ネアズ×ネームレスオリ夢主。捏造とか夢いっぱい。

1.それは例えるならサンドベージュ

 はじめに惹かれたのは、声だった。低めであまり弾まない、決して遠くまで通るわけではないけれども、じわりと滲むようなその声に私は強く惹きつけられた。
「そういうのは遺伝子レベルで察知してることが多いのよ」
 そう言ったのは師匠であり、そして私をここへ連れてきた張本人でもあるティルザ先輩だ。
「声とか匂いとか、そういった好みはすぐに選り分けられるようにできているの。より良い子孫を残すためには誰と番えばいいかってね。本能っていうのかしら。ほら、鳥なんかはメスが鳴き声で相手を決めるっていうでしょう?」
 とティルザ先輩は言った。
「それで、私の可愛い弟子は誰の声が好みだったのかしら?」
「そ、そんなこと言ってませんって。ただ、声の好みって人それぞれなのかなって聞いただけで」
 ぐいぐい迫ってくるティルザ先輩を押しのけながら、私は首を振った。
 言えない。言えるわけない。惹かれた声の持ち主が、皆の中心にいるあの人だなんて。

 朝になると、ウルベゼクの集会所には人が大勢集まる。日雇いの作業者や他領からの応援のほか、最近は自分のような〈新入り〉の姿も増えてきた。
 彼らの仕事は大抵力仕事だ。荷物や資材を運んだり、技術を持つ人は建物の建築なんかを任される。復興の進むカラグリアでは徐々に移民も増えつつあり、住居の確保が急がれている。
 今朝も様々な指示が飛んでいた。あれをどこに運べだの、あっちの建物を急げだの、都度質問や意見が飛び交う中で話が進んでいく。
 自分には直接関係のない話ではあるけれど、私は集会所の中を覗き込みながらこっそりその議論に耳を傾けていた。〈紅の鴉〉メンバーとして内容を頭に入れておくのは当然、というのは建前で、本当の目的はその中央から聞こえてくる声を聴くことにあった。
「届いた物資はモスガルに運んでくれ。駐屯地経由でいけば早い」
 先ほどから集まった人の輪の真ん中で具体的な指示を出している彼。彼はネアズさんといって〈紅の鴉〉の中心メンバーの一人であり、各地からの依頼を取りまとめる役でもある。物資や人員の配分を考えるのもまた彼の役目で、その仕事量はほかのメンバーとは比にならないと聞いた。おかげで四六時中頭を悩ませっぱなしの彼の眉間からはシワが絶えることがなく、今や彼のトレードマークとなってしまった、というのは冗談好きのガナルさんの言葉だ。それがあながち間違いでないことはまだ組織に入ってひと月程度の自分にも分かる。ネアズさんが書類とにらめっこをしているところをあちこちで頻繁に見かけるからだ。寄った眉間のシワのせいで気難しそうに見えるのか、他の〈新入り〉たちはネアズさんをちょっと怖がっているらしい。その低い声も相まってどうにも話しかけづらいのだとか。見た目で損するタイプよね、というのは、これはティルザ先輩の言葉だ。
 私はそんなふうには思ったことはなかった。というのも彼が気さくに話しかけてくれるから、ではなく、彼とまともに会話をしたことがないからこそそう言えてしまうのかもしれない。
 あるいは自分がネアズさんを少し気にかけているからか。気になっている人が気難しい人だとか、そういうふうに思いたくなくて彼にフィルターをかけてしまっているのか。
 どっちにしたってあまり支障はない。だって私は別に彼に恋をしているわけでもなければ、親密になりたいと思っているわけでもないからだ。ただ彼の発する声に心地よさを感じていて、仕事の合間にちょっとその声を耳に入れるだけで自分の中の幸福度がぐっと増すという、それだけのこと。とはいえ起床時間を早めてまで盗み聞きに勤しんでいるというのは少し度が過ぎているのかもしれない。
 私はここ最近、朝早く集会所を訪れていた。そしてまだ開いていない扉の鍵を開け、人が集まる大部屋の掃除をする。誰かに頼まれたとか無理やり押し付けられたわけではなく、なんとなく集会所の汚れ具合が気になったのだった。そうすれば部屋がきれいになるだけでなく朝会にも参加(端から見ているだけ)でき、必要ならば自分の仕事にも手をつけられる。一石二鳥ならぬ、一石三鳥ともいえるこの早起きは、三文どころか10ガルド程度の得にはなっているはずだ。
 ここ数日はもう一つ仕事が増えた。増えたというか、自分で増やしたのだが、集会所のそばに花の種を蒔いたのだ。通りすがりの旅商人から買い物をしたときにオマケとして貰ったそれはメナンシアで品種改良されたものらしい。「今ならカラグリアでも咲くかも。気が向いたら植えてみて」なんて、それこそ気まぐれを言われただけだったのに、変に凝り性な性格が発動してしまい、石を積んで簡単な花壇まで拵えてしまった。
 種を蒔いてからは今日で3日になる。まだ芽は出ないけれども、その気配はある、ような気がする。それも自分の希望的観測かもしれないとは思いつつも、あきらめをつけるにはまだ早いだろうと言い聞かせて今朝も揚々と水を撒いた。
 花壇の様子を眺めているうち、集会所からちらほらと人が出てきた。どうやら今朝の朝会が終わったらしい。
 徐々に外に出てくる人が増え、邪魔にならないよう避けるつもりで端に寄ってみるが、
「おっと悪い」
「すまないな嬢ちゃん」
 肩が、腕が、次々にぶつかる。「すみません」と頭を下げながら、私はもっと隅の方へと身を寄せた。と同時に、ああまたか、とがっくりする。自分のこの影の薄さはどうにかならないものか。
 生まれつきなのかどうかは分からないが、自分はどうにも人より存在感が希薄らしい。ずっと同じ空間に居たにもかかわらず「えっ、いつからいたの!」と問われることも少なくない。
 今だって自分にぶつかった作業者の彼らは、その体が触れて初めて自分の存在に気が付いたような表情をしていた。まるで数秒前まではそこに何もなかったはずだとでも言わんばかりにぎょっと驚いた顔をする人もいた。
 そんな表情を見るのはもう慣れっこではあるけれど、ちょっと悲しくもなる。お前は最初から存在していないのだと言われているみたいで、寂しくなるのだった。
 とはいえこの存在感の薄さゆえにこっそりネアズさんの声を聴けているという可能性もなくはない。ならばむしろ感謝した方がいいのかな、なんて思いながら、私はすっかり作業者の出払った集会所の中へと戻った。
 人気がなくなったといっても集会所を主な作業場にする人もいる。例えば自分のような医師見習いとか、その助手をしてくれる人たちはこの建物内で仕事をすることが多い。それ以外と言われると、ほかにも集会所に出入りする人は何人かいるけれども、あまりその数は多くない。外で作業をする人がほとんどなので当然と言えばそうだ。
 だから中に残っている彼を見た時は少し驚いた。いつもなら皆と一緒にどこかの現場に出かけていくのに、今日はまだ何か考えることがあるのか、手元の書類を見つめながらネアズさんはひとり集会所に佇んでいた。
 そんな立ち姿を、絵になるな、などと一瞬でも思ってしまったのはちょっと失礼かもしれなかった。きっとその険しい表情は思索が芳しくないことを物語っていて、それが彼の重たいため息の一因になりうるのだとしたら自分はどこまで浅慮なのだろう。ネアズさんすみません、と心の中で謝罪と反省をして、私は小さくなりながらできるだけその視界に入らないよう部屋の端を通った。
 そこでふと目に入ったのは窓際に飾ってあるガラスの花瓶だ。そういえば今朝はまだ水を替えていなかった。
 花瓶に手を伸ばした時、
「いつもすまないな」
 低く、滲むような心地よい声が聞こえた。
 はじめ、その声が誰に向けられているのか分からなかった。花瓶を手に振り返り、部屋には自分とネアズさんのほかに誰もいないことを知って初めてもしかして、と思った。
「えっと、私、ですか」
 動揺を隠しきれない私をよそに、ネアズさんは逆に訝しげな表情をしていた。君の他に誰がいるとでも言いたげだ。
「私のこと、知ってるんですか」
「知ってるも何も、同じ組織の仲間を知らない方がおかしいだろう。ティルザのとこで見習いをしてるんじゃなかったか。確か……」
 そうして名を呼ばれて、私はひどく驚いた。まさか、ネアズさんに認識されていたなんて。おそらくティルザ先輩や普段会話をする女の子たち以外に私の名前を正確に把握している人なんか誰もいない。それなのにまさか覚えていてくれた人がいたなんて。しかもそれがあのネアズさんだなんて。
 つい呆気に取られていると、それまでまっさらだった彼の眉間に僅かにシワが寄る。
「あれ、もしかして違ったか」
「いえ、そうではなくて。名前まで覚えていてくださってるとは思わなかったものですから」
 手を勢い良く振って否定すると、彼の表情が少し和らいだ。
「一応こういう立場だからな。顔と名前を覚えるのは早いんだ」
 得意げでもなく淡々としたその言葉がまた嬉しかった。彼にとって自分はごく当たり前に存在しているのだと、そう言われた気がした。
 嬉しい気持ちの反面、私はひどく緊張もしていた。当然だ、ずっと憧れ続けていた彼とこんな不意打ちのような形で会話できるとは思っていなかったのだから。
 まだ二三言葉を交わしただけではあったが、彼は話しづらいとか、怖いとか、そういうふうには感じられなかった。一緒に仕事をしていればもしかしたら厳しいことも言われてしまうのかもしれないが、今のところ世間話をする程度なら恐れることは何もなさそうだ。 
「そ、そういえばさっき、すまないなっておっしゃってましたけど」
 私の言葉にネアズさんは、「ああ、」と今思い出したような顔をした。
「君だろう、いつもこの部屋を掃除してくれているのは」
 そう言われてまた私は驚いた。まさか掃除のことも知られていたなんて。
「忙しさを言い訳にするつもりはないが掃除とか整理整頓とか、そこまで気が回らなくてな。礼を言わないと、とは思っていたんだが」
 これも言い訳にしかならないな、とネアズさんは頭を掻いた。初めて見る彼の仕草に、心臓がどきりと跳ねる。
「とにかく、いつも助かっている。ありがとう。皆を代表して礼を言わせてくれ」
 頭を下げたネアズさんに、私はまた体の前で大きく手を振った。
「い、いえ、別に。自分たちが使う場所ですから、片付けるのは当然ですし」
「ははっ、耳が痛いな」
「あっ、そ、そういう意味では……!」
 早速の失言には頭を抱えたくなる。それでもネアズさんは少しも気に留めることなく、むしろ穏やかな笑みまで見せてくれた。
「掃除はほかの奴にもやらせないとな」
 当番制がいいか、などとネアズさんはブツブツ言って、また眉間にシワを寄せ始めた。
「いいですよ、そんな大したことしてませんし」
「いや、さっき君も言ったろう。自分たちが使う場所だからって」
 確かに言った。言ったが、別にそういうつもりは全くなかったのだ。
「ただでさえ皆さん忙しいのに、大丈夫ですか」
「まあ、文句を言う奴が一人二人出てきてもおかしくはないが」
「ですよね」
「でも、仕事があるのは君も同じだろう」
 淡々とした調子で彼は言った。
「それに、こういうことこそ俺の仕事なんだ。だから君は気にしなくていい」
「はい……」
 ネアズさんの言葉に頷くと、私は改めて言葉を付け加える。
「でも、じゃあ、その当番に私も含めてくださいね」
 自分で使う場所ですから、と言うと、ネアズさんもそうだな、と微笑み返してくれた。
 ふとネアズさんの視線が私の手元に注がれていることに気が付いた。花瓶に活けられた花は外からの光を受けて燦燦と輝いている。
「その花も、君が飾ってくれたのか」
 私は黙ったまま頷いた。それに連なるようにして黄色い花弁が揺れた。
 花は数日前に例の旅商人から購入したものだった。その時はまだつぼみが多く、花開いているのは一輪だけだったが、その太陽のような大きな花に魅入られ購入を決めたのだった。
 自分の部屋に置こうかとも思ったが日当たりが良くないこともあって集会所に飾ることにした。数日経った今では、5本のうち4本が花開いている。
 それでも誰かがこの花に言及してくることはなかった。花の存在にすら気付いていないのか、あるいは気付いていても何も言わないだけなのか。
 それが私はほんの少し寂しかった。この集会所に集まる人たちはそれぞれに使命があって、たかが花なんかに割く心も時間もないのかもしれない。慌ただしく過ごす背中を近くで見ていれば、それも仕方のないことなのかもしれなかった。
「きれいだな」
 半ばあきらめかけていた時に彼の一言だ。自分の胸にぽつぽつとあたたかいものが灯っていく。
「花は詳しくないが、こうして部屋に飾ってあるとなんというか、気分が良くなる」
 目を細めて、彼は言った。 
「朝はまだ開いていなかったつぼみが午後になって開きかけているときなんかは、つい何度も確認しに来たりしてな」
「そうだったんですね」
「意外か?」
「失礼ながら、意外です」
 正直に言うと、ネアズさんは声を上げて笑った。
「勝手に、そんな余裕ないのだと思っていました。いつも忙しそうにしていたので」
 仕事以外、目に入っていないのだと思っていた。あるいは不本意にもそれしか考えられない立場になってしまって、そのままならなさが眉間に表れているのだと思っていた。が、それもどうやら少し違うらしい。
「どんなに忙しくても花を愛でるくらいは許されるだろうさ」
 彼はただ忙殺されていたのではない。日々の忙しなさの中にも暇を見つけては心を緩めることができる人なのだ。
「外の花壇も、君が?」
 ネアズさんは花壇の存在にも気づいていた。
「はい、すみません勝手に」
「いや、むしろありがたいくらいだ。殺風景よりよっぽどいい」
 まだ花のないそれをそんなふうに言ってくれるのはこの国で、あるいはこの世界で彼だけかもしれない。
「花は咲きそうか」
 その問いにはまだ頷けない。
「今のところ芽は出ていないんですけど、」
 それでも私は今持ちうるありったけの確信を込めて言った。「出ると思います」
「そうか」
 ネアズさんは笑った。
「咲くといいな」
 そう言って今度は花ではなく、私を見て笑ったのだった。
「すみません、お医者さんはいますか? 妹が熱出しちゃって」
 その時、背後からかかった声は男の子のものだった。その後ろには顔を真っ赤にしてぬいぐるみを抱く小さな女の子の姿も見える。
「あ、はい! 今行きます!」
 すぐにそちらへ駆け出そうとした私に、ネアズさんは、引き留めるようにして言った。
「水替えは俺が代わろう。早く行ってやれ」
 はい、と花瓶を彼に渡して頭を下げると、男の子たちの方へと駆ける。
「医務室のほうに行こうか」
 二人を連れて歩き出すと、男の子が顔を覗き込んできた。
「もしかしてお姉さんも風邪ですか? 顔赤いですよ」
 私はぶんぶんと首を振って、
「大丈夫、風邪じゃないよ」
 と、できるだけ自然な笑顔で男の子に笑ってみせた。
 風邪じゃない。胸がどきどきして、顔が熱いけれど、風邪じゃない。
 じゃあこれは何なのか。その答えを私は知っている。知っていて、知らないふりを決め込んできただけだ。
 静かに、潜ませてきたのに。誰にも気づかれないよう、自分にも気づかれないよう、深く砂に潜るようにして隠してきたのに。
 これだけ胸を高鳴らせておいて、頬に熱を籠らせておいて、それでもこれは恋じゃないなんてもう二度と言えそうにはなかった。

つづく