付き合っているロウリンと、二回目のキスの話。喋るモブたちがいます。(約5,900字)

2024-10 お礼SS

 肩を叩かれて、ようやく気が付いた。
「ねえ、リンウェルってば。聞いてる?」
「え……なんだっけ」
「だから、今度の発表の内容。順番これで合ってるよね?」
 手元のメモに視線を落として、私はうんと頷いた。
「よかったあ。何か不備があるのかと思っちゃった。リンウェルってば、話しかけても全然気付かないんだもん」
「ごめん、ちょっとぼうっとしてた」
「なあに、また寝不足? 夜更かしはお肌の天敵なのに」
「リンウェルの若さなら大して問題にならないでしょ。はあ、うらやましー」
「そういうあんたもリンウェルと2つしか違わないじゃない」
「この年齢の2歳は大きな差なの!」
 黄色い声が飛び交うアウテリーナ宮殿の一室。私たちのグループは、今度行われる研究の発表会に向けてその内容を打合せしていた。
 主なテーマはもちろん古代ダナの歴史に関して。各地で見つかっている遺跡の特徴を比較しながら、相互に関連があるのかどうか考察を深めるという方向で調整していた。
「それにしても、これだけの資料が集まったのもリンウェルのおかげだね。まさかもう1回調査に行ってくれるなんて」
「ほんとほんと。私たちが行こうとしたら計画書の準備はともかく、さらに護衛の手配までしなきゃいけないしでかなり時間かかっちゃうし。頼もしい彼氏がいるリンウェルが羨ましいよ」
「この間の探索も一緒に行ってきたんでしょ? ズーグルの多い場所だって聞いてたけど、大丈夫だった?」
 ――この間。思わず耳と心臓が、ぴくりと反応する。
「う、うん。そんな大したことなかったよ。運が良かったのか、思ったほど姿も見かけなかったし」
 行きと帰りに何回か戦っただけ、と言うと、皆は「すごーい!」と歓声を上げた。
「ズーグルなんて見かけたら普通へたり込んじゃうよ。そんなのと戦ってくれるなんてかっこいい!」
「訓練を積んだ兵士でも苦戦するって聞くしね~。彼氏さんは相当の実力者なんだね」
「でも、リンウェルだって強い魔法が使えるよ?」
「バカね、それでもついてきてくれるのがいいんじゃない。遺跡に興味もないのにわざわざ一緒に来てくれるなんて、リンウェルが心配以外に理由なんてないでしょ?」
「なるほど~大事にされてるんだね~」
 皆の視線がこちらに集中する。私はいたたまれなくなって、「も、もういいでしょ。この話は終わり!」と声を上げた。
「ほら、作業しよ! 解散!」
 はーい、という気のない声と一緒に皆が各々の机に戻って行くのを確認して、私は手元のノートを開いた。もう、皆そういう話が大好きなんだから。内心ちょっとむくれながら、パラパラとわざとらしい音を立てつつページをめくる。
 まあその気持ちはわからないでもないけれど。私も周りのそういう話は気になってしまうし、友人に最近恋人ができた、なんて聞いたらつい好奇心が湧いて詳しい話を掘り下げようとしてしまうかもしれない。もはやこれはこの年頃特有の、一種の魔法のようなものといってもいい。
 今回はその矢印が私に向いてしまっただけ。ただでさえ恋人という存在にすら興味が湧いて仕方ないというのに、それが〈紅の鴉〉所属の相手だの、長い友人関係を経ての交際だのさまざまな条件が重なれば、皆の好奇心も3割増しというものだ。質問攻めにされるのは恥ずかしい気持ちもあるけれど、それはおそらくこの交際初期ならではの一過性のものであることもよく理解していた。
 とはいえ今日はちょっと、私も少し落ち着かない。ノートの文字を追うふりをして、真面目に考え事をしているふりをして、頭の中は違うことでいっぱいだった。
 この間の出来事が頭を過る。何度も何度も脳内に蘇っては、胸がどきどきと熱くなっていく。
 遺跡からの帰り道だった。私はフルルとロウと並んで歩きながら、街へと向かっていた。いつもよりも早めに遺跡を出発したものの、目的地まではまだそれなりに距離があったので途中で休憩を挟むことにしたのだった。
「フゥル!」
「わかった、気を付けてね」
 どこかに飛び去るフルルを見て、ロウが首を傾げた。
「あれ、あいつどうしたんだ?」
「近くに沢があるから水飲んでくるって。長く飛んで、喉が渇いたみたい」
 日射しの強い日だった。その勢いは午後になっても弱まることを知らず、むしろ鋭くなる一方だった。
 私も少し涼もうと、木陰を選んで腰を下ろした。木々の葉を揺らす風が汗ばんだ肌に心地良い。手のひらで頬のあたりをあおぎつつ、しばしの休息を取った。
 ロウも同様に私の隣に腰かけた。「あっちいな、今日」「そうだね。こんなに暑いとアイス食べたくなってくるよね」「お前はいつもそうだろ」「だって美味しいじゃん」などと言ってたわいもない会話を楽しんでいた。
 すると突然、会話が途切れた。
「リンウェル」
 名前を呼ばれて振り向くと、そこにはあからさまに緊張した面持ちのロウがいた。
 どうしたの、と言おうとして、思わず口ごもった。ロウの手に肩を掴まれた瞬間、この後に起こることがわかってしまったのだ。
 咄嗟に目を閉じると、少し間が空いた後で唇に柔いものが重なった。ほんの一瞬の出来事だったのに、それはどうしてか数秒にも数分にも感じられた。
 心臓が破裂しそうなほどどきどきしていたからかもしれない。私はロウから伝染した緊張とあまりの照れくささで何も言葉を発することができず、その後街までの道のりをただ無言で歩いたのだった。
 あの日のことを思い出すと今でもどきどきが止まらない。ロウとの、初めてのキス。恋人との、好きな人との、初めてのキス。
 いまだに鮮明な記憶はふとした瞬間に脳裏に過っては、私の心を掻き乱してくる。緊張してます、と頬に書いてあるようなロウの顔。震えていた指先。迫る唇。
 ついでに、自分はどんな顔をしていたかな、変じゃなかったかな、鼻息荒くなかったかな、などと余計なことを考えては思いを巡らせた。友人に話しかけられても気付かなかったのはそのせいだ。頭の中でもう何度目になるかわからないあの光景を思い出していた。
 正直研究も手につきそうになかったけれど、最低限の役割はこなさなければならない。これはグループ研究なのだから、私が皆の足を引っ張るわけにはいかないのだ。
 そうして気合を入れ直したはいいものの、
「あれ、もうその部分ならまとめてあるよ」
「……え?」
「リンウェルの負担が大きいから、別の人に振り分けたんじゃない。この間の話し合いでそう決めたでしょ?」
「そういわれれば、そうだったかも」
「もう、リンウェルってば、うっかりさんかと思えば説明過多なこともあるし。ちょっとは信用してくれていいんだよ? 私たちだってちゃあんと要点くらい把握してるんだから」
「ご、ごめん……」
「やだ、冗談だってば」
 けらけらと友人が笑う。
「でもリンウェルは再調査も頑張ってくれたんだし、今日のところは早めに休んだら? 疲れが溜まってるようにも見えるし」
 そうだよ、そうしなよ、とそれに周りの友人たちも同調する。私はその声に背中を押され、皆よりも一足早く帰宅することにしたのだった。
 自宅に戻ってひとり息を吐いた。こみ上げるのは安堵感と、ほんの少しの罪悪感だ。実際はそこまで疲れが溜まっているわけでもないのに、皆に気を遣わせてしまった。私の頭の中にあるのは疲労でもなければ研究のことでもなくて、本当はもっと別のことなのに。
 そうしてまたあの場面がよみがえってきて、胸の鼓動は加速する。何度思い出しても恥ずかしい。まさかあんな、お伽話みたいなことが自分の身に振りかかるなんて。
 だけど、決して嫌ではなかった。ううん、むしろ嬉しいくらい。あの時、私は緊張して照れくさくって仕方がなかったけれど、同じくらい胸をときめかせてもいた。好きな人と触れ合うことは、こんなにも嬉しくて素敵なことなんだと身を持って知ったのだ。
 ――次は、いつするのかな。ふとそんなことが頭を過る。
 いやいや、何を考えているんだろう。この間初めてキスをしたばかりで、もう次回のことを思い浮かべるだなんて。
 でも、少し期待してしまう。次はいつ、どこで、どんな言葉を交わしてキスをするのかな。あれこれと考えては想像を膨らませる。まるで物語を読んでいる時のように。
 こんなにも誰かへの想いを募らせるのは初めてだった。私はロウに早く会いたいなと思いながら、その後の日々を過ごした。

 次にロウに会った時、私たちは揃って街に買い出しに出かけた。
 その日は午前まで雨が降っていたが、待ち合わせの午後になって陽が射し始めた。軒から滴る雨水の名残が、光に反射してきらきらしていた。
「なんかお前、今日機嫌良さそうだな」
「そう? いつも通りだよ」
 私は笑ってそう答えたが、本当はとても機嫌が良かった。いつもなら雨の後は水が跳ねるし、ブーツが汚れるしでそこまで良い気分にはなれないけれど、今日に限っては鼻歌が出そうなくらいだった。
 だってやっとロウに会えたのだ。首を長くして待っていた分、喜びはひとしおだった。
 とはいえそれを直接伝えるのは恥ずかしい。私は何事もなかったかのような顔をしてロウの隣を歩いた。
 買い出しを終えた後は屋台でアイスを買って食べた。ロウがチョコレート味のアイスを「甘すぎるから半分やる」と言うので、私は歓喜しながらおよそ1.5人前のそれをお腹に収めたのだった。
 家で夕飯を食べ終え、お茶を飲みながら談笑していたところで、ロウが宿に戻る時間になった。立ち上がったロウに続くようにして私も席を立った。
「メシ美味かった。ありがとな」
「ううん、こちらこそ買い出しに付き合ってくれてありがとね。たくさん買えたから助かったよ」
 玄関前でそんな言葉を交わし、しばしの別れを惜しむ。これは私たちが顔を合わせ、そして一日を終える際のお決まりの流れでもあった。
 とはいえ今日は少し緊張していた。
 いや、本当はロウと昼間に顔を合わせてからずっとそうだった。ふとした瞬間、頭の中に浮かんでくるそれを必死で振り払いながら一日を過ごしていた。
 でも今、こうしてロウと至近距離で目を合わせると、それはもうどこにも隠せなくなってしまった。この間の帰り道の出来事が再び蘇ってくる。
「リンウェル」
 名前を呼ばれて、心臓が飛び上がる。まるで別の生き物みたいなそれがじわじわとせり上がってくるのがわかった。
 喉元までそれが迫ったところで、
「……じゃあ、またな」
 ロウはそれだけ言って、部屋を出て行ってしまった。
 ――え? 私は呆気に取られた。
 遅れて出た「またね」はきっとロウには届かなかっただろう。私はドアの前ですっかり脱力を決め込んだところで、大きな息を吐いたのだった。
 そんな、この間初めてキスをしたばかりですぐに次がやってくるわけがない。あるいは、今日はそういうタイミングじゃなかった。
 自分にそう言い聞かせては無理やり納得させ、再び何でもない顔をしてロウの前に立ったというのに、ロウはといえば次回も、その次もキスどころか私に触れることさえしなかった。もはや避けられている? というのはさすがに考えすぎだろうけれど、それにしたってこの距離はいったいどうしたことだろう。何か気に食わないことでも言ってしまったか、あるいはそういう態度を取ってしまったか。それにしてはロウはいつものように笑い、からかい、私に叱られては犬のようにしょげて、また何事もなかったかのように笑っていた。私たちの間は険悪でもなければ、気まずい空気でもなかった。
 だからこそ距離より何より、空いてしまった心の隙間が寂しかった。まるで見えない壁にでも隔てられているようだった。
 キスをしてロウに近づけたと思っていたのは、私だけだったの? せっかく触れられたと思ったら、以前より遠くなってしまうなんて、そんなの悲しすぎる。
 とうとうしびれを切らした私は、ロウに直接訊ねることにした。
 ロウが帰り際、また何もせずに去って行こうとした時、私はその腕を引き止めて言った。
「どうしてキスしてくれないの?」
 あまりにストレートな言葉を投げすぎたためか、ロウは「えっ」と声を上げてたじろいだ。
 それでも私は退かなかった。今日こそは決着をつけてやろうと心に決めていた。
「あの日からロウおかしいよ。キスどころか触ってもくれないじゃない」
「そ、それは……」
「私に何か怒ってる? アイス食べ過ぎてるから? 夜更かしし過ぎてるから?」
 これでも最近は気を付けてるつもりだよ、と付け加えて、私はちいさく口を引き結んだ。
「それとも……私のこと、嫌いになっちゃった?」
 一番考えたくなかった可能性を口にすると、思わず鼻の奥がツンと痛んだ。悔しいけれど、悲しいけれど、思いつくのはこの理由しかない。ロウは私と離れたがっているんじゃないか。
 するとすぐさま、
「違う!」
 と反論が返ってきた。大きくて、強い声だった。
「違う、そんなはずねえだろ!」
「じゃあ、どうして?」
「それは……」
 ロウは視線を落として、声のトーンも落として言った。
「お前があの日……キ、キスした後、何も言わなくなっちまったから……」
 思わず「え」と素っ頓狂な声が出て、私はロウの顔を覗き込んだ。ロウは気まずそうに頭を掻く。
「嫌だったのかもって思ったんだよ。そんで、場所が悪かったのかなとか、雰囲気かなとかいろいろ考えてたらあれこれ迷っちまって……」
 それで結局、今夜のところは何もせずに帰ろうか、という結論に至っていたらしい。「毎回がっついてたら、なんかかっこ悪いだろ」
 それを聞いて、私はつい声を上げて笑ってしまった。私たちは互いに大きな勘違いをしていたらしい。相手の心を読もうと顔色を窺い合って、それで間違った答えに行きついていた。
 はじめから言葉を交わせばよかったのに。素直に言葉にして気持ちを伝えていれば、きっとこんなことにはならなかった。
「もう、バカみたい。このすれ違いの期間は何だったの?」
「でも、俺たちらしいっちゃそうかもな。もうこんなことは勘弁だけど」
 当たり前でしょ、と言って私はロウの目を見つめた。その意図はいとも容易く伝わったらしい。まるでこれまでの時間が嘘だったかのように。
 肩に触れたロウの手が熱を持った。その指はあの日ほど震えてはいなかった。
 重なった唇も、今夜はどこか少しだけ余裕が感じられた。本来は言葉を伝え合うための器官で、意思疎通のための器官。私たちはそれのもう1つの使い方を知ったのだ。
 唇が離れて、私たちは視線を絡ませて笑った。喜びの中に照れと緊張がやや残る笑い声だ。
「ねえ、もう1回して」
「それはさすがに可愛すぎるだろ」
 ロウは私をきつく抱き寄せた後で、もう1度キスをした。3度目はより長くて甘い、恋人のキスだった。

 終わり