付き合いたてでまだ恥ずかしいリンウェルと邪険にされるロウの話。(約5,600字)

2024-09 お礼SS

「邪魔しないでよ」
 昨夜から何度も言われていた。これでもう4、5回目だろうか。
 今日は午前の早い時間からシオンとキサラが来ることになっていた。長いこと忙しくしていたキサラの休みがようやく取れたのだそうだ。
 それで、リンウェルの部屋に女子3人が集まることになった。菓子やら飲み物やらを持ち寄ってのおしゃべり会。曰く、女子会と呼ぶらしい。
 リンウェルはこの女子会を心待ちにしていた。何日も前から出す菓子は何が良いかと頭を悩ませ、香りのいい茶葉を商人から買い込み、昨日は苦手な掃除に取り組んでいた。その磨き具合ときたらシンクには顔が映りそうなほどで、床には埃1つ落ちていなかった。俺が以前部屋に呼ばれた時とはまるで大違いだ。
 それくらいリンウェルにとってこの女子会は大切なものだった。予定が近づけば近づくにつれてスキップや、鼻歌が零れてしまうくらいには。
 予定外だったのは、俺の仕事が突然休みになってしまったことだ。もともと頼まれていた商隊の護衛が、荷物がまだ用意しきれていないとかで出発自体が遅れることになった。詳細は追って連絡すると言われたが、俺はそれまで待機となってしまった。少なくとも今日明日中にどうのこうのできる状況ではないだろう。
 とはいえこういう時の時間の潰し方はよく知っている。普段ならこういった暇ができるとトレーニングがてら修練場に通っていた。最近追加された大将監修の挑戦はなかなか骨が折れるので、力の試し甲斐がある。
 そろそろ新技でも開発しようか、それとも精度を上げた方が良いか。そういえばこの間は一番いいところで空中技を外したんだった。あれは決まればかっこいいけど、間合いが難しいんだよな。修練場での実践でコツでも掴めればいいんだけどな、などと考えながら噴水前の階段を上がって驚いた。なんと修練場は設備の点検・補修で1週間ほど休館になっていた。
 それが昨日の夕方のこと。帰って事情を話すと、リンウェルはあからさまに怪訝そうな顔をした。
「え、じゃあ明日どうするの?」
「どうするったって、仕事もねえし修練場も使えねえんじゃどうしようもねえだろ」
「ええっ、でも明日女子会なんだけど! そこにロウが混じるなんて女子会じゃないじゃん!」
 なんとかしてよ、とリンウェルは言ったが、つまりはこういうことだ。『明日は女の子だけで話がしたいから、どっか行って』
 良い扱いとはとても言えないが、それでもここ最近のリンウェルの様子を見ていれば仕方のないことだろう。俺はとりあえず、通りの店が開くまでは別室に引きこもり、その後は女子会を邪魔しないように外出するということで合意してもらった。
 翌日、シオンとキサラは予定通りの時間に訪ねてきた。
「久しぶりね、リンウェル。元気だった?」
「随分待たせてしまってすまないな。お詫びと言ってはなんだが、ケーキを焼いてきた。皆で食べよう」
 玄関先で二人と再会を果たした時のリンウェルといったら、それはもうすさまじいはしゃぎようだった。飛びつきたい衝動は抑えつつも、その瞳の輝きが半端じゃない。その後ろ姿にはぶんぶんと千切れそうにはためく尻尾が見えるようだった。
 俺も軽く挨拶を交わした。二人に会うのは俺自身もかなり久しぶりだった。
「ロウも元気そうね。アルフェンが会いたがっていたわ」
「そうなのか? 今度飯でも行こうって伝えておいてくれよ」
「こうなると、遠くにいるあの人だけが忘れ去られてしまうな。休みが取れたらこっちに来るよう言っておかないと」
「キサラの言うことなら聞くかもな。よろしく頼むぜ」
 盛り上がる会話の隙間にリンウェルが拗ねたような顔で割り込んでくる。
「はい、会場はこっち、ロウはあっち!」
 邪魔しないでね! ともう一度念を押されながら追いやられ、俺は用意された別室に大人しく引っ込むしかなかった。
 別室というのはリンウェルの寝室だった。普段は立ち入りを禁じられているが、リビングの掃除のついでにこちらの片付けも済ませたということで、今日は特別に入室を許可してもらっていた。
 ベッドに寝転がる権利も得たが、「変なことしないでよ」とこれまた念を押された。その時のリンウェルの目といったら、じっとりと執念深く何かを疑うような目だった。
 まだ信用までの壁は厚いか。小さく息を吐きながら、シーツのかかったベッドにごろりと寝転がる。関係性でいえば、ひとつ前に進んだんだけどな。
 リンウェルと晴れて恋人同士となったのは、ついひと月ほど前のことだ。募るだけ募らせて数年越えられずにいた壁を、俺はようやく打ち壊すことができた。
 気持ちを伝えた際のリンウェルの反応はといえば、ぽかんとしていて、と思うとすぐに真っ赤になり、あからさまに慌て始め、ひとしきり混乱した後で最後には小さく頷いてくれた。あの時のことは今思い出しても笑ってしまいそうになる。まさに見たことないリンウェルの詰め合わせだった。
 それから正式に『お付き合い』が始まったわけだが、恋人らしいことができているかと言われるとまったくそんなことはない。どうもリンウェルはまだ照れが拭いきれないようで、なかなか触れさせてくれないのだ。
「だって……こ、恋人ができるのは初めてだから、慣れてないんだもん」
 そんなことを言われたら俺だって慣れていないと反論したいところだが、無理やり迫って嫌がることもしたくない。ここはリンウェルの心の準備ができるまではぐっと我慢しようと決めている。
 そもそも俺たちはそういったスキンシップを取る機会に乏しい。普段はメナンシアとカラグリアで離れて暮らしているのもあって、毎日顔を合わせられているわけでもなく、俺がヴィスキントに来るのだって告白の日を含めてこれで3度目だった。
 そりゃまだ慣れないか、と思う気持ちと、そうはいっても俺たち知り合ってから結構長いよな、と思う気持ちが半々。きっとリンウェルに言わせれば、「それとこれとは別!」なのだろう。恋人という言葉さえ詰まらせているのを見ると、まだまだ先は長いようだ。
 どっちにしたって俺に与えられた選択肢はただ一つだけで、〈お許し〉が出るまでひたすら待つことだけだ。たとえ女子会の邪魔者扱いされようと、別室に追いやられて存在を消されようと、部屋に滞在させてもらえるだけ進展がないわけじゃないと信じることだけなのだ。
 女子会は滞りなく進んでいるようだった。きゃあきゃあと声が壁越しに聞こえてきて、どんな話をしているかはさっぱり聞き取れないが、何やら楽しげであることには違いない。
 時計に目をやりつつ、そろそろ店が開く頃だなと部屋を抜け出そうとした時、
「ロウとは仲良くやってるの?」シオンの声が聞こえた。思わず足を止め、聞き耳を立ててしまう。
「うん、まあ……そこそこ?」濁し気味にぼそぼそとリンウェルが答えた。
「ケンカはしてない? ロウのことだから、失礼なこと言われたりしてないかしら」
「まあリンウェルたちも付き合い自体は長いんだ。その辺は大丈夫だろう」
 何だよ失礼なことって。そこんとこは気を付けているつもりだ、たぶん。
「まあまあロウなんかの話はいいからさ。それより今度、向こうの通りに新しいカフェができるらしいよ」
 おい、今『ロウなんか』って言ったな。聞こえたぞ。
 思わず小さなため息が零れる。恋人になったとはいえやっぱりこの扱い。もはや諦めにも近い。リンウェルの中での俺の順位はシオンやキサラと比べるなら当然下位で、同性の中で言ったってフルルにも負けているに違いない。
 それでもこみ上げてくるのは怒りでも悲しみでもないから不思議だ。どちらかといえば愉快にも近く、言葉にするなら「仕方ない」の一言に尽きる。今更リンウェルに特別扱いしてほしいなどと言う気もなければ、そもそもそんな願望も持ち合わせてはいない。自分が好きになったのはそういうリンウェルなのだと、誰より己が一番わかっていることだった。

 懐の寒い人間が外で時間を潰すというのはなかなかに厳しいものがあった。どこに行っても、何を食べるにしても金がかかる。
 そんな俺には秘密兵器――農場があった。久々に顔を出した農場ではじいさんも動物たちも俺の来訪を喜んでくれた。誰かからこんな熱烈な歓迎を受けたのは久しぶりだ。
 俺は農場でじいさんの手伝いをして、動物たちと戯れ、さらには昼飯までご馳走になりながら休日を楽しんだ。たまにはこういった時間の使い方も悪くないかもしれない。
 家に戻るとまだ女子会は続いているようだったが、邪魔をしないという役目なら充分に果たせただろう。俺は再びリンウェルの寝室に戻ると農作業で疲れた体を癒すため、ベッドで昼寝をすることにした。
 目を覚ましたのはドアのすぐそばで話し声がしたからだ。どうやらシオンたちが帰ろうとしているらしい。
「今度はみんなで集まろうね」
「そうだな。今度こそすぐに予定を空けられるようにしておこう」
「なら、次は私の家はどう? みんなで料理をするっていうのもいいわね」
「それいい! じゃあ男共は買い出しに行かせよう!」
 再びきゃあきゃあと盛り上がりを見せた後で、玄関のドアが開く音がした。やがて二人の気配が消え、辺りには外の喧騒だけが響いた。
「終わったのか?」
 部屋から姿を現した俺に、リンウェルは少し驚いたように言った。
「あ、ロウ。帰ってたんだね」
「おう、ちょっと前にな」
「全然気付かなかった。おしゃべりに夢中になってたからかな」
 ゴキゲンそうに言って、リンウェルは玄関を軽く掃除したり、すぐそばの窓から外をきょろきょろと眺めたりした。
「女子会、楽しかったか?」
 訊ねると、リンウェルの表情はぱあっと明るくなった。
「うん、すっごい楽しかった! いっぱいおしゃべりできたけど、それでもまだ足りないくらい!」
 いろんな話題が出たんだよ、とリンウェルは言った。新しいケーキ屋さんの話でしょ、キサラが見つけた美味しい調味料の話と、それから――。
 話を聞いていて思い出したのは、家を出る前に聞いた一言だ。そこでふと小さなイタズラ心が湧いてくる。
「あとはね、なんだったかな~」
 にこにこと話を続けるリンウェルに、
「俺の話は?」と切り出してみた。
「……えっ?」
 リンウェルは、それはもうわかりやすく言葉を詰まらせる。
「シオンもキサラも俺たちのこと知ってるんだろ? 何か話題にならなかったのか?」
「え、えーと、それは、まあ……少し」
「少しって、どんな」
「それは……いろいろだよ、いろいろ」
 視線を泳がせ言葉を濁し、リンウェルはなんとかやり過ごそうと必死だった。指先同士を合わせ、もじもじと動かしているのは、どうにもきまりが悪いからだろう。
 あからさますぎる挙動に思わず笑ってしまいそうになるが、ここは堪えなくては。俺は大げさなため息を吐き、残念そうな声を作って言った。
「そうだよな。俺『なんか』の話は、大した話題にもならねえよな」
 俺の言葉を聞いた途端、リンウェルは目をまんまるくした。
「な、なんで……! もしかして、聞いてたの!」
「そこだけな。ちょうど部屋出た時に聞こえたんだよ」
 聞き耳を立てていた、とは言わなかった。あくまで偶然、たまたま聞こえてしまっただけ。
 そうでないにしても、初めてできた恋人が自分をどんなふうに評価しているかは気になるところだろう。リンウェルが自分のいない場で、本心を打ち明けられる友人たちの前で何を話すのか。それは不満か、称賛か。後者までとはいかなくとも、「一緒にいて楽しい」くらいの言葉は欲しいかもしれない。
 結局今回それは叶わなかったが。まだそう思わせられない自分の力不足は確かにあるとしても、それを達成できた時、果たしてリンウェルはそれを言葉にしてくれるのか。
 あるいは他の形で表現してくれるのか。せっかく壁を壊したのに、近づけたのに、心が離れっぱなしなのは勿体ない。心と心を繋げるのは言葉だったり触れ合いだったり、そういうコミュニケーションなのだから、リンウェルの方からも何か表現してくれたらと思う。
「仮にも恋人なんだから、もう少し大事にしてくれてもいいんだぜ」
「こっ……!」
 半分は本気とはいえもう半分は冗談のつもりだったが、リンウェルはといえば口を半開きにしたまますっかり固まってしまった。まずい、これはちょっと言いすぎたかもしれない。
 なーんてな、と取り繕おうとした時だった。リンウェルの手が伸びてきたと思うと、それが俺の頬をそっと包み込む。
 唇同士が触れ合ったのは、ほんの一瞬のことだった。柔い、と思う間もなく離れていったそれと同じ色にリンウェルの頬が色づく。
「だ、大事だよ。大事に決まってるじゃん。こんなことは、ロウにしかしないから……」
 シオンにもキサラにも、フルルにだってしない。ロウにだけ。その意味、わかってる?
 たどたどしく紡がれた言葉に思わず体が動いた。その背に腕を回し、強く抱き寄せる。
「ちょっ、調子に乗らないで!」
「好きな奴に好きって言われて、調子に乗らない奴がいるかよ」
「そんなこと言ってないもん!」
「言ってなくたって、言ったのと同じだろ」
 いやかえって言葉にするより強烈だ。やわらかい唇、赤く染まった頬。思い出してはまた顔がにやける。
 望みは口にしてみるものだ。まさかリンウェルの方からキスしてくれるなんて。日ごろから言葉が欲しいと願ってはいたが、言葉が足りないのは自分も同じだったのかもしれない。
「ね、ねえ、恥ずかしいんだけど……」
 そう言いながらもリンウェルはもう抵抗しなかった。腕の中でみるみる大人しくなっていくのがわかる。
 心の準備ができるまで待つ必要もなかったらしい。むしろこうして強引に行動に出た方が効果的だったようだ。
 これからはこうしたやりとりの中で慣れてもらおう。抱き締めたり、キスをしたり、回数を重ねることで生活の中に俺という存在を馴染ませてもらおう。
 嫌とは言わせない。その口実を作ったのは紛れもなくリンウェルの方なのだから。

   ◇

「シオン、どうした? 忘れ物したんだろう?」
「どうしてかしら。なぜか今、このドアを叩いてはいけない気がするの……」

 終わり