リンウェルがカラグリアにいるロウに会いに行く話。ハッピーエンド。捏造幻覚たくさん。キサラ+リンウェルの会話中心SS「食事と幸せはよく噛むべし」と繋がっています。(約3,900字)

ただいまとおかえり(4)

 翌日は朝食と着替えを済ませると宮殿へと向かった。しばらく家を空けることになるならあらかじめ誰かに知らせておく方がいいと思い、司書を務める友人に伝えることにしたのだ。彼女なら共通の知人も多いし、何か聞かれた時には上手に説明してくれるだろう。ヘンにおしゃべりでもないため、みだりに触れ回ることもきっとない。
 とはいえ理由付けには少し困った。昔の仲間に会いに行くと正直に言っていいものかどうか。彼女にはロウの話題を出したこともあるし、なんでもないふうに話せばいいのだろうけれど、「なんで今?」と言われたら上手く答えられそうにない。だからといって「調査のため」なんて嘘をつけば後で「結果はどうだった?」と聞かれてしまうだろうし――。
 散々悩み、正直に理由を述べることで覚悟を決めたのに、彼女が返してきたのは「そっか、気を付けてね」の一言だけだった。
「……そ、それだけ?」
「あ、お土産期待してるよ。鉱石がたくさん採れるんだよね。あたしアクセサリーとか好きだから」
 好きな色は赤色、とおまけのようにつけ足して、彼女は私を見送ってくれた。
 拍子抜けすると同時に心もふっと軽くなった。もうこれで憂いはない。あとは用意した荷物を持ってカラグリアに向けて出発するだけ。
 昼過ぎに街を発つと、馬車は軽快に街道を越えていった。海洞の近くに新たに整備された道を通ってシスロディアに入る。予想通りの気温だったけれど、それも昔と比べたらそこまで寒さは感じない。フルルもフードの中だと少し暑いくらいなのか、私の膝の上で昼寝をしていた。
 シスロデンに着いたのは夕方だ。今日はここで一泊して、翌日に備える。
 翌朝の出発はまだ夜も明けきらない頃だった。遠くの空がほのかに白むのを横目に眺めつつ、馬車に乗ってシスロデンを出る。
 シスロディアからカラグリアまでの道はメナンシアの間ほど整備が進んでいない。環境が厳しいのもあってなかなか人手が足りていないのだ。
 そんな話を昨晩夕飯を食べた店で聞いた。メナンシアとの交易が安定して食料には困らなくなってきたが、カラグリアとはまだそうもいかない。あっちで採れる燃料はここでは重宝するから、早いとこ南側の整備を進めてほしいなあ。どこかのテーブルから聞こえてきた声だ。
 願っているだけでは叶わない。本当に求めるなら自分から動くべきだ。いつか誰かが口にしていたことが思い出される。
 それでも、自分の力だけじゃどうにもならないこともあるだろ。そういう時に少しでも手伝えたらなって思うんだよな。頭使うことは無理でも、ズーグルを追っ払うことくらいは俺でもできるからな。
 以前そんなことをロウが言っていたっけ。一緒に食事を摂りながら自分の志について話していたことがあった。
 ズーグルを追い払うことだって誰にでもできることじゃない。誰もが戦えるわけじゃないんだよ。ロウってばいつも変なところで自信がないんだから。もっと自分に胸張ってればいいのに。
 当時の私は密かにそんなことを思った。直接そう言ってあげられれば良かったものの、面と向かって口にする勇気だけがどうしても持てなかった。
 あれこれ考えているうち、周りの景色は白色から赤色へすっかり様変わりしていた。いつの間にか国境を越えていたらしい。
 ウルベゼクに着いたのは昼前だった。思った通り気温が高く、吹く風に混じる砂粒が素肌を刺した。久々に来たけれど、やっぱりここは他領より段違いに厳しい気候だ。
「フルル、大丈夫?」
「フル~……」
 フルルはカラグリアに入った途端、私の膝の上で溶けかけたアイスクリームのようになっていた。できるだけ日射しを避けようとフードの中へと逃げ込むが、それはそれで分厚い布が暑苦しいらしい。すっかりしょぼくれてしまった顔にはもう一昨日の気合なんか見る影もない。
 とりあえずロウを探そうと思ったが、その向かう先に心当たりはなかった。かといってウルベゼク中を探し回っていればフルルが完全に溶けてしまう。
 誰か知っている人はいないかと、私は〈紅の鴉〉の拠点を訪ねることにした。階段を上った先で慰霊碑に祈りを捧げ、すぐ隣の建物を覗き込む。
 中を見回してみて、見知った顔を見つけた。今現在〈紅の鴉〉の取りまとめ役をしているネアズだ。
 声を掛けようとした時、先にネアズがこちらに気付いた。
「あんたはロウの、」
「こんにちは。急に来ていきなりだけど、ロウはいる?」
 その瞬間、背後で「リンウェル!?」と大きな声がした。
 振り向くと、ロウが入口のところに突っ立っていた。大きな目をさらに丸くし、口をあんぐり開けたままで。
「ロウ、いたいた。探したよ」
 言うほど駆け回ってはいないけれど、探していたのは事実だ。ほっと胸を撫で下ろし、ロウの元へと駆け寄る。
 再会は実にひと月以上ぶりだ。もしかしたらふた月近いかもしれない。これほど間が空いたのは初めてのことだ。
 なのにロウは私の顔を見るなり、
「な、なんでお前がここにいんだよ」
 とものすごく焦った顔をしてみせた。
「なんでって、ロウが来ないから私が来てあげたんじゃない。何にも連絡寄越さないから」
「うわっお前、ここでそういうこと言うなって!」
 私の口を手で塞ぎそうな勢いでロウは私を建物の外へと連れ出した。強引に手を引かれるまま、ネアズに「ありがとう」も言えなかった。
 あまり人目につかないところまで来ると、ロウはようやく私の手を離した。
「そんで、何の用だよ」
 ため息を吐きながらの物言いには少しカチンときたけれど、もしかしたらロウは動揺しているのかもしれない。もしそうならロウを驚かせる作戦は大成功といったところだ。
 それでも用はと聞かれると返答に困った。私は咄嗟に、
「べ、別に用はないよ。ないけど、強いて言うなら友達にアクセサリーでも買おうかと思って」
 と適当に取り繕う。ロウに会いに来たなんてそんなこと、とても言えそうになかった。
「はあ? なんだよそれ。そのためにわざわざ来たってのか?」
「そうだよ。いいでしょ、別に。カラグリアのためにもなるし」
 我ながらちっとも可愛くない。これでは恩を売りに来たと言っているようなものだ。
「まあいいけどよ。お前、行くあてはあんのか? 宿とか部屋とか」
 そう聞かれてはっとした。フードの中身が微かに揺れる。
「そうだ、フルル。フルルがへばっちゃってるからどこかで休みたいんだけど、いい場所ない?」
 そっとフードの中を指し示すとロウはそれを覗き込み、やれやれと息を吐いた。
「宿の部屋で休めって言いたいとこだけど、あそこ夕方からなんだよな。最近は混んでるって話も聞くし」
「そんなあ……」
 思わず肩を落としていると、ロウはやや考え込んだ後で、
「なら、とりあえず俺が借りてる部屋で休んどけ。狭いし砂っぽいけど、日よけくらいにはなるだろ」と言った。
 ロウがあまり乗り気ではないことはすぐに分かった。それでもロウは気持ちがまったくないのにそういうことを言う人ではない。
「ありがとう、助かる。お言葉に甘えて使わせてもらうね」
 私がそう言うとロウは「おう」と小さく呟いて、今来た道を引き返し始めた。
 ロウの部屋はウルベゼクの街から少し先に行ったところにあった。
「あちこち行くからあんまり使ってねえけど、こっちにいる間はここに寝泊まりしてんだ」
 ロウの言った通り、そこはあまり広い部屋ではなかった。ちょっと埃っぽい床に小さいベッドと机が一つずつ。キッチンは簡素な作りで調理器具の類は見当たらない。奥の扉はバスルームだろうか。手前の物干しにはタオルが数枚掛けられていた。
「これ、渡しとく」
 ロウがそう言って机の引き出しから取り出したのは小さな鍵だった。どうやらこの部屋のものらしい。
「必要なら使えよ。まあ、この辺りは人通りも少ねえだろうけど」
 ロウはそう言うが、鍵をかけるに越したことはない。防犯面からいっても、プライバシーの観点からも。
 一通り説明し終えると、ロウは仕事に戻ると言って部屋を出て行った。終わるのはどうやら夕方くらいになるらしい。
 私はフルルをフードから出すと、一番涼しそうな箇所を探してそこに寝かせた。日陰になって少し元気を取り戻し始めたのか、溶けかけたアイスクリームは柔らかい大福もちくらいには復活していた。
 これでひとまずは安心できそうだ。ほっと一息つくと気が抜けたのか、自分の体にも疲れがどっと押し寄せた。いくらロウに会いに来たといってもここは縁の薄いカラグリアだ。それなりに気を張っていたらしい。
 おまけに今朝は早起きだった。ふああと大きな欠伸が出て、自分も少し休もうと思ったけれど、そういえばこの部屋には椅子がないことに気が付いた。
 目に入ったのはロウのベッドだ。ちょっと失礼します。心の中で呟きながら縁に腰かけると、思いのほか軋む音が大きく響いた。敷かれている毛布は平べったくて、少し硬い。
 毎日ロウはここで寝てるの? というか、こんなベッドで疲れが取れるの? 見た目より寝心地がいいとか? 疑念か好奇心かよく分からないものがふつふつと湧き上がってきて、とうとう魔が刺してしまった。
 少し試すだけ、少し寝そべってみるだけ。誰に対してなのか分からない言い訳を頭に浮かべつつブーツを脱ぐと、私はひと息にロウのベッドへと寝転がった。どきどきと鳴り始める心臓は警報のようで、まるで悪いことでもしているかのようだ。
 そんな緊張もはじめだけだった。ふと息を吸い込んだ時、なんだかひどく安心した。私はこの匂いを知っている。どこかで嗅いだことがある。どこだったっけ。どこで嗅いだんだっけ――。そんなことを考えているうち、私はいつの間にか眠りに落ちてしまっていた。