リンウェルとケンカをした。きっかけは些細なことだった。
午前中、便利屋にはズーグルを狩ってほしいという女性が訪れていた。なんでも、作りたいものがあるから質のいい素材が欲しいのだという。
日程や料金などについても話し合い、依頼はすんなり合意に至った。午後の早い時間に街道付近で落ち合うことを確認して、その女性を見送った。
「すっごいきれいだったね、今の人」
ドアが閉じてから、リンウェルがそんなことを口にした。
「髪もツヤツヤ、まつげもバサバサで、近くにいったらすっごくいい匂いするんだもん。思わずうっとりしちゃった」
いいなあ、羨ましいなあ、とリンウェルは目を細め、惚けたように言った。
リンウェルの言う通り、依頼人の女性はかなりの美人だった。ちょっとその辺にはいないような、思わず目を奪われてしまうような、そんな容姿をしていた。
そんな女性がこの街にいるらしいということは食堂の店主から聞いていた。店主も客の一人から話を聞き、街でたまたまその女性が歩いているところを見かけたらしい。
「そいつはもう絶世の美女ってやつだ。長い髪は絹のごとく、瞳は宝石よりも輝いててよ、魔法にでもかけられたかのように固まっちまったよ」
「へえ、この街にそんな美人がいるのか」
「お前さんも見てみりゃすぐにわかる。ああ、もういっぺんでいいからお目にかかりたい……いや、あわよくば話してみたい……」
そこまで口にしたところで店主は女将さんの手によって厨房に引きずられていった。
実際目の当たりにしてみると、すぐに彼女が噂の人物なのだと気が付いた。さらさらの金髪は流れるようで、瞳は話に聞いていた通り宝石がはめ込まれているみたいにキラキラしていた。
でも、良くも悪くもそれだけだった。確かに目を引く容姿ではあったがそれ以外はごく普通の女性で、依頼内容も話し方も特に変わったところはなかった。むしろ親しみやすささえ感じたかもしれない。まさか素材のためにズーグル狩りをしてほしいなどという依頼を受けることになろうとは。
そういう意味で、ちょっと拍子抜けした。この状況でさほどときめきを覚えていない自分にも驚いた。
後ろめたいことは何もない、はずなのに、
「ロウも思わず見惚れちゃったんじゃない?」
リンウェルにそう言われた途端、急に動揺してしまった。確かに食堂の店主から聞いていて、彼女のことが気になっていたのは事実だ。街で噂になるくらいの美人を一度でいいから拝んでみたいというのは、男なら誰しも抱く願望だろう。
それを言い当てられたような、見透かされたような気持ちになった自分が吐いたのは、まるで子供のような言葉だった。
「べ、別に、そんなことねえよ。つーかお前だって昨日の依頼人の男にぽけーっとしてなかったか?」
昨日の依頼人、というのは夕方になって便利屋にぎりぎり駆け込んできた男のことだ。息を切らして走ってきたのにその風貌はいたって爽やか。ずれたメガネがあざといと思えるくらいには容姿の整った男だった。
男は急ぎの依頼をしたいということで、リンウェルを指名してきた。
「えっ、私?」
「よく図書の間に通っておられると聞きました。僕の探し物は本なんです」
花や鉱物について調べたいが、その図鑑の在り処がわからない。視力が悪いのも相まって、小さい文字を読む自信もない。
「できれば本探しから解説までお願いしたいと思いまして。本の所在だけなら司書さんに訊ねれば済む話でしょうが、本を読む手ほどきまで乞うのはお仕事の邪魔になるでしょうし」
「むしろ女性なら喜ばれると思いますけど……」
リンウェルは小さく苦笑いした後で、その緊急だという依頼を引き受けたのだった。
これは依頼で、困っている人を助けるため。頭でわかっていても、心には小さくもやもやとしたものが渦巻いた。リンウェルがその男と詳しく依頼内容について話し合っている時も、いつまでもそのもやもやは晴れなかった。
別にリンウェルが浮かれているように見えたわけではない。いたって真面目に男の話を聞き、頷いているのをこの目できちんと見届けたはずだった。
「あの男も相当かっこよかったろ。見惚れてたっていうなら、お前の方じゃねえの?」
なのに自分の口からはそんな心にもない言葉が次々出てくる。
「依頼は今日の午後だっけ? あいつとお近づきになれたらいいな」
しまった、これは言い過ぎた。顔を上げると、そこには肩を小刻みに震わせるリンウェルの姿があった。
「……どうしてそんなこと言うの」
いつもよりも随分低い声に思わずたじろいだが、時すでに遅し。
「ロウのバカ!」
リンウェルは鋭い手刀を脳天に振り下ろしてきたと思うと、そのままドアを乱暴に開けて便利屋を出て行ってしまった。
「フギャッ、フリュルルル! フリュリュリャーー!!」
何か激しく罵る言葉を吐いたフルルがその背中を追いかけるように出て行き、そこには自分だけが取り残された。通りから聞こえる街の喧騒だけがむなしく部屋に響く。
途端に押し寄せてきたのは激しい後悔だった。なんであんなことを言ってしまったのだろう。ついカッとなってしまったとはいえ、別にリンウェルにだってこちらを責める意図など微塵もなかったはずなのに。
それをわかっていてどうして自分はあんなことを言ってしまったのか。自分の言葉はリンウェルと違って、リンウェルを傷つけるためのものだった。言葉は刃物だと知っていてそれを使ったわけだ。
「バカだ、俺……」
ソファーでひとり頭を抱える。こんなだから見向きもされないのだ。
負けているというなら、すべてにおいて。せいぜい筋肉量で勝っていたとしても、それを使って守りたい奴がそばにいないのなら意味がない。
つまりは完全敗北。負け犬の遠吠え。
そもそもあの男にしてみればそんな勝負など受けた覚えもなく、今ごろはこのむなしい遠吠えさえ届かない場所にいるのだろうが。
それでも受けた依頼はこなさなければならない。昼食を食べて城門を出ると、依頼人と約束した場所に向かった。
彼女は時間通りにやってきた。共に街道を下り、人気の少ない道をしばらく行くと、目的のズーグルが群れている箇所へと辿り着いた。
ズーグル狩り自体はものの十数分で片付いた。むしゃくしゃしていたのもあったかもしれない。イライラの捌け口を探すように拳を振るっているうち、背後には大きいのから小さいものまでいくつもの骸が転がっていた。
依頼人はそれを見て、「お見事ですね!」と褒めてくれた。
「悪い、加減できなかった。素材になりそうか?」
「ちょっと確認してみますね。足りなかったらまた追加でお願いします」
彼女はそう言って慣れた手つきでズーグルを解体していった。毛皮を剥ぎ取り、使えそうな爪を採取していく。その手際の良さときたら、そこら辺の狩人にも負けないんじゃないかと思うほどだった。
「へえ、あんたこういうの平気なんだな。普通女の人なら、ズーグルの死体ってだけで悲鳴上げそうなもんだけど」
「普通なら、ですか」
「あ、いや、あんたが普通じゃないってわけじゃなくて……なんだ、その、すげえテキパキしてるから驚いたっつうか」
「ふふ、冗談です。わかってますよ、女性がこういうことするの、珍しいですよね」
くすくす笑いながら、彼女は手を動かし続けた。
「元々両親がこういう生業をしていたので、自然と身についたんです。今は各地で狩りをしながら、その素材や肉を売って生計を立てています」
「なんだ、じゃああんたも戦えるのか?」
「そうなんですけど、こういう速くて群れるズーグルは得意じゃなくて……どちらかというと、物陰から狙いを定めるやり方が主流なので」
なるほどな、とロウは頷いた。
「それにロウさんはものすごく腕が立つと聞きました。援護も考えましたが、その必要はまったくなかったですね」
彼女が解体し終えたズーグルからは想定よりも多くの素材がとれた。これなら材料が足りなくなるということもないだろう。
「これから街に戻って職人さんに依頼のものを仕立ててもらいます。付いてきてもらってもいいですか?」
「ああ、いいぜ。思ったより早く終わって、時間もあるしな」
街道を歩きながら彼女とはいろいろな話をした。これまで遭遇した珍しいズーグルや変異種との戦闘の話はロウにとっても興味深く、まだまだ見識が浅いことを思い知らされた。また、彼女が日々記録しているという『ズーグル食楽記』も見せてもらった。そこには各種ズーグルの味や匂いについて事細かに記されており、これまたシオンが興味を持ちそうな内容だなと思った。
「見た目はアレでも美味しいズーグルもたくさんいるので、それを皆に知ってもらいたいですね。いずれは自分たちの店を持てたらとは思っているんですけど」
「へえ、いいんじゃねえの。ってことは、あんた料理もできるってことか。すげえな」
「あ、いえ、それは……」
彼女がぎこちなく笑ったところで市場の入り口に到着する。
「あ、じゃあ、ちょっと職人さんと話をつけてきますね。すぐに終わると思いますので、ここで待っていてください」
おう、と言ってロウはその背中を見送った。ひらひらと彼女に向かって手を上げた時、そこで彼女の存在が軽く注目を集めていることに気が付いた。男女問わず、往来を行く人々が通り過ぎる彼女を振り返るのだ。
そういえば彼女はそういう人だったなと思い出した。今の今まで忘れていたが自分は誰もが羨む絶世の美女と行動を共にしているのだった。
とはいえ特別なことは何もない。彼女は話せば話すほど普通の人間で、皆が思っているような高嶺の花ではない。なんなら見た目がアレなズーグルの味を広めたいと願っているちょっと変わり者でもある。優雅にコース料理や見目麗しいスイーツでも食べていそうな容姿なのに、その意外性ときたら。きっとこの街でもその事実を知る人はごく少ないのだろうなと思った。
――スイーツ。そういえば、今ごろあいつも依頼を受けている真っ最中か。
思い浮かんだのは自分が知る限りこの世で最もスイーツを愛する人間だ。アイスやらケーキやら腹が冷えそうなものばかりを好んで食べるあいつも、今はそれをぐっと堪えて図書の間であくせく本探しを手伝っているに違いない。
想像の中でも懸命に依頼をこなすような奴なのに、どうしてあの時自分はあんなことを口走ってしまったのだろう。再び押し寄せる後悔に心は覆われ、深く大きいため息が出る。だからと言って気分はまったく晴れることなく、むしろますます重たくなるだけだ。
「ロウさん?」
かかった声にはっとすると、そこには用事を終えた依頼人の彼女が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。そっちこそ、素材は足りたか?」
「はい、おかげさまで。品質もかなり良かったようなので、完成品が楽しみです」
なら良かった、とロウは胸を撫で下ろした。
「ところで、これからご飯でもどうですか? ロウさんが張り切って狩ってくれたので、余った分の素材も買い取ってもらえたんです」
その提案には少し迷った。何せ気分が落ち込んであまり食欲が湧いてこない。
ただ彼女の申し出を無下にもしたくなかった。少し考えた挙句、彼女には軽食を奢ってもらうことで合意した。
ベーカリーのテラス席でパンを頬張りながら、ロウはぼんやりしていた。自分でもぼんやりしているなと自覚するくらい、ただぼんやり空を眺めていた。
「ロウさん、何かあったんですか?」
「へ?」
彼女にそう訊ねられて、思わず間抜けな声が出る。
「午後、待ち合わせの時から思っていたんです。午前会った時と様子が違うなって」
「そんな前から気付いてたのか……」
あからさまな自分に恥ずかしくなると同時に、情けなくも思った。依頼人に心配されるほどの態度を見せていたなんて。
「私で良ければお話聞きますよ。とはいえ気の利いたことは何も言えないので、たぶん本当に聞くことしかできないですけど……」
卑屈なまでの謙虚さに少し笑いつつも、ロウは午前の出来事をかいつまんで話した。もちろんその発端が彼女が便利屋を訪ねてきたことにあるというのは告げずに。
「世話になってる奴とケンカしちまってさ。俺が悪いんだ。ついカッとなって、思ってもないこと言っちまって」
「なんであんなこと言ったんだろうって、ずっと後悔してるんだ。謝るのは当然なんだけど、なんて言おうとか、どうやったら許してくれるだろうとか、そういうことばっか考えてさ」
自業自得なのにな、とロウは再びため息を吐いた。改めて言葉にしてみると情けなさはみるみる膨れ上がる。勝手に腹を立てて、勝手にそれを投げつけて後悔して、勝手に落ち込んで。傍から見てもなかなかにカッコ悪い。
「ロウさんにとって、その相手はとても大切な人なんですね」
「えっ」
「だってケンカしてそれくらい落ち込んでしまうなら、そういうことでしょう?」
「あーいや、まあ、そう……かもな」
思わず頭を掻いてしまうが、彼女はこれまたくすくすと小さく笑っただけだった。
「でも、わかりますよ。実は私も今、恋人とケンカ中なんです」
「そうなのか?」
はい、と彼女は控えめに頷いた。
「つまらないことで言い合いになってしまって。本当につまらなさすぎて、お互いどう謝ったらいいかもわからなくなってしまいました」
彼女は恥ずかしそうに笑うと、「だから便利屋さんに依頼をしたんです」と言った。実はこの依頼で作っているものは、恋人への贈り物なのだという。
「言葉だけではどうしても気持ちを伝えきれそうになかったので、プレゼントを用意したらいいんじゃないかと思ったんです。仲直りの証ですね」
「なるほどな……」
「あ、でも私たちはお互いが悪いと気付いているからこそ、この方法が通用するんだと思います。ロウさんみたいに相手の方が許してくれるかわからない場合はちょっと……」
「そうだよな……」
思わず肩を落とすと、彼女は焦ったように申し訳なさそうな顔をした。
「すみません、ますます落ち込ませるようなことを言いましたね」
「いや、いいんだ。実際そうだしな。詫びの菓子やら持っていったところで、『またご機嫌取りでしょ!』とか罵られそうだ」
フルルともども目を三角にして怒り狂うリンウェルの姿が容易に想像つく。そもそもこれは自分で招いた失態だ。こちらの解決策はこちらでなんとかしなければ。
「それにしても恋人とかいたんだな。どんな奴なんだ?」
「同じ故郷の幼馴染です。手先が器用で、裁縫や料理が得意なんですよ」
料理、という言葉にピンときた。
「あ、じゃあ、あの時自分たちの店を持ちたいって言ったのは」
「はい。彼との店ですね。正しくは彼が作った料理を出す店ですけど」
私はまったく料理がダメで、と彼女は照れくさそうに笑った。なるほど、あの『ズーグル食楽記』に書かれていたのは恋人が作った料理を食べての感想だったらしい。
「彼が世界中の食材をもっと知りたいというので、私も思い切って故郷を出てきたんです。ようやくヴィスキントにたどり着くという時につまらない諍いを起こしてしまって……せめてこの街を出る前に仲直りがしたくて」
ここへ来て2週間。ようやくその念願が叶えられそうだと彼女は言った。
「本当にお世話になりました。あんな手早くズーグルを倒せる手腕も素晴らしかったです」
「おいおい、まだ早いだろ。まだ仲直りどころか、その贈り物とやらも完成してねえんだから。もし失敗したらどうすんだよ」
「確かにそうですね。お礼は依頼のズーグル狩りだけに留めておきます」
「それはそれでなんかちょっとむなしいな……」
二人で笑っていると、突然彼女がこちらの背後に視線を向けて「あっ」と声を上げた。
「どうした?」と振り返ると、そこには同じく目を丸くしてその場に立ち尽くしているリンウェルがいた。
「ロウ? なんでここに?」
「お前こそどうしたんだよ。つーかなんだそれ」
リンウェルの手には盛られたてほやほやのアイスクリームが握られていた。しかも2段のトッピング付き。少し値が張るやつだ。
「これは依頼のお礼で買ってもらったの。ロウこそ何? なんか美味しそうなものを食べた形跡があるんですけど」
「俺もお礼に奢ってもらったんだよ。いや、元は俺が狩ったんだから俺が払ったことになるのか?」
その辺どうなんだろう、と思って依頼人の彼女に目配せをする。が、彼女の視線はただ一点――リンウェルの背後にいる男に注がれていた。
まさか、と思った予想は当たっていたらしい。昨日リンウェルに依頼をしてきた駆け込み男は、彼女の幼馴染であり、料理が得意という例の恋人だった。
「こんなこともあるんだね」
頭を何度も下げながら去って行く二人を見送ってリンウェルが呟く。
「それぞれ依頼を受けた相手が恋人同士だったなんて」
それもケンカ中で、互いが互いへの贈り物を求めていた。
リンウェルへの依頼をした男は、彼女に何か宝石か花の贈り物をしようとしていたらしい。
「でも話を聞けば聞くほど、そういうのを求める彼女じゃないような気がして。彼女が本当に好きなものを贈ったらどうかな、って提案したら、そういえば自分が作った料理が好きだって言ってくれたことがあったって言うから」
贈り物は腕によりをかけた料理と決まり、的確なアドバイスに感銘を受けた男はリンウェルに追加報酬としてアイスクリームを買い与えた。「しかも2段にトッピング付きだよ。太っ腹!」
「ロウの方はどうだったの」と問われ、同様に経過を報告した。ズーグル狩りにも素材集めにも何も問題はなかったこと。お礼に軽食を奢ってもらったこと。彼女に情けない話を聞いてもらったことはもちろん内緒だ。
「ふうん」
リンウェルは呟いた後でちらりとこちらに視線を寄越した。
「それで、私に言いたいことは?」
その言葉にほとんど反射的に頭を下げる。
「……ごめん」
「他には?」
「俺が悪かった。お前に酷いこと言った」
「うん、すごい傷ついた」
「本当にごめん。あんなこと少しも思ってない」
「あんなことって?」
「だから、その、あの男に見惚れてたんだろとか、お近づきになれたらいいなとか」
「ちゃんと覚えてるようで何より。きちんと反省してるんだね」
そりゃあもう! と掴みかかりたい勢いだったがここは街の中心部。人の行き交う往来だ。大人しく手は引っ込めて、訴えるのは目だけにしておいた。
「本当に悪かった。もう絶対、あんなこと言わないって誓う」
うん、とリンウェルは頷いた。
「今回は許してあげる。その代わり、次はないからね。フルルのくちばしが火を噴くよ」
「フル!」
ばさばさと羽音を立て、フルルが眼前を舞う。地味に目に羽の先が刺さって痛い。
「今日はロウの奢りで夕飯、ってことで手打ちにしよう。メインからスイーツまで好きに注文させてもらうから」
まじか、と顔が青ざめる思いだったがここは仕方ない。むしろそれで許してくれるなら安いものだ。
「えへへ、久しぶりの外食、楽しみ!」
浮かれたように笑いながらリンウェルはスキップ半分で通りを駆けていった。その手には2段アイスがあるのに夕飯は大丈夫なのかと訊ねたところで「これは別腹!」と一蹴されてしまうのだろう。
「ほらほら、まずは便利屋に戻るよ。依頼も終わったんだし、夜までゆっくりしよ」
ああ、そうだな、と言ってロウはその背中を追った。いまだずきずき痛む胸は、残る罪悪感によるものか。
あるいはもっと別のものか。もはや先ほどまでのことなどすっかり忘れたようなリンウェルの笑顔は、太陽に照らされてきらきらと輝いて見えた。
あの人といても、なんともなかったんだけどな。
今日一日何の変化も見せなかったそれが、今になって大きく高鳴り始めたことにロウは驚いていた。
つづく