ケーキバース。〈蛇の目〉ロウ×リンウェルのif話。グロ表現はありませんが、ロウがちょっとケガしています。軽めのエロ。ビターエンド。(約3,900字)

☆恋ならどんなによかっただろう(2)


「じゃあ、今日も行ってくるね」
 リンウェルは頭をすっぽりとフードで覆うと、留守番を頼む家族に声を掛けた。
「フル……」
「大丈夫、そんな顔しないで。朝までには絶対に帰ってくるから」
 彼――ダナフクロウのフルルがその円らな瞳を伏せて寂しげに鳴く姿を見れば、リンウェルだって後ろ髪を引かれるような気持ちになる。だがこれは自分たちが明日も生き残るために必要不可欠のミッションなのだ。そう言い聞かせて、リンウェルは心を鬼にしてドアを開けた。
「またたくさん食べ物持ってくるね!」
 フルルのやわらかな翼をひと撫でして、リンウェルは部屋を出た。今夜もどうやら風の強い日になりそうだ。 
 結局、あの日リンウェルが持ち帰った食料は二人――正しくは一人と一匹が一週間を過ごすにはやや足りない量だった。
 小麦粉はパンに変え、果物も二人で分け合うなどして節約を重ねはしたが、結局六日目にして食料は底をついてしまった。食料庫に持ち込んだ袋自体も大きくはなかったが、より大きいものを携えたとしてそれを無事に持ち帰ることが出来ただろうか。途中で袋が破れたり、体力の限界を迎えて雪道で行き倒れたりなんてこともあったかもしれないと思えば、致し方ない結果だったのだろう。
 それ以来、リンウェルはどこか諦めもあるだろうが素直に男の元へと通っ
ている。今回で逢瀬はかれこれ四週目にもなるだろうか。フルルには週に一度の割りのいい仕事を見つけたのだということにしているが、いつまで誤魔化せるかはわからない。まだ幼いとはいえダナフクロウは賢い生き物だ。ちょっとした仕草や表情から何かを感じ取っているかもしれない。
 リンウェルの暮らす小さな家から男の家までは早足で三十分ほどかかるが、それには街を経由しなければならなかった。
 街――特に夜の街は、リンウェルは好きではない。
 そもそも〈夜〉というのも光を失ったこのシスロディアにおいては一日におけるおおよその時間帯を示すだけの言葉だ。
 人は〈朝〉に起き、〈昼〉を過ごし、〈夜〉に眠る。そういうリズムを作らされてはいるが、傍から見たら〈朝〉も〈昼〉も〈夜〉も何ら違いはない。それなのになぜか、街に住む人間は〈夜〉に狂い始める。少なくともリンウェルにはそう思えた。
 〈夜〉は一般的に眠る時間とされているため、市場が閑散としているのは理解できるが、反比例するように人通りが増える通りがある。そこで何かを待つように佇むのは女性ばかりで、漂う香水の強い香りはお世辞にも心地よいものとは言えなかった。
 リンウェルが出来るだけ彼女らを目に入れないように横切ると、すれ違うようにして通りに入っていく男たちが数人いた。垣間見た顔は赤く、足取りも覚束ない。もう少し近づいていたら酷い酒精のにおいがしたのだろう。
 先ほどのような男たちは珍しくもない。寧ろ夜の街ではそちらの方を多く見掛ける。大声を上げて言い争う者や、相手に殴り掛かる者。騒ぎに駆けつけてきた〈蛇の目〉も、ダナ人同士の喧嘩だと知れば笑ってそれを見ているだけだ。どうしてこう〈夜〉は人を狂わせてしまうのだろう。何か得体の知れない魔力のようなものでもはたらいているのだろうか。
 ようやく街を抜けそうだという頃、リンウェルは背後から何かを感じ取ると、前に体重を掛けた。足を前に送る速度を増すとバランスを崩しそうにもなるが、積もった新雪がそれを支えてくれた。ほとんど駆けるような格好で裏門を出ると、街灯も松明もない深い闇の中にうまく溶けることができた。数十秒も経った頃、リンウェルが後ろを振り返るとそこにはただ静寂が渦巻くのみで、ほっと息をつく。
 街の裏門を出ようとした時、リンウェルはどこからか視線を感じた。確信はなかったが、だからといって何もしない理由にはならない。あの狂った夜の街から、リンウェルは一刻も早く逃れたかった。
 こういったことは初めてではない。過去に、実際に見知らぬ男たちに追いかけられたことがある。あの時もなんとか相手を巻くことができたが、当時の記憶はとてつもない恐怖としてリンウェルの心に刻まれている。今夜は杞憂だったかもしれないが、誰か目撃者がいたとして、助けてくれる保証もないこの街では、自分の身は自分で守るしかない。

 リンウェルが男の家に着いても、その部屋に明かりは灯っていなかった。辺りに人影がないことを確認して鍵を開けると、リンウェルは素早く中へと滑り込んだ。
 リンウェルが暖房に薪をくべて部屋を暖めていると、不意に冷たい風が流れ込んでくるのを感じた。
「時間通りだな」
 それが、男が部屋を訪れた際のものだとリンウェルもようやく判断できるようになったが、そのあまりの静けさには驚きを超えて感心すらする。
 〈蛇の目〉だから、と男の意味不明な理由付けには納得いかないが、これだけの技量なら、あの日自分が男の気配を感じ取れなかったのも致し方ないのではないかと思うようになった。
「今回の食料はこれな」
 男が背負ってきた鞄を床に置くと、傾いた口からは野菜や果物が顔を覗かせた。手のひら一枚の隙間もないほど詰められているそれは、二人の一週間分の食料としては充分すぎるほどで、リンウェルが直接中身を確認するまでもない。
「……ありがと」
 取引にはそぐわない言葉だと知っていても、リンウェルはそう言わずにはいられない。明日にはどうなっているかもわからない自分らの命を繋いでいるのは、紛れもなく目の前の男なのだ。
 そんな自分の言葉を掻き消すようにリンウェルは上着を脱ぎ、インナー一枚でベッドへと横たわった。
 枕を抱き抱える形で伏せると、すぐさま男が膝のあたりに体重を掛けてくる。今更逃れるわけはないが、まるで枷のようだとリンウェルは思う。
「……っ」
 外気に晒された背に、生温い感触がする。たくし上げられた布は頼りなくリンウェルの素肌を摩った。
 背に触れるのを許したのは意外にもリンウェルの方だった。指を男に嬲られる光景は出来ればあまり目にしたくはないと、今の格好での〈食事〉を提案したのだ。流石に無防備が過ぎると後悔したこともあったが、男の方ははじめに話した通りの行為にしか及ばなかった。ただその舌をもってリンウェルの素肌を味わうだけ。それもきちんとリンウェル自身が許した背中のみに留めている。
「……、……ふ……」
 零れかけた吐息を口元の枕に押し付ける。苦しいほどにそうしていれば気が紛れるような気がした。
 男の唾液が自分の熱を奪っては、乾く前に男の舌が再びそこを覆う。時折耳を塞ぎたくなるような水音を立てるものだから、リンウェルはその度に現実に引き戻される。
「噛んでもいいか」
 初めてそう聞かれた時には真っ赤になって拒否したものだったが、今となってはそれも痛みのない甘いだけのものと知っている。沈黙にて返事をすれば、男はやわやわとその牙をリンウェルに食い込ませた。

「お前、さっき街に居たろ」
 一通りの〈食事〉の後、湯に湿らせたタオルでリンウェルの体を拭いながら男が言った。
「え、うん……」
 濁しかけたのは、見られていたのかという戸惑いと、私生活を覗かれたような不快感からだ。
「それがどうかしたの」
 それを言葉尻に込めたリンウェルだったが、男が続けた言葉に血の気が引いた。
「後ろ、つけられてたぞ」
「……!」
 まさかという驚きと、やはりという思いが連なって過る。あの時感じた気配は気のせいではなかったのだ。
「気を付けろよ。俺みたいな奴ばっかじゃねえからな、【フォーク】は」
 さも自分は違うというような口ぶりには呆れたが、確かに男は誰彼構わず襲い掛かるような連中とは違う。
 それに、自分が【ケーキ】である自覚を持てという忠告はもっともだった。【ケーキ】は生まれながらにして【ケーキ】であるが、【フォーク】は違う。今日そうでなくたって、明日には【フォーク】になっているかもしれないのだ。
「……注意する」
「そうしてくれ」
 一通り身なりを整えるとリンウェルは男が持ってきた鞄を背負い、足早に部屋を出た。
 街では暗がりばかりの別の通りを歩くことにした。暗すぎる道はこれまでなるべく避けていたが、往来が極端に少ないところの方が襲われた際の反撃にはちょうどいいと考えたのだ。
 幸い誰かに尾行されているふうもなく無事に街から出られそうだったが、目端に例の通りを見掛けた。敢えて素肌を晒すような衣服にコートを一枚羽織っただけの女性たちは、寒さを感じさせることもなく絢爛な花瓶の如く佇んでいた。
 それを一瞬だけ視界に捉えると、何事もなかったかのようにリンウェルは門を出る。被ったフードが風に煽られてしまっても気にしなかった。
「ただいま、フルル」
 寝ていてもいいと伝えても、心配性の家族はそれを許さない。嬉しそうに頬ずりをして帰りを喜んでくれる姿を見て、リンウェルはまた肩の荷を一つ下ろした。
 膨らんだ鞄にはいつものように果物や野菜、穀物が詰められていた。駄目元で頼んだ砂糖の小瓶も二本入っていた。
 朝になったらパンを焼いてジャムを煮よう。甘いものは空腹感を紛らすのに最適だ。
 リンウェルは噛み殺していた欠伸を解放してベッドへと向かった。先刻横になっていたものよりはもう少しましな厚みを持ったベッドである。足先は確かにまだ冷えていたが、体を丸めると徐々に熱を持ってきた。それに身を委ねていれば、疲労を溜め込んだ体は次第に夢の中へと沈んでいく。
 ふと瞼の裏に、街見で見掛けた女性らが浮かんだ。
 凍える寒さの中で自分を買ってくれる男を待っている彼女たち。一方で、行為に及ばないとはいえ食料の代わりに体を差し出している私。
 自分と彼女たち、果たして一体何が違うというのだろう。