〈白い〉シリーズその2。ロウがカラグリアにいる間のリンウェルの話。

白い花びら

今日もメナンシアには穏やかな風が吹き、それに乗る花の香りが首府ヴィスキントを彩っていた。
澄んだ青空を過るのは大きな翼の影。通りを歩く子供たちがそれを指さしては歓声を上げる。
昔はほとんど見かけなかったダナフクロウだが、今ではこうして街中に現れることも増えた。といってもまだまだその存在は希少で、運よく目に出来た者にはさらなる幸運が訪れるというジンクスまで語られるようになっている。
ところがここヴィスキントでは結構な頻度でその姿をお目にかかれるという。その穏やかな環境ゆえか、はたまた生活する住民の人柄ゆえか。一部の住民の中では、ヴィスキントには星霊力を敏感に感じ取ることができる人間がおり、ダナフクロウとも会話ができるためその人間に寄ってきている、なんて噂が囁かれていたりもする。

「ホロロロゥ」
低く鳴いた声にリンウェルが振り向くと、立派な体格のダナフクロウが小窓の縁で首を傾げていた。それを見たフルルが嬉しそうに羽ばたき、その隣で同じ仕草をすると彼もまたその目を優しく細める。
もともとフルルのために作られた小窓だったが、今ではそれ以外のフクロウたちもここに姿を見せるようになった。それは社でなく人間の元で過ごす小さな仲間の様子を見に来ているようでもあったが、彼らの多くは部屋の主を訪ねて”配達人”としてここに訪れる。
今日訪れたダナフクロウの首にも例によって小さな袋がぶら下がっていて、そこから顔を出しているのはこれまた小さな花だ。それだけで、リンウェルにはこのダナフクロウを遣わした相手がわかる。
「良かった、無事に着いたんだね」
リンウェルはその白い花弁が散らないようにそっと小袋を取り上げると、それを届けてくれたダナフクロウに感謝した。フルル用に用意してあるおやつをポケットから取り出すとその嘴へと寄せる。ダナフクロウは器用にそれをくわえたと思うと、小気味いい音を立ててそれをあっという間に平らげてしまった。フルルなら何分もかけて味わうそれを、ほんの数秒程度で。
謝礼に満足したのかフォロロ、とまた低い声で鳴くと立派なダナフクロウは小窓から飛び立っていった。おそらく社のある西に向かうのだろう。気を付けてね、とリンウェルが窓を見上げた時にはすでにその翼は遠くにあり、羨ましいほどに悠々と大空を泳いでいた。


リンウェルがこうして”フクロウ便”を介してロウとやり取りを始めてからもう一年半は経つだろうか。
カラグリアにいるロウに初めて手紙を送ってから、今回がちょうど11回目の”返事”になる。といっても一番初めは手紙が書けないからとカラグリアから何日もかけてリンウェルの元に”返事”をしにきたのだが。それもカウントしての11回目、ということになる。

この一年半の間には様々なことがあった。
ロウはメナンシアを出てカラグリアに向かったが、現在はそのカラグリアをも出て一人で世界を巡っている。一人といっても各地の組織と連携を取り、ズーグル討伐や輸送隊の警護に協力しているらしい。任務でヴィスキントに訪れたときにはリンウェルのいる研究棟にも顔を出してくれるし、シオンとアルフェンの結婚式が開かれるとなった時には――当然とはいえ――仕事を片づけてメナンシアまで駆けつけた。カラグリアにいた頃よりずっと融通が利くのは確かだ。
だからそこまでロウとの距離が離れていると感じたことはないが、リンウェルはロウに手紙を書き続けた。はじめこそどうやってそれを届けるか頭を悩ませたが、どこからともなく現れたダナフクロウたちの活躍によってそれは解決された。彼らは一、二か月のうちに一度リンウェルの元を訪れては手紙を受け取り、それをロウに確実に送り届けてくれる。毎回色の異なるダナフクロウが訪れていることを考えると交代制で配達してくれているのかもしれない。
懸念すべきはロウの”返事”もそうだったが、これに関してはリンウェルが手紙に「わざわざ会いに来ないこと!」と注意書きをすることで回避できた。手紙を送るたびに会いに来られてはロウの仕事に影響が出るだろうし、こうしておけばロウも諦めて手紙を書く気になるかもしれないというリンウェルの小さな策略があったわけなのだが。残念ながら現在までそれが叶ったことはない。ロウ曰く、「どうしても書けない」のだそうだ。このことはリンウェルをちょっと落ち込ませたが、その代わりにロウは手紙を受け取った証として小さな花を配達人に持たせるようになった。きっとロウの事だから花の知識なんてものはないし、その場で目についた花を手折ってダナフクロウに届けさせているのだろう。それが今回は黄色の中心に白い花弁を付けたかわいらしい花だった。

「いい香り……それになんだろう。風の星霊力、かな」
くるくると指の間で踊る可憐な花からは、どこかふわふわとした不思議な感触があった。
それはリンウェルだけが持つ特別な力で、リンウェルはなんとなく物や人から星霊力を感じ取ることができた。特に花などの植物や鉱石などにはその地特有の星霊力が宿ることが多く、リンウェルにとっては星霊力を感じやすい対象でもあった。
「風、ミハグサールか」
ロウがいるのはきっとそこだ。
懐かしいな、とリンウェルは目を細める。初めてそこを訪れたのはまだアルフェンたちと旅をしていた頃。忘れることなんてできない、自分の生き方が大きく変わった場所だ。

リンウェルは白い小さな花を厚手の紙にはさむと、何冊か重なった本の一番下に挿し入れる。いわゆる”押し花”の要領だ。
リンウェルはロウから受け取った花をこうして押し花にしては台紙に貼り付け、自作の栞にして保存している。ロウが今までに送った花を覚えているとは思えないが、その色や種類、形などが案外ばらついていて完成した栞を並べてみるとこれがまた面白い。燃えるような赤の花弁が特徴的な花やオレンジのフリルのような花はカラグリアにいた頃のものだろう。メナンシアの花は可憐な色をしたものが多いが、星霊力の影響か生命力に富んでいてどことなくたくましさが感じられる。逆にシスロディアの花はひっそりとした場所で咲いているのか、今にも倒れてしまいそうな儚さがあった。
前回の手紙で受け取ったのは青色と紫色に滲んで見える花だった。星のような形をしていて、やけに神秘的に感じたのを覚えている。きっと送った本人は、珍しい形!くらいにしか思っていなかったと思うが。花から感じた瑞々しさはガナスハロスの湿原付近のものではないかと予想していたが、それが正しければロウは少しずつメナンシアの方に近づいてきていることになる。勿論旅路は気まぐれで、現地の状況で如何様にも変化する。ただリンウェルはなんとなく、ロウと再会できる日はそう遠くないだろうという気がしていた。

   ◇

リンウェルには計画していることがある。といってもそれはリンウェルの力だけでは叶えることはできない。ここ最近のリンウェルは自分で書いた”計画書”とにらめっこをしながら、ああでもないこうでもないと独り言を言っていることが増えた。数日前に16歳になった彼女の計画は大詰めを迎えようとしていたのだ。

「よしよし、これだけできれば十分だと思うぞ」
キサラはリンウェルが仕上げたスープの味見をして大きく頷いた。
「本当?よかったぁ」
それを聞いて安心したのかリンウェルは胸を撫でおろした。
「栄養バランスも当然考えなければならないが、毎日よほど偏った食事をしていなければ大丈夫だろう。毎日3食アイスクリーム、とかな」
「はは、それはさすがにないよ」
そう言っておきながらリンウェルは目線をどこかへと泳がせている。ああこれは経験があるな、とキサラは苦笑した。

リンウェルから料理を教えてほしいと頼まれたのは半年ほど前のことだった。一緒に旅をしていた時にある程度のことは教えたつもりだったが、栄養価や食材の選び方なども詳しく教えてほしいのだという。いったい何のために、とキサラが問うとリンウェルは頬を少し染めて「将来のために」とだけ答えたのだった。
”将来のために”頑張るリンウェルの本気度は凄まじかった。料理は習慣づけたほうがいいとアドバイスするとほぼ毎日包丁を握って簡単でもなにか料理を作っていたようだ。今ではその手の危なっかしさもなく、どんな野菜の皮むきも綺麗にこなせるようになっている。
その熱意は料理だけではない。裁縫や洗濯についても事細かにコツを聞かれた。もともと勉強熱心な子だ、キサラの説明をそのまま紙に書き留めるだけでなく疑問に思ったことはその場で質問して解決し、実践も欠かさなかった。キサラもつい熱が入ってしまい宮殿中の布を集めさせたが、山のような繕い物にリンウェルも半泣きで、さすがにやりすぎたと後悔した。
そんなわけでキサラの元で厳しい修行を受けたリンウェルは裁縫や洗濯については概ね合格をもらい、残った料理については定期的にキサラにチェックを受けてもらっていた。それも今回のスープ部門の合格を受け、一通りの訓練を終える目星がついたというわけだ。

リンウェルに自分の知識を教えながら、キサラは改めて兄の存在に感謝した。リンウェルに伝えたことのすべてが兄からの受け売りというわけではない。経験を重ねていくうちに自分で掴んだコツや見つけた手法もある。それでも兄から基礎を教えてもらわなければそれらに気づくこともなかっただろう。
「料理に裁縫にお洗濯。何でも知っててキサラはすごいね」
そんなリンウェルからの純粋な賞賛も、キサラ自身は自分に向けられているものだとは思わない。
「兄さんが教えてくれたからな。何でもできて、本当にすごい人だった」
半ば口癖になったようなそれを今になってあえて指摘する人はいないのだろう。でもリンウェルにはなんとなく、それが腑に落ちなかった。
「でも、私に教えてくれたのはキサラだよ」
「あ、ああ。そうだが、でも元をたどれば全部兄さんからの」
「キサラ」
言葉の続きを封じるようにリンウェルは大きく一歩、キサラの方へと歩み寄る。
「私がね、すごいと思ったのはキサラだよ。ミキゥダじゃない」
「キサラがミキゥダをすごいと思うのは当然だし、それはキサラの勝手だけど私がキサラをすごいと思うのも勝手でしょ。否定しないでよ」
「……そうだな」
完敗だ、とキサラが手を上げるとリンウェルは満面の笑みを見せた後、その胸にがばっと抱きついた。
「キサラはすごいんだから、自信持ってよ」
「……ああ、ありがとう」
教えているつもりが、逆に教えられてしまったなとキサラは思った。離れようとしないリンウェルの黒髪がくすぐったいが、体と同時に心も温められているようでキサラは口元が緩んでしまう。
「ロウは幸せ者だな」
「えっ、な、なにが!?なんであいつの名前が出てくるの!?」
動揺したのか、リンウェルがキサラの体からぱっと離れる。上ずった声はそれでなくともわかりやすい。
リンウェルの努力の向こうには、明らかに誰かの姿があった。それがロウであるかどうかは半分くらいは推測だったが、もう半分はキサラの願いでもある。いつか、二人が笑ってともに歩む姿をキサラはどこかで期待していた。
「将来のために、ってそういうことじゃないのか?肉料理のレシピばかり聞いてくるものだから、てっきり」
「ち、違うもん!それはたまたまだよ、たまたま!キサラだってお肉が食べたくなることあるでしょ!」
キサラの意地悪にリンウェルは顔を赤くして否定する。ロウもこんな風に真っ赤になって否定していたことがあった。それももう2年以上前の事かと思うと、キサラは時間の流れの速さを感じずには居られない。
「でも、あ、あのね……キサラとシオンには伝えておこうと思って……」
突然神妙に話し出したリンウェルは、はやる気持ちをどうにか抑え込もうとしているように見えた。


リンウェルを見送りながら、キサラの心の中はどうも複雑だった。先ほど聞いたリンウェルの話が原因だと言えばそうではあるが、それだけではないような気もしてなんとも落ち着かない。
ただ一番大きな感情は何かと言われたらそれはきっと”心配”なのだろう。母と子ほど年が離れているわけでもないが、気持ちはまさに親みたいなものだ。新たな一歩を踏み出そうとしている子どもに何ができるかと考えれば、今回は見守ることなのだろう。リンウェルのあの幸せそうな笑顔は守らなければならない。そしてそれに適任なのは一人しかいない。きっと二人ならうまくいく。

   ◇

ロウがヴィスキントに着いたのは夕方になってからだった。
ミハグサールの夕焼けも哀しい美しさがあってロウは結構気に入っていたのだが、メナンシアに入るとやっぱりこっちの夕焼けのほうが焼けるように情熱的で好きだなと思った。
前回フクロウから手紙を受け取ったのは10日ほど前だっただろうか。その時はミハグサールの首府ニズ周辺で”はぐれ”の討伐任務にあたっていた。それが終わり次第メナンシアの方へ向かう予定ではあったが、リンウェルからの手紙に「次に会った時に話したいことがあります」と書かれていてロウの心臓は思わず飛び跳ねた。これまで何度も手紙を受け取ってはいるが、こんな事が書かれていたのは今回が初めてだったのだ。
こんな単純で意味ありげな文章に動揺するのは、ロウの中にいろいろと思い当たる事柄があるからだ。
下心、と言われては否定もできないがリンウェルに対して秘めていたものはいまだ健在でむしろ大きくなりつつある。数か月に一度顔を合わせてはいるが、そのたびに見られる笑顔はロウにとって大きな支えだ。この表情を守りたいとメナンシアを飛び出したのに、今となっては笑っていようが怒っていようがあまり関係ない。リンウェルを守りたいのだと言えばそれがすべてで、伝えるべき言葉もそっくりそのままだというのにロウはそれをいまだに言えずにいた。
だから今回ロウは少し期待している。リンウェルとの関係になにか進展があるんじゃないかと。そして自分も、もう一歩踏み出せるのではないかと。

研究棟は夜になっても灯りが消えることはない。研究員たちは自分のペースで自分の仕事を進め、休みたいときに休んでいる。その中の一人であるリンウェルもそういう生活を送っている。一緒に旅をしていた時からわかっているようにリンウェルは夜型の人間だ。夕食を食べてからが本番、というように焚火の明かりで本を読んでいたことは記憶に新しい。だから日が暮れてきたといってもリンウェルがこの研究棟にいるという確信がロウにはあった。
結果それは正しかったし、リンウェルは自分の研究室にいた。何もかも想定通り。ただ一つ、リンウェルの研究室が綺麗に片づけられていたことを除いては。

「お前、これどうしたんだよ」
驚きを隠せないロウが不躾にも部屋をぐるぐると見て回る。片づけられているといっても文献は研究施設の物なので本棚に並べられた本はそのままなのだが、それ以外のリンウェルの私物や集めた本は部屋の隅に寄せられていた。
「驚いた?私も自分で片づけてて、この部屋ってこんな広かったんだーって思った」
リンウェルはいつもと変わらない。別に無理をしている風でも、悲しみをこらえているわけでもない。それだけでロウは少し安心するのだが、じゃあこの部屋のありさまは一体どういうことなのだろう。
「話、あるって手紙に書いたよね」
先に切り出したのはリンウェルの方で、続いて動揺を隠すようにロウがおう、と軽い返事をする。
部屋の隅の私物からフクロウの形をした置物を取り出して、リンウェルは大きく息を吸うと覚悟を決めたように口を開いた。

「ここで研究してきたけど、思ったの。やっぱり正直になるべきだって」
「お金も貯めたの。お給料から、できるだけ節約して」
「新しい生活ってなにかとお金が入用でしょ?実際始めてみないとわからないし」
展開される話はロウの想像の一つも二つも上を行っていて、正直まったく思考が追いつかない。
お金も貯めた?新しい生活?
話が見えない、と言おうとしてロウがリンウェルを見ると、その頬が赤く染まっていることに気づく。
「私ね、キサラに料理とか裁縫とか、そういうのも習ったの。キサラほどうまくはできないけど、でもこれからもっとうまくやって見せるから」
ロウの心臓が今日一番の音を立てて鳴り始める。しんと静まり返った部屋ではそれがリンウェルにも聞こえてしまいそうで、慌てて少し距離を取った。
ロウはリンウェルが言ったことをもう一度頭の中で繰り返してみる。
リンウェルは『新しい生活』を始めようとしていて、お金も貯めてキサラに料理や裁縫も習った。それでリンウェルの口ぶりからするに、何かを俺に頼もうとしている。
足りないうえに回らない頭で必死で考えるが、ロウにはどうも自分を納得させるだけの答えが見つからない。それに追い打ちをかけるようにリンウェルはロウの服の裾を引っ張った。
「ねえ、私16歳になったんだよ。つまりロウは18歳になるでしょ?」
じゅうろくさい、という言葉はあまりにも甘美な響きでロウの耳へと残る。もう子供じゃないと言われている気がしてロウの思考は一つの結論へとたどり着こうとしていた。
ーーでも、じゃあここでそれをリンウェルに言わせていいのか?ずっと勇気が持てないからってなあなあにしてきて、最後も結局自分では何もできないままなのか?
そんなのはカッコ悪い。親父にも笑われちまう。恥ずかしくない自分になるって決めたんだ。

「だからね、ロウ。私としてほしいの」
「待て、その先は俺が」
「遺跡めぐりの旅を!」
「……は、え、って、へ?」
リンウェルは興奮を抑えきれないのか、小刻みに体をピョンピョン跳ねさせている。
「いせ、……なんだって?」
「遺跡めぐりだよ!大昔のダナ人が遺した建物とか、お墓とか!世界中にある遺跡を見て回るの!」
そういうことか、とロウは項垂れる。がっかりしたようなほっとしたような複雑な気分だ。
「ずっとやりたいと思ってたの。そういう旅!」
「でもほら、一人だと危ないし、テュオハリムも許してくれなくて」
リンウェルが言っているのはあくまで上司という意味なのだろうが、どうもテュオハリムが保護者のような扱いになっている気がしてならない。
「それで、ロウと一緒なら?って聞いたら、なら16歳になったら許可しようとかいうから」
「なんでだ?」
「さぁ?なんか責任が取れるようになってから、って言ってた気がするけど」
吹き出しそうになるのをこらえてロウは、そ、そっかと言葉を濁した。

「それで、どうなの?」
「どうって、何が」
一人で勘違いをしてロウは既に疲れ切っていた。もともと考えるのが苦手な頭は今夜はもうまともに機能しそうにない。
「だーかーら、一緒に行ってくれるの?」
「ああ、いいぜ」
だからロウはあまり深く考えずに返事をしてしまった。
好きな子と二人きりで旅をすることの意味とか重大さとかそういうのをまったく考えていなかった。
まあきっと考えたって同じ答えであることに変わりはない。
リンウェルが笑顔になることならなんだって叶えてやろうとロウはいつも思っているのだから。

おわり