気になっている相手に突然「聞いてほしい話がある」だなんて言われたら、誰だって少なからずどきりとしてしまうものだと思う。買い物も食事もよく一緒に行くなら当然。二人で過ごした時間が長いほど、その期待値も高くなってしまう。
だから、部屋に行ってもいいかと問われて、例えとんでもなく散らかっていたのを思い出しても快諾できたし、急いで帰って片づけを済ませたうえでお茶菓子の用意だってできた。約束の時間はまだ先なのに、鏡とドアの前を行ったり来たりして落ち着かない胸を鎮めようともした。
「俺さ、彼女出来た」
静かな部屋に落とされたロウの言葉は鉛玉みたいに心臓に刺さった後で、動けないほどに重さを増した。椅子に座っていて良かったと本当に思う。これが立ち話であったなら、その場に崩れ落ちていたかもしれない。
「えっ、そうだったの!? いつの間に?」
ロウもなかなかやるじゃん! なんて言って、湯気の立つマグカップで口元を隠す。震えそうな声は紅茶と一緒に飲み込んで、腹の奥底に沈めてやった。
「相手は? 私も知ってる人?」
「花屋の……ほら、お前とよく行く食堂の、向かいの」
その一言で腑に落ちた。
そこはかつてシオンの結婚式の際にお世話になった店だった。こちらが伝える花嫁のイメージに合わせて店長さんがブーケを作る。その横で手伝いをする女の子は、自分たちと同世代のように見えた。髪の長い、紫の瞳が綺麗な子。
「もしかしてあの可愛い子? 高嶺の花じゃん!」
「た、高嶺の花って……これでも俺、結構頑張ったんだぜ?」
誰にあげるわけでもない花を買いに行ったり、世話の仕方を教えて貰ったり。地道な努力を続けてようやく想いが通じたのだと。ロウの性格を考えれば、それがいかに涙ぐましいものだったか容易に想像がつく。
「あー……こんな頑張ったの、初めてかもしれねえ」
頭を抱えるロウの表情はそれでも幸せそうで、一秒一秒を噛み締めているようにも思えた。
そこまでしても、あの子が好きだったんだね。どうしても手に入れたかったんだね。
何度も通った食堂で、自分の背中越しにあの子を見ていたのかもしれない。こちらの話を聞くふりをして、あの子を追っていたのかもしれない。私がロウを想っていたように、ロウもあの子を想っていた。ただそれだけのこと。
「というか、いいの? 私の部屋に来てるなんて知られたら怒られない?」
「ああ、その辺は気にすんな。昔からの仲間に報告に行くって言ってある」
友達。仲間。
いつからだろう、そんなありふれた言葉が痛みに変わったのは。私たちの間を示す言葉はそれしかなかったとはいえ、聞こえてくるたびに胸に杭を打たれたようになった。そして今、最後のひと振りを放ったロウは、そのことに気づいてはいない。
「街中で二人で会ってるとこ見られるのは、さすがに気まずいだろ」
あの子への気遣いは出来ても、私の気持ちはお構いなしなんだ。
そんな皮肉も身勝手なものでしかない。ロウはこの気持ちを知らないし、気づいてもいない。
ロウの目には、あの子しか映っていない。
それでも泣くことも喚くこともしない自分を大人になったとは思わない。いや、思えなかった。
絆を失うのを何よりも恐れて、心を偽ってまで”仲間”でいることを選んだのは自分ではなかったか。手放すくらいなら初めから望んだりしないと言っておきながら、期待に胸を膨らませていたのはどこの誰だろう。ロウは自分のことなど眼中にも無かったというのに。
仮面を被るようにたたえた笑みはもはや顔に張り付いてしまっていた。泣くことも喚くこともできず、ひたすら演技をし続ける自分。そうまでしてもこの繋がりを留めておきたいらしい。
「相談とか、乗ってくれよ」
最後の最後までロウは無邪気に笑う。その言葉はこれからも二人の”仲間”関係が続くことを示唆していることに違いはなかったが、おそらくもうこの部屋にロウが来ることはないのだろう。
「私が乗れるものならね」
お代はアイスクリームで、と吐いた軽口は、きちんとロウを騙すことができた。夜に溶けていく背中を見送りながら、軋むドアを閉めた途端に小さな溜息が零れる。
もうすぐフルルが散歩から戻ってくる頃だ。自分のこんな姿を見たら心配するかもしれないが、怒ったり悲しんだりする必要はないのだと教えてあげよう。新しい恋が一つ、この世界に生まれたばかりなのだから。
終わり