ火に油だ。
「酔った女の子襲うなんてサイッテー! ロウのバカ! 見損なった!」
「っていうかここどこ! ロウの家⁉ 初めからそのつもりで連れ込んだの⁉ やっぱりサイテー!」
まくし立てるリンウェルの目には涙が滲んでいた。そのことにまた罪悪感を募らせながら、俺は枕の天誅を受け続ける。
どうやらリンウェルは昨夜酒を飲んで酔ったことまでは覚えているらしかった。それで起きてみたら見知らぬベッドの上で裸だったのだ。これはもう襲われたのだと思ってもおかしくはない。実際はリンウェルの方からキスをせがんできたのだが。
理不尽だ、と思いつつ、それでいて反論は出来ない。先に腕を伸ばしてきたのはリンウェルであったとはいえ、自分はそれを拒もうと思えばいくらでもできた。そうしなかったのはやはり少なからず下心があったからで、初めからそのつもりがあったとは言わないまでも、誘われて拒絶しないのなら同じことだ。
むしろ本心を言えば、年頃の男女が夜に同じ空間にいて何一つ期待しないなんて方がおかしい。一緒にいたのがかつて焦がれた相手であったのなら、なおさら。
ひとしきり俺の頭を殴りつけて落ち着いたのか、リンウェルの手が止まった。荒い呼吸の中に洟を啜る音がする。頬は赤く染まっていた。
そんなリンウェルを見ても謝る気など微塵も起きなかった。リンウェルを傷つけたというのならそれは申し訳なく思う。謝罪もしよう。とはいえ昨夜のことについて自分がどう思っているかと言えば、それは後悔などではなかった。己の軽率さと甘さについては反省するところだが、それを差し引いたとしてもあれは忘れられない。心も身体も満ちるようなセックスだった。自分の経験などたかが知れているが、おそらくこの先もこれ以上の相手は現れない。そう確信できてしまうくらいには良かった。
今ここで手放したくない、その一心だった。
「もう、俺と会うのは嫌か?」
声が必死になっている自覚はあった。取り繕う余裕も無かった。
「お前が顔も見たくないってんなら、もう会わない。……けど、できれば」
覚悟を決めて言う。
「もう一回、確かめたい」
咄嗟の一言に、リンウェルはあっけにとられたような顔をした。
「確かめるって、何を」
少し考えてから、ようやく出たのはどうにも馬鹿げた言葉だった。
「……相性、とか」
自分でも何を言っているのだろうと思ったが、これ以外に表しようがなかった。
俺とリンウェルの相性。それまでのことを一切忘れてしまうような、溺れてしまうようなセックス。昨夜のあれは勘違いではなかったのだと、一夜の夢ではなかったのだと、今度こそ酔いのない頭で感じ取りたい。
「バカじゃないの」
リンウェルが小さく吐き捨てる。
その言葉ももっともだと思った。(リンウェルからしたら)意識のないままセックスに持ち込まれ、性懲りもなくもう一度会ってくれないかと乞われているのだから。普通に考えて答えは一つしかない。ノーだ。
それなのにリンウェルは少しの沈黙の後で言った。
「……まあ、いいけど」
「へっ?」
「今度は、最初からそのつもりってことでしょ?」
俯きがちに口にしたリンウェルの頬は、先ほどとは違った様子で赤くなっている。これこそ夢か何かなんじゃないかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
呆けていると、
「……あーっ!」
突然リンウェルが大きな声を出した。
「ど、どうした?」
「調査の打ち合わせ! 発掘担当の人たちと!」
どうやら午前に用事が入っていたらしい。時刻は既に早朝を過ぎ、より強い日の光が差し始めていた。
そういえば自分も仕事があったのだった。渋々ながらもベッドを抜け出すと、視界の端で毛布を体に巻き付けたままのリンウェルがもぞもぞと動くのが見えた。足元の着替えを互いに渡し合い、そのまま背中合わせになって着替えを始める。
「ここからだと迷うだろ。街の方まで送ってく」
「うん、よろしく。ついでに美味しい朝ごはん食べられるとこ知らない?」
自分たちの間の空気もすっかり元に戻っていた。ほんの数分前まで枕で殴り殴られのひと悶着があったとは思えない。
互いに身なりを整えて家を出ると、痛いほどの日差しが肌を焼いた。舗装されていない道を並んで歩き、街の入口に着いたところでリンウェルがぴょんと前に出る。
「この辺まででいいよ。一回宿にも寄るから」
「そうか」
またな、と言いかけて重要なことを思い出した。次はいつ会えるのだろう。
考えていたことが顔に出てしまっていたのか、あるいは同じ気持ちが重なったのか。リンウェルはこちらへ身を寄せると耳打ちをした。
――明日また来るね。
そう言い残して跳ねるように去って行くその後ろ姿を、俺はぼんやりと惚けた頭で見つめていた。