その後、3人(2人+1匹)で食事に行った。入ったのは、ロウが行きつけにしているという街の食堂だ。
そこは私が昼間訪ねたところとは違って、もっと大衆的なお店だった。平日の夜だというのに席もほとんど埋まっていて、私たちで満席となるくらい盛況だった。
「仕事終わりは大体ここに来るんだよ。ひとりの時もあればネアズとかガナルと来ることもある」
注文した料理はどれもとても美味しかった。安いのにそれでいて量も多い。
「ヴィスキントだとこの値段なら半分の量もないかも」
「だろうな。この店は安くて美味くて、おまけに料理が出てくるのも早いからな。俺向きってわけだ」
それにしては野菜の一部がまだ皿に残ってるんだけど。視線だけでそれを指摘してやれば、ロウは一瞬うえっと舌を出した後でしぶしぶそれに手を付けていた。
店を出た私たちが向かった先は宿屋だったが、そこで思いもよらないことを言われた。
「すみません。今日は満室です」
私は思わず「えっ」と声を出し、ロウは隣で頭を抱えた。
「最近はかなり混んでるって聞いてたけど、まさか本当だとはな。こんなとこの宿が埋まるわけねえだろって高くくってたぜ」
私も自分の見立てが甘かったことを反省した。次来るときはきちんと宿の予約を取ろうと思った。
「ねえロウ、」
私は声のトーンを一つ上げて、
「泊めて?」
ロウにそうお願いした。
ロウは頭を掻きながら、
「……なんとなく、こうなるんじゃねえかなって気はしてたけどよ」と深く息を吐く。
「それって、期待してたってこと?」
「ち、違えよ! 嫌な予感は当たるって言ってんだよ!」
「嫌な予感、ねえ……」
「フル……」
「あ、いや、それも違うけど……!」
慌てるロウの様子をフルルと視線を合わせて笑い合う。ようやくいつもの私たちに戻ったようで、私はこの居心地の良さを噛み締めていた。
ロウの部屋に戻ると、私はシャワーを借りた。今日一日で纏った砂やほこりの量は相当のものだ。それらを全部石鹸で洗い流してやれば身も心もすっきり軽くなった気がした。
休む準備を一通り済ませると、私はロウのベッドの前に立った。
「じゃあお邪魔するね」
「おう……」
「壁側使わせてもらうから」
「おう……」
ロウの視線を感じながらシーツと毛布の間に潜り込む。とはいえカラグリアは夜中も暑いくらいなので、毛布はそこまで必須ではない。その用途といえばお腹を隠すか顔を隠すかくらいのものだろう。
仰向けになってちらりとロウの方を見やれば、その表情にはいまだ躊躇いがありありと見て取れた。落ち着かない視線と、何か言いたげな口元。そこまで緊張されるとこっちにまで感染ってしまうのに。
私が壁の方を向くと、ようやくロウの気配が近づいた。ベッドが二人分の重さで軋んだと思うと、腰のあたりにかかっていた毛布が不意に引っ張られる。布の擦れ合う音がやけに大きく部屋に響いて、やがて静寂が私たちを包んだ。
背中にはロウの体温を感じていた。ぎりぎり触れ合ってはいないけれど、確かにすぐそこに自分でない存在がある。かつて旅の途中、戦闘だったり料理当番だったり触れる機会は何度もあったはずなのに、今はそのどれよりもロウに近づいている気がした。ただ背中合わせになって同じベッドに入っているだけ。それなのにどうしてそんなふうに感じるのだろう。
「お前は……平気なのかよ」
ふと後ろで呟くようなロウの声が聞こえた。戸惑っているようで、ちょっと拗ねているような、そんな声だった。
私はふふっと笑って、
「平気じゃないよ」
と言った。
「えっ」
「慣れない土地にフルルと二人旅で、おまけに頼りにしてた人からは冷たい扱い受けるんだもん」
「だ、だからそれは本当に悪かったって……」
今にも消え入りそうなロウの謝罪に私のイタズラ心はすっかり満たされた。
「ウソウソ。もう気にしてないよ」
とはいえ半分くらいは本気だ。本気で、あの時はもう帰ってしまおうと思った。
「それに、私もロウのこと何も考えてなかったなって反省した」
思えば余裕が無かったのは私も同じだ。ロウを驚かせたい、喜んでもらいたい一心で周りのことが見えていなかった。ロウの立場になって考えることをしなかった。
「何も知らせずにいきなり現れたら当然驚くよね。それが目的ではあったんだけど、それより喜んでくれるんじゃないかって自分基準で考えてた」
そう自分で口にしながら、改めて情けなくなってくる。
「部屋も勝手に掃除なんかしてごめん。ロウにだって見られたくないものの一つや二つあるよね。本当、独りよがりだったと思う」
背後でロウが「いいや」と呟く。
「お前が来てくれたことももちろんだけど、掃除にも感謝してるんだぜ。自分じゃやらなかったと思うし。本当にされたくないならそう言えばいい話だしな」
ロウは明るい口調で言った。
「俺の場合は好きにしてくれていいってことだ。別にお前に見られて困るようなもんは置いてねえと思うし。……たぶん」
最後の部分だけ見事に小声になったロウに、思わずふふっと笑い声が漏れた。どこまでも格好がつかないところが実にロウらしい。
「確かに変なものは置いてなかったけど、服は破れてたよ。何枚かはもはや風穴が空いてたね」
「げっ、まじかよ。やけに風通しが良いなって思ってたんだよな」
「カラグリアならいいかもしれないけど、シスロディアだと風邪引いちゃうよ。今度うちに持っておいでよ。繕ってあげる」
「いいのか? 金払えないぜ?」
「ちょっと、私を何だと思ってるの? 買い出しとか遺跡探索に付き合ってくれればそれでいいよ」
「結局タダじゃねーじゃねえか」
そう不平を言いつつも、「まあそれならいつもと変わんねえか」とロウが小さく笑ったのが分かった。
と同時に、欠伸を噛み殺すような声も聞こえてきた。私も段々瞼が重たくなってくる。
まだ起きているうちに聞いておきたいと思った。思い切って寝返りを打つと、咄嗟に振り向いたロウの顔がすぐそばまで迫る。
「リ、リンウェルさん……?」
戸惑うロウに、私は訊ねた。
「さっき、私は平気なのかって聞いたよね。あれって、どういう意味?」
ロウの目がこちらを捉えたまま、大きく見開かれる。
「もし平気って言ったらどうなってたの? 逆に平気じゃないって言ったら? ロウはなんて返してくれたの?」
「それは……その……」
「……」
「あー……、っと……」
もごもごと何かを言いかけて、言おうとして、喉のすぐそこまで出かかった言葉をロウは、――飲み込んでしまった。重なっていた視線は逸らされ、その辺を不自然に泳ぎ始める。
私は知っている。こうなってしまったロウはこれ以上何も言えないままか、あるいは話題を変えてしまうかのどちらかだ。
私は心の中で大きなため息を吐いた。今夜もやっぱりダメみたい。
私はふっと笑うと、「まあ、平気かどうかはともかく、安心はしてるんだけどね」と言った。
「あ、安心?」
「フルルがいるんだから、変なことは起きないってこと」
フル、と頭のすぐ上で声がする。ここからきちんと見張っていますよと言わんばかりに。
「あ、変な気って言った方が良かった?」
「お、起こさねえよ! 起こすわけないだろ!」
辺りに響き渡らんばかりのその反応には一体喜んだらいいのか、悲しんだらいいのか。
私は苦笑半分で再び寝返りを打つと、緩んだ口元を毛布で隠して睡魔に身を預けたのだった。