ヴィスキントで便利屋を始めるロウの話。だいたい1話完結の連作短編。喋るモブがいっぱい/全部捏造/強めの幻覚/何でも許せる人向け(約5,700字)

6.いつまでも仲良く

 その依頼内容を聞いた時、思わず手元のマグを取り落としそうになった。
「1日……いえ、数時間でいいんです。恋人のふりをしていただけませんか?」
 え、と声を上げようとして、その声は奥の机に座っていたリンウェルの「ええっ!」という悲鳴に搔き消された。
「ごめんなさい、どうぞ続けてください」
 申し訳なさそうに言うリンウェルから視線を戻して、目の前の女性は話を続ける。
「実は、ある男の人に言い寄られているんです。何度もお断りしたのですが諦めてくれなくて……」
 それで、恋人を連れて行けばきっと諦めてくれる、と便利屋に救いを求めてやってきたらしい。話の途中に何度もずり下がった眼鏡を直しながら、依頼人の女性はか細い声で事情を説明してくれた。
「で、でも、その相手がロウ……便利屋で、大丈夫なんですか?」
 リンウェルが怪訝そうな顔をしながら女性に訊ねる。その質問はちょっと失礼じゃないか。主に俺に対して。
「わたし、友人が少ないんです。だからこんなことを頼めるのはほかに思い浮かばなくって……便利屋さんならお金を払えばきっと引き受けてくださると」
「まあ、そういう仕事だけどよ……」
 ロウは思わず頭を掻いた。何せこんな依頼は初めてだ。今までといえば力仕事やらズーグル退治やらがほとんどで、こんな演技力が問われるものは受けたことがない。そもそも便利屋にこんな依頼が来ること自体、想定していなかった。
 何よりの懸念は、
「俺、嘘が下手なんだよな……」
 お前ほど顔に出る奴はいないとネアズから太鼓判を押され済だ。ネアズどころかガナルやティルザ、そしておそらくリンウェルも思っていることだろう。自分でもその自覚が芽生えつつあるというのだから、余程のことに違いなかった。
「何か喋ろうもんならすぐに気付かれちまうと思うぜ?」
 忠告のつもりだったのに、女性は「大丈夫です」と言い切った。
「隣に立っていてくだされば、それで充分です。わたしが彼と話を付けますから」
 少し悩んだ後で、ロウは「わかった」と頷いた。
「ええっ!」
「立ってるだけでいいんだな? 本当にどうなっても知らないぜ」
「はい! ありがとうございます! ああ、本当によかった!」
 女性は前のめりになってロウの手を取ると、それを握ってぎゅっと力を込めてきた。
「ロウさんは救世主です! 本当に本当に、ありがとうございます!」
 こちらを覗き込む潤んだ大きな瞳には、不思議に引き込まれそうな魅力があった。
 彼女が便利屋を立ち去った後で、
「……どうして引き受けたの」
 低い声でリンウェルが言った。
「ロウが演技なんてできるわけないじゃん。できない仕事は受けないんじゃなかったの」
「嘘が苦手ってだけで、演技ができないかどうかはやってみないとわかんないだろ」
 ロウはマグの残りを飲み干して言った。そのまま頭の後ろで手を組み、足を持ち上げてソファーへと横になる。
 彼女とは今日の夕方に街の広場で待ち合わせることになっていた。そこから宮殿近くまで移動し、例の男性と対面するらしい。
「先に金も受け取ったし、今更断れねえだろ」
「前金です」と言って彼女が渡してきた額は見積もりよりもかなり多かった。余剰分を返金するためにも、とりあえず待ち合わせ場所には顔を出した方が良いだろう。
 何より彼女は相当困ったふうな顔をしていた。おそらくこれまで悩みに悩んで、一縷の望みをかけてここへと辿り着いたに違いない。そういう依頼人の気持ちを考えると、無下に断るわけにもいかなかった。
 自分なりに考えて答えを出したつもりだったのに、
「どうせロウもあの女の人に骨抜きにされちゃったんじゃないの」
 リンウェルはそんなことを言う。
「きれいだったもんね、あの人。スタイルも良さそうだったし。いかにもロウが好きそうなタイプだよね。力になってあげたい、とか考えたんじゃないの」
「別にあの人だからってことはねえよ。便利屋ってそもそもそういう仕事だろ」
「どうだか」
 リンウェルは不機嫌そうに言い放った。
「どうしたんだよお前。さっきからなんか変だぞ」
「別に、変じゃないよ。ただロウが変な依頼を受けるから悪いんじゃん」
「変な依頼って……それはあの人に失礼だろ。そういう言い方、やめろよな」
 部屋はしばらく険悪な雰囲気に包まれた。どのくらい険悪だったかというと、窓辺にいたフルルがあまりの空気の悪さに狸寝入りを始めるほどだった。
 約束の時間まではまだ2時間ほどあった。このままこの部屋で過ごすには長すぎるし、外で時間を潰すには短すぎる。ロウは「何かあったら起こしてくれ」と呟いた後、ソファーで短い仮眠を取ることにしたのだった。
 目を覚ますと約束の時間の15分前だった。上体を起こすと、そこには先ほどと変わらない姿勢のまま、真面目な顔で机に向き合うリンウェルの姿があった。
「起きたんだ。今起こそうと思ってた」
「……そうか」
 相変わらずリンウェルはちょっと不機嫌そうだったが、起こすつもりがあったところを見れば、依頼に行くことに関しては許してくれたと見ていいだろう。
 ロウは起き上がって軽く身なりを整えると「行ってくる」と言って外へ出た。リンウェルの「気を付けてね」という声がドアのベルに紛れて聞こえた。
 街を歩きながら今日の段取りを確認する。まずはこれから広場にて依頼人の女性と合流。そしてそこから移動して、彼女に言い寄っているという男性と会う。特に自分から説明することは何もなく、話は彼女が付けてくれるというが――。
 そこでふと思い至る。そういえば、その相手の男性の素性については何も聞いていなかった。
 どこで何をしている人間なのか、女性にとってどういう立場にあるのか、自分は何も知らなかった。話す必要もないということなのかもしれないが、もし相手の男が屈強で、かつ短気な男だったら。自分の想い人に恋人がいると知れば、逆上してくる可能性だってあるんじゃないか。
 あるいは狡猾な男に逆恨みされるようなことがあったら。便利屋である自分の所在を突き止めて、嫌がらせでもされたらどうしよう。自分はともかく、リンウェルやフルルにまで被害が及ぶようなことがあってはならない。その時はキサラや兵士にでもお願いして見張りを付けてもらおう。あとは自分は夜道や路地裏の気配に気を付けて――。
 そんなロウの心配は杞憂に終わる。依頼人の女性と共に顔を合わせたのは、どう見てもごく普通の誠実そうな男性だった。
 ロウは思わず拍子抜けした。彼の風貌は、しつこく言い寄ってくると聞いていた男性像からは想像もつかなかった。
 一方でこんな爽やかそうな人が、とも思った。どうやら恋というものは随分人を狂わせるらしい。あるいはこの女性にそういった得も言われぬ魅力があるのか。あの時覗いた吸い込まれるような瞳を思い出せば、それも有り得るかもしれないと思った。
「この人がわたしの恋人なの」
 彼女がいきなり自分の腕に自身の腕を絡めてそう宣言するものだから驚いた。一瞬甘い香りが鼻を掠めたが、これは演技だと我に返る。
「だから、あなたとは付き合えません」
 彼女がはっきりそう告げれば、彼の目線は当然こちらへと向く。下から上へとじっくり品定めするような視線には不快感も覚えたが、多少は仕方のないことだろう。
「そうか」
 彼は視線を落とした後で、
「なら一つ聞かせてもらいたいが、君たちはどこで出会ったんだ?」と訊ねてきた。
「そ、そんなこと、あなたに教える必要はないわ」
「答えられないのか? じゃあ彼女の好きな食べ物は? 花は? 恋人だというなら答えられるだろう?」
 再び向けられた視線は、口調の強さとは裏腹にとても哀しげなものだった。まるで何かに縋るような、願うような切ない色をしていた。
「君は本当に、彼女の恋人なのか……?」
 少しの沈黙の後で、ロウはこらえきれず首を振った。
「いや、違う」
 零れた告白に、彼女が視界の端で項垂れるのがわかった。
「本当は、頼まれただけなんだ」
 ロウはこれまでの経緯を正直に話した。自分は便利屋で、彼女から依頼を受けたということ。彼女とは今日が初対面で、今まで話したこともないということ。
「どうしてそんな依頼を……」
「それくらい困ってたんだよ。見ず知らずの俺に頼んでくるくらい」
 彼女は何も言わなかった。花のように沈黙し、視線を地へと這わせるだけ。
「あんたが彼女を好きだって気持ちは痛いほど伝わってくる。けどそれで彼女を困らせて、それは本当にあんたが望んでることなのか?」
 ロウの言葉に、男性ははっと表情を変えた。
「好きな相手には笑っててほしいもんだろ。あんたも悩んだんだろうけどさ、目的をはき違えちゃダメだと思うぜ」
 彼はしばらく悩んだ後で、「もう少しだけ、時間をくれないか」と言った。
「すぐには君を諦められない。でも、失いたくもない。もう迷惑はかけないから、時間を掛けて気持ちを切り替えて、その時はまた友人になってほしい」
 それを聞いた彼女は「もちろん」と微笑んだ。じんわり空に滲む夕焼けくらい穏やかな微笑みだった。
「今日は本当にありがとうございました」
 彼の背中を見送った後で、彼女はロウに向かって深々と頭を下げた。
「ロウさんがいなかったらどうなっていたことか……」
「いや、俺の方こそ悪かった。いろいろ勝手にべらべらと話しちまって。気分良くなかったよな」
 いいえ、と彼女は笑った。
「ロウさんがいなかったら、わたしは大切な友人を一人失ってしまうところでした。そうですよね。わたしが悩んでいる間、彼も同じように悩んでいたんですよね。それなのにわたしは自分のことばかりで……彼とロウさんのやり取りを見て、はっとしました」
 これからしばらくは彼と距離を置くことになるとは思うが、それでも彼女は彼の言葉を信じたいという。「そうまでしてわたしと友人でいたいと言ってくれたのは、彼が初めてですから」
 彼女の声には、何より喜びの色が滲んでいた。どうやら彼女にとっても彼が大切な友人であったことは間違いないようだ。
「こんな私事に巻き込むようなことをして、お2人にも迷惑をかけてしまいましたね。特にロウさんの恋人さんには」
「え? 恋人?」
 首を傾げたロウに、彼女も同じように首を傾げる。
「あれ、事務所にいた女の子、ロウさんの恋人ではないのですか?」
「ち、ちが……っ! あいつはそういうのじゃなくって、昔からの知り合いで、今は便利屋の手伝いをしてくれてるってだけで……!」
 しどろもどろになるロウを見て、彼女はふふっと小さく笑った。
「でもきっと、大切な人であることには変わりないんでしょう?」
「……そう、……だな……」
「なら、お2人はいつまでも仲良くいてください。私ももう一度、彼との信頼関係を1から築きたいと思います」
 依頼は達成できなかったからと返金しようとしたロウを、彼女は首を振って制した。
「彼と関係を切ろうとしていたわたしに、ロウさんは機会を与えてくれました。それは充分感謝に値するものです」
 だからどうか受け取って、と微笑む彼女の笑みには、やはり何かの魔力が掛けられているような気がした。
 ロウは帰宅の道すがら、なんとなく、彼女はこういった展開になることをわかっていたんじゃないかと思った。あくまでこれは勘だが、彼に自分が本当の恋人でないと知られるのをはじめから予想していたんじゃないだろうか。それが知れたところで彼女自身は〈それだけ切羽詰まっていた〉アピールができるし、予想外に騙せたとしても彼が引き下がってくれればそれに越したことはない。彼女に不利な点は何もない。
 それに彼女はリンウェルが自分の恋人だと思い込んでいた。そう思っていてなおこの依頼を押し通すのは相当強かな女性でないと成しえない。それでいてその気配をおくびにも出さないのだから、もしこの仮定が当たっているなら女性というのは一筋縄ではいかないなと思った。
 もしかしたらリンウェルはそういう彼女の魔力に気付いていたのかもしれない。だからあの時すぐさま依頼を受けた自分に不快感を表し、店を出る時も「気を付けて」なんて言ったのかもしれない。もしそうだとしたらさすが同じ女性同士、鋭いなと思わないこともないが、それにしたってあの時のリンウェルはちょっと怒りすぎなような気もする。たかが依頼1つにあれだけかっかされたら、今度から女性相手の依頼が受けづらくなってしまう。それは大きな痛手だ。何せこの世のおよそ半分は女性でできているのだから。依頼が半減で売り上げも半減。収入が半減したら、とてもじゃないがやっていけない。
 そこでふと、彼女の最後の言葉を思い出した。――大切な人、か。
 まあそれはもちろん、リンウェルは元は一緒に旅をした仲間で、今だって便利屋を一緒に切り盛りする仲でもある。そういった意味で大切な存在であることは認めるが、どうにもそれだけじゃないような気がするのも事実だった。
 例えば今日みたいな依頼を逆の立場で受けることになったとしたら、自分は気が気じゃなくなるんだろう。そわそわして、様子をこっそり見に行ってしまうかもしれない。さすがに表立って腹を立てたりはしないだろうが。
 心配になる、という意味では今日のリンウェルも同じだったのかもしれない。普段から「女の人にデレデレしてばっかり」と指摘されている自分ならなおさら。
 ロウは便利屋に戻る前に、菓子屋に立ち寄った。そこでいくつかのケーキを買い、箱に詰めてもらう。もちろん軍資金は依頼人の彼女から受け取った謝礼だ。
「ただいまー……」
 便利屋のドアを開け、おそるおそる中を覗き込む。すると奥の机に座るリンウェルがぱっと顔を上げた。
 一瞬びくりとしたが、返ってきたのは意外にも、
「おかえり! お疲れ様」
 眩しくも見える笑顔と、弾んだような声だった。
「お、おう……」
「さっきはごめんね。強く言いすぎちゃって。それで、どうだった? ちゃんと丸く収まった?」
「まあ、それなりにな」
 先ほどとは打って変わったリンウェルの態度に戸惑いながらも、ロウはほっと胸を撫で下ろした。リンウェルの怒りが解けたことより何より、変わらずリンウェルがこの部屋にいることに安堵したのだった。

 つづく