さて、いったいどうしたものか。ロウは今朝から考えを巡らせ続けていた。
あの〈依頼〉の一件を経て、ロウはリンウェルから便利屋にも定休日を設けるべきと提案を受けていた。整体はあくまで一時的な処置で、これから先を長い目で見るのなら定期的な休息日は必要不可欠ではないか、というようなことを言われたのだ。
「いくら体力が有り余っててもだらだら走り続けるのは良くないよ。仕事は仕事、休みは休み。ほら、鍛錬だってたまに休んでるじゃない」
筋肉を引き合いに出されては頷くしかなかった。忙しい日々の中に適度に休暇を挟むことで生活にメリハリをつけた方がいい、というのもリンウェルが主張したいことの1つだったようだ。
そもそもロウだって休みの日を設けること自体には賛成で、反論しようとはこれっぽっちも思っていなかった。自分はともかく、その方がリンウェルも体調管理がしやすくなるに違いない。リンウェルにこの間のようなことが起きる可能性が減るというだけでも、少なくともロウにとっては魅力的な提案と言えた。
一方で、ロウはその休暇の使い道というのがよくわかっていなかった。今日だって便利屋創業以来、初めての〈定休日〉を迎えたわけだが、ロウは朝から便利屋のソファーに寝転がってぼうっと天井を見上げるだけだった。
「せっかくのお休みなんだから、今回は体も心も休めること!」
そんなふうに仕事どころか鍛錬や修練場に行くことさえ取り上げられてしまっては他に行きたいところも思い浮かばず、時間を潰すあてはさっぱり見つからなかった。娯楽の数ならダナ随一とも謳われるこのヴィスキントで、こんなふうに古ぼけた天井の穴ぼこの数を数えているのは自分だけではなかろうか。そうしているうちどこまで数えたかわからなくなって、ロウはまた端の方から1つ2つと穴ぼこを数え始めるのだった。
とはいえ今日に限っては、ロウがこうしてぼうっと天井を見つめているのにはもう1つ理由があった。頭の半分では穴ぼこを数えつつ、もう半分はロウなりの速度でフル回転させていた。
ロウはリンウェルに何か贈り物がしたいと考えていた。積もり積もった日頃の感謝の気持ちを、贈り物で示したいと思ったのだ。
それは便利屋の雑務に対してだけじゃない。日頃の生活でもロウはリンウェルに食事を作ってもらうこともあれば、一緒に買い出しについてきてもらうこともあった。世話になっているどころではなく、たかが一日の看病では返しきれないほどの恩を受け取っていた。
ここで恩という言葉を使えばまたリンウェルは嫌な顔をするのだろうが、今はそう表現するしかないだろう。何せ自分はまだ何ひとつ返せていないのだ。それに見合う行動を取るどころか、はっきりとした言葉にすらできておらず、いの一番に伝えなければならない言葉をいまだ腹の中に抱え込んだままであるというのはなかなか堪えがたいことでもあった。
それなのにリンウェルときたら、あろうことかあの日の「礼」だと言ってさらに恩を重ねてくるではないか。こちらの身体をメンテナンスする機会を与えてくれた上、美味い飯もたらふく食べさせてくれた。それを自費で賄って、〈依頼〉と称してまで。
「礼」をしなければならないのはこちらの方だというのに。
もはやこうなっては言葉どうこうの問題ではない。リンウェルが見返りを求めるような性格でないことも重々わかってはいたが、だからといってそれに甘えるようなことはしたくなかった。これだけのことを与えてもらっている上、さらに自分の時間を削ってまで勉強してくれていることに対して、たった5文字の言葉を吐くだけで済ませられるだろうか。
何よりそうしなければ自分の気が済みそうになかった。ある意味エゴとも取られそうな行動ではあるが、それだけが唯一自分がリンウェルに示すことのできる誠意でもあった。
そこで話は最初に戻る。リンウェルに贈り物をしたいが、いったい何を贈るべきなのだろう。定番のものと言えば花だったり、食べ物だったりするのだろうが、今回はいつものような土産に近い贈り物でなく、きちんと気持ちのこもったものにしたいと考えていた。なら、いつもよりちょっとお高めの菓子でも買うか? いやそれより、あいつの好物を大量に購入した方がいいんじゃないか。脳裏に過ったのは紙箱にすし詰めにされたドーナツで、その程度の案しか思いつくことのできない自分にロウは心底がっかりした。
壁の時計を見やると、まだ昼よりも少し前の時分だった。こうしてだらだら過ごしているとなんだか時間の進みが遅い気がする。それはそれで贅沢な休暇の使い方なのかもしれないが、まるで自分には似つかわしくないなとロウは思った。
外に出たのはその直後だ。単に気分転換がしたかったのと、腹が空いてきたためだった。ロウは大通りからさらに一本奥の通りへと進むと、あの頑固な店主のいる食堂へと向かった。
店はまだ混雑しておらず、客もまばらだった。ロウに気付いた店主が自ら出てきて「よう、元気してたか」などと声を掛けてくるくらいだ。これから始まる昼のラッシュに比べたら、このくらいの客数は数にも入らないのだろう。
ロウは店主に挨拶を返しつつ、メニュー表を広げた。今日は肉という気分でもなく、ガッツリ系という気分でもない。ただ腹は空いているので、量は多い方がいい。だからって、辛いものって感じでもないんだよなあ。
ロウが迷っていると、怪訝そうな顔をした店主がこちらを覗き込んでくる。
「お前さんがメニューで迷うなんざ珍しいな」
何か悩み事か? と問われて、そんなに深刻な顔をしていたのかと、ロウは窓に映った自分の顔をしげしげと見つめた。
「お前さんはわかりやすいからなあ。『絶賛悩み中です』って、顔に書いてあるようなもんだ」
ロウは頬を撫でながら、とりあえず今朝から悩んでいることを打ち明けてみることにした。ここの店主は口は悪いが人生経験は豊富で、ロウともそれなりに長い付き合いだ。もしかしたら参考になるアドバイスをもらえるかもしれない。
「贈り物をしたい相手がいるんだけど、何を買ったらいいかよくわからねえんだ。できれば日頃の感謝を伝えられるものがいいんだけど……」
ぎこちなく、なんとか言葉を紡ぎ出すようにロウが言うと、店主は一瞬目を丸くした。そしてすべてを察したかのような顔をしたかと思うと「そうかそうか」と何度も頷いた。
「へえ、あのお前さんがねえ、ははあ、なるほど」
「な、なんだよ」
「いやあ若いっていいなあ! 俺もあと10年若けりゃな!」
羨ましいな! と言って、店主はロウの肩をバンバン叩いた。まるでハンバーグの空気を抜くように力強くて、しなやかな手つきだった。
「よしきた。経験豊富な俺から助言してやろう」
ロウは、おお、と身を乗り出した。その一言を待っていたのだ。
「贈り物といえば」
「いえば?」
「…………あー、花束、とかじゃねえか」
え、とロウは声を漏らした。「……他には?」
「他ぁ? あー……あとは菓子とかじゃねえか。ほら、ちょっとお高めのやつだ」
ロウは心の中でほくそ笑み、同時にほっと胸を撫で下ろした。ここにも自分と同類がいたとは。
「なんだ、その何か言いたげな顔は」
「いや、別に」
口元を緩ませつつロウは首を横に振った。店主はそんなロウの視線から逃れるようにして、そもそも、と声を大きくする。
「感謝を示すってんなら、飯を奢ってやればいいんだ。美味いもん食わせてもらって文句が出る奴はそうそういない」
そう言って店主はエプロンのポケットから何やら紙切れを数枚取り出した。端のちょっとよれたそれには手書きの文字で〈割引券〉と大きく書かれていて、どうやら店主のお手製のようだった。
「その時はこの店を使うといい。できる限りのサービスはさせてもらうぜ」
店主は歯茎を出してニカッと笑ったが、自分がこの券を出した時点でその時だとバレるじゃないか。それはそれで恥ずかしいなと思いながら、ロウは「ありがとな」とその券を自分のポケットにしまった。
昼食を済ませ食堂を出たロウは、今度は市場の方へと向かった。贈り物に花はあまりに安直だと思ったが、あの店主も真っ先に挙げたのだから候補としては間違いないのだろう。そういえば花屋には知り合いがいるなと思い出し、せっかくなので意見を聞いてみることにした。
店先にはあの娘がいた。いつも店内で忙しく動き回っている父親の姿は今は見えない。昼休憩にでも入っているのだろうかと思いながら、ロウは娘に話しかけた。
「よう、久しぶり。商売は順調か?」
「あら、ロウさん。お久しぶりです。おかげさまで、それなりにやっていますよ」
父も店も、と笑う彼女の頬が小さくくぼむ。そりゃあよかった、とロウも笑顔で返した。
当たり前のことだが、花屋にはたくさんの種類の花が並んでいた。色も様々で、同じ種類であっても価格に差がつくこともあるらしい。こんなふうに花をまじまじと見つめるのは娘から依頼を受けた以来で、ついロウはそれらに見入った。
そんなロウを見て娘は一言、
「珍しいですね。どんな心境の変化ですか?」などと言う。
「あんたもなかなか言うよな。仮にも今は客だぜ」
「ふふ、ごめんなさい。でもロウさんってば、いつもこの店は素通りだから」
確かに彼女の言う通りではあった。ロウは肉や米に興味は示しても、花にはほとんど見向きもしてこなかった。腹の膨れないものにはなかなか関心が湧かなかったのだ。
それなのにこういう時だけなんて都合のいい。思いつつ、ロウは娘に悩みの種を打ち明けた。
彼女は話を聞きながら「あらあら」と言って手を口元に押し当てた。が、それはたちまちむくれたような顔へと変わった。
「もう、どうしてもっと早く言ってくれないんですか」
「え?」
「そういう時こそ花屋の出番でしょう。贈り物といえば花束。花束といえば贈り物。道理ですよ」
早口でまくし立た彼女だが、その目には炎が宿っているように見えた。普段から花に並々ならぬ情熱を注ぐ彼女だが、なんだかそれ以上に気合が入っているようだ。
「お相手の好きな色とかわかります?」
訊ねられて、ロウは思わず首を傾げた。好きな菓子や物は知っているが、どうも好きな色については聞いたことがない。身に着けている衣服は青色だが、それも別に自分で選んだものではないだろう。
「じゃあ、イメージする色とか。アクセサリーなどは、好みが出たりしますね」
そう言われて思い浮かんだのは、リンウェルがいつも使っている髪留めだった。黄色というか、実際は光っているから金色なのだろうか。
「なるほど、黄色系統ですね」
「そういえば、白も好きだと思うぜ。丸っこくてふかふかのやつ」
「丸くて白色の花はありますが、ふかふかとなると難しいですね。その辺は包み方などで工夫しましょう」
娘は服の両袖を捲ると、目の色を変えて花束の製作を始めた。水桶に入れられた花の中から条件に見合うものを選び、手の中で次々束ねていく。時折色味や花の開き具合も確認しながらバランスを調整しつつ、それでいて手早く花束を作り上げていった。
「こんな感じでどうでしょう」
白い紙に包まれた小ぶりの花束は、それは可愛らしく仕上がっていた。白色を基調に黄色やオレンジのガーベラが映える。間に覗く淡いピンクのローズが華やかで、いかにも女性らしいデザインとなっていた。
きっと自分が指示を出したんじゃこうはいかない。たとえすべてリンウェルの好きな花で固めたって、これほど可憐にはならないだろう。
「やっぱ専門家は違うな」
「お気に召したなら良かったです」
にっこり笑った彼女が「おまけです」と言って刺してくれたのは、ダナフクロウをモチーフにしたピックだった。そこでロウは、あれ、と思う。
「こんなことを聞くのは野暮ですが、お相手ってあの事務所にいらっしゃった方ですよね。白いフクロウをフードに連れてる」
ロウは何と答えていいかわからず、視線をあちこち泳がせたまま「いや」だの「まあ」だの曖昧な返事をした。みるみる羞恥が集まった頬は熱くなり、きっと今は耳まで赤い。なんだよ、気付いてたなら初めから言ってくれよ。
「もしかしたらそうかなって思ってはいたんです。ただ確信がなくて、でも先ほどの色のイメージで、ああ、そうなんだろうなって」
「だったら最初から隠すことなかっただろ。なのに俺ときたら、ひとりであれこれ隠したり濁したりしてたわけか……」
すげえ恥ずい、とロウが言うと、娘はいいえ、と首を振った。
「恥ずかしくなんかないですよ。感謝を伝えることって、とっても大事なんですから。ロウさんが勇気を出して用意された花束は、きっとお相手の方にも喜ばれます」
絶対です、と言った彼女の目は確信に満ちていた。こんな見事な花束を渡すのは勇気が要るだろうが、ここまで背中を押されてはもう後には引けない。
「笑われたらその時だ。せいぜい頑張ってみるか」
「その意気です」と言った彼女は自分の右手で拳を作ると、健闘を祈るとでも言うようにロウに強く突き合わせてきたのだった。
花束を小脇に抱えながら、ロウは市場を後にした。便利屋に戻ろうと思い、大通りを歩いていると「あ! ロウくん!」と後ろから声が掛かった。
振り返った先にいたのは白い猫を抱いた少女で、ロウはそれを見てすぐさま彼女があの初依頼の少女だと気が付いた。
「おお、久しぶり! ってそうでもねえか。この間も会ったよな」
何せ少女の両親が営んでいるパン屋には頻繁に通っている。美味い、大きい、安いと3拍子揃ったベーカリーはヴィスキントでもかなり人気があった。
先日もロウは店で少女と顔を合わせていた。店内にずらりと並んだパンのほか、焼き菓子の補充の手伝いをする少女は、上質な菓子だけでなく無垢な笑顔までも客に振り撒き、今やベーカリーの看板娘となりつつあった。一方、彼女に飼われている猫もその人懐こい性格で道行く人を魅了し、店先で客引きならぬ招き猫として売り上げに随分貢献しているようだった。
「今日は手伝いしねえのか?」
ロウが訊ねると、少女はううんと首を振った。
「お手伝いは夕方から。だから今はリンちゃんとお散歩中なの」
不意に出た『リンちゃん』にロウの心臓はどきりと大きく跳ねたが、それは猫の名前だったなと思い直し、平然を装った。
「その花束、きれいだねえ」
不意に少女がそんなことを言うものだから、ロウはややたじろいだ。それも当たり前か。こんな可憐な花束を持っていたら、相手が少女じゃなくたってその目を引くはずだ。
「わあ、いいにおいもする! 誰かにあげるの? リンちゃん?」
いきなり図星を突かれ、ロウは思わず吹き出しそうになった。今度の『リンちゃん』はそっちの『リンちゃん』だ。
まさかこんな幼い少女にまで見破られるなんて、もしかして俺ってそんなにわかりやすいのか? もしやまた顔に何か書いてあるんじゃ……。ロウは再度、近くの店の窓に映った自分の顔をじっと見つめた。
「この黄色いお花とか、リンちゃんの髪留めみたいだもんね。真っ白なお花はフルルかな。リンちゃんもきっと喜ぶね。お花、好きだって言ってたもん!」
「そうなのか?」
「うん。この前、うちのお店に来た時に、飾ってあるお花見ながら『きれいだね』って。『リンちゃん、お花好きなの?』って聞いたら、『うん、大好き』って」
「そ、そっか」
それを聞いて、ロウは内心ほっと胸を撫で下ろした。少なくともこの花束を渡して嫌な顔をされるということはなさそうだ。
「ロウくんは、リンちゃんを喜ばせたいの?」
「ん? ま、まあ、そうなるかな」
「じゃあ、うちのパンも買っていってよ! リンちゃんはうちのパンも大好きだよ!」
少女に手を引かれるまま通りを抜け、ロウが辿り着いたのはごく馴染みのある店舗だった。
「いらっしゃいませ! って、あらあら」
奥から出てきたのは少女の母親で、ロウとその手を引く少女を見て申し訳なさそうに笑った。
「ロウくんがね、リンちゃんにこれあげるんだって!」
少女が屈託のない笑顔で花束を示すと、ロウの顔からは今にも火が上がりそうになった。
「だから、うちのパンも一緒にあげるの!」
リンちゃんは甘いパンが好きなんだよ、と少女は自らパンを選んでトレイに載せていった。「リンちゃんはお菓子も好きだから、これもきっと気に入ると思うなあ」
窓の外では、ドアのところに繋がれた白猫が興味深そうに店内の様子を覗き込んでいた。少女の動きに合わせて動くさまが、まるで仲の良い姉妹のようにも見えた。
そんな無邪気な少女たちを微笑ましく思う一方、ロウは気恥ずかしさのあまり穴があったら入りたいと心から願っていた。だが、いたたまれない気持ちになっていたのは少女の母親も同じだったようだ。
「どうもうちの子がすみません……本当にお2人のことが大好きなようで」
「いやいや、」ロウは慌てて手を振った。
「むしろこっちこそ気にかけてもらってありがたいっつーか」
母親はもう一度申し訳なさそうに笑った後で、
「お詫びのつもりでもないんですが、少しおまけしておきました」と言った。
紙袋の中には少女の選んだパンや菓子のほかに、たくさんの果物がのった美味しそうなパイが入っていた。
「今日できたばかりの新作、お気に召すといいんですけど」
母親は控えめにそう言ったが、ロウはこれはきっとあいつが気に入るに違いないなと確信したのだった。
◇
まさか2時間もかかるとは。
それだけの時間を、ロウはあのベーカリーを出てからたった数百メートルも離れていない便利屋に戻るまでに要したのだった。
あの後、通りを歩いていてロウは再び声を掛けられた。花束が目を引いたのか、あるいはベーカリーの紙袋の方か。もしくはそのどちらもだったのかもしれない。
声を掛けてきたのはやはり以前仕事を受けた元依頼人で、元気にやっているか、その荷物はどうしたんだ、などと問われ、軽く事情を説明すると「だったらいいものがある」とロウをぐいぐいと己の店に誘い込んだ。その過程でまたしてもほかの元依頼人に会い、さらに「これもどうだ」「こっちもあるぞ」と手土産品を押し付けられ、その繰り返しが続くこと数回。
便利屋に戻ってきたロウは、テーブル上の今日の戦利品を前に、再び考えを巡らせていた。
さすがにやりすぎたかもしれない。
食堂の店主からもらった割引券や、花屋で作ってもらった花束、ベーカリーで買ったパンや菓子まではいい。野菜の詰め合わせや、何をモチーフにしているかもわからない遺物(のようなもの)、表紙の剥げかかった古書まで用意する必要はなかったんじゃないか。
おまけに端にはドーナツまでもが並んでいる。これも以前手伝いをした店の親父の口車に乗せられたからだ。「あの子のためだっていうなら、特別におまけしてやってもいい」だなんて、さすがにそれはずる過ぎる。気が付いた時には財布を出していて、箱入りのそれと引き換えに代金を支払っていた。
確かにどれもこれもリンウェルの喜びそうなものではあった。とはいえこれはちょっと用意しすぎじゃないか。さらにこの中から厳選するにもどれが適当なのかもわからないし、「そっちの方が良かった」などと言われてしまってはこれまでの苦労が水の泡だ。
だからって全部渡すにしても、ちょっとなあ。花束やドーナツはともかく、遺物や古書は包装すらされていない。これらの統一性のなさには頭を抱えるばかりだった。
普段ほとんど使うことのない頭をひたすら回転させていたからだろうか。ロウは次第に腹が減ってきて、きゅるる、と情けない虫が鳴くのも聞こえていた。
目の前には揚げたてのドーナツたちが甘い香りを放っていて、箱の隙間から「食べて」とロウをいざなっているようにも見えた。
(1個くらい許されるだろ)
そうしてロウがドーナツの箱に手を掛けた時、便利屋のドアが叩かれる音がした。思わず心臓が跳ね上がる。
〈定休日〉の貼り紙は確かにしてあったはずだ。それなのにいったい誰が。
そう思ってロウが扉を開けた瞬間、そこに立っていた人物を見てぎょっとした。
「こんにちは。どう? ちゃんと休んでる?」
訪ねてきたのはリンウェルだった。いつもの格好、いつもの鞄を持って、フードからはフルルがこちらを覗き込んでいるのが見えた。
「な、なんだよ。どうしたんだよ急に」
「うーん、特に理由はないんだけど。強いて言うならヒマだったから、ロウがちゃんと休んでるか見に来たの。また修練場にでも行ったんじゃないかと思ったんだけど、大丈夫だったみたいだね」
感心感心、と言って部屋に上がり込んで来ようとするリンウェルに、ロウは「ちょっと待った!」と声を掛けた。が、時すでに遅し。
「……どうしたの、これ?」
そもそもテーブルいっぱいに繰り広げられたそれを今さら隠すことなど不可能で、ロウが今日一日をかけてかき集めてきた品々はすべてリンウェルのもとに晒されることとなった。
「何これ。なんでこんなたくさんものがあるの?」
リンウェルはテーブルに近づいてまじまじとそれらを見つめると、不思議そうに首を傾げた。
「花束に野菜に割引券……? あ、これ、あそこのベーカリーの! って、ドーナツもあるじゃん! しかも箱!」
遺物に古書もある! 何これ! どうしたの! リンウェルの好奇心は傍から見てもわかるほどめきめき高まっていく。
どうしよう。ロウは先ほどよりもずっと強くそう思った。何をどうリンウェルに贈ろうかと考えていたら、まさか本人が現れるなんて。今日という日は恐ろしくタイミングに恵まれているらしい。そんな中、ぎりぎりでドーナツの箱を開けていなかったことだけは自分を褒めてやりたいと思った。
とはいえ、こうなったら選択肢などほかに残されていない。ロウはテーブルの上から花束を選んで引っ掴むと、それを思い切ってリンウェルの目の前へと差し出した。
「えっ、えっ、何?」
戸惑い、ロウの顔と花束を交互に見つめるリンウェルに、ロウは大きく息を吸って言った。
「いつも、ありがとう」
絞りだした声はこれまたぎりぎり、震えてはいない声だった。
花束と共に事情を説明すると、リンウェルは驚き、そしてあっけらかんと笑った。
「ロウも律儀だよね。別に、お返しなんかいらなかったのに」
「そういうわけにもいかねえだろ。もらうだけもらっておいて俺からは何もしねえとか、どんだけ不義理だよ」
そこまで無神経ではない、とロウは強く主張した。言動にデリカシーが欠けることはままあるが、受けた恩や借りに関してはそれなりに執着する方だ。
「それに、ただのお返しかっていわれると、そうでもない」
「どういうこと?」
リンウェルが首を傾げる。
「もちろん感謝はしてるし、お返しの意味もあるけど、半分はただ俺があげたかっただけっつーか……」
はじめこそ何が贈り物として相応しいか考えていたが、それも途中からは記憶の彼方だった。思い浮かんでいたのはリンウェルの反応や、笑顔ばかりだった。
「こう言ったらあれだけど、俺、お前を喜ばせたかったんだ。礼とは別にして、お前が喜んで笑ってくれたらって」
その結果がこのテーブルの上のものだ。リンウェルの好きそうなものばかり追い求めていたら、自分でも収拾がつかなくなってしまった。
どれが最もリンウェルを喜ばせられるものかもわからなかった。これだけ長い時間を一緒に過ごしてきたのに、色の好みひとつさえ知らないとは。
それでもリンウェルは「ありがとう。嬉しい」と言ってくれた。
「ロウがそこまで考えてくれたなんて、かいがいしく世話をやいてきたかいがあったね」
いたずらっぽくリンウェルが笑う。
「それに、お礼っていうならこれ以上のことはないよ。ロウが自分で満足するものじゃなく、私が喜ぶものを贈ってくれたなら、それが一番だと思わない?」
リンウェルはもう一度テーブルの上のものを見回した後で、これらはすべて自分が受け取ると高らかに宣言した。
「でもさすがに多くないか? 必要なものだけ選んで持って行っても――」
「いいの。ロウが私のために用意してくれたんだから、要らないものなんてないよ」
リンウェルは手元の花束を見てふっと優しく微笑んだ。そして柔らかく目を細めると、
「ありがとね、ロウ」
と言ったのだった。
リンウェルの提案で2人はおやつ休憩を取ることにした。ミニキッチンで淹れた茶を片手に、ロウは今朝からの出来事を詳しく語ってみせる。一方のリンウェルは上機嫌そうに相槌を打ちながら、早くも2つ目のドーナツに手を付けるところだった。
「それにしても、皆優しいね。自分の仕事もあるのに、手伝ってくれるなんて」
「おう。中には俺より気合の入ってる奴もいたっけな」
目の中に炎を宿した花屋とか、自ら進んでパンを選ぶ少女とか。野菜を譲ってくれた農家の女性は、「今度おすすめの献立も紹介してあげるよ!」などと息巻いていた。今思えば燃え上がっていたのは女性ばかりだったが、もしかしたら贈り物に関しては男性よりも女性の方が強く気持ちが駆り立てられるのかもしれない。
「この本も遺物も、譲ってもらったものなんでしょ? 買ったら結構するだろうなあ。そこそこ年季入ってそうだし」
ほらこの部分、とリンウェルは遺物の欠けたところをこちらに示したが、ロウには何のことやらさっぱりわからなかった。どうして欠けているのに値段が上がるんだ。普通逆じゃないのか。「君にはまだ早かったかな」という誰かの声が聞こえる気がした。
まだまだ理解できないことは多い。遺物はともかく、ずっと一緒にいるリンウェルの好みだって。
それでもこれらロウが用意したものすべてに対してリンウェルは「嬉しい」と言ってくれた。その満面の笑みを見られただけでも、今日1日を費やしたかいがあったなと思った。
「なんだかんだ、この街の人ってお人よしだよね。もともとそういう気質なのかもしれないけど、最近はより実感するっていうか」
ロウもリンウェルのその考えには同意だった。この街の人は初めて訪れた時から随分と親切だったが、ここに暮らすようになってから、あるいは便利屋をはじめてからはいっそう強くそう思うようになった。
今日だってそうだ。ロウの個人的な悩みも誰一人無下に扱うことはなく、皆親身になって話を聞いてくれた。「困っている時はお互い様」と手まで貸してくれて、そのおかげでロウは目的を達成することができた。
誰かが困っているのを他人事にしないというのは、簡単なようでなかなか難しいことだ。生きていくのに必死だったつい数年前のことを考えれば、誰も彼もが手を差し伸べられるわけじゃない。
それでもこの街の人々は皆逞しく、それができる強さを持っている。そして、そういう人の数が徐々に増えているような気もした。でなきゃ1日でこれほど人の親切に触れられるはずがない。まさに今日、ロウは人の優しさの連鎖を垣間見たのだった。
「親切は伝染するものなのかもね。人から人に、国から国に」
ドーナツを1つ手に取ったリンウェルが、それをロウへと差し出してくる。ロウはやや面食らいながらも、サンキュ、とそれを受け取った。
「そのきっかけが便利屋だと良いね」
「ああ、そうだな」
ロウは頷いて、受け取ったドーナツに大きく一口かぶりついた。
ふと、ロウは座っている自分のポケットに違和感を覚えた。何やら小さくて硬いものの感触がする。
布越しにそれに触れてはっとした。そういえば便利屋までの帰り道の途中、シスロディアの商人からこれも贈り物にどうかと受け取ったのだった。
ロウはひとつ息を呑むと、意を決して声を掛けた。
「あ、あのさ、リンウェル」
「なに?」
ロウは右手の指先をそっとポケットに這わせ、中にある木彫りのそれに触れる。
「もう1つ、渡したいものが――」
と、その時、
「すみませーん。便利屋さーん」
便利屋のドアが叩かれるのと同時に、いませんかー、などという気の抜けた声が聞こえた。
「……なんか、呼ばれてるね」
窓の外には見知らぬ男の影。辺りをきょろきょろと見回し、どうにも落ち着かない素振りを見せていた。
「〈定休日〉って書いてあるはずなんだけどな」
「まあまあ、それだけ頼られてるってことでしょ」
ほらほら、とリンウェルに引っ張られるようにしてロウは立ち上がる。
「まずは話だけでも聞いてあげようよ」
そう言ったリンウェルがなんだかとても楽しそうだったので、ロウも肩の力が抜けていくような気がした。
まあいいか。これを渡すのはまた今度でも。ロウはポケットから手を引き抜いた。
何せ時間ならたっぷりとある。俺たちの便利屋はこれからも続いていくのだから。
何かを成し遂げられた時、あるいはそう確信できた際にでも渡せたらいい。その時、この気持ちをきちんと声にして伝えられたらもっといい。
どのくらい先になるかはわからないが、いずれ来る時まで大事に取っておこう。ついでにその覚悟も決めておかなければ。
なんにせよ、今は目の前の仕事だ。果たして今回の依頼はどんなものになるのやら。
ロウは軽く身なりを整えると、ひとつ咳払いをしてドアを開けた。瞬間、入り込んできた爽やかなメナンシアの風がふわりと頬を撫でた。
「はい、便利屋。今日は何の困りごとだ?」
終わり