翌日、ロウは丸一日休暇を貰ってきた。どうやらネアズが「せっかくだから街を案内してやったらどうだ」と気を利かせてくれたらしい。私はその心遣いが素直に嬉しかったが、ロウの方は「また後でツケ払わせられるんだろうな……」と遠い目をしていた。
朝食を軽く摂った後で、私たちは街を散策した。最近増えたという商店には見慣れないものも多くあり、その中で私は友人への土産を探した。購入したのはもちろん、カラグリア産の鉱石を使ったアクセサリーだ。小ぶりとはいえ存在感のある真っ赤な石があしらわれていたが、司書が胸元にひっそり忍ばせるくらいなら許されるだろう。
ネックレスをプレゼント用に包んでもらっている私を見て、ロウは少し驚いていた。どうやら昨日私が言ったことは半分くらい出まかせであると思っていたようだ。
「なにそれ、ひどくない? 私が嘘言ったと思ったの?」
「そうじゃねえけど、お前がこういうのがあるのを知ってるって思わなかったんだよ。買ってきてほしいとも言わねえし」
なるほど。ロウがカラグリアを拠点にしているのを知りながら強請らないので、こういうのには興味がないと思われていたのか。
「じゃあ今度買ってきてよ。高価なものじゃなくていいから」
「な、なんでだよ。だったら今選べばいいだろ」
「ロウが選んだのが欲しいの。色もデザインも任せるから」
そう言うと、ロウはとうとう観念して頷いた。これで次に会う時の楽しみがさらに増えた、と密かに笑ったのは内緒だ。
ほかにも商店や露店をいくつも回ったが、どの店の店主も皆親切だった。それもそのはず、誰もがロウのことを知っているようで、中には「彼女とデートかい?」と声を掛けてくる人もいた。そのたびロウは「違うって!」と全力で否定するのだが、同時に私の機嫌も悪くなっていく原因にはあまりピンと来ていないようだった。
街を歩いている途中で昨日目撃した例の女の子にも出くわした。彼女はロウの同僚らしく、年が近いことで仲が良いのだそうだ。よく互いに相談をしたり、悩みを打ち明けたりするのだという。
それを聞いて内心警戒していたけれど、彼女には年上の恋人がいると知って一安心した。曰く「同年代の男は頼りがいがなくてダメ」なのだそうだ。
「あいつ気強えからなー……ネアズにもくってかかってくし」
それはなかなかだね、と言おうとしたところで、自分たちはもう一人そういう女性を知っているなと思った。
それから街を出ると、ロウの案内で荒野を進んでいった。岩山の間を抜け、高台を上った先で目の前に広がったのは、切り開かれた広大な土地と、そこにぽつぽつと建ち始める住居用の建物だった。
「最近はこの辺の開拓してんだよ。元々ズーグルだらけだったんだけど、それを追っ払ってさ。少しずつだけど、人も増えてきてるんだぜ」
ロウの言う通り、辺りにはそこに暮らす人々の姿もちらほら覗いていた。買い出しから戻る女性、元気に走り回る子供たち、それを見守る老夫婦――。
新しい土地に新しい家が建ち、新しい街が作られようとしていた。街の復興は世界各地で見てきたはずだけれど、この光景はそのどれとも違った。0が1になるまでの過程を見るのは初めてのことだった。
「なるべく急ぎたいってことで手伝ってたんだ。それでなかなか外にも出られなくてよ。気が付いたらすげえ時間経ってて……」
「……そうだったんだね」
出た言葉は納得というよりも、感嘆に近かった。ロウはきちんと自分の役目を果たしていた。いつか言っていたように、世界をより良くするためのお手伝いをしていたのだ。
それをこうして実際に目の当たりにして、私は心の底から感動した。同時に尊敬もする。その努力と献身はやっぱり誇れるものだと思う。
「なかなか会いに行けなくてごめんな。忘れてたわけじゃないんだぜ。でも連絡するったってどうしたらいいかわかんねえし……」
どうせなら直接会いに行こう、でも休みがなかなか取れない、それをどう伝えようか。結局はそれらの堂々巡りだったらしい。
思い悩むロウの姿が目に浮かぶようで、私は思わず笑った。
「ロウは手紙も言伝も苦手だもんね」
「なんかどっちも恥ずかしいだろ! 手紙は字書くの苦手だし、言伝は誰かに聞かれたくねーし」
「そういうところがロウっぽいよね。でもいいじゃない。ケガも病気もしてなかったんだし、こうしてまた会えたんだから」
正しくは手段を新たに得た、というところか。私たちが会う場所は何もメナンシアに限らなくていいのだ。
私は生まれたての街を眺めながら、足元の切り立った崖に腰かけた。風には砂が混じるのに、今はそんなこと気にもならない。むしろ心地よいとさえ思っていると、フルルも同様だったのか、ふわりと羽をはためかせ宙返りをしていた。嬉しそうに目を細めている様子はかなり上機嫌のようだ。
ロウも私と同様、崖の縁に腰を下ろした。そうしておもむろに後ろに両手をつき、空を仰ぐ。前に垂らした一房の前髪がカラグリアの砂風に揺れていた。
そんななんてことない仕草が背後に広がる風景に調和していた。ロウにはやっぱりこの地がよく似合う。
「どうかしたか?」
ロウがこちらの視線に気づいた時、自分もロウを長く見つめていたことに気が付いた。
「な、なんでもない」咄嗟にそう答えはするものの、不自然に逸らしてしまった視線はその返答にはふさわしくない。
「と、ところで、今のお仕事はあとどれくらいで終わりそうなの?」
誤魔化すための問いとしては上出来だったと思う。ロウは私の動揺にはちっとも気付かず「そうだなあ、」と頭を悩ませる。
「もうしばらくは終わんねえだろうな。ちょうど今軌道に乗ってきたとこだし」
それを聞いて私は内心がっくり来てしまった。本来なら喜ぶべきはずのところを喜ぶことができない自分にも、同じくらいがっかりした。
「けど、休みは取れるようになると思うぜ。人が増えてきたってのは住民だけじゃなくて、手伝いの奴らもそうなんだ。一緒に働いてくれる奴が増えりゃ、俺らも楽になるからな」
「じゃあ、また前みたいにメナンシアにも来れるってこと?」
「そうなるな。まあ俺の場合はまたそっちに行く仕事に戻るってことになるだろうけど」
護衛の仕事も相変わらず多いからな、とロウは言った。
「そっか……」
それを聞いて今度はほっとしてしまうなんて、私はどこまで自分本位なんだろう。
でも嬉しいものは嬉しいのだから仕方ない。この街の人と〈紅の鴉〉の皆には申し訳ないけれど、私だってロウと一緒に過ごしたい。皆がロウを必要としているように、私にもロウが必要なのだ。
「それにしたってここの手伝いはちょっと忙しすぎるぜ。報酬も弾むって言われてつい飛びついたけど、まさかここまで休みが取れないもんだとは思わねえだろ」
脱力しながらロウは言った。
「確かに金は貯まったし、思ったよか目標にも早く届くかってとこだけど、外にも出られないんじゃ意味ねーだろ」
そこでふと引っかかった。
「目標? ロウ、お金が要りようだったの?」
私の言葉に、ロウははっとした表情を見せた。
「あー……いや、別に、」
あからさまに慌て始めたロウに、私はすかさず詰め寄る。
「欲しいものでもあったの? 買わなきゃいけないもの?」
確かにロウの部屋にはタオルやら靴下やら穴だらけのものはたくさんあった。でもそれらを買い変えるのにいちいち目標金額を立てる必要があるだろうか。
「あ、新しい装備とか? 何か見つけたの?」
欲しい装備がある時も、ロウはわざわざお金を貯めるようなことはしない。とりあえず誰かに借りるか立て替えてもらって、あとで返していくことが多いのだ。それでも手が届きそうにないものの場合は潔く諦める。
「誰かへの借金……じゃないよね。また賭け事したなら怒るよ」
「そ、そうじゃねーけど……要りようっつーか、要りようになるかもしれないっつーか」
「かもしれない?」
一歩も引き下がらない私に、ロウは観念したように言った。
「……アルフェンが」
ロウの口から出てきたのは私たちが慕う兄貴分の名前だった。まさか今、その名前が出てくるとは予想もしていなかった。
「アルフェンが言ってたんだよ。新生活には金が要りようだって」
かくしごとを暴かれたかのような不本意そうな顔でロウは呟いた。
確かに、いつか街で出くわしたアルフェンがそんなようなことを言っていた気がする。シオンと暮らすにあたって家具の他にも食器や雑貨、日用品など買うものがたくさんあった。新しい家での生活っていうのはお金がかかるんだな、と。
勉強不足だったと肩を落としながらも、次の瞬間にはキサラに節約法の教えを乞おうかと意気込んでいた辺り、やっぱりアルフェンは前向きだなと感心したものだ。でもそれとロウの貯金と、一体何の関係があるというのだろう。
そう思っていると、
「いつになるかわかんねえけど、もしいつかそういう日が来たとして、金がなかったら困るだろ」
ロウは視線を逸らしつつ、そんなことを口にした。
私は衝撃を受けた。ロウの口からそんな言葉が出てくるなんて。
同時に、確かめたいと思った。
「そういう予定、あるんだ」
「予定っつーか、……希望」
みるみる声を小さくするロウに、私はその距離をひとつ縮めてみる。
「……誰と?」
「……今言わせんのか?」
私は何も言わず、黙ってロウの目を見つめた。
逃げないでほしい。揺れないでほしい。お願いだから、今だけは逸らさないでほしい。
ただじっと真っすぐ、願うようにして。
ロウは「あー」とか「うー」とか言った後で立ち上がり、かと思うとその場にしゃがみこんだ。
「リンウェル」
「うん」
「俺は、お前がいる家に帰りたい」
「……うん」
「どこ行っても何してても、お前が待っててくれるって思うとすげえ力出る。頑張れる」
「うん」
「だから、いつか俺と一緒に暮らしてほしい」
一緒に。シオンたちみたいに。父さんと母さんのように。同じ家で一緒に暮らす。
「うん。いいよ」
私は迷わず頷いた。どんな毎日になるか想像もつかない。でも一緒に暮らす相手はロウ以外に考えられない。
「私も、そうだったらいいなって思う。ロウと毎日顔合わせられたら、一緒に過ごせたらって」
何度も思った。ここに来る前も、来た後も。ロウの部屋で洗濯物を畳みながら、もしそうなったらと頭の中であれこれ考えた。
「一緒にいるなら、ロウがいい。ロウとフルルと、同じ家で暮らしたい」
3人一緒ならどんなに素敵な日々だろう。食事も買い出しもお出かけも楽しくなるに決まっているし、苦手な早起きだって悪くないと思えるかもしれない。
そんな毎日なら大歓迎だ。想像だけでも胸が弾んでしまいそうな日々をただの〈希望〉〈願望〉にしておくのはもったいない。
「約束したい。私とフルルとロウは、いつか一緒に暮らすんだって」
「……いいのか?」
いつになるか分かんねえぞ、と零すロウの気持ちも分かる。でも、
「だからこその約束でしょ? 待たせてる、なんて思わないでよ。そもそも私が黙って待ってると思う?」
待てなくて、我慢ができなくて、メナンシアを飛び出してきた私だ。しびれを切らしたならすぐにでもロウに詰め寄るに違いない。
「だから約束しよう。予約でもいいよ。私の家はロウの家。ロウの家は私の家」
そう言うと、ロウはふっと表情を緩めた。
「お前のはともかく、俺のは家とは違うだろ。それに、3人で住むならもう少し広くないとな」
うん、と私は大きく頷く。
「暖炉と本棚は欲しいな。寝室には大きいベッドに、フルルの止まり木」
フル! とフルルが同意の声を上げる。
「それとキッチンはあまり広すぎても使いこなせないから、ほどほどでいいよ。私用の机は大きければ大きいほどいい!」
「ほとんどお前の希望になりそうだよな。まあ俺は筋トレできる場所があればそれでいいぜ」
「フル、フル」
「フルルが手伝う、だって」
「手伝うって、まさか上に乗るんじゃねえだろうな。お前、あの杜の奴らくらいになるんだろ……?」
フッ、と笑うフルルは今からその時を心待ちにしているようだ。その光景が目の前に浮かぶようで、私も思わず小さく笑う。
こんな日々がいずれ私の毎日になるのだと思うとときめきが止まらない。その時こそ、私は友人に胸を張って言えるだろう。
「毎日楽しくて、毎日充実してるよ!」
100%、心の底からの気持ちで。
「はあー、肩の荷が下りたら腹減ってきたな。何か食いに行こうぜ」
ロウがそう言って立ち上がる。
「何か食いたいもんあるか? お前はいつものドーナツか」
「あ、そういえばまだこっち来てから食べてないんだった! ココルにも会いに行かなきゃ!」
「へえ、そんな珍しいこともあるんだな。腹でも壊してたのか?」
「違うし! っていうか、元はと言えばロウのせいなんだけど!」
「え、俺?」
罰として奢って! と言えば、ロウは仕方ねえなあと頭を掻いた。フル! というフルルの声はきっと、自分の分も! という主張だ。
ロウとフルル。これが私の家族。家族になる人たち。
フルルはもう家族だけど、ロウはこの先のどこかでそれに加わる。そういう約束をした。
ロウは私にとって、そういう約束をしてもいいと思える人。約束をしたいと思った人。
父さん、母さん。突然だけど、大切な人を紹介します。
この人はロウ。旅の途中で出会った仲間の一人で、今はカラグリアで復興のために働いています。
見た目の通り賢くはないけど、それでも真っすぐで嘘のつけない人です。あれこれ迷いながらも目標に向かって突き進む人でもあります。
そして何より、私をいちばん私として見てくれる人です。私のいいところも悪いところも全部知っていて、その上で一緒にいてくれる、一緒にいたいと言ってくれます。
これまでロウに救われたことが何度もあったの。だから今度は、これからは私がロウを支えてあげたいと、そんなふうに思っています。
父さんは反対するかな? 母さんもびっくりするかもね。
ロウと私、そしてフルル。3人で頑張っていくから、どうか見守っていてください。
私の密かな祈りは、乾いた風に乗ってどこかへひらひら飛んでいく。それはきっと野を越え山を越え、はるか遠くの二人の元へ届くに違いない。
私はこれからメナンシアに帰って、元の生活に戻っていくのだろう。〈図書の間〉で本を読み、研究をしながらロウの訪れを待つ毎日に。
少し違うのは、私たちの間には約束があるということ。いつか同じ家で暮らし、日々を共にするという約束だ。
おはよう、おやすみ。ただいま、おかえり。
そんなありふれた挨拶が当たり前に部屋に響くようになる。それらが揃う日がいずれやって来る。
私は首を長くして待っている。ロウが部屋のドアを叩くのを。第一声が「ただいま」に変わるその日を。
そうして私は駆け足で出迎えるのだ。
「おかえり!」
その言葉を口にできる幸せをぐっと心の中で噛み締めながら。
終わり