「ただいまとおかえり」後日談その1。付き合ってるのか不安になるロウとそれを見守る兄たちの話。(約5,300字)

後日談①

「じゃあまたね。体に気を付けて」
「おう」
 荷馬車から手を振るリンウェルを見送って、俺はふうっと息を吐いた。決して疲労のせいとかそういうのではない。例えるなら、長いこと肩に乗っかっていたものが全て取り払われた感じだ。
 それもそのはず、俺はつい先ほど一世一代の告白ってやつをやってのけたばかりなのだ。図らずもリンウェルの方から促されてしまったことには少々情けなさも感じるが、伝えたいことは全部言えた。俺が今どう思っているか、この先どうしたいか。思い描く未来にはリンウェルとフルルがいることも。
 数年にわたって温め続けてきた想いは今日、とうとう実を結んだ。俺の言葉にリンウェルは少しも迷う素振りも見せることなく頷いてくれた。
 喜びは溢れるものの、結局は安堵が勝った。気の抜けたように座り込んだ俺を見てくすくす笑いながらも、リンウェルもまた自身の描く未来図を教えてくれたのだった。
 そうしてメナンシアに帰っていくリンウェルを見送ったのが今しがたのこと。どこか温かい気持ちとこみ上げる達成感と、そしてまだ僅かに残る緊張感を胸にウルベゼクの中心部に向かって歩き出す。
 向かう先は〈紅の鴉〉の拠点となっている建物だ。ネアズからは今日一日休暇を貰っていたが、こんな浮ついた心持では部屋で昼寝をしていたってとても休まらない。昼間から酒を飲む趣味でもないし、ならば早めに仕事に復帰して体を動かした方がいいと思ったのだ。それは〈紅の鴉〉のためにもなるし街のためにもなるし、ひいては俺自身が早いところメナンシアに向かえるようになるという意味でも有意義だ。
 建物に入った瞬間、
「見ーたーぞー」
 声を掛けてきたのはガナルだった。腕を組み目の前に立ちはだかったと思うと、じっとりとした視線をこちらに寄越す。
「見てたって、何を」
「しらばっくれんなよ。これ見よがしにイチャイチャしやがって」
 どうやらガナルは今朝から俺たちが街を見て回っているのをここから眺めていたらしい。仕事もあるくせに一体何に時間を使っているんだか。
「アルフェンに続いてお前もか。揃いも揃って裏切りやがってよ」
「裏切るって、俺は別に何も……」
「だってつまりはそういうことだろ。わざわざメナンシアから会いに来てくれるとか」
 ガナルがけっと口をへの字に曲げる。
「その辺にしとけよ」
 奥から現れたのはネアズだった。
「気にするな、こいつは妬んでるだけだ」
「別に妬んでねえよ。あんまりめでたくて腹が立ってるだけだ」
「どういう態度なんだよ……」
「まったく、心の狭い奴だな」
 ネアズがふんと鼻を鳴らして小さく笑った。
 ネアズとガナルはもうずっと前から〈紅の鴉〉にいる、いわゆる古株というやつだ。親父との付き合いも長くて、俺がうんと小さい頃から俺のことを知っている。
 知っているだけじゃない。二人には遊び相手になってもらった覚えがあるし、それなりの年になってからは一緒に体を鍛えたり、互いに鍛錬の相手になったりもした。食事や睡眠を一緒に摂ることさえあったし、馬鹿話もたくさんしてきた。それこそ血は繋がっていないが、もうほとんど兄弟のように過ごしてきた間柄だ。
 俺がこうしてカラグリアに戻ってきてからも2人の態度は以前と変わらない。それも俺が親父のことをまだどこか引き摺る部分があると知ってのことだろうと理解する半面、結局どこまでもお見通しなのかと苦笑してしまう部分もある。
 特にネアズには心の内を見透かされているような気がしてどうも落ち着かない。親父のことはもちろん、リンウェルのことについてもあれこれ言ったわけではないが、奴は何かに勘付いているような節はあった。メナンシアへ向かう仕事があればそれとなく勧めてきてくれるし、休暇についても上手く調整してくれている気がする。そういったお節介にも似た親切に気付きつつも、知らぬふりを決め込んでいたのは言うまでもなく照れくさかったからだ。俺よりも俺のことを知っている奴に、今更何を打ち明ける必要があるだろう。
 だからこれまで何も告げずに来たのに。それとなく気付いて、それとなく流してくれればいいと、そう思っていたのに。
「ずるいぞ!」
 俺だってモテないわけじゃねーんだからな! とガナルがひとり喚き散らかすのを眺めながら、俺はネアズとの間に奇妙な空気が流れ始めるのを感じていた。
 沈黙を破ったのはネアズの方だ。ひとつ小さく咳ばらいをしたと思うと、
「つまりはガナルの言う通りなんだろう?」と訊ねてきた。
「まあ……そう、だな」
 俺の返事に、そうか、と呟いたネアズは小さく頭を掻くと、ぎこちない笑みを作ってみせた。
「その、なんだ」
 良かったな、と言われた途端、込み上げてきたのは忌避し続けてきた気恥ずかしさだった。ああくそ、これが嫌だったのに。こんな思いをしたくなくて黙っていたのに。
 睨みつけた先の戦犯はみっともなく地団太を踏むばかりで、こちらの気持ちなどまるでお構いなしだ。
「くっそー羨しいぜ!」
 ガナルの腕が首っ玉に回され、そのままぐいと引き寄せられる。
「俺も彼女とデートがしたい!」
「お前は彼女より、まずは気持ちの伝え方から学び直さないとな」ネアズが呆れたように笑った。
 ――彼女。彼女……?
 そこで、あれ、と思った。そういえば、俺はリンウェルといつか一緒に暮らすという約束を交わしたわけだが、それは恋人同士になったということでいいのだろうか。リンウェルを「彼女」と呼んでも良いということなのだろうか。
 思えば俺はリンウェルに「一緒に暮らして欲しい」とは言ったが、「彼女になって欲しい」とは一言も口にしていなかった。リンウェルの方からも「じゃあ私たちはこれから恋人同士だね」などと言われたわけでもなく、果たしてこれは「付き合っている」と言えるのだろうか。
「どうかしたか」
 口ごもる俺を見て、ネアズが怪訝そうな顔をした。
「なんだよ、悩みがあんなら俺たちが乗ってやるぜ」
「参考になるとも思えんがな」
 意気込むガナルと小さく息を吐くネアズに向かって、心の声をぽろっと零す。
「いや、俺たち付き合ってんのかなって」
「……は?」
「……え?」
 気の抜けたような2人の声が重なる。
 俺たちは3人揃って頭に疑問符を浮かべ、ただ互いの顔を見比べるばかりだった。
 
   ◇

 久々に訪れたヴィスキントは相変わらず賑やかだった。あちこちで飛び交う客引きの声はカラグリアに長くいた自分にとってはやや騒がしいほどで、それでいて同時に懐かしさも感じるから不思議なものだ。
 あの後、ネアズとガナルは急いで仕事の調整に取り掛かった。俺の仕事をほかの人に割り振り、「とにかく早くケリをつけてこい」と見送られたのが昨日のこと。いつもなら使わない荷馬車の席まで用意されていたのでどんな好待遇かとひどく驚いた。
 とはいえ長い休暇を与えられたわけでもないので、目的は迅速かつ的確にこなさなければならない。荷馬車を降りると、その足で真っすぐリンウェルの家へと向かった。
 幸いなことにリンウェルは在宅だった。扉を開けて俺の姿を見るなり「どうしたの?」と驚いた顔をしていた。
「何か急用? まさかこんな早く来られるだなんて思ってなかったよ」
 俺も驚いている、とは言えなかった。あれだけお預けを食らわされたのがまるで嘘みたいだ。
 それでもとりあえずここは「急な仕事が入ったんだよ」ということにしておいた。それは俺でなく、俺の仕事を割り振られた奴らが思っていることだろう。
「そういや」
 俺は鞄から包装された小箱を取り出すと、リンウェルへと差し出した。
「何これ?」
「何って、お前が買ってこいって言ったんだろ」
 箱の中身は、カラグリアで採れた鉱石を使ったアクセサリーだった。あの日リンウェルは敢えてその場では強請らず、自分が選んだのが欲しいと言ったので、メナンシア行きが決まった日に慌てて買いに行ったのだ。
 買ったのは藍色の石があしらわれた髪留めだった。この間リンウェルが友人に選んでいたようなものと違って透き通った石ではないが、その深い色合いと混じった金の模様を見てすぐにこれだと思った。
 購入した時は満足していたが、時間が経つと段々と我に返ってきた。果たして本当にこれで良かったのだろうか。あの石を見た瞬間リンウェルのことが思い浮かび、即決してしまったが、本当はもっとリンウェルに似合うかとか、リンウェルの好みを考えた方が良かったんじゃないのか。
 自信のなさがついそっけない態度となって表れてしまったが、小箱を開けたリンウェルの表情を見た途端、それらも全部吹き飛んだ。
「ありがとう……! うれしい!」
 花も宝石も目じゃないほどの笑顔に、思わず鼓動も大きくなる。これだけでもうこちらに来た意味は充分あったなと思った。
 そうはいっても浮かれてばかりいられない。こちらに来た本分をきちんと果たさなければならない。
 どこにしまっておこうかな、と鼻歌混じりに小箱を大事そうに抱えるリンウェルに向かって、
「あのさ、リンウェル」
 俺は本題を切り出した。
「こないだ、約束しただろ。いつか一緒に暮らすって」
「うん、したね」
 リンウェルがこくんと頷く。
「あれ、一旦やめにしねえか」
 俺の言葉を聞いたリンウェルは、え、と零すと、そのまま口を開けっぱなしにし、――ものすごく悲しそうな顔をした。
 と思ったのも束の間、たちまち強い視線を俺に向けてくる。それはもう、刺してきそうな勢いで。
「なんで? どうして?」
 嫌になったの? と言われ、俺はぶんぶんと勢いよく首を振った。
「そ、そうじゃなくて。ほら、恋人でもない奴と一緒に暮らすってのはおかしいだろ」
 ますます訳が分からない、というふうにリンウェルはしかめっ面をした。
「だからその、つまり、俺が言いたいのは」
 大きく息を吸う。
「こっ、恋人になってくれってことなんだけど」
 一瞬の沈黙の後でリンウェルは小さく息をつき、そこでようやく表情を緩くした。
「なるほどね。そういうこと」
 呆れ半分、いやもうほとんど呆れ顔でリンウェルは肩をすくめる。
「いいよ。っていうか、初めから私はそのつもりだったんだけど」
「え」
「確かに、はっきりとは言ってなかったけどね。ああいう約束したら、そういう関係になるってことだと思うじゃない? こないだだって帰ってすぐ、彼氏ができたんだーって友達に話したりしてたのに。まさかロウの方は違ったなんて」
 ひとりではしゃいじゃって恥ずかしい、とリンウェルは特に恥ずかしそうな素振りを見せるでもなく言った。
「もしかして、今日はわざわざそれを確かめるために来たの?」
「あーいや、……まあ」
 頭を掻く俺に、リンウェルは再び大きな息を吐いた。
「この間まではどれだけ待っても来なかったのに」
 変なの、とリンウェルは言ったが、その表情を見る限り間違いはひとつもなかったのだろう。俺が今日ここに訪れたことも、改めて気持ちを確かめ合ったことも、俺が選んだアクセサリーも。
 リンウェルは髪留めを机の引き出しにしまうと、そのままキッチンの方へ向かいながら言った。
「夕飯は私が作ってあげる。食べていくでしょ?」
「いいのか?」
「あたりまえでしょ。私たち、恋人同士なんだよ」
 恋人同士。なんだかむず痒い響きだ。
 そう思ったのは俺の方だけではなかったらしい。嬉しそうに笑うリンウェルの耳もまた、真っ赤に染まっていた。

   ◇
 
 カラグリアに戻った俺を出迎えてくれたのはガナルとネアズだった。ウルベゼクに着いたのは夜中だったというのに、二人は仕事の処理に追われまだ拠点の建物に残っていた。
「お、戻ったか。この仕事放棄野郎め」
「どうだった……って、その顔を見ればわかるか。決着はついたようだな」
「まあな、おかげさまで」
 詳しいことは言わない。さすがに恥ずかしいのと、それこそ言葉にしなくとも伝わっているようだったからだ。
「これで明日からの作業もはかどるってもんだな! せいぜい働いてもらうぜ」
「休みをやりたい気持ちは山々なんだがな、そうも言ってられない。お前にしかできない仕事も溜まってるんだ」
 今日はもう休めと言う2人に向かって、俺は意を決して言った。
「2人とも、今回はありがとな。いろいろ助かった」
 上手く視線は合わせられなかった。代わりに小さく視線を下げてその意を示す。
 するとガナルとネアズは互いの顔を見合わせるや否や、驚いたように大きく目を見開いた。
「ロウも素直に礼が言える年になったんだな……」
「あの小さかったクソ坊主がもうこんな大きくなって……俺は嬉しいぜ」
 しみじみと言い、目元を拭う真似までしてくる。なんだこいつら、人がせっかく照れ臭さを押し殺して頭を下げてるってのに。
 むくれかけたところで、これが2人なりの気遣いなのかもしれないと思い至った。今更自分たちの間に堅苦しさは必要ないが、それでいて礼を無下にすることもない。
 あるいは本当に、2人にとって俺はいつまでも小さいガキで、クソ坊主のままなのかもしれない。自分たちだって昔は親父にクソ坊主呼ばわりされていたくせに。俺はきちんとそれを覚えている。
「ロウ」
 部屋を出る時、ふと声が掛かった。
「大事にしろよ」
「……ああ」
 言われなくても。
 俺にとっては全部が大事で貴重なものだ。リンウェルも仲間も、この国も、そこに住むどこかの世話焼き兄弟のことも。
 
終わり