もしロウがカラグリアを出奔していなかったら、という本編ifのお話。全部捏造/強めの幻覚/何でも許せる人向け

赫く夜空は君のため

 それからの日々、ロウは時間さえ空けばアルフェンと手合わせをした。
 ロウが〈紅の鴉〉から頼まれたあれこれを終え、かつアルフェンが時間を持て余している時、2人はどちらからともなく声を掛け合って荒地に出て行くようになった。
 毎日毎日、飽きもせず拳と剣とを交わし合う。ある時はアルフェンの剣がロウの脇を掠め、またある時はロウの拳がアルフェンのこめかみを擦った。何度も似たような、それでいて毎度異なる打ち合いを繰り返しては、シオンが呆れたようにため息を吐いて治癒術を掛ける。休憩中には、今の動きはどうだった、もっとこうした方がいいんじゃないかと意見を交わし合って、互いの技に磨きをかけた。
 ロウはそんな毎日が楽しく、同時に嬉しくもあった。こんなふうに誰かと一緒に稽古に打ち込むのは久しぶりだ。ジルファが家に帰らなくなったことに加え、以前はよく一緒に鍛錬に励んでいたガナルやネアズとも、多忙を理由にそういう機会をほとんどなくしてしまっていた。
 だからこそ、こうして無心に拳を振るえるアルフェンのような相手がいることはありがたかった。おまけにアルフェンも自分と同等かそれ以上の戦闘狂、いや、武術狂だ。ロウが打ち合いの中で新技を編み出そうとしている時、アルフェンは連携の際の重心の運び方を何度も確認していた。
 できるだけ長くこの日々が続けばいい。心からの願いほど、叶わないものだ。
 ロウはその日、午前から荷運びに追われていた。何でもレナ兵たちが貯め込んでいた食糧が見つかったとかで、朝から大勢駆り出されていた。
 ようやく終わったのは昼前で、ロウは急ぎ足でウルベゼクに向かった。特に約束をしたわけではなかったが、アルフェンを待たせているかもと思ったのだ。
 ところがいつもの場所にアルフェンの姿はない。水場や畑の辺りにもその気配はなく、ひときわ目立つ格好をしているシオンもどこにも見当たらなかった。
 ふと覗いた拠点の建物の中で、ロウはようやく2人を見つけた。なんだここにいたのか、と思いつつ、入り口に立ったところで内部に何やら剣呑な空気が漂っていることに気が付いた。
「今アルフェンを外に出すわけにはいかない!」
 聞こえてきたのは、ネアズの声だった。「いつ増援が来るかもわからないんだぞ!」
 いつも険しい表情をしているネアズが、いっそう眉間の溝を深くしていた。その背後の椅子に着いたティルザとガナルが、何も言わずその様子をじっと見つめている。
「だから、それはあなたたちの事情でしょう。私たちには関係ないわ」
 窓際で腕組みをしながら言い放ったのはシオンだった。いつもの調子でそっけなく、その視線は誰と交わることもない。
「〈炎の剣〉はこの国の切り札だ! それを今手放すことが、どれだけ危険かわからないのか!」
 ロウはそこでようやく事態を把握した。どうやら、一番来てほしくなかった時が来てしまったらしい。
「お前たちがここを離れてレナ兵が押し寄せたら……この国はどうなる!」
「知らないわ」
 シオンは無情にも言い切った。
「どちらにせよ、私が許さなければ〈炎の剣〉は使えない。同じことよ」
「なんだと……!」
 言葉を失ったネアズに、シオンはなおも続ける。
「あくまで私たちが手を組むのは領将を倒すまでだったはずよ。それからのことは話にも出していないし、約束もしていない。それで今になってこうして何か言うのは、お門違いじゃないかしら」
 足元で、ざり、と砂の擦れる音がした。
「それとも何? あなたたちだけでやっていく自信がないの?」
「お前……っ!」
「ネアズ」
 そこではじめて、これまで話を聞くばかりだったジルファが口を開いた。今にも食って掛かりそうな勢いのネアズを腕一本で制する。
「こいつらとははじめからそういう話だった。俺たちが止める権利はどこにもない」
 何か言いたげな顔をしつつ、それでいて引き下がるネアズにどこか小さく微笑みながら、ジルファは今度はアルフェンとシオンの方を向いて言った。
「お前たちはよくやってくれた。改めて礼を言う。シスロディアでも悲願が達成されることを祈っている」
 アルフェンは黙って頷き、シオンは「わかればいいのよ」と言わんばかりに鼻を鳴らした。
「それで、ここからは俺個人の頼みになるんだが」
 ジルファは入り口に棒立ちになっているロウを顎でしゃくって言った。
「こいつを、一緒に連れて行ってやってくれないか」
「……え?」
 その瞬間、その場にいる誰もが息を呑んだ。皆の視線が一斉にロウへと注がれる。
「おいおい、本気か?」
 あからさまに慌てたガナルの声に、
「冗談じゃないわ。観光に行くんじゃないのよ」
 被せるようにしてシオンが反論する。
「ただでさえ余裕はないのに……子守はごめんだわ」
「当然だ。だが知っての通り、こいつは自分の身は自分で守れる。少なくとも、荷物持ちくらいにはなるだろう」
「荷物持ちって、あなた……」
 少しも揺るがないジルファの視線に、シオンはため息を吐いて首を振った。
「俺は良いと思う」
 そう言ったのは、アルフェンだった。今度は視線がそちらに向く。
「この数日、何度も手合わせをしてきたが、ロウの腕は確かだ。その辺のレナ兵なんか相手じゃない。充分戦力になり得る」
「だからこそ痛手なんだろうが」
 呟くようにガナルが言った。
「アルフェンだけでなくロウまでいなくなったら……本当にレナ兵が攻め込んできた時、この国は終わっちまうぜ?」
「そこは俺の踏ん張りどころだな」ジルファが笑う。「2人を送り出した責任もある。これまで以上に張り切って現場に出ようと思うが……」
 お前たちはどうだ? 問われたネアズとガナルが揃って肩をすくめた。
「あんたがそう言うんなら仕方ねえよ。覚悟決めるしかねえだろ」
 その後ろでティルザが可笑しそうにくすくす笑った。
「さて、好き放題言ったが」
 改めてジルファがロウに向き直る。
「お前はどうだ」
 同時に再びその場にいる全員の視線が向けられて、ロウは思わずたじろいだ。
 どう、と言われても。
「お前はどう思う」
 別に、どうとも思わなかった。今アルフェンが去ってしまえば稽古もできなくなって残念だとは思うが、いずれは終わることだ。それについては仕方がないとしか言いようがない。
 ただ、言いたいことならあった。
 勝手に決めんなよ。こういうことは普通、俺の意思を確認してからとか、何か一言相談してから進めるものじゃないのか?
 思えばいつも親父はこうだった。俺の意見なんか端から聞いちゃいない。俺の話を親父が真剣に聞いてくれたことがあったか? ああしろこうしろと指図するばかりで、俺が本当に望むものが叶ったためしはなかった。
 あの時だって――。何時間も床につき続けた膝の、ざらついた感触が今でも消えない。
 きっと親父の中では、もう答えは決まっているのだろう。俺が今さら何を言おうと、結果は覆らないのだ。
 そう思うと、何もかもがどうでも良くなってきた。カラグリアが解放された今、この拳を振るう相手もいない。この国でやりたいことがあるかと考えてみても、何ひとつ浮かばなかった。もし万が一ネアズの言う通り、増援が来ると確定しているのなら、ここに留まることも考えられるだろうが……。
 そういう〈可能性〉の話はしていない。今自分に求められている答えは2つに1つだ。
 ロウはジルファの視線を感じながら、敢えて真っすぐアルフェンの方を向いて言った。
「2人が許してくれるなら、俺も連れて行ってくれ」