シスロディアのお祭りに参加するロウリンの話。

その灯を点す前に

今度シスロデンで"祭り"のようなものがあると教えてくれたのはテュオハリムだった。
祭り、と言われてもほとんどのダナ人にはピンと来ないだろう。レナ侵攻前のダナにもそういう文化があっただろうということはリンウェルも知っていた。主に豊作や人々の健康を願った催しで、ものによっては神聖な儀式であったり権力の誇示に近いものであったりと様式は様々だ。
今回のそれはそのどれとも違う。
長い間敷かれていた統制により、シスロディアで暮らす人々の心にはいまだ影がある。ようやく光を取り戻した今、何か心が明るくなるような催しを開きたいと〈銀の剣〉を中心とした組織で企画されたらしい。各領から商人を呼び、通りでは市も開かれるとか。

息抜きに行ってみてはどうかとテュオハリムに勧められたはいいものの、リンウェルは少し頭を悩ませていた。
「シオンにもキサラにも断られちゃった……」
フルルを撫でながらリンウェルは眉を八の字にしてため息をつく。
折角の楽しい催しならみんなと行きたい!と声を掛けたものの、皆見事に先約があったのだ。
それも仕方ない、もう祭りは数日後に迫っていて、急な誘いであったことは間違いないのだから。
「シオンなんて絶対アルフェンと行くんだよ」
話を切り出した時のあの態度。どこかよそよそしいというか、理由を言い出しにくそうにしていた。
「キサラもそうなのかな。誰かと行くのかな。……なんかだんだんみんな怪しくなってきた!」
もー!と枕を叩くリンウェルをフルルが心配そうに見つめる。

--ロウなら一緒に行ってくれるのかな。
そう思ったのに他意は無い。他意は無いのだけど。
しばらくリンウェルはロウとは会えていなかった。
古代の遺物や文化の研究に力を入れるテュオハリムの希望もあってリンウェルは今はヴィスキントに滞在している。もうほとんど暮らしていると言っていい。
はじめこそロウもリンウェルの研究を(助手という名の使い走りで)手伝ってくれていたが、人手が足りないというカラグリアからの要請を受けて颯爽と街を離れて行ってしまった。
自分の道を行くと決めたのは皆同じ。引き留めるなんてことは考えもしなかったが、まさかここまで長く会えなくなるとは思っていなかった。
実は手紙は何度か出した。おそらく〈紅の鴉〉の人と仕事をしているだろうから、それ宛に。
でも返事が返ってくることは一度もなかった。手紙がロウの元にちゃんと届いているのかもわからないままでリンウェルは悶々とした日々を過ごしていた。
今手紙を出したところで祭りには間に合わない。そもそも手紙が届いたところで、もう他の誰かと行く約束をしているのかもしれない。

(それはなんか、)
嫌だな、と思ってしまう。
ロウが誰と過ごそうとそれはロウの勝手なのに。
かといってロウがここにいたとして本当に誘い出せるだろうか。
無邪気に、一緒に行こうよ!と言える時期はとうに過ぎ去ってしまった。それにはあまりにも気持ちが育ちすぎた。
この感情をなんと呼ぶのかそれはリンウェルも理解しつつある。まだ確信には至ってはいないが。
(私って、自分勝手)
勝手に想像して少し落ち込んで。それでいて行動に移せるわけでもない。
うじうじしていても時間は待ってくれない。
リンウェルが気がついた時にはもう夜になってしまっていた。

   ◇

祭りの当日はよく晴れていた。雲がない分、シスロディアでは寒く感じられるがリンウェルにとってはそれすら懐かしい。
結局好奇心に負けてリンウェルは一人でシスロデンへと向かうことにした。途中で出会った旅商人たち曰く、祭りではたくさんの屋台が並び、様々な食べ物も売られているらしい。それも朝から夜遅くまで。子ども向けの甘い菓子もあると聞いてリンウェルの心は躍る。子ども向け、という文句は要らないが。

到着したのは夕方になる頃で空は既に赤に染まりつつあった。
シスロデンに入る門の前でリンウェルはよく知る人物に似た姿を見つける。
ーーあれは、いや、間違いない。
「ロウ?」
「リンウェル!?」
驚きの声を上げながらも、2人の間には少しの静寂が流れる。
「……げ、元気だった?」
「まあな。リンウェルは?」
「私も、元気だけど」
ようやく口にした言葉は当たり障りのない定型文のようなもの。
なんとなく目が合わせづらい。会ったら話したいことがたくさんあったはずなのに。
「ロウは、なんでここに?」
誤魔化すように話を振ると、ロウは小さくため息をつく。
「〈銀の剣〉から頼まれたんだよ。こういうのに乗じて騒ぎを起こす奴がいるから見回りをしてくれって」
どうやら誰かとの待ち合わせでここにいたというわけではないらしい。
「お前は……1人か?」
「1人じゃないもん!フルルがいるし!」
「フルゥ!」
「うわっ、やめろって!」
フルルがロウの頭を突くのを見て、いつもの自分たちだとリンウェルは少しほっとする。

「あのさ、一緒に見て回らねぇか?」
その言葉にリンウェルは思わずどきりとする。
「……いいの?見回りあるんでしょ?」
「誰かが揉めてたら対処してくれってことだし、見回りなんだから歩き回るのが正解だろ?」
にしし、と笑うロウはきっと何も考えてはいないだろう。自分はその言葉を言いたくて、でも言えなかった。さらりと言いのけたロウがなんだか憎らしい。
「……別にいいけど」
無愛想な返事しかできない自分はやっぱり可愛くなくて。
このやり場のない気持ちをどうしたら良いものかと地面の雪を少し蹴り上げる。さらさらと舞った雪は再びリンウェルに降りかかるとそのまま音もなく散っていった。

門から少し歩いてシスロデンの中心部に着くと、違う街に来てしまったのかと思うほど人で溢れかえっていた。
「すごい人……!」
まさかこんなに人が集まるなんて。
「本当にシスロデンなのかここは?」
ロウも同じ驚きを感じていたようで、その目をまん丸にしてキョロキョロと辺りを見回している。
なんにせよ、嬉しいことには間違いない。
あんなに表情の暗かった人々も笑い声を上げていて楽しそうだ。
さっきまでの気分が嘘のようにリンウェルの気持ちも昂ってきた。
「なんか、いいね」
「おう。なんか上手く言えねーけど、いい感じだよな」
リンウェルとロウは顔を見合わせて笑い合うと賑やかな通りへと入っていく。

参加する屋台の数は思っていた以上に多く、その種類も豊富だ。さまざまな料理に目移りしながら2人は歩みを進めていく。
「ねえ、あれ美味しそうじゃない?」
「どれどれ、ってまた甘いものかよ……さっきも似たようなの食ってただろ」
「いいじゃん、好きなんだから……っ、うわ」
少し横の方を向いただけで誰かとぶつかってしまう。元々大きな通りではないせいか、こんなに人が集まるとまっすぐ歩くことすら難しい。
「ほら、こっち」
ぐい、と引っ張られた先は小さな窪みになっていて人混みから抜け出すことができた。ロウはそこで常に周りに目をやっている。任された見回りも忘れていないらしい。
「気をつけろよ、こんなんじゃすぐはぐれちまう」
「う、うん。気をつける」
一方で一瞬引かれた手の感覚にリンウェルは軽く取り乱していた。旅をしていたあの頃はこんなこと気にも留めなかったのに。
「リンウェル?」
「え?何?」
「あれも食べるんだろ、行こうぜ」
前を行くロウの背中はこんなに大きかっただろうか。そう言われてみれば腕も少し太くなった気がしないでもない。脚の方は、……服で見えないか。
それにしても、ロウは腰にこんなの巻いていたっけ……と、そこまで考えてからリンウェルは目で追っていたのが全くの別人であることに気づく。
「ロウ?」
慌てて周りを見回してもその姿はない。
ーーはぐれてしまった。こんな人混みの中で。
人の流れは止まることなく、リンウェルはどんどん押し流されていく。
ロウはどこだろう。この先で待っている?それともどこかで同じように自分を探している?
そうだとして、どうやって合流するの?
ーーもう今日は、会えなかったら?
最大の不安が頭を過ぎる。どうしよう、どうしたら。
そう考えている内にも人は押し寄せてくる。
まずは、さっきみたいな窪みにーー。
そう思って振り返った瞬間、ぐいっと腕を引かれる。
「リンウェル!」
その勢いに任せるとほとんど抱き寄せられる形でロウの胸元に収まる。顔を上げると肩で息をしていたロウが声を荒げた。
「ばっかお前、気をつけろって言ったろ!」
「ご、ごめん」
ぼうっとしていたのは事実で、リンウェルは思わず俯く。
「フルルが跳ねてるのが見えたから良かったけどよ……振り返ったらいつの間にかいねえし」
「考え事してたら……本当にごめん」
「……いや、俺も悪かったよ。ちゃんと見てればよかったんだ」
ロウは優しい。自分を本気で叱ってくれて、気遣ってもくれる。すっかり慣れてしまっていたが、自分はなんて恵まれているのだろう。
「またはぐれても困るだろ。ほら、つかまっとけよ」
ぶっきらぼうに差し出された右手は自分の手よりもずっと大きくて温かかった。

それから2人は街中を歩き回った。
お互い見慣れた街のはずなのに、初めてきた場所のような不思議な感覚がしてどこに行っても楽しかった。
やはりシオンはアルフェンと来ていたようで、屋台で食べ物を大量購入しているところを目撃した。この手を見られるのはなんだか恥ずかしかったので回り道をしてなんとか遭遇するのは避けられた。
「やっぱりシオン、アルフェンと来てたんだ」
「そりゃまあそうだろ」
リンウェルはロウの言葉に唇を尖らせる。
「キサラにも断られちゃったし。キサラも誰かと来てるのかな」
「さあな。なるほど、みんなに断られて……ああ、だからお前1人だったのか」
「だから1人じゃない!フルルと来たの!」
「わかったわかったって。まあ、なんかほっとしたわ」
「なんでロウがほっとするのよ」
「そ、それは……」
ええと、と言葉を濁すロウの右手はじわりと汗ばみ始める。しどろもどろになりながら、思い出したかのようにロウが声の調子を上げる。
「ああほら、前くれた手紙とかで俺を誘ってくれても良かったんだぜ?」
手紙、という言葉にリンウェルはぴくりと反応する。
「そうだよ手紙!」
何度送っても一度だって返信を貰ったことはない。ロウの言い方だと、ちゃんと手元には届いていたはずだ。
「何回送っても返事こないから!」
大きい声に驚いたロウを見て、リンウェルが我に返る。
「心配、したんだけど」
堪らず目を伏せてそうぼやく。
ロウはあーとかうーんとか声を発しながらしばらく答えに悩んだ後、少し恥ずかしそうに口を開いた。
「俺、読み書きとか苦手でさ。つっても、これでも書こうとしたんだぜ?でもなんか上手く書けねーっつうか」
でもそうだよな、とロウは頭を掻く。
「他にも返事のしようはあったよな。なんか土産とかさ」
「それはそれで形見みたいだから嫌」
「俺を勝手に殺すな!」
どうすりゃいいんだと頭を悩ませるロウを見て、リンウェルは少し満足する。これでずっと返事がないなんてことはもう無いだろうから。
多分、おそらく。少なくとも、たまに顔を見せには来るだろう。

広場では小さな皿に乗ったキャンドルを配っていた。なんでも、そのキャンドルに願いを込めて火を灯すのだとか。
「へえ、食い物じゃなくてがっかりしてたけど結構きれいじゃねえか」
「最初のは余計だよ」
ロウとリンウェルもひとつずつキャンドルを受け取ると、人とぶつからないような所へと移動する。
辺りはかなり暗くなってきていて、既に灯されたキャンドルの灯でぼんやりと照らされていた。
近づかなければロウの顔もはっきり見えない。
それでもロウが穏やかに笑っているのがわかった。

何をお願いしようかな。
リンウェルは考えを巡らせる。
健康、世界平和。博物館の大盛況、とか。
スケールには違いがあれど、意外と願うことはある。キャンドル一本では足りないなんて、自分もなかなか欲深い人間だとため息すら出そうだ。
「何をお願いするんだ?アイス1年分か?」
こんなロウの言葉を聞くと悩んでいる自分が少し馬鹿らしくなってくる。
ーーでも、今日は嬉しかった。久々に会えて。一緒に祭りを回ることもできて。
嬉しかったから、少しだけ素直になりたい。
さっきまでロウと繋がれていた左手を再びロウの右手に重ねる。
「え、あ、あの、リンウェルさん……?」
狼狽えるロウにだけ聞こえるような声で、リンウェルは願いを口にする。
「もう少し、ロウといられますようにって」
「……!!」

恥ずかしさのあまりすぐに顔を背けると、リンウェルはさっさとこの場を離れようとする。
「ほら、行くよ!」
「ちょっ、待て!リンウェル、それって」
「叶えてくれるの、くれないの」
「か、叶え、ます」
半ば強制とも取れるが2人にはあまり関係ないだろう。再び繋がれた手はもうしばらく離れそうにない。

おわり