ケーキバース。〈蛇の目〉ロウ×リンウェルのif話。グロ表現はありませんが、ロウがちょっとケガしています。軽めのエロ。ビターエンド。(約4,400字)

☆恋ならどんなによかっただろう(5終)

「食料の保管場所、やっぱり変えるみたいだぜ」
 まるで他人事のように男は言った。
「俺も見張りから外されるし、もう食料は持って来れねえ」
「そっか」
 そういった結果は予想していたし、リンウェルも咎めることなくそれを聞き入れた。
 今は寧ろ、男がこうして自分の目の前にいることに安堵していた。顔の傷はまだ癒えてはいないが、あの後さらに酷い目に遭ったということもなかったようだ。
「これで取引は終わりな」
 そんなことを言いながら、男は今夜もきちんと食料の鞄を持ってきていた。いつもよりは控えめな大きさであるとはいえ、相変わらずよく膨らんだ鞄だ。日持ちのきくようなものばかりを選んで入れてきたに違いない。
「お前、これから大丈夫なのか」
 これから、と問われてリンウェルは迷う素振りも見せずに「大丈夫」と笑った。
「大した当てもないけど、食料の備蓄なら結構あるから。引っ越すことも考えてる」
 物資の調達ならば大きな街の方が当然楽ではあるのだが、自分が【ケーキ】である以上リスクも高い。人の少ない田舎町の方がそういった懸念は減らせるだろう。
「どこか遠いところで自給自足の生活もありかもね」
「どこまでも前向きだな」
 呆れたように笑った男が手袋を外す。それを見てリンウェルもいつものように上着を脱いだ。
 うつ伏せになったリンウェルに男が跨る。何度も繰り返してきたこの行為も、今日で終わりだ。
「ねえ」
 壁を向いたまま、リンウェルが口を開く。
「今日で最後ってことは、これが〝最後の晩餐〟になるの?」
 語弊があるのは百も承知だ。別に男は味がしないだけで、ものを食べること自体は可能なのだから。
 それでも男には意味が伝わったようで、少し笑ったような口調で「そうなるな」という声が聞こえた。
 自分なら、自分が明日味覚を失ってしまうなら。
 ふと考えてリンウェルは男の体を押しのけると、正面に向き直る。
「最後なら、好きに食べてもいいよ」
 語尾を震わせながら、おずおずと顔を上げたところで男と目が合ったのが合図だった。
 ぶつかるように唇が重なると、これまで背をなぞるばかりだった男の舌がリンウェルの咥内へと押し入ってきた。戸惑うリンウェルの隙間をこじ開けて、我が物顔で暴れ回る。
「美味い」
「……ちょっ……!」
 正直唇を奪われるとはリンウェルは思っていなかった。腹でも胸でも好きにしたらいいという意味で言ったつもりが、まさか。
 追いつかない思考ではどうすることもできず、必死に逃れようとするが後頭部を抑えられていてはそれも許されない。
「ま、まっ……!」
「名前、教えろよ」
 息継ぎの僅かな隙に胸を押し返そうとしてみても、男はびくともしない。
 寧ろ弄ばれるように何度も唇を啄まれ、その度にリンウェルの抵抗は弱くなっていく。
「なあ」
「……リ、リンウェル」
「リンウェル」
 他人の口から自分の名を聞くのはいつぶりのことだろう。こんな距離で甘く囁かれるようなそれは、まるで自分でない他人のもののようにも思える。
「そっちは?」
「俺のは別にいいだろ」
「よくない」
「覚える価値もねえよ」
「それは私が決める」
 強気に押しを決め込むと、男は「ロウ」だと白状した。
 満足そうに微笑んだリンウェルの唇をロウが再び塞いでしまえば、部屋に響くのは漏れ出す吐息と、布が擦れ合う音だけになる。
 今度は完全にベッドに押し倒される形になると、おのずと次に及ぶであろう行為には察しがついた。
「あんっ、」
 留めるよりも一歩早く零れてしまった声に頬がかあっと熱くなる。捲られた布から垣間見えるロウの舌は、リンウェルの胸の突起を嬲っていた。先端同士を触れさせるだけの僅かな刺激にさえもリンウェルの身体はつい反応してしまう。
「背中とはまた違った味なんだよな」
 独り言か報告か、そんなのはどうだっていい。
 こういった行為に及ぶのが初めてのリンウェルにとっては、与えられる刺激のすべてが強すぎる快楽で、ただ甘い嬌声を上げ、体を跳ねさせることしか出来なかった。
それでもロウは口元を隠すことも許してくれない。押さえつけられた腕はびくともせず、これまで随分と手加減されてきたのだと知った。吸いついてくる唇も、皮膚を滑る舌も、やわく食い込ませてくる歯牙も、今夜はまるで遠慮がなかった。許す、という行為の重みを、今この身をもって知ったのだ。
 当初想定していた通り腹も胸も散々食われ尽くした頃、リンウェルのショートパンツにロウの手が掛けられた。痺れ切った体でも流石にその行為には身体がこわばるのを感じ、「待って」なんて情けない声が出てしまったことには若干の恥ずかしさを覚えた。
 何を今更と言われればその通りで、唇も上半身も好きに弄らせておきながら下半身は駄目です、というのは如何なものだろう。そもそも誘ったのはこちら側だといわれても致し方なく、この期に及んで拒否するなどあまりにもムシがいい話だ。
「無理すんなよ」
 それでもロウは呆れるふうでもなく、大真面目にそう言った。
「嫌がることはしたくねえし」
 その言葉が生来の性格から来ているものだとしたら、〈蛇の目〉にはどこまでも似つかわしくない存在だと思う。それとも隊服を脱ぎかけた今はもう、隊員ではないのだろうか。
 それにその体に宿す熱にだって気づいている。舌や唇は当然、指先から伝わってくる温度は、自分のものとほとんど変わらないか寧ろ高いくらいで、触れる度に境界が曖昧になる感覚が心地よいとさえ思えた。
 嫌だとは思っていない。そんな意思表示として腰を浮かせてみれば、するすると布が脚を伝っていくのがわかった。下着一枚となったそこは酷く頼りなく、降り注ぐ視線を振りほどこうにも逃げ場はない。
「ぁ……」
 自分のでない指が下着をなぞると、吐息が漏れた。確認せずともわかる、相当自分は濡らしてしまっている。
 ほとんど役目を果たせない布が押しのけられると、次の瞬間ロウが秘部へと舌を這わせはじめた。
「あっ、あ……! だめ、そこは……っ!」
 荒い息遣いで脚の間に顔を埋める男はまるで獣のようだ。目の前の獲物にただ食らいつき、己の欲を満たしている。
 酷くあさましい姿のはずなのに、自分がそれを受け入れてしまっているのは一体どういうことだろう。腰をがくがくと震わせて、まるで自ら誘っているみたいだ。
 ロウが張り詰めた男性器を取り出しても、リンウェルの覚悟は揺らがなかった。流石に初めて見るそれにはほんの少し目を奪われてしまったが、嫌悪感とかそういったものは微塵もなかった。
 ロウが迫るとその影が自分に落ちているというだけでリンウェルの胸は酷く高鳴った。まるでぴったりと肌を合わせているのかと錯覚してしまうほどの熱が身体中に宿る。
「やめるなら今だぞ」
 それは警告のつもりだろうか。私への? それとも自分自身への?
 何を今更、という文句の代わりに、リンウェルは無言でロウを見つめる。沈黙は了承の合図だったはずだ。
 お互いに息を呑むような間があってから、ロウの身体が動いたのに続いて中に何かが押し入ってくるような感覚があった。徐々に空間を広げながら迫ってくるその息苦しさに、リンウェルの目端からは涙が零れる。
「痛いか」
 切なげな声は今にもどこかへと行ってしまうような気がして、リンウェルは思わずロウの首に手を回す。感じる体温は確かで、離すまいと力を込めれば自然とその距離が近づいた。
 恋人であったなら、この一瞬も喜びの瞬間となっていたのかもしれない。相手と一つになって結ばれた幸せを噛み締める。愛の言葉を囁いて、お互いの熱を分け合う。苦しい生活の中では、強い絆が支えとなることもあるだろう。
 そんなありふれた営みさえ、今の自分には果てしなく遠いもののように思えた。独りで生きてきて、これからもそうなのかもしれない。例え誰かと家庭を持つことはあっても、全てを打ち明けられるとは思えない。
「大丈夫か」
 こんな一度限りの相手にさえロウは優しい。お互いの秘密を打ち明けたロウとならうまくやっていけるかもしれない。そんな浅はかな考えが過らないこともない。
 だがそれは幻想だ。肌を重ねた相手を近くに感じることによる[RB:夢幻,ゆめまぼろし]。
 だって自分はロウのことを何も知らない。出身も年齢も、〈蛇の目〉にいる理由も知らない。ロウという名前だって偽名かもしれない。
 ロウが気遣いのできる人間で、持ってくる食料は一週間分をはるかに超えていて、人より身体が頑丈で、約束は守る男だと知ったところで、結局自分はロウを何も知らないのだ。
 自分たちが重ねているのは情であって恋慕じゃない。足りない部分を求めて文字通り慰め合っているだけ。
「ロウ……っ、」
 切なさの中で零れたのはただその名前だった。
「ロウ……、ロ、ウ……!」
 明日には他人となる男の名を何度も呼ぶ。例え数年先忘れてしまっても、今この瞬間だけは男のことを体のどこかに刻んでおきたかった。
 男が果てた後のことはあまりよく覚えていない。疲労からか瞼が重くなると、徐々に薄れていく意識の中で男が髪を撫でる感覚がした。腹の上のぬるりとした感触は、今思えば男の吐き出した精だったのだろう。最後まで律儀なのはいかにもこの男らしいと思った。

 ロウが目を覚ますと、もうそこにリンウェルの姿は無かった。すっかり冷え切った部屋からは甘い香りも消え、数時間前まで誰かと共寝していたようにはまるで思えない。どうやらリンウェルに出会う前のただ物悲しいだけの部屋に戻ってしまったようだ。
 ドアの前には自分がリンウェルのために持ち込んだ食料鞄が転がったままだった。膨らみもそのままで、どうやら中身だけを抜いたというわけでもないらしい。折角持ってきてやったのにと思う気持ちは多少あれど、あのリンウェルの行動ならばそれもふさわしいと思った。
 ロウが鞄を持ち上げようとするとその上に何かが乗せられている。まるで鞄を台座のようにして鎮座するそれは円筒型の缶だった。蓋には花のデザインが施されており、一見高級な茶葉でも入っていそうな外観だ。だがそうでないことはロウには分かっている。
 缶の中にはロウの予想通り、白い紙に包まれたクッキーが入っていた。自分が一枚強請った時と同じ形の、リンウェルお手製のものだ。
 真面目な奴、と一言呟いて、ロウはクッキーを一枚手に取ってみる。よく見ると茶色の粒がところどころに入っていて、この間食べたものとは少し違っているように見えた。恐る恐る齧ってみると、サクサクとした食感に紛れてポリポリと小気味良い音がする。どうやら茶色の粒はナッツなどを砕いたもののようだ。味が楽しめないならとリンウェルなりに考えたアイデアだったのだろう。
 ロウは小さな窓の向こうで降り続ける雪をじっと見つめる。ドアを開けてみても、足跡すら残っていないことは分かっていた。それでもほんの少し、追いかけてみたい気持ちにもなる。もう一言くらい、何か言葉を交わせばよかったとも。
 もう一枚クッキーを手に取ると、ロウはそれを口に放り込む。飲み込んだ喉の奥でバターが甘く香った気がした。

 終わり