ヴィスキントで便利屋を始めるロウの話。だいたい1話完結の連作短編。喋るモブがいっぱい/全部捏造/強めの幻覚/何でも許せる人向け(約7,000字)

5.受け継いでいくもの

 埃だらけの棚の上から、これまた埃だらけの雑貨を下ろしていく。細長い花瓶や装飾のされた木製の小箱。せいぜい角砂糖しか入らないような蓋つきの入れ物。何か尖った耳の付いた、動物の木彫りの置物。
 それらをひとつひとつ丁寧に、床に置かれた木箱に詰めていく。既に角の欠けたものもあるとはいえ大切な依頼の品だ、それ以上の傷を自分がつけるわけにはいかない。
 割れ物の花瓶を布に包んで隅に並べるだけでも随分気を遣った。今日は一日長い作業になりそうだと思いながら、ロウは額の汗を手の甲で拭った。
 隣の部屋には、ごく真剣な表情で机に向かうリンウェルの姿があった。自分が作業している倉庫とは違って比較的新しく建てられたこの部屋には充分な光が入っている。その真ん中に置かれた机は大きくて重たそうで、そこだけ妙な威厳を放っているようにも見えた。
 進捗はどうだと、軽くリンウェルに向かって手を振ってみる。はじめは小さく、徐々に大きく。とうとう両手を大きく振りかざしても、リンウェルがこちらに気が付くことはなかった。
 こういう時のリンウェルの集中力ときたらまったく目を見張るものがある。本と遺物の世界にすっかり入り込んでしまって、そこには己以外誰もいない。旅をしている時から時折見せた姿は今も健在のようでさすがというべきか、あるいはやれやれと肩をすくめるべきか。
 それでもロウにはきちんとわかっていた。リンウェルが集中しているということは、夢中になっているということ。それはすなわち、この依頼をリンウェルは楽しんでいるのだ。

 依頼人が便利屋を訪れたのは、3日前のことだった。
 ドアを開けた瞬間、ロウは慌てた。そこにいたのが杖をついた老人で、ロウがあまりにも勢いよく扉を開けたものだから彼がよろけてしまったのだ。
「悪い、大丈夫か?」
「ほっほ、これくらいなんともない」
 見た目よりも数段陽気な調子で老人が応えたのでほっとした。そのまま彼をゆっくり部屋に導くと、一番近いところのソファーへ座ってもらった。
「便利屋さんに、倉庫の掃除をしてもらいたくてねえ」
 依頼は倉庫にある雑貨の片付けと運び出し、加えてその倉庫の掃除ということだった。
「引っ越しをする予定なんだ。荷物は全部持っていきたいから、木の箱に詰めてもらいたい。安心してくれ、貴重なものはそんなにない」
 それを聞いてロウはほっと胸を撫で下ろした。もし運び出す品の中に高価なものがあったとして、それを壊して弁償してくれなんて言われたら、なけなしの貯金を差し出さねばならないどころかこの街にはいられなくなってしまう。せっかく安定しつつあるこの生活基盤を今になって失うのはかなり痛く、またそれくらいロウはこの生活を気に入っていた。
「ただ、やはりどれもお気に入りのものだから、ぞんざいには扱わないでほしい。どれも思い出が詰まっているものだからね」
「おう、その辺は任せておけ。たとえ俺がどうなったとしてもモノは守ってみせる!」
「それはそれでどうなんだろ……」
 訝しげにこちらを窺うリンウェルとフルルの視線は見ないふりをしておいた。
 老人の家がここからそう遠くないことを聞き、ロウはその倉庫とやらを先に見せてもらうことにした。片付けや掃除に掛かるであろうおおよその時間に見当をつけておきたかった。
 案内されたのはごくありふれたつくりの一軒家と、それにまるで取ってつけたかのような古い小屋だった。どうやら小屋の方はレナの支配時代から存在するものらしく、それに添わせるようにして住家が建てられたらしい。
 小屋は中で住宅と繋がっていた。むしろ出入り口はそこだけで、その幅もなかなか狭い。これは荷物を運び出すときに苦労しそうだと思いながら、中に入ってみて驚いた。壁づけされた埃っぽい棚には、所狭しと大量の雑貨が置かれていた。
「すげえ数だな、こりゃあ」
「ほっほ。骨董集めが趣味でねえ」
 老人は市に出ては珍しいものを漁るのが好きなのだという。はじめは眺めているだけで満足していたが、間近で見てみるとますます心惹かれるようになった。それが高価であろうと、そうでなかろうと関係ない。
「一目見て気に入ったものがあると、どうしても欲しくなってしまうんだ」
 こつこつ貯めた賃金を唯一の趣味にあてる。老年になってもこういった楽しみがあることを教えてくれたのは、ほかでもないテュオハリムなのだと彼は言った。大将の制度改革は、こういう形でも人々に希望を与えたらしい。
「ここにはわしのご先祖たちが遺したものもあるんだよ。気に入ったものを見つけては何とか手に入れ、レナに見つからないよう隠してきたんだろうね」
 血は争えないね、と彼は笑っていた。言われてみれば、棚の上には明らかに年代物の雑貨があった。埃まみれで何に使うものなのかも不明だし、ロウにはその魅力がいまいちわからなかったが、ここでずっと保管されてきたというのならそれは確かに大事に取り扱わなければならないものだ。
 ロウが老人と詳しい日程の打ち合わせをしていると、
「こんにちは、おじいさん」
 聞き慣れた声が聞こえた。思わず振り向くと、これまた見慣れた人物がドアの陰からひょっこり現れた。
「リンウェル? お前、どうしたんだよ」
「えへへ、気になって私も来ちゃった」
 どうやら古臭い倉庫の話が出た時からうずうずとはしていたらしい。結局我慢できずに自分と老人の後を追ってきたようだった。
「ったく、来たいならはじめからそう言えよな。つーか、店番はどうしたんだよ。店閉めてきたのか?」
「ううん、フルルに任せてあるよ。誰か来たら飛んできて教えてねって。ここ近いからそんなに時間かかんないでしょ」
 おそらくおやつで釣ったのだろう。ダイエットを提唱されているとはいえ、迷って迷って一人でいる寂しさよりおやつを選ぶとは、フルルは日頃なかなか苦しい生活を強いられているようだ。
 リンウェルは倉庫の中身を見るなり、わあっと歓声を上げた。
「すごいね! 珍しいものがいっぱい!」
 素敵! とリンウェルのはしゃぐ声が狭い倉庫に響く。まるで宝の山を目のあたりにした反応だ。
「ほっほ、お嬢さん。この魅力がわかるかね」
「わかるよ! こういうのがいずれ時を経て貴重で尊い遺物になっていくんだよね……」
 遠い目をしてリンウェルは言った。その視線は遠く遠くの、未来を見ているようだった。
「お嬢さんは遺物が好きなのかね」
「うん、特にダナの遺物が好きかな。普段は図書の間で、遺物とかダナの遺跡の研究をしたりしてるんだ」
「ほっほ、どうりでお嬢さんに見覚えがあるわけだ。わしもよく図書の間に通ってるんだよ」
 何と驚くことに、老人の方はリンウェルのことを知っていたようだ。「ほら、珍しい衣服を着ているだろう。つい目についてしまって」
「私ってそんな目立つの……?」
「さあ?」
 あまりに一緒にいるものだからその辺はよくわからない。確かに世界中を旅してきた中で、他にリンウェルと似たような服を着た人間には出会わなかった。
 そこでふと老人が「そうだ」と何か思いついたように言った。
「物知りなお嬢さんを見込んで、もう1つ依頼を出したい」
 そう言って老人が取り出したのは、金色に光る古びた懐中時計だった。
「すごくきれい……」
「これは代々受け継がれてきたものでね。いわば本物の”遺物”とでも言えばいいだろうか」
 その懐中時計は時こそ既に刻んではいなかったが、針も盤の数字も美しく残されたままだった。ともすれば今にも再び動き出しそうに光を放ち、つい何時間でも見入ってしまいそうな不思議な魅力を醸していた。
「ここに何か模様が刻まれているだろう」
 老人が示したのは蓋の裏側に彫られた模様だった。模様というよりももはや何かの傷跡かというくらいそれは掠れていて、おおまかな外側の形しか把握できない。
「おそらく私のルーツに関わるものだと思うのだが、お嬢さんにはそれを調べてもらいたい」
「わ、私が?」
 ああ、と老人は頷いた。
「研究の片手間でもいい。とはいえ時間はあまりないかもしれない。何せもうすぐ街を出てしまうから」
 リンウェルは少し迷っていたが、老人が報酬の話をするとすぐに頷いた。こうしてリンウェル宛の初の依頼が成立したのだった。
 戻った便利屋には誰かが訪れた様子はなかった。中では満足した表情のフルルが柔らかいソファーの上でまったりくつろいでいるだけだった。
 自分の席に着くなり、リンウェルは大きく息を吐く。
「はあ~ついに依頼受けちゃったよ~……」
 そのまま机に突っ伏し、うめくような声で言った。「どうして私なの~……」
「仕方ねえだろ、ご指名入ったんだから。それにお前だって最後は納得してたろ」
「だってそれは、おじいさんが報酬に本くれるっていうから……! それも図書の間にもないやつだって言うから……!」
「つまりは交渉成立ってことだろ。他でもないお前が頷いたんじゃねえか」
 それはそうなんだけど……、と不満そうにリンウェルは言う。
「でも私は便利屋の従業員じゃないんだよ。お手伝いなの。それなのにどうして……」
「何言ってんだ、こないだだってズーグル退治で魔法ぶっ放してたくせに。とっくに立派な従業員だっての」
 俺が認める、良かったな、と声を掛けたが、リンウェルはちっとも嬉しそうな顔をしなかった。
「はああ~……お給料も出ないのに……」
「なんだ、そんなこと気にしてたのかよ。そんなの勝手に貰えばいいだろ」
「え」
「お前が管理してんだから、適当に調整すりゃいい。いくらでも好きにしろよ」
 あ、ここの維持費に支障が出ない程度にな、とロウが言うと、リンウェルは呆れたように深いため息を吐いた。
「ロウって本当、経営者に向いてないよね」
「そうか?」
「まったく、私がいて良かったね」
 とリンウェルは肩をすくめたが、何を今さら当然のことを、とロウは首を傾げた。

 翌日からリンウェルは図書の間に通って例の模様を調べていた。書架の本を片っ端から広げては、それらしい意匠の見られる遺跡や遺物についてノートに書き留めていたらしい。
「でも全然それらしいのが見当たらないんだよね」
 難しい表情をしてリンウェルはため息を吐いた。
 手元には金の懐中時計があった。詳しく調べたいからと老人に頼み込んで借りてきたのだ。
 再び蓋を開いてみるが、裏に刻まれた模様はやはり掠れてよく見えない。それ以外に何か手掛かりはと眺め尽くしてみたが、ほかには文字も模様も見当たらなかった。
「さっぱりだな。これはお手上げか?」
 ロウの言葉にリンウェルはううんと首を振った。
「まだ時間はあるもん。もう少し調べてみるよ」
 そう言って時計に向き合うリンウェルの視線は真剣そのもので、研究をしている時と同じ表情をしていた。
 片付け当日の朝になっても、リンウェルは調べ物を続けていた。相変わらず小難しいことをぶつぶつ呟いているのを見るに、まだ思うような答えを見出せていないらしい。
 これは今日中に報告できるだろうかと思いつつ、ロウが出発しようとしたところで、
「あ、待って。私も行く」とリンウェルが言った。
「え? なんでまた」
「おじいさんのご先祖が遺したっていう置物にヒントがあるかもしれないでしょ」
 邪魔はしないから、とリンウェルはノートやら筆記用具やらを鞄に詰め込むと、そのまま老人の家まで付いてきた。
 隣の部屋の机を借りてリンウェルは調べ物を再開した。時折、ロウが倉庫から木箱に入れて運び出したものを眺めては、ああでもないこうでもないと独り言を繰り返している。その集中具合ときたらロウが声をかけてもしばらく気が付かないほどで、これはもう”入っちまった”なと確信したロウは、その後リンウェルに構うことを諦めた。
 老人は時々自分たちの様子を観察しに現れた。そうしてにこにこと微笑んでは、休憩用にと飲み物やお菓子を差し入れてくれたのだった。
 夕方になる一歩手前で作業は終わった。倉庫の片付けより運び出しより何より、狭い部屋の掃除が一番苦労した。薄暗くてよく見えないわあちこちに体をぶつけるわでぼろぼろだった。便利屋に戻ったら、汗と埃にまぶされた体を一刻も早く洗い流したい。
 リンウェルに時間切れを告げると、「わかった」とだけ返事が返ってきた。思いのほか素直な態度に驚いたが、リンウェルが黙って片付けを始めたのでロウもそれに加わった。使った机をきれいにし、表面を濡れた布巾で拭うと、二人で報告に向かった。
「全部終わったぜ」
「ほっほ。どうもありがとう」
 住宅の玄関付近に積み重なった木箱を見て、老人は穏やかに笑った。
「これでようやくすっきりしたよ。安心して出発できる」
「立つ鳥足を濁さず、だっけか」
「跡、だよ」
 リンウェルが呆れたように言う。
「それで、時計の方はどうだったかな」
 老人が問うと、リンウェルは「それなんだけどね」と小さく視線を落として言った。
「正直に言うと、ちゃんとしたことはわからなかったの。どの文献を漁ってもいまいちよくわからなくて……」
 3日かけて調べ尽くしたが、それらしいものは見つけられなかったとリンウェルは言った。自分の手持ちや図書の間で探せる限りは手を尽くしたけれど、どの遺跡にもどの遺物にも似た意匠は見当たらなかった。
「だから、はっきりしたことはわからなかったの。ごめんなさい」
「そうか……」
 老人が少し項垂れた時、
「でもね、」
 リンウェルが僅かに声を張った。
「これは私の勝手な解釈なんだけど、この模様を上下逆さまに見るとね」
 リンウェルが手元で時計を開き、ぐるりと方向を変える。
「ちょっと形が違うなあって思って。なんだか鳥の形に見えてこない?」
「へえ……」
 確かに、言われてみればそんな気もした。鳥が、大きく両の翼を広げているような。
「鳥の意匠はあちこちで見つかってるんだ。一番似てるのは、カラグリアの遺跡で見つかった意匠かな。ほら、こんな感じで」
 リンウェルが開いて見せたノートには、確かに近しいと思える意匠のスケッチがあった。その鳥は顔を横に向けていたが、翼の形などがとてもよく似ていた。
「たまたまかもしれないし、そもそも上下逆向きに見るなんて間違ってるのかもしれないけど、私がこの3日間調べた結果はこれだけ。はっきりした答えが出せなくて申し訳ないけど……」
「いやいや、充分だよ」
 老人はそう言って微笑むと、約束の報酬だと言って古びた本を持ってきた。
「調べてくれてありがとう。カラグリアか、いいじゃないか。いつか行ってみたかったね」
 半ば強引に本を渡されたリンウェルは戸惑っていた。「いいの? 私、きちんと依頼こなせなかったのに……」
「ほっほ。お嬢さんはよくやってくれたよ。それに真実はたいして重要じゃない。大切なのは想像力だからね」
 自分のルーツが想像できるようになったこと。それが嬉しいのだと老人は言った。
「カラグリアは暑いんだろう? 道端で石が火を噴いてるって聞いたが」
「俺の故郷なんだ。もう石から火は噴かねえけど、火で炙ってるのかってくらい暑い日はあるぜ」
「その辺の石で卵くらいなら焼けちゃいそうだよね。でもまだまだ未発見の遺跡も多いから、魅力的な場所だよ」
 カラグリアの話を聞かせるたび、ほほお、と老人は驚きの声を上げていた。ますます想像が膨らむね、と喜んでもいた。
 老人の家を後にすると、リンウェルはほっと胸を撫で下ろしていた。
「良かったあ、とりあえずは喜んでくれて。怒られたらどうしようかと思った」
「怒られるようなことはしてねえだろ。あんだけ調べてわかんなかったんだから、仕方ねえって」
 それに老人も納得していた。それはこういった商売をしている中では結果よりも重要なものだ。そういう意味では今回のリンウェルの依頼に対する成果は充分なものと言ってもいい。
「おじいさんが笑ってくれたから良かったけどね。ここを出る前に嫌な思いさせないで良かった」
 思いのほかリンウェルはプレッシャーを感じていたらしい。そんな気を張らなくても、というのは自分が楽観的な性格をしているからこそ言えるのだろう。そういう点でも、この仕事は自分に向いているんじゃないかとロウは思った。達成不可能と思われる依頼ははじめから引き受けたりしない。
「そういえば、おじいさん引っ越すって言ってたけど、どこに行くんだろ」
「ミハグサールだって聞いたぜ。なんでも孫夫婦が一緒に住まないかって誘ってくれたんだってよ」
 何から何まで恵まれてるね、と老人は笑っていた。好きなものに囲まれるだけでなく、家族と余生を過ごせるなんて、いったいどこで徳を積んだのかな、と。
「そんできっとあの懐中時計も、その孫とやらに受け継ぐんだろうな。あの倉庫の中身と一緒に」
「おじいさんは新しい家に、かつ古いものは大切に……って素敵なことだよね。だったらなおさらきちんと調べ上げたかったなあ。ちょっと悔しいかも。まだまだ世界は広くって、わからないことだらけってことだね」
 そういうふうに思えるリンウェルはやはり適性が高い。便利屋の頭脳としても、歴史研究員としても。
「じゃあ改めて、便利屋の経理兼頭脳担当、よろしくな」
「従業員になるのは気が進まないけど……まあバイト代出るならやってもいいかな」
 そう言いながら、リンウェルはスキップ半分で帰り道を歩いていた。気が乗らないという割には、調子の良い鼻歌も聞こえた気がした。

 つづく