もしロウがカラグリアを出奔していなかったら、という本編ifのお話。全部捏造/強めの幻覚/何でも許せる人向け

赫く夜空は君のため

「ここにしましょう」
 シオンが示したのは、崩れた瓦礫の陰だった。もともとは建物の一部だったのだろうか。石造りの壁は朽ちかけてボロボロだが、この吹き荒ぶ風を凌ぐことくらいは出来そうだ。
 ロウは背負っていた荷物を地面に置くと、近くから焚き木を集めてきて火を点けた。オレンジ色の炎が辺りをぼんやり照らしだす。
 アルフェンが大きめの瓦礫を拾ってきて、ロウはひとまずそこに腰を下ろした。思わずついて出た深い息に自分でも驚いたが、同様の声は2人からも聞こえてきていた。シオンの言う通り、体力の消耗は思いのほか激しかったらしい。
 開いた手のひらは真っ赤だ。指先はかじかんで、上手く動かせない。吐きかけた吐息が温かかったが、それも焼け石に水だった。あれだけうっとおしかったカラグリアの熱風が、今この瞬間だけはどうにも恋しくなった。
「何か食いたいもんはあるか?」
 近くの鞄を引き寄せながら、ロウはシオンに訊ねた。シオンは炎に手を翳したまま首を横に振り、「食べられるのならなんでも」と答えた。
 それが一番困るんだよなあ。思いながら、ロウは迷わず半端になった野菜たちを取り出した。作るのは野菜の入ったスープだ。これなら体も温まるし、何より切って煮るだけなので調理も楽でいい。とはいえロウにしてみれば焼くか煮るかのどちらかしかできないので、選択肢はごく限られるのだが。
 正直に言えば、肉を食べたい気持ちはある。シオンでもアルフェンでもいい。「肉が食べたい」と一言言ってくれないだろうか。そうしたら遠慮せず、肉の塊をじゅうじゅう焼いてみせるのに。
 それは叶わない願いだと、ロウはきちんと理解している。持ってきた食料の中で肉は僅かだし、自分は2人のオマケである以上、好き勝手食材を減らすわけにもいかないのだ。荷物持ち兼料理担当を任されてしまっては、在庫の管理もしなければならなかった。
 何せシオンの食べる量は半端ではない。3人前は当たり前で、満腹までとなると5人前か、それ以上は必要だろう。
 初めてその光景を目の当たりにした時、ロウは度肝を抜かれた。その細い身体のいったいどこにそれだけの量が入るのだろう。呆然とするロウを前に、シオンはあっさりと3人前の料理を食べ終えた後でごく自然に言い放った。
「おかわりはあるかしら」
 このままいけば、ティルザの見通しよりもずっと早くに食材は尽きてしまう。どうしたもんかな、と思いながら、ロウは水の量を嵩増ししてやり過ごすことにした。相対的に具材の減ったスープを、シオンは黙って啜り始めた。
「星が見えるな」
 食事の最中、ふと空を見上げてアルフェンが言った。
「向こうにも、山の方にも、ずっと星が見える」
「何言ってんだアルフェン。夜なんだから、当たり前だろ」
「いや、そうじゃないんだ。俺たちがこの国に入ってからしばらく経つだろう? でも空は、ずっと夜のままだ」
 そこでハッとした。言われてみればそうだ。自分たちが洞窟を抜けた時も夜だったが、あれからかなりの時間が経った今も、一度も陽の光を拝めていない。
「私もおかしいと思っていたわ。いくらなんでも、もう夜が明けてもいいはずよ」
「どういうことだろうな。まさか太陽が昇らないなんてことがあり得るのか?」
「それも含めて聞いてみるか? まあ、誰も答えてくれなさそうだけどな」
 ため息がついて出たのは、これまでのことを思い出したからだ。この国に入ってから街道をひたすら歩き、途中でいくつか小さな村に行き着いたが、その中で誰一人として自分たちと口を利く者はいなかった。それどころか視線さえ合わせようとしない。ここはどこなのか、近くに大きな街はないかと訊ねても、皆そそくさとその場を離れていくだけだった。
 そんな村人たちにロウは面食らった。カラグリアの見知らぬ土地でもこんな態度を取られたことはない。ただ話しかけただけで、これほど冷たい視線を投げかけられるとは。
「俺たちが外から来たから警戒されているんだろう。俺の仮面や、シオンの格好を見ればなおさらだ」
 アルフェンはそんなふうに言ったが、あまり納得はいかなかった。誰か一人くらいと思ってロウは声を掛け続けたが、やはり反応は返ってこなかった。
「得られた情報といやあ、あいつらがこの極寒の地にふさわしい心の持ち主だってことくらいか」
「そう言うな。何か事情があるんだろう。それに、商人からは話が聞けた」
「ああ。確か、〈蛇の目〉だったか」
 その商人の男とは、村から少し進んだ先の街道で行き会った。背には少しの物資を背負い、頭にはフードを深く被っていたが、村人ほど冷たい態度ではなかった。
 商人は、ロウたちが国の外から来たと聞いてひどく驚いていた。
「あんたたちがここに何をしに来たのかは知らないが、〈蛇の目〉には気をつけろよ。捕まったら何もかもおしまいだ」
「〈蛇の目〉? なんだそれ」
 ロウが訊ねても、商人はそれ以上のことを言わなかった。どうやら自分たちに情報を与えたことが知れるとまずいらしい。
 あの商人と村人の様子から察するに、彼らが何かに怯えていることには間違いないようだ。ただ、村にはレナの兵士の姿もなかった上、代わりの存在がいるようにも見えなかった。カラグリアのように四六時中監視されているわけでもなければ、鞭打たれるということもなさそうだが……。
 だったら彼らは、いったい何に怯えているのだろう。
「詳しいことはわからないわね。彼らが私たちと話をする気がない以上、訊ねても無駄でしょうし」
「無理やり聞き出すこともできないしな。誰か協力者でもいない限り、これ以上の情報を得るのは難しそうだな」
 3人揃って吐いた息が、焚火の上で重なった。一瞬だけ白く濁ったそれが、相変わらず真っ暗な空に立ち上って消える。
「とはいえ道は続いているわ。聞き込みは続けましょう」
「そうだな。今はどんな情報も惜しい」
 アルフェンが姿勢を正して言った。
「この道を使うのがレナなら、まだほかに村もあるでしょうし、その先はきっと大きな街へ繋がっているはずよ」
「そこにこの国の領将もいるってわけだな。俺らの倒すべき敵が」
 シオンはええ、と頷いた。膝の上でぎゅっと拳が握られる。真剣な眼差しは、まるで決意と覚悟を固めているかのようだ。
「まあ、俺は何でもいいけどよ」
 頭の後ろで腕を組みながら、ロウは言った。
「どこに向かうにしたって、2人についていくだけだしな」
「……」
「ああでも、荷物は任せとけ。大事な食いもんはしっかり守らないとな」
 ロウは胸を張ってみせたが、シオンは何も言わなかった。そうしてそのまま立ち上がったと思うと、てきぱきと片付けを始めたのだった。
 シオンの推測した通り、街道を進んで坂道を上ると小さな村があった。門を抜けた先には民家らしき建物がいくつかあり、ちらほら人影も覗いている。
「ダメで元々。ちょっくら話でも聞いてくるか」
 そうして何人かに話しかけたところで、通りの向こうがにわかに騒がしくなった。
「お前らだな! 通報にあった不審者というのは!」
 奥から駆けてきたのは、頭から足の先まで鬱屈とも言えるほどに暗い服をまとった集団だった。それぞれが銃を手にしていて、明らかに村人とは様子が違う。
「ロウ!」
 言われる前に背中を合わせていた。一瞬にしてぐるりと周りを取り囲まれ、ロウは咄嗟に拳を前に構えた。
「な、なんなんだよこいつら!」
「話にあった〈蛇の目〉かもしれない。兵士とも違うが、武器は完全にレナのそれだ」
「ごちゃごちゃとうるさい! お前たちは不穏分子の筆頭として連行する!」
「連行ですって……?」
 シオンが銃を構えたまま、引き金に手を掛けた。
「ここで捕まったら元も子もないわ。やるわよ!」
 その声を合図とするようにアルフェンが剣を抜いた。けたたましい銃声と共に火花が散る。
 ロウは背中に荷物を抱えながらも、地を蹴って前に出た。相手の得物は銃だ。その場に留まり続ければ、格好の的となってしまう。
 幸い、敵に手練れはいないようだった。兵士のような硬い装甲を身に着けているわけでもなく、接近さえできればあとはただ手刀を食らわせるだけだった。
「こっちだ!」
 村の奥に出口を見つけると、ロウは声を張って2人を導いた。シオンが牽制に何度か発砲し、残りの敵の足止めをする。
「何をしている! 追え!」
「負傷者多数! 敵の姿も確認できません!」
「なんだと!? くそ……!」
 村が再び慌ただしくなる頃には、ロウたちはとうに外の街道を駆けていた。小さな林を抜け、坂を駆け上がり、そこで初めて振り返ってみると、そこには静寂だけが居座っていた。
 耳を澄ませてみても、誰の何の気配もない。どうやら敵は撒けたようだ。
「はあ、なんだったんだよまったく……」
 足を止めるとじわじわと疲労がこみ上げてきた。暴れる鼓動を抑えつつ、深く息を吐いて呼吸を整える。
「あれが例の〈蛇の目〉なのか?」
「おそらくね」シオンが銃をしまい・・・ながら、服の裾の泥を払った。
「彼ら、〈通報〉と言っていたわ。誰かが知らせたんじゃないかしら」
「誰かって、誰だよ」
「わからないけど、少なくとも私たちが接触したのはダナ人だけよ」
 シオンの言葉は、ロウの背筋を凍らせるには充分だった。
「それって、もしかして……」
「確証はないけれど、あらゆる可能性を考えておかなければならないわ」
「まじかよ……」
 思わず血の気が引いた。まさかレナだけでなく、同じダナ人にも警戒しなければならないなんて。
 そんなまさか、と思いつつ、合点がいくところもたくさんある。村人たちが自分たちに向ける視線。あれは少なくとも、〈仲間〉に向けられたものではなかった。
 てっきり、彼らも自分たちと同じ共通認識を持っているものだと思い込んでいた。――レナは敵。
 敵を討とうというのなら無条件で協力してくれるものだと勝手に信じ込んでしまっていたが、そもそもそんな約束を交わしたわけではないのだ。彼らからすれば、外部からやって来た得体の知れない自分たちもレナと何ら変わらない存在なのかもしれない。自分たちの生活を脅かす者はすべて等しく敵。敵の敵が皆、〈仲間〉とは限らない。
「〈通報〉があった以上、他でも同じことが起こるでしょうね。たまたまあの村で彼らが張っていた、なんて都合のいいことはないでしょうから」
「じゃあなんだ? これから行く先々でああいうのに遭うってのかよ」
 絶望にも近い感覚に襲われる。この国にいる間中ずっと、ああして狙われ続けなければならないのか。
 勘弁してくれ、と肩を落とした時だった。鞄の重みでバランスを崩し、思わず一歩後ずさる。
 だが、踏みとどまろうとした先に地面はなかった。
「え……あれ?」
「――ロウ!」
 災難は続くものだ。
 ロウは足を踏み外し、そのまま崖下へと落ちてしまった。