リンウェルがカラグリアにいるロウに会いに行く話。ハッピーエンド。捏造幻覚たくさん。キサラ+リンウェルの会話中心SS「食事と幸せはよく噛むべし」と繋がっています。(約2,800字)

ただいまとおかえり(5)

 ふと目を覚ますと、私は思わず飛び起きた。窓の外に目をやると日はまだ高く、どうやらそこまで時間は経っていないようだ。
 ほっと息を吐きながら辺りを見回す。そういえばロウの部屋に来てるんだっけ。ロウの部屋。ロウが毎日生活している部屋……。
 それにしては生活感が薄いけれど。まあ本人も「寝泊まりしている」と表現していたし、暮らしているという感覚とはちょっと違うのかもしれない。
 それでも毎日使う場所には変わりない。だったらもう少し気分良く過ごせるようにしてもいいと思うんだけどな。
 そこで一つ閃いた。ロウが仕事から戻ってくるまでにこの部屋を掃除しておいてあげるというのはどうだろう。床も窓も埃っぽいし、洗濯物もその辺に放りっぱなしだ。それらをきれいにして片付けておけば、ロウはきっと驚くに違いない。
 よし、と思い立ったが、なんとこの部屋には掃除用具が存在しなかった。箒もバケツも雑巾の1枚さえ見当たらない。戸棚を片っ端から開け放ってようやく見つけたのは、食器を洗うスポンジ1個だけだった。
「あまり使っていない」と言ってはいたものの、まさかここまでだなんて。ちょっと呆れながらもそのくらいは買い足しておいても問題にはならないだろうと思い、私は街に買い物に出ることにした。お腹も空いているし、ついでに昼食も買って来よう。
 フルルには留守番を任せ、ロウの部屋を出た。もちろん鍵はしっかりとかけて、戸締まりは万全だ。
 街まではそう遠くない。先ほどロウと歩いた道をそのままなぞるように戻って行く。
 雑貨屋で掃除用具を買い、食堂に寄ってサンドイッチを持ち帰り用に包んでもらった。食後のデザートとしてグラニードーナツを買いにココルの元へ向かおうとした時、向こうの階段から見覚えのある人物が下りてくるのが見えた。
 ロウだ、と思うと同時に、その隣を歩く女の子に目がいく。――誰?
 年齢は自分たちと同じくらいか、少し上だろうか。後ろでまとめた髪がよく似合うはつらつとした感じの女の子だった。
 ロウは私の存在には気付かず、女の子と会話を交わしながら表情をころころと変えていた。真顔から焦ったような表情になったかと思うと、続いてホッとしたような顔になる。そしてまたいくつか言葉を発し、最後には楽しそうに笑っていた。思えばこれが、私が今日初めて見るロウの笑顔だったかもしれない。
 一連の流れを見て、どうしてか私はすっかり気落ちしてしまった。ドーナツも買わずに元来た道をふらふらと引き返し、気付けばロウの部屋の前へと戻っていた。
 鍵を開けそのままベッドに座ると、ぼうっとしたままお弁当のサンドイッチを食べた。見た目はとても美味しそうなのに、口にすると味がよく分からなかった。ただレタスが口の中でシャキシャキ音を立てる。
「フルー!」
「あっ」
 フルルはといえば、カラグリアのサンドイッチが気に入ったようだった。ちょっと目を離した隙に具材のチキンが食べ尽くされてしまい、私の昼食はただの野菜サンドになってしまった。
「こら、偏食はダメって言ってるじゃない。食べすぎもダメ」
「フル……」
 あからさまにしょげているフルルだけれど、そういう無邪気なところが可愛いと思う。天真爛漫なフルルを見ていると、まるでこっちの邪気まで払われるかのようだ。
 うん、さっき見たことは忘れよう。せっかく掃除道具を買いに行ったんだから、せめて無駄にしないようにしよう。
 そう心に決めると私は残りのパンを頬張り、ジュースでそれを流し込んで立ち上がった。
 ロウの部屋をきれいにするにあたって一番大変だったのは床の掃除だった。床といっても木造りのメナンシアの家とはずいぶんつくりが違う。もうほとんど外と同じような土の上に壁と屋根を付けただけの建物なので、どこを床と呼んでいいのか分からない。
 とりあえずベッド周りや机のあたりを集中的に箒で掃くと、おびただしい量の砂が出てきた。自分はついさっきこの中で眠っていたのかと思うとちょっと背筋が震えた。
 床の掃除は早々に諦めて、次に窓や机を雑巾で拭いた。やっぱりこちらにも砂が多く、雑巾はすぐに土色になったが、窓や机は床とは違って目に見えてきれいになるのが分かった。
 一方で部屋の片付けにはそこまで時間はかからなかった。まずそもそもこの部屋には物が少ない。自分の部屋とは違って本などの趣味のものもほとんど見当たらない。
 だから片付けといってもその辺に転がっている洗濯物を畳むだけで良かった。ついでに物干しのタオル類も片付けてあげよう。
 衣服やタオルを広げていると、その中にいくつか裾がほつれているものや穴の空いているものを見つけた。靴下は親指の付け根の部分が大きく破れていて、もはやそこから指が出せてしまいそうだ。
 繕ってあげたかったが、生憎今日は道具を持ち合わせていなかった。自分の部屋ならキサラのお下がりの裁縫セットが置いてあったのに。
 肩を落とすと同時に、こんなになるまでロウは頑張っているんだなと感心した。タオルだってきちんと洗濯はされているものの、使い古されて表面がゴワゴワしている。新しいものを買えばいいのにそうしないのはお金がないからか、あるいはまだ使えると踏んでいるからか。
 服の穴だって、私のところに来た時に言ってくれれば縫ってあげるのに。そりゃあキサラみたいに上手くは繕えないかもしれないけれど、そのキサラに習ったのだから多少は信頼してくれてもいいのにな。
 そんなことを考えながらふと思った。今のこの状況はとても不思議だ。ロウの部屋で掃除やら片付けやらをしながらその帰りを待つ。穴が空いたロウの衣服をどう繕うか考えている。
 昔似たような光景を見たことがあったような気がした。そうだ、あれは私がまだ幼い頃、父さんが出かけている間に母さんが編み物をしていた時だ。母さんは私に「夕飯何にしようか?」と訊ね、あれやこれやと案を出しているうちに家の扉が開いて、父さんが「ただいま」と戻ってきた。母さんが「おかえり」と言って父さんのコートを暖炉の近くに掛けて、父さんの帰りを喜ぶ私はその背中に飛びついていた。
 その瞬間、家族、という言葉が頭に浮かんでくる。今のこの状況はあの時の私たち家族にちょっと似ている気がした。かたやあっちは雪深いシスロディア、かたやこっちは熱風吹き荒れるカラグリアで暖炉も本棚もない部屋なのに、どうしてか私はそんなことを思った。
 そうすると母さんが私で、当時の私がフルル? なら父さんは、ロウ? それってつまり――?
 たちまち頬に上ってくる熱をかぶりを振って振り払う。待って待って、今考えるべきはそういうことじゃなくて。
「フル?」
 そんな私の様子を見て、隣にちょこんと座っていたフルルが首を傾げた。
「な、なんでもないよ」
 私はそう言ってフルルの羽をひと撫でする。そう、なんでもない。これはただの私の妄想。
 妄想だけど。現実とは違うけれど。
 ちょっとだけ、ほんの少しだけ、そういう未来を見てみたい気もした。