この酒場に来るのはもう何度目かわからない。大きな通りから外れたところにあるとはいえ、まさかこんな日まで席が埋まっているとは思わなかった。
いや、こんな日だからか。
まだ年が明けて一日と経っていない。昨晩は日付が変わるその瞬間まで街は人で溢れていて、ロウが滞在している宿屋にもその声が届くほどだった。今だってその余韻がまだ残っていて、こうして酒を楽しむ大勢の人間が町中の酒場を占領しているのだろう。
ロウもその一人だ。そしてその目の前に座るリンウェルもまた、席の一つを埋めている。
「ロウ、飲んでる?」
薄っすらと頬を赤く染めながら、リンウェルはロウの手元にあるジョッキに目をやる。残った琥珀色の酒はもう一口で飲み切ってしまうほどの量だ。とはいえそれを飲み干したらロウは三杯目を空けることになるのだが。
「飲んでるだろ。メシも食ってるし、割と腹いっぱいなんだよ」
「そんなこと言って。私より強い癖に」
若干話が嚙み合っていないのはリンウェルに酒が回り始めていることを示している。それもそのはず、リンウェルはもう四杯目を空けたところだ。五杯目と一緒に水を頼んだ自分の判断は間違っていなかったとロウは安堵する。
「お前、今日やけに飲むな」
酒場とは本来そういうところなのだから当然といえば当然だ。
しかしリンウェルは普段こういう飲み方をする方ではないとロウは知っている。先日、いつもの六人で行われた忘年会の時も、リンウェルはあまり酒精の入っていない酒をちびちび飲むだけだった。
珍しいよな、とロウが言えばリンウェルはふうと息をついて空のジョッキを握りしめる。
「だってみんなといるとあまり飲めないんだもん」
小さく口を尖らせながらこんな風に不平を言うリンウェルは珍しい。
「アルフェンもテュオハリムもお酒は好きだけど、そこまで強くはないじゃない? キサラなんてすぐ酔って変なこと言い始めるし。シオンはあまり飲まないけど……なんかそれ見てると落ち着いて飲めないっていうか」
リンウェルはきっと、周りが酔っているのを見ると醒めてしまうタイプなのだろう。昨年ようやく酒を解禁されたばかりとはいえ、酒精にはなかなかの耐性を持っているので余計に酔った大人連中に目が行くのかもしれない。
そんな気にせずとも酒や酒場の雰囲気を楽しめばいいものを。酔っぱらいの相手はそれに慣れた自分らが引き受けるというのに。
「でもロウはお酒強いから、潰れても大丈夫かなーって」
緩みきった表情でそんなことを口にするリンウェルに、ロウは聞こえないくらいのため息をついた。
ロウなら家まで送り届けてくれるでしょ? と無条件に自分を信頼するリンウェルのそれは、あまりにも無邪気で残酷だ。はっきりとアピールをしてこなかった自分にも問題はあるが、それでも少しくらいは意識してほしいところだった。
もう数年来くすぶらせているロウのこの気持ちをリンウェルは知らない。気づいてもいない。だからこそそんな無防備で居られるのだろう。悪く言えば、送り狼になどなれはしまいと舐められているのだ。
「お前なあ……俺に彼女でも出来たらどうすんだよ」
そんな頭にありもしないことを言ってしまったのは、自分も多少なりとも酔っていたからなのだろう。もしくはヤケになってしまったかのどちらかだ。勢いに任せて軽率なことを言ってしまった自覚はあったが、今更取り消すというわけにもいかない。
できるわけないじゃん! と指をさして笑われるかと思ったが、返ってきたのは意外な反応だった。
「……その予定、あるの?」
消え入りそうな声は酒場の喧騒に飲み込まれてしまいそうだ。
「え?」
思わずロウが聞き返せば、今度は明らかに真っ赤になった顔でリンウェルがきゅっと眉を吊り上げる。
「だーかーら、彼女が出来そうな予定はあるの⁉」
「え、えーと、いや、」
お前次第だと言ってやりたいが、こんな酒の席で打ち明けるわけにもいかない。かといって、全くありませんと言えば何かに負けたような気持ちになる。
「……今年こそ何とかしようと思ってる」
出来るだけリンウェルの瞳を見てロウはそう言ったが、果たしてどれほど伝わったかはわからない。なにしろここは酒の席なのだ。明日のリンウェルがこの会話を覚えているのかすら怪しい。
「それ、最後の一杯な」
「……わかった」
ロウの言葉に珍しく素直に頷いたリンウェルは、今にも眠ってしまいそうな目をしていた。会計も済ませておいた方がいいだろうと席を立ったロウには、「バカ」と呟いたリンウェルの声は届かなかった。
終わり