ヴィスキントで便利屋を始めるロウの話。だいたい1話完結の連作短編。喋るモブがいっぱい/全部捏造/強めの幻覚/何でも許せる人向け(約6,000字)

3.便利屋、順調です

 便利屋の朝は早い。
 夜明けとともに目を覚ますと、ロウはひとつ大きな伸びをした。凝り固まった筋肉をほぐしてやると、頭はたちまち覚醒へと向かう。
 ベッドを抜け出し、階段を下りる。部屋を出てものの数秒で職場に着くというのはなかなかに便利なものだが、寝坊とは縁遠いこともあってそのありがたみがいまいちよくわからない。自分のような早起き体質でなく、リンウェルのように朝に弱い人間ならその恩恵にあずかれたのだろうが。
 洗面台で顔を洗うとキッチンに向かった。小さな保存庫からパンを取り出し、一枚齧る。グラスに注いだミルクでそれを流し込むのはカラグリアにいた時とほとんど変わらない朝食の光景だ。薄暗い部屋の中でこうした物寂しい食事を摂っていると、ふと旅をしていた頃が恋しくなることもある。あの時はキサラが朝から見事な料理を出してくれていたが、それはとんでもなく恵まれていたことだと今更になって知った。栄養バランスの考えられた食事を食べられることも、それを用意してくれる人がいることも、この上ない贅沢だったのだ。
 食事を終えると着替えを済ませ、身なりを整えて事務所を出た。今日は朝早くから依頼が入っていた。
 仔猫の一件以来、便利屋には次々と依頼が舞い込んでいる。というのも、あの少女の家は実はヴィスキントではなかなかに有名なパン屋を営んでおり、そこに貼り紙を出してもらえるようになってからというもの、依頼が絶えないのだ。
 実はリンウェルも行きつけにしていたというそのパン屋を二人で訪れると、少女は元気そうに過ごしていた。仔猫のことは母親に頼み込み、自宅の二階でならという条件付きで飼うことを許してもらったのだという。
 念願だった名前も付けられていた。その名も『リンちゃん』。リンウェルが由来なのだそうだ。
「そこは俺じゃないのか……」
「だって女の子だったから……」
 しょぼくれてみせたのは冗談のつもりだったが、素直な少女は真に受けてしまったらしい。その代わりというわけではなかったが、パン屋の一番目立つところに便利屋のチラシを貼ってもらえることになった。
「お客さん、たくさん来ると良いね!」
 少女の願いのおかげか、あるいは仔猫が招き猫だったのか。翌日から便利屋には問い合わせが多く寄せられた。てんやわんやしていたのはロウではなく、経理兼スケジュール担当のリンウェルの方だった。
 今日の依頼先へ向かっている途中、一本入った通りにある食堂の看板が目に入った。扉は閉じられていたが、中ではおそらくあのこだわりの強い男主人が仕入れを済ませ、開店に向けて仕込みを始めているのだろう。ここへと通った日々を思い出してロウは懐かしさを覚えた。
 チラシを貼って早々寄せられた依頼の内の一件が、その食堂からのものだった。なんでも、給仕の一人が急に辞めることになったらしく、緊急に手伝いにきてほしいという内容だ。時間は店が混雑する昼から夜で、期間は次の給仕が見つかるまでの1週間ほど。提示した料金に加えて2回のまかないもつけると言われると、飛びつかざるを得なかった。
 揚々と店で勤め始めたロウだったが、誤算があった。給仕なんて言われた通りに料理を運べばいいだけと思っていたが、これが大間違いだったのだ。この食堂は小ぢんまりとしている割にメニュー数が多く、そのすべてを把握するのに時間がかかった。またどの料理も人気があるため注文が偏るということもない。その中で注文は正確に取らなければならないし、料理の皿は熱いし重いし、会計の計算は難しいしで散々だった。しかもどれもこれも手早く行わなければならないので、余計に焦ってしまう。
 初日こそ荒っぽい性格の主人に何度も怒鳴られはしたが、3日目まで来るとその忙しさにも段々慣れてきた。5日目にはそらで注文を取れるようになっていたし、皿を運ぶのにも手間取らなくなっていた。会計だけはどうにも苦手なままで、計算はほかの人にやってもらっていた。
 最終日の夜、店の扉が開く音がして反射的に「いらっしゃいませ」と振り返ると、そこにはにっこりとした笑みを浮かべるリンウェルとフルルが立っていた。思わず顔がひきつるが、背後の主人の気配にぐっと堪え、「こちらにどうぞ」と二人をできるだけ端の席に促す。
 接客するふりをしながら、ロウはリンウェルに小さな声でぼやいた。
「なんだよ、ひやかしに来たのかよ」
「まさか。ロウの働きぶりを確認しにきただけ」
 メニューを眺めていたリンウェルは、オムライスひとつ、と言って微笑んだ。この店の一番人気メニューを見抜くとはさすがヴィスキントに長く住んでいるだけある。
 この食堂の料理はリンウェルの口にとてもよく合ったらしい。運ばれてきたオムライスを一口頬張って「美味しい!」と顔をほころばせ、フルルにもそれを分け与える。
「たまごがふわふわ。かかってるソースもすごく美味しい!」
「だろ? ほかのも結構イケるんだぜ。まかないも美味いし」
「へえ、結構イケる、ね」
 その声にぎくりと肩が震えた。おそるおそる背後を振り向くと、そこには腕組みをして仁王立ちをする食堂の主人の姿があった。
「仕事中に女子を口説くとは偉くなったな、坊主」
「あ、いや、これは違うくて……!」
 ロウは必死に取り繕おうとしたが、その慌てぶりを見た主人は次の瞬間、声を上げて笑い始めた。
「冗談だ。その子は便利屋の子だろう?」
 どうやら主人は初めて事務所に訪れた時に居合わせたリンウェルのことを覚えていたらしい。若いのにお金にきっちりしてて頭が下がるよ、とどこかもの悲しそうな顔をして彼は言った。
「お前さんたちにはこの1週間、本当に助けられた。ありがとうな」
「いやいや、役に立ったなら良かったぜ」
 次の給仕も無事に決まりそうだということで、ひとまずはほっとした。これを機に数も少し増やそうかと検討中らしい。
「根性のあるお前さんにもできればずっとうちにいてほしかったが」
「それは難しいな。次の依頼もあるし」
「わかってるさ。惜しいと思っただけだ」
 ごく軽い口調で主人は言った。その割に眉がハの字に下がって、寂しそうな表情をしているようにも見えたが。
「今夜は最後だしな。まかないにはお前さんの好きなものを作ろう」
「いいのか?」
 ロウは少し迷ったが、目の前のリンウェルの皿を見て、「じゃあ、俺もオムライスかな」と言った。「よしきた」と主人が腕を振るって作ってくれたオムライスは、一生忘れないだろうなというくらい美味しかった。

 それがつい一昨日のこと。1週間働きづめだったのにも関わらず、休暇は与えられることなく昨日も軽めの依頼をこなした。すべてはリンウェルが立てた予定の通りだ。
「ロウは体力バカだからこれくらいは余裕でしょ?」
 反論も抵抗もできず、今朝になって夜も明けきらないうちから向かうのは市場だった。通りからさらに奥に入ったところにある花屋が今日の依頼主だ。
「父がぎっくり腰をやってしまいまして……どうしても一人では仕事を回しきれないのでお手伝いに来ていただきたいんです」
 数日前、事務所を訪れてそう言ったのは店主の娘を名乗る女子だった。年の頃は自分やリンウェルと同じくらいだろうか。それにしては随分と大人びた所作の持ち主だった。
「いつもなら兄がいるのですが、今は生憎外に仕入れに行ってまして……力仕事がどうにも」
「なるほどな。じゃあ俺はその力仕事を担当すりゃいいってことだな」
 はい、と頷いた彼女はそのままリンウェルの提示した条件をすべて承諾した。事務所を出る際は「よろしくお願いします」とそれはもう丁寧に頭を下げていった。
 指定された花屋に着くと、店先には既に彼女の姿があった。「おはよう」と声を掛けると、朗らかな笑顔でこちらを振り向く。
「ロウさん、おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「こっちこそよろしくな。それ、代わるぜ」
 彼女が手にしていた木箱を受け取り、荷車へと積み上げる。この荷車もなかなかに立派だ。自分がこの間、事務所に家具を運んだ時のものと同じくらいか。
「ありがとうございます。早速出発しましょうか。最初は仕入れからです」
 彼女と向かった先は、街道にある農家だった。どうやら花を専門に育てているそこは彼女の花屋がお得意先らしい。
「お父さんぎっくり腰だって? 大変ねえ。お大事にね」
「ええ、ありがとうございます。伝えておきますね」
 彼女はこれまた朗らかな口調でそう答えると、次々に花を選んでいった。ロウはその花たちを言われた通りに荷車に積み、来た時よりもはるかに重たくなったそれを街道のデコボコ道に合わせてゆっくりと引いた。
「こりゃ思ったより重労働だな」
「そうなんです。これだけの量積むと自分一人じゃまだ動かしきれなくて」
 彼女は荷車を後ろから押しながらどこか申し訳なさそうに言った。
「それでも仕事は減らせないので、ロウさんにお願いしたんです。本当に助かります」
 城門を通り過ぎ、通りを抜けるのかと思いきや、
「そのまま向こうの宿屋に行ってください」と言われた。
「けど、市場はもっと奥だぜ?」
「お部屋に飾る用の花を頼まれているんです。色味を見てもらいたいので、このまま宿屋に向かってください」
 言われるまま宿屋に向かい、裏口に荷車を停める。彼女が声を掛けると、中から宿屋の主人が現れた。
 主人は気の良さそうな男だったが、どうにも花には詳しくないようだった。花屋の娘が荷車の花を一通り見せるが反応は鈍く、首を傾げてばかりいる。どうやらこういった装飾関係は男の管轄外のようだ。 
「実は花を飾ったら、っていうのは妻の助言なんだけどね。今ちょうど食材の仕入れの方に行ってるんだよ」
 困ったような顔をして主人は言った。
「何かおすすめはあるかい?」
 すると娘はすぐさま、
「今の時期ならガーベラやバラなんかはどうでしょう」と答えた。
「色も豊富で、お部屋ごとに雰囲気も変えられますよ」
 彼女は主人からの質問にひとつひとつ答えていった。手入れの方法や長持ちさせる秘訣を解説し、挙句はそれらを紙にメモして主人に渡す。
「あ、そういえばロビーに飾る用の大きな飾りも欲しいんだ。今週中に用意できないかい?」
「わかりました、今週中ですね。色や指定のお花はありますか?」
 突然の注文にもさらりと対応してみせるのはさすがの一言だった。主人の話を聞きながら、彼女は広げた手帳に何かを手早く書き込んでいた。
 宿屋での一仕事を終え、ついに店に戻るのかと思ったがそうではなかった。なんと同じような依頼がレストランと、アウテリーナ宮殿からも届いているらしい。
「少し急ぎましょう。お花が悪くなるといけませんから」
 彼女はそう言ってぐいぐいと荷車を押した。心なしかその声は少し弾んでいるようにも聞こえた。
 結局花屋に戻ったのは、通りが賑わい始めてからだった。開店の時刻にはぎりぎり間に合ったようだ。
「正直、意外だったな」
 花屋の娘と店先に花を並べながら、ロウは思ったことを口にした。
「花屋なんてここで花売ってるだけかと思ったぜ」
 ロウの言葉に気を悪くするでもなく、彼女はふふっと小さく笑った。
「そういう印象は強いかもしれないですね。でも実際はもっといろんな仕事をしているんですよ」
 植木鉢に咲いた花の花びらを指でそっと撫でながら彼女は言った。
「あまり目立たないですけどね。でもそれでいいんです。お花を見て喜んでいくれる人がいれば、それだけで充分です」
 そう言って花を見つめる彼女の瞳は、強がるでもなく諦めるでもなく、心の底からそう思っているとわかる瞳だった。
 夕方前になって客の出入りが落ち着いた頃、今日の依頼は終了ということになった。
「今日は本当にありがとうございました。助かりました」
「役に立ったなら良かった。またなんかあったらいつでも言ってくれよな」
 はい、と彼女は頷いた。花を買うときはぜひうちで、というアピールも欠かさなかった。さすがは一人で事務所を訪ねてくるだけある。
 便利屋の事務所に戻ると、奥の机に向かっていたリンウェルがぱっと顔を上げた。
「おかえり。ちゃんと働いてきた?」
「おう」
 返事をして、ロウはソファーへと腰を下ろした。大きく息を吐いて脱力すると、疲労も気力も一緒くたに体から抜け出ていくようだった。
 そんなロウの様子を見て、リンウェルがやや不安そうに首を傾げる。
「あれ、もしかして結構お疲れ? 予定詰めすぎちゃった?」
「いや、別にそんなことはねえけど」
 ロウは今日の出来事をリンウェルに話した。朝から街道にある農家に仕入れに行ったこと。戻る途中でいろんな店に花を配って歩いたこと。
「花屋なんて花売ってるだけかと思ったら、違ったんだな。俺の知らない花屋の仕事があった」
 おすすめや育成方法を聞かれるどころか、まさか前に売った花の維持までするとは思っていなかった。それに嫌な顔ひとつせず、むしろ嬉々として話を聞く花屋の娘。
「きっとほかにもあるんだろうな。八百屋とかパン屋とか、それぞれに俺の知らない仕事があって、それぞれが役目をきちんと果たしてるからこの街が保たれてるんだろうな」
 誰がいなくなっても回らない。花屋がいなくなれば街から彩が失われてしまうし、八百屋がいなければ食堂で美味い飯は食べられない。この街に存在する店や職業は、そのどれもがこの街を動かすための歯車になっている。
「そう思うと、便利屋ってなかなかいいなって思ったんだよ。やってることは誰かの手伝いだけど、それってこの街の欠けそうになった歯車を埋めてるってことだろ。それって結構重要な役回りな気がしないか?」
 いわばどこのパーツにもなれる。どこかの部品が足りない時、歯車が抜け落ちそうな時。便利屋は様々に形を変えてその空白を埋め、このヴィスキントという大きな街が機能不全を起こす前の手助けができる。住民がいつも通りの日々を過ごすための一助となれるのだ。
 それこそまさに自分が求めていたもののような気がする。世界を大きく変えるというより、何気ない日常に起こる厄介ごとを取り除く役目。
「便利屋は俺向きだなって思ってさ」
 まあまだほんの何件か依頼こなしただけだけどな、と小さく笑うと、立ち上がったリンウェルが今度はこちらをまじまじと見つめてきた。
「へえ」
「なんだよ。なんか俺変なこと言ったか?」
「ううん。ロウが気付きを得られて良かったなって」
 リンウェルはそう言って、どこか満足そうな顔をした。
「じゃあ今日は、私がロウに夕飯を作ってあげよっか。ロウがひとつ賢くなった記念」
「まじ?」
「まじ。メニューは、そうだなあ……」
 少し悩んで、リンウェルは「オムライスと、野菜スープ!」と言った。どうやらあの食堂で食べてからというもの、すっかりオムライスにハマってしまったらしい。付け合わせが野菜スープなのはちょっといただけないが。
「そうと決まったら今日はもう依頼も終わったんだし、さっさとお店閉めちゃおう。それでそのままうちに直行!」
 有無を言わさないリンウェルに苦笑しながらも、ロウは言われた通りにカーテンを閉めて外の看板をしまった。上を見上げると遠くの空がぼんやりオレンジ色に染まり始めていた。

 つづく