「ただいまとおかえり」後日談その2。フルルの監視の目が厳しくて、リンウェルに触れさせてもらえないロウの話。テュオキサ要素あります。(約9,800字)

後日談②

 ヴィスキントの通りを一人で歩きながら、ため息が零れる。
 今日もまたダメだった。こうして失意の中、宿への帰り道につくのはもう何度目になるだろう。
 先ほどのことを思い返してはがくりと項垂れる。何がダメだったのか。何が気に食わないのか。
 気に食わないというなら、俺の存在そのものかもしれない。あいつ――フルルは出会った時から俺を目の敵にしていた。

 リンウェルと正式に恋人同士になってからもうふた月以上が経つ。
 ネアズやガナルを巻き込んでの一件を経て、カラグリアでの手伝いからようやく解放された俺もメナンシアを再び訪れる機会が増えてきた。
 交際は今のところ上手くやれている、と思う。あれから何度かこちらには来ているが、会うたびリンウェルとは一緒に出かけたり、食事に行ったりしている。それ自体は交際以前にもよくしていたことではあったが、今ではそれに加えてリンウェルの部屋で食事を摂ったり、夜まで長いこと話をしたりするようにもなった。
 話題は近況やなかなか会えない仲間たちのこと、最近近くにできたお店の情報など様々だ。たわいもない話だが、それがリンウェル相手だとどうにも弾んでしまう。どんな小さなことからもリンウェルは俺にはない気付きを与えてくれるし、リンウェルの方も俺の話を聞いて「その発想はなかったなあ」と感心してみせることもあった。互いが互いの届かないところを埋め合えていると思えば、俺たちはなかなか相性が良いのかもしれない。
 一方で、埋め合えきれていないものもある。俺たちには時間が足りなさ過ぎるのだ。
 会えない時間に比べて顔を合わせていられるのはごく短い間だけで、それは一日二日で到底満たされるものではない。俺たちが交際を始めたばかりの関係であればなおさらのこと。光のごとく過ぎ去る時間はいつも悩ましいくらいだった。
 再会の当初はあれだけ弾んでいた胸も、別れが迫るともやもやとしたものが渦巻く。そういった寂しさを感じているのはリンウェルも同じのようで、夜が迫るとその表情には徐々に翳りが覗くようになった。泣き喚くことこそないものの、それを押し隠そうとするような素振りにはこちらの胸も苦しくなってしまうほどだった。
 今夜もそうだった。
 リンウェルの部屋で夕飯を共にし、食後のデザートをつつきながら話に花を咲かせる。次回こちらを訪れる際の予定や仕事の日程、休日には遺跡に行こうという約束などを交わしていればあっという間に時間は過ぎた。
「じゃあ俺、そろそろ宿戻るな」
 そう切り出した俺に、リンウェルはうん、と頷いた。
 ドアのところまで見送られ、名残惜しくなってもう一度振り向く。その時のもの悲しいリンウェルの表情と言ったら。
 思わず抱き締めたくなって、腕を伸ばした時だった。
 突然側頭部に衝撃が走る。視界が揺らいで明滅したかと思うと、そこにぼんやり浮かんできたのは白い丸っとしたシルエットだった。
「こ、こら、フルル!」
 リンウェルの声に、自分が受けたのは使い魔の一撃だったと知る。フルー! とやけにゴキゲンそうな声が聞こえて、白い羽がふわふわ宙で揺れた。
「大丈夫だった? 血は出てない?」
 心配そうなリンウェルには「平気だ」と笑みを作った。実際は見栄を張った強がりで、ここのところの戦闘ではケガひとつ負わずにいたせいか、その痛みはやけに強く感じた。
 とはいえもはやこうなっては抱き締めるどころではない。俺は「じゃあ、またな」とできるだけ爽やかな声を振り絞り、リンウェルの部屋を後にしたのだった。
 振り返れば悔しいやら情けないやらで涙が出そうになる。いやこれは頭部の負傷によるものか。どっちにしたって痛いことには変わりない。
 実を言えばこういうことは一度や二度ではなかった。フルルは俺がリンウェルに触れる素振りを見せようものならどこからともなく現れて、間を割って入ってくる。あるいは今夜のように直接攻撃を仕掛け、それを阻止しようとしてくるのだ。
 せっかくリンウェルとは長い友人関係を経てやっとのことで壁を乗り越えたところだというのに、これでは進展も何もあったものではない。キスどころか指一本触れさせてはもらえないなんて、むしろ旅をしていた頃よりも遠ざかってしまっている。
 フルルがこういった行動を取る原因なんか知ったこっちゃない。何せ俺たちは出会った時からすこぶる相性が悪く、これまで幾度となくその鋭い嘴で髪やら皮膚やらを突かれてきた。リンウェルと話をしているという、ただそれだけの理由で。
 強いてそれ以外を挙げるなら、おおよそ俺がリンウェルと仲が良いのが気に食わないとか、あるいは自分よりも親しくしているのが疎ましいとかそんなものだろう。だからといってシオンやキサラに同じことをするかと問われたら、絶対にそんなことはないと言い切れる。この差は一体何なのか、俺にはさっぱりわからない。
 はああ、とまた大きなため息が出た。一人の夜道はやけに風が冷たくしみる。リンウェルといる時の温もりを知ればこそ。 
 世の中の人間はこういった壁に直面した際、どうやって乗り越えているのだろう。相手の家族や身内に交際を反対されたとして、そのわだかまりをどうやって解いているのか。
 近しい境遇の人間はいないかと考えてみて、たった一人思いつく人物がいた。

 ガナスハロス行きの仕事は割とすぐに見つかった。ティルザから医薬品を届けるようにと〈紅の鴉〉宛に依頼が来ていたらしい。
 山道も整備されつつある今、ペレギオンまでもそう時間はかからなかった。約束の荷物をティルザに引き渡すと、俺はその足で中央にあるやたらと派手な建物に向かった。
 ここに来る理由付けも、かかるであろう時間にも不安はなかったが、唯一心配だったのは、自分の会いたい相手がおそらく今この世界で一番忙しい人物であろうということだった。ダナ人とレナ人の間に入りながら、それでいてすべてのレナ人の代表を務めなければならず、仕事はガナスハロスの外からも舞い込んでくる。時期によっては建物どころか部屋からも出られないのだと本人が嘆いていたこともあった。一介の組織の下っ端にはまるで想像のつかない世界だ。
 果たして今回はどうだろう、お日柄はいかがなものかとおそるおそる訪ねてみて、拍子抜けした。再会したテュオハリムは自室で多くの資料に囲まれこそしていたものの、俺の顔を見るなりその手を止めて陽気に挨拶をしたのだった。
「息災そうで何よりだ」
 レストランの席に着いたテュオハリムは、ごく穏やかな口調で言った。
「噂はかねがね聞いている。カラグリアで頑張っているそうだな」
「まあな。目の前のことしかできてねえけど、それでも前には進んでるつもりだぜ」
 それでいい、と頷いたテュオハリムはレストランのウエイターに慣れた動作で注文をした。レナの様式が色濃く感じられるこの店はテュオハリムのお気に入りで、これまで何度も通っているらしい。
「外に出てきてもらったけど、時間は大丈夫なのか。相変わらず仕事も多いんだろ」
「問題ない。私が数時間姿を消したところで滞る体制でもないだろう。私もまた他人を頼るということを覚えてね」
「そりゃいいことだな」
 褒めた瞬間、運ばれてきたのはボトルの葡萄酒だったので驚いた。昼間から酒盛りとはずいぶんな身分だなと思いつつ、あるいはこうでもしないと気晴らしができないのかと思うと同情せざるを得なかった。
 料理を待つ間は近況報告や世間話をした。間が長く空いた分だけ、話題には事欠かない。
 どこから聞きつけたのか、テュオハリムは俺とリンウェルのことも知っていた。「外に出る機会は少ないが、その分耳は早いのだ」と得意げに言われたが、驚くやら気恥ずかしいやらで上手く言葉を返せなかった。ネアズの時とはまた少し違った気恥ずかしさだった。
「それで、何か話したいことがあったのではないのかね」
 テュオハリムがそう訊ねてきたのは、注文した料理がすべて出揃ってからだった。グラスに追加で葡萄酒を注ぎながら、これまたゆったりとした口調だった。
「……なんでそう思うんだ?」
「視線が揺らいでいる。爪先がそわそわとして落ち着かないのは、何かまだ言っていないことがあるからなのでは?」
「そんなわかりやすいのか、俺って……」
 微笑みを浮かべるテュオハリムに、俺は少し言葉を濁らせながら言った。
「相談っつーか、たとえばの話なんだけどよ」
 手にしたグラスの中の氷がカランと音を立てる。
「もし、もしだぜ。ミキゥダがキサラとのこと、反対してたらどうしてたんだ?」
 不意を突かれたような顔をしたテュオハリムに、俺はこれまでのいきさつを簡単に説明した。悩んでいるのが自分ではないということを殊更強調して。
「し、知り合いの話なんだけどよ、せっかく彼女ができたはいいけど身内に反対されてるらしくて……」
「ほ、ほら、俺らの中だったら兄弟がいるのはキサラだけだろ。もしミキゥダに反対されてたら、テュオハリムはどうすんのかなって」
 二人のことはリンウェルから聞いていた。まだ公にはなっていないだけで二人も俺たちには隠すつもりもないらしい。テュオハリムは特に驚いた様子もなく、「ふむ」とだけ口にした。
「もしキサラとのこと、良く思われてなかったらどうしてたんだ? やっぱ少し悩んでたか?」
「そうさな」
 テュオハリムは僅かに視線を宙に浮かせた後で、
「彼が我々の仲を反対するというのも、そういった事情に口を出してくるというのもまるで想像つかないが」と言った。
「すげえ自信だな、おい」
「とはいえ大切な妹がレナ人の男と一緒にいるのを見て、まったく不安に思わない兄もいないだろう」
 ごく当たり前といった調子でテュオハリムは言った。
「だからといって、それが気持ちを失わせる理由ともならない」
「そりゃあもちろん」
 力強く頷く。誰に反対されたからといって、はいじゃあリンウェルのことを諦めますとはならない。なるはずがない。
「なら、道は一つしかないのではないかね」
 テュオハリムは再び穏やかに微笑んだ。
「対話を続けることだ。こちらの気持ち、相手の気持ち、その間にある壁を真に取り払えるのは対話しかない。己の考えを伝えると同時に、相手の思いにもじっくり耳を傾けてみるといい」
「耳を傾けるったってなあ……」
 思い浮かぶのはフルルの言葉に疑問符を浮かべる自分だ。「フ」と「ル」しか発せないあいつの言葉を果たして俺は理解できるのか。
「生き物というのは共通の言語がなくともその表情、態度で思いの外わかり合えるものだ。動物の心情に寄り添える君ならそう難しいことではないと思うがね」
 そう言われてはっとする。どうやらテュオハリムは相談者が俺自身であることも、交際に反対しているというのがフルルであるということも見抜いていたらしい。
「フルルはリンウェルの家族であり、君よりも長く一緒にいる。その輪に加わろうというのだから、君を厳しい目で見るのは当然のことだろう。動物的な本能にも近い」
 テュオハリムはグラスを傾けながら言った。
「だからこそ短期決戦というわけにもいくまい。ただ一瞬のご機嫌取りで懐柔されるような騎士ではないぞ、彼は」
 フルルが騎士なのかどうかはともかく、それには同意せざるを得なかった。そう容易いものなら餌付けやなんやらでとうの昔に仲良くなれているはずだ。それが叶わないからこその悩みとなっているわけで。
 それでもテュオハリムが言うことといえば、ひとつだった。
「気を長くすることだ。今日、明日、明後日と続けていけば、いずれはそれが道となる」
「はあ……」
 曖昧な返事はそっくりそのまま、わかったようなわからないような今の心情を表していた。そんな俺のことなどいざ知らず、テュオハリムは葡萄酒を煽りながら愉快そうに食事を続けていた。
 対話を続けるとは。気を長くするとは。食事の間も終わってからも、果てはカラグリアに戻る道中までずっと、同じ疑問は俺の頭の中にぐるぐると渦巻き続けたのだった。

 次にリンウェルに会った日は、約束していた通り遺跡探索に出かけた。青空にぽっかり雲が浮かび、穏やかな風が吹く心地よい日和だった。
 リンウェルは朝から妙に張り切っていて、手作りの昼食に俺の分の飲み物まで用意してくれていた。
「だってこうして二人で外に出かけるの久しぶりじゃん!」
 そう言ってスキップ半分で駆けていくリンウェルの無防備さには肝が冷えたが、幸いなことに遺跡に着くまでも着いてからもズーグルの襲撃に遭うことはなかった。土埃の少ない壁際の方で昼食を摂り、片付けを済ませた後で、リンウェルが満を持して立ち上がる。
「じゃあ私、奥見てくるから。何かあったら呼びに来てね。フルルのおやつは強請られてもあげすぎないでよ、また最近ちょっと太ってきたから」
 フル……と背後で情けない声が聞こえたが、俺は「わかった」とだけ言ってその背中を見送った。
 リンウェルが遺跡の奥へと姿を消すと、だだっ広い広間には俺とフルルだけが残された。木の葉が揺れてさざめく音がする。どこか遠くで鳥の鳴く声も聞こえてくる。
 俺は近くの石壁に背を持たれると、その場に足を伸ばして座り込んだ。尻やら手やらに砂のざらつく感触がするが、これだけ何度も似たような遺跡に来ていればもう慣れっこだ。
 頭の後ろで手を組み、軽く視線を宙に持ち上げる。埃っぽいような、湿っぽいような空気が舞うが、それほど不快ではない。ここが森の中に位置しているというのもあるのかもしれない。
 くあ、と生あくびをひとつ吐き出した時、「フル」という声と同時に足先を揺らされる感覚がした。視線を落とすと、フルルが不満そうな顔をして俺の脚を蹴飛ばしていた。「フル、フル」と翼の向ける方向にはリンウェルの鞄がある。どうやら「おやつを出せ」と言いたいらしい。
 言われた通りに鞄から缶を取り出すと、中身をその蓋にいくつか広げてやる。与えすぎるなと念を押されているので量には少々気を遣った。
 フルルはそれを端からゆっくりと突き始めた。ビスケットの欠片のようにも見えるそれは、微かに小麦の良い香りがした。もしかしてリンウェルの手作りか? ひとつ摘まみ上げようとしたところをフルルに突かれる。
「フル!」
 まるで威嚇のようなそれに慌てて手を離すと、フルルはこちらに鋭い視線を向けた。何もそんなに怒らなくたっていいだろうに。渋々諦め、フルルの様子を観察することに徹する。
 フルルはおやつを突いている時こそ満ちた表情をしていたが、俺が視界に入ると途端に目を細く鋭くした。この際もう嫌悪感を隠すこともしなくなっていた。
「どうしてお前はそんなに俺を嫌ってるんだ?」
 直接、直球な質問を投げかけてみる。
「なんでお前、俺にそんなに攻撃的なんだよ」
 テュオハリムのいう『対話』とは違う気もする。だが俺にはこうする以外の『対話』の方法が思いつかない。
「……あの日のことか?」
 その言葉に、フルルの動きが一瞬止まる。
 あの日――リンウェルがカラグリアに会いに来てくれた日。今でも思い出すたび苦い思いをしてしまうのは、リンウェルをひどく傷つけてしまったからだ。時間も金も労力もかけて会いに来てくれたリンウェルに、俺はそっけない態度を取ってしまった。
 余裕が無かったと言えば言い訳になるが、自分のことしか考えていなかった。挙句の果てにリンウェルに「迷惑だった?」などと悲しい言葉を言わせてしまった。
 あの時フルルは誰より腹を立てていた。俺の頭をこれでもかと突き、それはもうすべての毛髪を根絶やしにする勢いで責めた。
 それくらいのことをしたのだという自覚はあった。それでフルルやリンウェルの気が済むなら甘んじて受け入れる覚悟でもあった。実際はそうはならずに済んだわけだが。
「あの時のこと、まだゆるせないんだろ」
「……」
 フルルはおやつをひとつくわえたままそっぽを向く。
「あの時のことは……本当に悪かったよ。すげえ反省してる。馬鹿なことしたって、今も思ってる」
 あの時のリンウェルの表情を思い出すと、今でも胸が痛くなる。まるで心臓に刺さった棘が熱を持つようにじくじくと心を刺してくる。
「だからこそ、もう二度とリンウェルを悲しませるようなことはしない。あの日から、俺はそう決めたんだ」
 リンウェルをウルベゼクで見送ったあの日から、同じ過ちは繰り返さないと誓った。変に見栄を張ったり、隠し事をしたりしない。無理くりご機嫌を取るのではなく、多少ケンカになっても素直な気持ちを伝える。
 毎日顔を合わせられない以上、寂しい思いはさせるかもしれない。それでもできるだけ、リンウェルを不安な気持ちにはさせない、させたくない。
「リンウェルには笑っててほしいんだよ。お前も、そう思ってるんじゃないのか」
「……」
 フルルは何も言わず、こちらに背を向けたままだった。妙な沈黙の間に、またどこかの鳥の声だけが響いた。
 しばらくして、リンウェルが遺跡の奥から戻ってきた。
「ごめん! つい夢中になっちゃった」
 そんなのいつものことだろと思いつつ、大丈夫だと返事をする。その満足げな表情を見るに収穫は上々らしい。
「じゃ、そろそろ帰ろっか。今から戻れば夕方前には着きそうだね」
 リンウェルがそう言って鞄を手に取り、ノートやら筆記用具やらを中に押し込む。片付けを手伝おうと立ち上がった時、
「あれ、フルル? どこ行くの?」リンウェルの声が上がった。
 顔を上げると、フルルがどこかへ飛び去って行くところだった。こちらを振り返ることもなく、遺跡の入り口から外へと出て行ってしまう。やがてその羽音さえも聞こえなくなる。
 遺跡内に残された俺たちは二人で顔を見合わせた。首を傾げるリンウェルに俺も首を傾げた。
 一体どうしたというのだろう。俺の知る限り、フルルがこれまでこんな行動を取ったことはなかった。基本的にはリンウェルのそばにいて、遺跡探索の時は近くを飛び回ったり、荷物のそばで昼寝をしたりしていた。リンウェルが戻ってくれば喜んでまたその周囲を跳ねて回り、帰り道でもまるで従者のごとく付き従っていたのに。
 今日のようにリンウェルが姿を見せた途端どこかに飛び去るなんて初めてだ。おまけに行先を告げることもしないなんて。
「どうしちゃったんだろ。ロウ、ケンカでもした?」
 問われて「いや」と首を振る。少し『対話』はしたものの、あれはケンカとは違うだろう。それにフルルとケンカというなら、俺らはほぼ常時交戦状態にある。
「もう、帰るって言ってるのに。これじゃ待ってたらいいのか、探しに行けばいいのかわかんないよ」
 リンウェルが呆れたように呟いた。
 それを見て、ひとつ思うことがあった。遺跡に来てフルルがいないってことは、今俺たちは二人きりなのか。
 辺りは相変わらず静かで微かに木々の揺れる音がするだけだった。近くにズーグルの気配もない。
 待てよ、と思う。この状況に、不自然なタイミングでのフルルの退席。――まさかとは思うが、フルルは気を遣ってくれたのか?
 いやいやいや、と首を振る。だってフルルが、リンウェルに指一本触れることさえ許さなかったあのフルルが、敢えて俺たちを二人きりにするようなことがあるだろうか。
 いや、だからこそなのだ。ちっとも俺に気を許さなかったあいつが、今ここで席を外したのにはきっと意味がある。都合の良すぎる考えかもしれないが、これが先ほどの『対話』に対するフルルなりの返答なのかもしれない。
 気付くと当時に心臓は大きく脈打つ。俺の考えが間違っていないなら、ここは勇気の出しどころだ。
「しょうがないなあ。ちょっとフルル探してくるね」
 そう言って遺跡を出て行こうとするリンウェルを俺は咄嗟に引き留める。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 情けなくも声は上ずる。それでももう、引き下がることはしない。
「なに? どうかした?」
 リンウェルはこちらを振り返り、きょとんとした顔で首を傾げていた。垂れ下がった前髪が、さらりと揺れる。
「だ、抱き締めてもいいか」
 え、と間の抜けた声を出したと思うと、リンウェルはみるみるその頬を赤く染め上げていった。
「な、なに? どうしたの、急に」
 リンウェルは慌てたように言ったが、俺は何も言わずその目をじっと見つめ続けた。視線で訴えかけようと思ったわけではない。ただ単に次の言葉が何も出てこなかったのだ。
 リンウェルはさらに戸惑った素振りを見せながらも、やがて辺りをきょろきょろと見回した後で「ど、どうぞ」と小さく腕を広げた。
 ゆっくりとそれに近づき、ごくりと息を呑む。背中に腕を回してリンウェルを抱き締めると、心臓は痛いくらいに跳ね上がった。
 二本の腕に余るほどのリンウェルの身体は思いのほか細かった。本当に毎食きちんと摂っているのかと疑いつつ、髪やら服やら皮膚から香る甘い香りに頭が惚けてくる。女子って、リンウェルってこんないい匂いがするんだな。
「ちょ、ちょっと苦しいよ」
「わ、悪い」
 体を離すと、リンウェルは相変わらず赤い頬をしていた。まるでリンゴかイチゴか、そのくらい赤い。
 とはいえそれを笑うことはできなかった。自分もきっと同じ顔をしているだろうから。
「……ねえ」
 ふとリンウェルがこちらを覗き込んでくる。
「……抱き締める、だけ?」
 えっ、と声が出て今度周りをきょろきょろ見回したのは俺の方だった。
 辺りに誰の気配もないことを確認すると、俺はそっとリンウェルの唇に自分のそれを重ねたのだった。

 二人で遺跡を出ると、それまですっかり気配を消していたフルルがどこからともなく現れた。そのまま何も言わず、それでいて何事もなかったかのように俺の左肩にとまり、「フル」とひと鳴きする。旅をしていた頃よりも一回りも二回りも大きくなった体躯は、もはや仔フクロウとは呼べやしない。
「もう、フルルってばどこ行ってたの」
 探したんだよ、とリンウェルが言うと、フルルは「フルル、フル」と返事をした。どこか得意げではあるが普段通りを装うその声は「その辺で散歩してただけ。どうぞお構いなく」とでも言っているようだった。
「どうせ水でも飲みに行ってたんだろ。こいつにひとりで遠くまで行く勇気なんかないだろうし」
「フルッ!」
 身体同様大きくなった翼で頭をはたかれる。羽毛がもこもこしている分、こちらにダメージはほとんど入らない。嘴や体当たりでの直接攻撃の方がよっぽど痛い。
「もしくは腹減ってつまみぐいか? 魚でも取ってたとか」
「フルル、フゥル」
「夕飯前にそんなことしないって? どうだかな。さっきまですげえ勢いでおやつ食ってたし」
 再び振るわれた翼を腕で受け止めながら互いに睨みをきかせる。この体重にこの力の強さ、やっぱりもうフルルは仔フクロウではない。
 リンウェルはそんな俺たちの様子をまじまじと眺めていた。少し不思議そうに、そしてどこか嬉しそうに笑い「二人とも、なんかちょっと仲良くなったみたいだね」と言った。
「なんか、いつもより距離が近いような気がする」
「だってよ、フルル。どう思う?」
 俺の言葉にフルルはにんまりと笑みを作りつつ、脚に力を込めてきた。鋭い爪がじわじわと肩に食い込む。おい刺さってる、刺さってるぞ。
 とはいえここで痛いと言ったら負けだ。俺もまた笑みを作り、フルルと視線を交わした。おそらく間に散るこの火花は今後も消えることはないのだろうなと思った。
 決して仲良くなったわけではないし、わかり合えたわけでもない。それでも今日はひとつ、気付いたことがある。
 俺もフルルも、思うところは同じなのだ。――リンウェルを大事にしたい。
 果たしてそれにふさわしいのか、きちんと遂げられるのか、一生続く俺の挑戦をフルルが見届ける。一瞬たりとも気を抜いてはいけない。気が緩んだ瞬間、白い弾丸による天誅が下る。
 それがきっと俺たちなりの『対話』なんだろう。とはいえリンウェルに触れるくらいは日常でも許してもらいたいところではあるが。
「フゥル!」
 フルルが俺の肩を蹴って空へと飛び上がる。木々の梢を縫ってリンウェルのそばへと駆け寄ると、柔らかい風が立った。リンウェルが笑う。フルルも嬉しそうな声を上げる。
 そんな光景を見て、まあいいかと思えてきた。機会というならいくらでもある。
 何せ俺たちは将来を約束した仲なのだ。フルルも含め、俺たちが一緒に過ごす先は長い。
 気長に行け。その意味がようやく今わかった気がする。
 今日、明日、明後日と日々をともに紡ぐこと。それこそが俺たちがわかり合える一番の近道なのだ。

 終わり