セフレのロウリン。逢瀬を重ねるロウリン。
ひと月ぶりのカラグリアには今日も強い風が吹いていた。これまで何度もこの地を訪れているとはいえ、まだまだこの気候には慣れない。風に混じる砂は油断した隙に身体中のあらゆるところに侵入してくる。それを防ぐのも払うのも面倒だし、滲む汗が肌を湿らせて不快なこと極まりない。
それも遺跡の中にいると忘れられる。分厚い石の壁は風を防いでくれる頼もしい相棒のようにも思えるし、影が落ちて暗くなった内部は私を守る家みたいに安心する。涼しい、とまではいかないまでも、外よりずっと気温が低くて過ごしやすい。いっそこの中に皆で住めばいいのに、と思えてしまうほどには快適な空間だ。
遺跡の発掘は順調だった。来るたびに新しい部屋が掘り出されていて、計画よりもずっと先の工程まで進んでいる。発掘作業中は危険だからと立ち入りが禁止されているので、今は少し離れたところから眺めることしかできないが、遠目でもこの遺跡には目新しい発見がたくさん眠っていると分かる。壁の意匠や床の幾何学模様。柱や梁の構造も、かつて文献で見たもののようで少し違う。何がどう違うのか、何の目的で変えているのか、それを早く詳しく調べ上げたくて仕方ない。文献と照らし合わせたり、スケッチしたりとそういう日が来るのが待ち遠しい。そうしたらきっと、自分は調査に夢中になるのだろう。朝から晩まで遺跡や遺物のことを考えて、悪い癖だと思ってはいるけれど食事も睡眠も二の次にしてしまうのかもしれない。――二の次。
はっとして、かぶりを振る。危ない、また嫌なことを思い出すところだった。
気が付けば時刻は昼を過ぎていた。今日は午後の作業も軽めで終わる。ロウに会う夜まで時間が空くということで、私は昼食を摂りがてらのんびり街を散策することにした。
訪れたウルベゼクは賑やかだった。以前はどうにも寂しさを隠せない街で、人の姿もまばらだったことを覚えている。今や建物の数も多くなって、あちこちに店が立ち並ぶようになった。大きな荷物を背負っているのは旅商人たちで、その数も来るたびに増えているようにも思う。まだなかなか厳しい環境であるとはいえここが商いの場として数えられるくらいには、この街も発展したといって良いのだろう。
それらの商店に入ったり、旅商人から品物を見せてもらったりしながら時間を潰した。特段珍しいものがあるわけでもなかったが、中にはメナンシアでは見かけない商品もいくつかあった。カラグリアは鉱石がよく採れるので、それの加工品なんかはヴィスキントでも人気がある。とはいえこちらに入荷するのは質の高い、いかにも高級品というようなものばかりで、地元の店に並ぶこういうお手頃な品はお土産にはちょうどいい。
ヴィスキントにいる友人たちを思い浮かべながら、いくつかアクセサリーを買った。石の色や形、用途など人に合わせて選ぶのは難しいけれど楽しくもある。考えれば考えるほどその人のことが好きなのだなと思って、自分の方が嬉しくなるのだ。相手からも喜ばれればそれだけで一石二鳥。何ともお得に自己満足に浸れる、この上ない方法だ。
ふと店に並んでいたアイオライトの石を見かけた時、なんとなく、「ロウに似合いそうだな」と思った。どうして突然ロウのことが頭に思い浮かんだのかは分からない。ロウは別にアクセサリーを身に着けたりもしないし、そもそも地元の人なのだからお土産なんて必要ないのに。
それでも自分はその小さな石を眺めながらロウのことを考えていた。髪飾りにしたらどうだろう、とか、加工して鞄に下げるのもいいかも、とか勝手なことばかり想像していた。
「そういうのはオレのガラじゃねーだろ」
我に返ったのはそんな声が聞こえてきたからだ。同じ店内にいる男女の会話がたまたま耳に入ったらしい。顔見知りでもない無関係の二人の会話とはいえ、なんだか妙に恥ずかしい気持ちになってきた。頬が少し熱くなるのを感じた私は、急いで店を出ることにした。
外に出た時、人が行き交う通りの向こうから聞き覚えのある声が聞こえた。
「ああ、それは向こうに運んでくれ。それでそっちの木材は――」
あちらこちらに指を差し、物資の運搬の指揮を執っているのはロウだった。ついさっきまで頭の中に描いていた人物が目の前に現れて、胸がどきりと跳ねる。
ロウはあまり見慣れない服を着ていた。藤色の上衣ではなく、太陽の光さえも跳ね返しそうな白いシャツ。それはどことなく彼の父親を彷彿とさせた。まだ体格も威厳も程遠いのに、どうしてそんなふうに見えたのだろう。
ロウは見るからに忙しそうだった。指示を出すだけでなく、自分でも重たい荷物を担いだり、他の人を手伝ったりと、忙しく動き回っていた。
とうとう一仕事終えたのか、ロウがほっと息を吐くのが見えた。汗に塗れた額を拭いながら仕事仲間と思しき人たちと何か言葉を交わしている。時折肩や背を叩かれているあたり、親しい間柄なのだろう。覗かせた人懐こい笑みは昔と変わらないように思えた。
はたから見れば微笑ましい光景であったことには違いない。それなのになぜか私には、ちょっと違って見えた。一瞬、ほんの一瞬だけ、笑顔のあとのロウの表情がどこか翳ったように見えたのだった。
夜になってロウの家に行くと、私はロウにこう切り出した。
「今日はちょっと世間話でもしない?」
仰向けになった私の横に手をついた状態のまま、ロウは首を傾げた。
「世間話?」
「そう。まだ夜は長いんだよ。少しくらいおしゃべりに使ってもいいでしょ」
何か目的があるとか、そういうわけではなかった。ただ昼間見たあの顔は、もしかしたらロウが疲れていることによるのではと思ったのだ。
疲れているところにさらに疲れるようなことをしなくったっていい。会う約束を取り付けたからといって、必ずしもそうしなくてもいいという前例にもなる。まあ、ロウの様子を見る限りは行為が負担になっているとか、そういうことはないのだろうけれど。
ロウはどこか釈然としないような顔をしながらも、そのままごろりと私の横に寝転がった。
「おしゃべりったって、何話すんだよ」
「うーん、じゃあ昨日食べたご飯は?」
「んなこと聞いてどうすんだよ」
「ただの興味だよ。でも、あまりに不摂生ならキサラに報告」
げ、と言ってロウは渋々口を開いた。どうも昔の仲間に弱いのはロウも自分も同じだ。
「仕事は? 最近は何してるの?」
敢えて昼間のことを伏せたのは、黙ってロウのことを見ていたと思われたくなかったからだ。懸命に仕事をこなす姿につい目を奪われてしまったなんて、恥ずかしくて絶対に知られたくない。
「仕事はまあ、そこそこ。特別なこともしてないぜ。今度できる集落の資材運びとか、そういうのばっかだな」
「帰りはいつも何時になるの?」
「時期にもよるけど、大抵は日が暮れたらだな。暗いと作業できねえし、危ないだろ」
休みの日は、と言いかけて、やめた。ここまで来るとなんだか尋問みたいだ。彼女でも何でもないのに、そんなことをする権利はない。
あるいはロウの言動や態度から、自分はその〈彼女〉という存在を探ろうとしているのかもしれなかった。いまだはっきりと浮かんでこない影に対して過敏になっている自覚はある。でも、それもこれもロウがはっきりしないから悪いのだ。ロウが何も告げてこないうちはとりあえず、彼女がいるものとして接しておくくらいがいいだろう。
あとは、と考えて言葉が出てこなかった。自分からおしゃべりしようと言ったのに話題がなくなってしまうなんて。必死で考えを巡らせてはみるが、相応しいものは何も浮かんでこない。それほどにロウのことは大体知り尽くしてしまっているし、私の話題なんてほとんど遺跡のこととか研究のことになってしまう。ロウがそれに何の興味も持たないだろうなんてことは言われずともよく分かっていた。
頭を悩ませていると、
「なあ、」
目の前を再び影が覆った。横に手を突かれた状況は先ほどと全く同じだ。
「もういいか?」
「いいって、何が」
「世間話、もう済んだろ」
ふっと笑って、ロウが首筋に顔を埋めてくる。
「我慢できねえ」
耳元で囁かれて胸が震えた。
そんなことを言われてしまうと情けないかな、私も承諾してしまう。ロウの髪にそっと手をやり、微かに汗ばんだそれを軽く撫でつけた。
「……っあ……」
耳を食まれると声が漏れた。舌で外郭をなぞられる感覚に、ぞくぞくと背が震える。
服を暴かれ、ロウの手が胸の膨らみを捉えた。強く揉みしだかれ、甘い痺れが全身に広がっていく。いつもよりも随分と性急だ。本当に我慢していたらしい。
胸の突起をねぶられると、下腹部がきゅうっと疼いた。どこもかしこも、自分の性感帯はそこに繋がっているらしい。スイッチを押されたように熱くとろりとしたものがナカに滲み出てくるのが分かる。それをまるで察知したかのようにロウの指が挿し入れられて、私は高い声を上げた。
ぐちゅぐちゅとナカを掻き回されると、何も考えられなくなった。ただ気持ちが良くて、もっと奥まで欲しいと腰まで揺らしてしまう。ナカで激しく指が動き回り、イイところを擦り上げられる。そうやって少し乱暴にされることにすら興奮した。
ロウが下穿きを脱ぐと、自ら脚を開いた。早く、と訴えずとも今夜のロウは焦らす気など毛頭ないらしい。秘部にそれを宛がうや否や、先端が肉を割って入ってくる。瞬間上がった大きな声は、砂の舞う風の中に掻き消えた。
ロウにこうして求められるのは嫌いじゃなかった。むしろ好きだと言ってもいい。胸の奥がぎゅっとなって、心が搾られたみたいに温かいものが溢れてくる。前の恋人からはこんなふうに求められたことはなかった。
前の恋人。初めての人。交際相手という観点でいえば、最後になっている人。あくまで今のところは。
宮殿の〈図書の間〉で出会った彼は、少し年上の研究員だった。優しくて穏やかで、大人な彼が好きだった。研究に没頭する私に「体調に気を付けなよ」「無理しないで」と言ってくれた彼だったが、結局上手くはいかなかった。最後、彼が放った「君の未来のために」という別れ言葉を信じた私は若く、甘かったのだと思う。数か月後、彼は他の人と結婚したと聞いた。
「自分は二の次だった」と、彼は言ったらしい。その言葉は私には心当たりがありすぎた。研究に没頭するあまり自身のことさえおろそかにする私が、彼に気を遣えていたかと訊かれたらそれはもう首を横に振るしかない。とはいえ私はそういう人間だ。言い訳でも何でもなく、そうすることしかできない人間なのだ。彼には申し訳ないけれど、こうなることはもはや必然だったのだと思う。恋人どころか、研究者としても分かり合えない二人に未来など初めからなかったのだ。
ロウならどうだろう。私のことをよく知ってくれているロウなら、上手くやっていけるだろうか。ロウを受け入れながら、またそんなことをひとり考える。ロウなら私を見守って、背中を押してくれるんじゃないか。どうかそうであってほしいと心のどこかで願っているのかもしれない。
行為を終えてベッドでうとうととしていると、ロウが言った。
「お前、彼氏いんのか」
彼氏、という言葉にどきりとした。自分がさっきまで考えていたこと、心の中を読まれてしまったのかと思って動揺した。
「あ、えーと……」
その一瞬の戸惑いを、ロウはどうやら〈肯定〉と取ったらしかった。
「そうか」
ロウは目を閉じて小さく笑った。
「大事にしてやれよ」
背を向けたロウの声はどこか遠く、哀しげにも聞こえた。
部屋の壁にロウの影が落ちる。それは昼間見たアイオライトの色によく似ていた。
つづかない