ロウリン初夜話。(約11,000字)

☆拝啓、いつかの私へ

 キスを覚えたばかりだった。顔が近づいたら目を閉じるだとか、呼吸は鼻でするものだとか。唇は尖らせないで、そっとしておくものだとか。腕はどこにどうしておけばいいのか、いまだによく分からないけれど。それでもなんとなくそうしたらいいのかな、と思うことが増えてきていて、ようやくそれなりにカタチになってきたかな、なんて思い始めた頃だった。
「リンウェル」
 熱のこもった声が唇のすぐそばで紡がれて、返事をする間もなくまた唇を塞がれた。何度も何度もそうされて、その度に胸がいっぱいになる。ロウでいっぱいになるのが分かる。
 自分が男の子と交際することになるなんて、きっと昔の私は想像すらしていなかっただろう。復讐心に燃えていた時はもちろん、家族や仲間を失う前だってそんなことは考えなかったに違いない。私は【魔法使い】の一族で、その中の誰かと婚姻を結ぶと決められていたから。それは私にとってごく自然なことで、疑いようもなかった。どこかの知らない人と出会ってお互いに惹かれ合うだなんて、本の中のお伽話でしかなかった。
 今私はそのお伽話の中にいるんだよ。そうあの頃の自分に言っても、きっと信じてもらえない。だって、今の私だって半分くらい信じられないでいるから。逆に半分くらい信じられているのは、心臓が痛いくらいにどきどきしていて、胸がぎゅっと握られたみたいに苦しくなるからだ。こんな感覚は生まれて初めてだ。恋をするとこんなふうになるんだって、ロウと出会って初めて知った。
 ベッドが軋んだ音で、自分が今自宅にいることを思い出した。街で買い物をした後、一緒に夕飯を食べようと私から誘ったのだった。それで食材をテーブルに置いて、今日は疲れたねとか、夕飯は何食べよっか、なんて話しているうちにそういう雰囲気になって――。
 それからどれくらいキスをしたんだっけ。そもそもキスって回数で数えるのだろうか。それとも秒数? そのどっちにしたってもう数えきれないくらいしている気がする。ついこの間、初めてキスをしたばかりなのに。
 あれは宮殿からの帰り道だった。あと一つ角を曲がれば自宅に着く、というところでロウは突然足を止めた。辺りはすっかり暗くなっていたのに、それでもはっきり分かるくらいに顔を赤く染めながら「キス、してもいいか」なんて聞いてくるものだから、私もつられて顔を熱くした。周辺に人がいないことを確認してから、私たちはこっそり隠れるようにキスをした。肩に置かれたロウの手は震えていたような気がする。私も負けないくらい、緊張していた。そっと重ねられた唇の柔らかさには驚いた。身体を鍛えることが趣味のロウの腕はけっこうがっしりしているし、手を繋いでも力の強さに驚きはしてもそれを柔らかいと思ったことはなかった。どんなにロウが逞しくなってもこれは変わらないんだろう。ロウの知らない部分をまたひとつ知ることができた。できればずっと私だけが知っているものであって欲しい。そんなことを思っているうちにロウの唇は離れていってしまった。
 キスを覚えてから知ったことはたくさんある。ロウの睫毛が意外と長いこととか、耳に触れられるのはくすぐったくって苦手だとか。キスをするたびにロウがもっと好きになる、とか。言葉にするよりもキスの方がずっと早く、深く伝わるような気もする。もしかしたらロウもそう思っているのかもしれない。
 どれくらいこうしていたんだろう。時間を確かめようと、目を開けようとした時だった。
 ぬるりとした何かが唇に触れる。それがロウの舌で、私の唇をこじ開けようとしているのだと気づいた時にはもう侵入を許してしまっていた。
「……ふあ……っ!」
 驚きと混乱でいっぱいの頭の中を、ロウの舌が掻き回していく。深く差し込まれたそれにどうしていいのか分からず、ただなされるがままに受け入れる。
 今までの優しいキスとはまるで違った。口の中を暴れ回るそれが本当にロウのものなのかも疑わしかった。薄目を開ければそこにいるのはやっぱり、ほかでもないロウだったけれど。
 再び強く目を瞑ると、胸に何かが触れる感触がした。
「きゃっ」
 小さく悲鳴を上げると同時に、私は目の前のロウを突き飛ばしてしまっていた。もうほとんど反射だった。
「わ、悪い……」
 気まずそうにしているロウの顔を見てそこで初めて、この胸に触れていたのがロウの手で、それが不意のものでないということにも気が付いたのだった。

 ひとり湯船に浸かりながら、はあ、と息を吐いた。立ち上る湯気がそこだけ色を失くしていく。吐息に吹かれ消えていく。
 今日のことも、なかったことにならないかな。そう考えて、ふるふると頭を振った。なかったことにはならない。してはいけない、ような気がする。
 ロウが、キスの最中に舌を入れてきた。突然、何の前触れもなく。急に私の唇を割って、深いところまで入ってきた。
 そして胸も、触られてしまった。服の上から、ただそっと触れられただけだったけど、確かにあれはそういう意思を持ったものだった。
 驚いた。嫌だったとかそういうことではなくて、ただ単純に驚いたのだ。
 いや、そんな言い訳をしながら本当は嫌だったのかもしれない。ロウとそういうことをするのが? ロウがこっちの気持ちを確かめないから? ロウが知らない人みたいだったから? そのどれも正解のような、違うような、曖昧な気持ちがぐるぐると頭の中で渦巻いている。これまで想像すらしていなかったことに出くわして、私はいまだに混乱しているのかもしれない。
 あの後ロウは私に何度も「悪かった」と頭を下げた。私も「大丈夫」と首を振って、それを許した。でも夕飯を作っている時も、食べている時も、ロウが部屋を出る時までずっと、私たちの間の空気はどこかおかしかった。普通に笑って会話を交わしながらもうまく視線が合わなかった。
 原因なんてひとつしか思いつかない。夕飯前に起こった出来事。あれさえなければ、きっとこんなことにはならなかった。こんなもやもやとした気持ちを抱えることもなかった。
 じゃあロウが悪いのかと問われたら、そうではないと思う。私と居て、より深い関係になりたいと思ってくれたのだとしたら、それは嬉しいことだ。私がロウを好きなようにロウも私を好きだと思ってくれた結果、ああなってしまっただけのこと。
 今日は心の準備が出来ていなかった。おそらくこの先またキスをして、もっと深くキスをするようになったら、気持ちもきっと変わっていく。ロウとのその先のことを受け入れられるようになっていくはずだ。
 浴室を出て、バスタオルを手に取る。鏡に映った自分の身体をぼんやり眺めながら、まとわりつく水滴を拭っていく。
 この身体をロウに見せる日も来るのかもしれない。その時が来たら私はきっと身体をピカピカに磨いて、新しい下着を買ったりいい香りのするコロンを買ったりして用意をするのだろう。そうしてベッドでロウと向き合って、またキスをする。
 大丈夫。本当に? 大丈夫。今でもこんな緊張してるのに?
 鏡越しの私が問いかける。赤くなった頬は本当に長風呂のせいなの?
 ふと、ロウを突き飛ばした時のことを思い出した。心臓が今にも破裂しそうになって、耐えられなくなったあの瞬間。――私の心の準備は、いつ出来るのだろう。

 図書の間を3周したところで、それ以上の収穫は得られないらしいと諦めをつけた。手元に残ったのは2冊の参考書と3冊の小説だけだ。大きくてかさばる参考書はここで読むとして、小説本は借りていこう。この厚みで3冊程度なら、今夜のうちに読み切れるかもしれない。
 重厚なテーブルにこれまた重厚な本を置くと、微かにそれが軋んだような気がした。思わず向かいに座る人の反応をちらりと見やるが、特にこちらを気に留める様子もない。それでいい、できればあまりこちらの様子は見ないで欲しい。
 重たい本の表紙を開き、まず確認したのは目次だった。目的の項目は後半の方にあるらしい。下半身に関することだから、後半にあるのだろうか。開いたページの上には「生殖器官」という文字が大きく書かれている。うわあ、といたたまれない気持ちになりつつも、同時に、これは勉学に励んでいるだけなんだ、と自分に言い聞かせる。
 そう、これは勉強だ。未来の私のための。私たちのための。きちんと向き合わなければならない。ロウとのことはもうお伽話ではないと、あの日私は思い知った。
 あの日のことを思い出すたび、私は「その先」のことを考えていた。いずれ来ると思われる私たちの「未来」のことだ。
 イメージトレーニングを試みたりもした。あの日のようにロウに触れられたとして、受け入れるとなったらどうしたらいいのか。
 だが何もできなかった。何も思いつかない、というより、私はそれについて知らなさ過ぎた。恋人たちがそういう関係になると及ぶであろうことはなんとなく聞いたことがあったような気もしたけれど、まるで想像がつかない。どうやらこどもができるらしい、ということ以外に私は何も知らなかった。そうして辿り着いたのはとりあえず相手を知ることだった。相手というのはロウでなく、ロウとの間に起こるであろう事象だ。
 本には様々なことが書かれていた。生殖器官がどういった機能を持っていて、どういう過程を経てこどもが生まれるのかまで詳細に知ることができた。ヒトのからだのつくりとは実に不思議で、よくできている。これを調べ上げた人も相当な努力をしたに違いない。
 だが知りたいことはそうではない。私が知りたいのはその過程に至るまでの過程だ。こどもができるまででなく、こどもを作ろうとした時に何をどうするのかが知りたいのだ。
 結局参考書からはそういった情報は得られなかった。どうやら知りたいことは学問の範疇を超えているらしい。
 ならば娯楽の分野ならどうだろう。小説になら詳しく描写されているに違いない。嬉々として家に帰り、借りてきた本を開く。「大人向けの恋愛小説」と紹介されていたそれに期待しないわけがない。
 ところがこれにも詳しいことは書かれていなかった。男女間のそういう行為を匂わせてはいたものの、場面が次の日に転換していたり、それとなく省略されていたりして肝心なことは何も分からないままだった。
 どうしてだろう。誰もがそうした過程を経て生まれてきたはずなのに、どうして隠すようなことをするのだろう。生物学的に一番重要なのは子孫を残して種を存続させることだ。そのための史料こそ後世に残しておくべきなのに。
 ベッドに身体を投げ出すと、大きなため息が漏れた。知らないことを知ろうとして図書の間に出向いたはずが、結局分からないことはそのままにさらなる疑問が増えただけだった。呆れと諦めとが混じって、瞼が重たくなってくる。窓の外はもうすっかり暗くなっていた。
 答えを、あるいはその在り処をロウは知っているのだろうか。知っているのなら、どこで知ったのだろう。いつ、どうやって。問いはどんどん増えていく。積もり積もったそれが視界を覆ったところで、私はその夜の眠りに落ちた。

 ロウとは相も変わらず同じ時間を共有した。街で買い物をしたり、食事に行ったり、少し離れた場所の遺跡探索に付いてきてもらうこともあった。
 頻繁に会っているはずなのに話題は途切れない。途切れたとしても沈黙がちっとも苦ではない。私が本を読んでいてロウが隣で昼寝をしていても、つまらないなんて思ったこともない。
 それは一体どうしてだろう。出会った時からそういう部分を見てきたから? 別にロウが本を読めなくても遺物に興味が無くても一向に構わない。まあ、少しは話題を共有したいとは思うけれど、それは別に私の好きなものばかりでなくたっていい。美味しい料理の話とか、互いの友人の話とか、今朝見かけた珍しいものの話とかで充分だ。
 ふと隣で寝息を立てるロウを見やる。部屋に着くなり昼寝を勧めたのは私だった。依頼が朝までかかったというのに、私との約束のために休息を数時間の仮眠で済ませたというから急いで買い物を終わらせたのだ。
 まったく、呆れてしまう。私が約束のキャンセルくらいで腹を立てるとでも思ってるのだろうか。……まあ、これまでの行いを考えるとロウがそう考えてしまうのも無理もないかもしれない。それでもロウを嫌ったりすることなんてありえないのに。
 ため息をつきつつも、そんなロウが好きだな、と思う。真っ直ぐで嘘のつけない、自分がそうするべきと思うことに疑いなく進んでいくロウが。
 旅の途中では何も思っていなかったけれど、ここ最近はロウの顔も結構かっこいいかもと思うことが増えてきた。ここ最近というか、付き合い始めてからロウがちょっと違って見えるような気がする。
 この時間を利用して、一通りロウの顔のパーツを観察してみた。何がどう違うのかと問われると、分からない。分からないけれど、なぜか心惹かれるものがある。目も、鼻も、口も、なんとなく好きだな、と思う。
 隙を見て、ロウの唇に自分のそれをそっと重ね合わせてみた。やっぱり柔らかい。柔らかくてあたたかくて、これも好きだな、と思った。
「なあ」
「わあっ」
 突然見開かれた目には心底驚いた。
「い、いつから起きてたの!」
「なんかお前が観察し始めたくらいから」
 ふっと表情を緩ませて、ロウが笑う。
「まさかキスされるとは思わなかった」
「ご、ごめん」
「いいや、嬉しい」
 ベッドに仰向けになったまま、ロウが私の腕を引いた。
「嬉しいから、もう一回」
 ほとんど強制だ、と思いながらも私はまたロウに唇を重ねた。私が離れていくのをロウは許さなかった。そうして私たちは何度もキスをした、あの日みたいに。
 でもあの日とは違った。ロウはそれ以上私に踏み込んでこなかった。敢えてそうしているのだと気づかない私ではない。
 ロウは多分、その先を知っている。私が知りたいと願ったものを持っているような気がする。
 それでも、それを直接問うのは何か違うと思った。第一、ロウから話を聞いたところで私の心の準備が整うかと問われればそれはかなり怪しい。ロウの説明能力を踏まえても。
 それにきっと、こういうことは説明だけでは説明できないんじゃないか。それはロウとこうしてキスをしていて思ったことだ。
 だから私はもっとロウに近づく必要がある。ロウが居るところまで、私も行きたい。だけどそれは一息に進めるようなものじゃない。突然山のふもとから山頂まで飛べたりはしない。
「ね、ロウ」
 唇同士が今にも触れそうな距離で、私はロウに強請った。
「大人のキス、教えて」
 今の私が進めるとしたら、それが精一杯。あとは追々、段階を踏まえて進んでいけたらいい。大人のキスとやらを、自分より二つだけ大人なロウに乞うのはなんだかほんの少しおかしい気もするけれど。

 また一から学び直しだ、と思ったのはほんの僅かの間だった。正確に言えば、学ぶ余裕なんて無かった。ロウとの大人のキスは頭の中が空っぽになる。
 普通のキスをしているときはまだ良かった。唇が柔らかいなとか、ロウのことが好きだなとか、幸せな気持ちで胸が満ちていた。満ちていられた。
 だけど大人のキスは、それさえまるごと拭い去ってしまう。舌が絡まった瞬間、それまで考えていたことが全部抜け落ちてしまったみたいになる。呼吸の仕方も忘れてしまって、息を吸い込もうとして変な声が出る。それが恥ずかしいのに止められない。止め方が分からない。お互いの唇を唾液塗れにして、良いことなんてひとつも無いように思えるのに、どうしてか私はそれをやめてほしいと思ったことはなかった。寧ろ続けて欲しいような気さえする。おなかのあたりがきゅうと疼く。それが何だか怖くなって、私はロウにストップをかける。ロウは怒るでもなく悲しむでもなく、笑って額にキスをしてくれる。「今日はここまでな」と柔らかい声でそう言って、ベッドから立ち上がる。
「彼氏に我慢させてるんじゃないの?」
 そんな声が聞こえたのは、ヴィスキントのカフェでひとり昼食を摂っているときだった。たまたま隣の席の会話が聞こえてきたのだ。幸い、ぴくりと反応した私の様子に気付く人は誰もいなかった。
 我慢させている。心当たりのありすぎる言葉だ。
 普通に大人のキスをするようになってから、もうひと月以上が経っている。その間、ロウがそれ以上を求めてくることは無かったし、敢えて話題に挙げることもなかった。とはいえ愛情が冷めているわけでないこともよく分かっている。寧ろ深く、熱くなるばかりだ。会話を通して、視線を通して、唇を通してそれは充分に伝わってくる。だからこそ今の状態がもどかしい。私は何に怯えているのだろう。
 過去の私は怯えることすらできなかった。相手を知らなさ過ぎたのだ。ほとんど何も知らないものに人は恐怖を抱いたりはしない。
 今の私にはその輪郭が見えつつある。ロウの肩越しに「その先」のことを掴みつつある。だからきっと怖くなっている。
 それが自分の中にあるだけのものなら良かったのに。もしそうなら、自分でそれを取り払えばいいだけだ。だがこれはそうじゃない。私とロウの、二人の間にあるものだ。自分だけではどうにもならない。
 悶々としているうちに店員さんが食後のデザートを運んできた。新鮮なミルクを使ったアイスクリームだ。それを一口頬張ると、キンとした冷たさが痛みみたいに伝わってきた。そして広がる甘みに頬が緩むのを感じる。
 この恐怖を乗り越えれば私も多少は緩むことができるのかな。そんなことをぼんやり考えながら、私は残りのアイスクリームをものの数十秒で平らげたのだった。
 その夜、夕食を食べに訪れたロウを前に、私はまた恐怖に挑んでいた。荒くなった吐息にちゅ、という水音が響いて体温が高くなる。鼻にかかった声が口端から漏れ、その気恥ずかしさからか下半身がじんじんとした。思わず顔を背けてストップをかける。
「ごめん……」
「謝んなよ」
 いつものように額にキスを落としたロウは、一度ベッドから立ち上がろうとした。それを引き留めたのはほかでもない、私の手だ。少し驚いたような顔のロウがこちらを振り返る。
「やっぱり我慢ってしてる?」
 聞かずにはいられなかった。額に落とされたキスからロウの確かな熱を感じたから。
「我慢?」
「大人のキスの続き、ロウはしたい?」
「あー……まあ、そうだな……」
 頭を掻きながらロウは宙に視線を泳がせた。きまりが悪くなった時の、ロウの癖だ。
「我慢してないって言えば、嘘になる」
「やっぱり、そうだよね」
「でも」
 ロウの大きな手のひらがこちらに伸びる。
「お前が嫌がることすんのはもっと嫌だから。お前が良いって言うまで、いくらでも待つぜ」
 髪を撫でられて、また額にキスが落とされると、それまでおなかの辺りできゅうと疼いていたものが全身に広がった気がした。
「ねえ、もう一回したい」
 腕を引いてそう強請ると、ロウは一瞬躊躇った後で再び隣に座ってくれた。
「どうしたんだよ」
「なんか、そうしたくなったの」
 自分から距離を縮めると唇が合わさる。はじめは触れるだけの、優しいキス。次第に角度が変わっていって、深いキスになっていく。
 まだ大人のキスにはなっていなかった。それでもロウの気持ちがこんなにも伝わってくる。私を大事に想ってくれていると痛いほど分かる。もっとロウと触れ合っていたいと思った。ぴったりくっついていたい。片時も離れたくない。
 ロウの指に自分のそれを絡めると、ぎゅっと強く握られた。ロウもやっぱり同じことを考えているのだ。
 今ならロウを受け入れられる。そう思うと同時に、私はロウの手を自分の胸へと導いた。
「お、おい」
「さわってみて」
 嫌なら言うから、と言えばロウは、何かに負けたかのような顔をしてその手をゆっくり動かし始めた。
 妙な感覚だった。そこは自分以外の誰にも触れさせたことはないはずなのに、なぜかそうされていることにひどく安心感を覚えた。それでいて顔が灼けそうに熱い。恥ずかしくてたまらないのに、やめてほしいとは思わない。大人のキスと一緒だ。
「大丈夫か?」
「うん、もっと、していいよ」
 とんでもないことを言っているような気もしたけれど、それがきっと正解だったのだろう。ロウが動かすのを手のひらから指に変えていくと、たまらず私の口から高い声が上がった。
「かわいい……」
 ロウの言葉には驚いた。これはかわいい、らしい。そんなはずはない、と思うと同時に少しほっとした。ロウはこの私のことを好ましく思っているようだ。
「ロウ」
「なんだ?」
「今から私の全部、ロウに見せるけど、嫌いにならないでね」
 私が恐れていたこと。ロウに嫌われてしまうこと。
「そんなわけあるか」
 聞かなくたって分かっていた。でも口にしてほしかった。ありえない、そんなことあるはずがない、と。
 私はようやく気がついた。二人の間にあるものなら、二人で解決すればいいのだと。一人で頑張る必要なんかなかったのだ。
「ロウ」
 首に手を回し、私はロウにキスをした。
「好き。大好き」
 そのままベッドに押し倒される。ぎし、とそれの軋む音がいつもより何倍も大きく部屋に響いた。

 どうして服を脱ぐのか。それはそうしないとできない行為であるというのもあるだろうが、単に邪魔だからなのではないか。少なくとも今の私たちにはそう思えた。
 ロウの体温を直接感じたい。ロウに直接触れられたい。そうなるとやっぱり服は要らない。
 それに今夜に限ってはロウに私のすべてを見せると宣言してしまった。やっぱり撤回します、なんてロウに不誠実なことはしたくない。
 お互いに服を脱がし合い、改めて向き直ると気恥ずかしさが込み上げてきた。ただでさえ自信のない身体だ、こんな状況でなくたって隠したくもなる。
「すげえきれいだな」
 今にも泣いてしまいそうな私に、ロウは慰めるでもなくただ呟くようにそう言った。
「うそだ」
「嘘じゃねえって」
「だって、そんなお手入れとかしてないし」
「それでもこんだけきれいなんだろ。すげえな」
 指で鎖骨をなぞられると、ぞくりと背中が震えた。思わず身を捩ろうとした私の腕を押さえつけてロウが笑う。
「悪いけど、もうやめてやれねえからな」
 もう引き返せないところまで来たのだと言われて、かあっと頬が熱くなるのを感じた。私はこれからロウと「その先」へ行くのだ。
 それまで私の肌を撫でていた優しいロウの手は、あっという間に男性のものへと変貌した。いや、もうこれは雄だ。私という雌を手に入れるために荒々しく、獰猛になっている。胸の膨らみを包んだかと思えば強く揉みしだかれ、突起を指で弾かれる。あの優しい笑みの中にこれだけの激情を秘めていたのかと知って、切なさに胸が震えた。と同時に嬉しくもある。ロウが私を欲してくれているのだと実感できる。
「あっ、はぁっ、あんっ……!」
 嬌声を隠さなかったのは、ロウが聞きたいと言ったからだ。可愛いし、その方が興奮するからと私の手を顔から自分の頭へと回させた。
 私だってもうすでに立派な雌だ。あられもなく声を上げて雄を引き寄せる雌。胸を嬲るロウの髪を撫で、もっともっとと強請るさまは、初めからその快楽を知っていたかのようだ。
 胸の突起に吸い付かれると、もうたまらなかった。ロウの舌が触れているのは胸なのに、どうしてか腰が跳ねた。きゅうと疼く下半身が何かを呼んでいる気がした。
「ロウ……」
 私の声を聞いてか、ロウが優しくキスをしてくれる。
「下も、触って欲しい……」
 それが精一杯で、あとは何も言えなかった。
 伸びてきたロウの手が私の下半身を捉えると、さすがに身体が震えた。胸とは違って、そこは自分でも見たことのない未知の領域だ。何かおかしいところはないか、変じゃないか不安になった。
「大丈夫だから、力抜け」
 ロウの声が聞こえて私は息を吐いた。途端に何かが自分の中に入ってくる感触がした。それがロウの指だと知って、私はまた身体を震わせる。
「あ……っ、はあっ……」
「痛くないか」
 痛みはなかった。何かが変だとしか言いようがなくて、それをうまく伝えられず口ごもる私にロウはきっと困惑しただろう。それでももう後戻りはできないのだ。私はロウに「大丈夫」と言って、続きをしてもらった。違和感は最後まで拭えなかったけれど、次第に最初ほどの緊張は無くなっていった。
 ロウが膨れ上がった性器を取り出した時、心臓がどきりとした。ロウのそれを見るのは初めてだった。男性はこんなものを脚の間に隠しているのか。
 目の当たりにするのは初めてでも、その存在を認識してはいた。ロウとキスをしていると、ふとした瞬間にそれに触れてしまうことがあった。結局それが何なのか問うのは恥ずかしくて聞けないまま、本番を迎えてしまった。
 今となっては聞かなくて良かったと思う。聞かなくたって分かるのだ。それが今から私の中に入ってくる。
「挿入れるけど、いいか?」
 私の上でロウが問う。ロウは今までに見たことのない顔をしていた。切羽詰まったような、あまり余裕のなさそうな顔なのに、どうしてか私はそれを心から愛おしく思った。
 うん、と頷いた私にロウは優しいキスを降らせた。今この瞬間、世界でいちばん優しいキスだ。
 高い体温とともにロウが私の中に入ってくる。どこがどうなっているのか、全く見当はつかないけれど、ロウのものが私の身体を割って潜り込んでくる感触。痛みがあるかと言われたらきっと、ある。だけどそれよりももっと深くて、言葉に出来ないような感覚が溢れてくる。
「大丈夫か」
 ロウの指が頬を撫でたあとがすうっと冷たくなって初めて、自分が涙を流しているのだと気づいた。
「うん」
 だいじょうぶ。だってこんなにも嬉しいのだ。悲しみなど一つもない。胸があたたかくて、安心する。目の前にロウが居る。これ以上に幸せなことなんてない。
「好き」
 そう言ってまたキスをして、私たちは溶け合った。体温がまったく同じになるまで、ふたりの境界が曖昧になるまで、長く長く抱き合い、肌を触れ合わせたのだった。

 行為の終わりというものがどこなのかは、最後までよく分からなかった。ロウがいつの間にやら着けていた避妊具というものに精を吐き出し一旦は落ち着いたものの、私たちの唇はなかなか離れようとしなかった。おまけにこの腕もロウの背から解くのは惜しい。少し恥ずかしいけれど胸をぴったり合わせているのも心地良かった。
「寒いか?」
「ううん」
 毛布に潜り込みながらそう答えたはいいものの、段々と汗が冷えてきたのが分かった。ロウに身体を寄せると、ロウの匂いがして安心した。それがなんだか嬉しくなって、思わずふふっと声が漏れる。
「なんだよ」
「なんでもないよ。いいから、もっとぎゅってして」
 自分でそう言いながらちょっと恥ずかしくなった。今の私は随分と甘えたになってしまっているようだ。それもいい。どうか今夜くらいは許して欲しい。ロウと離れたくない私を受け入れて欲しい。
 ロウの腕の中でふと思った。祖先たちがこういった行為について書き残さなかった理由。書き残さなかったのではない、書き残す必要がなかったのではないか。
 私たちはずっと前から、きっと生まれたときからそれについて知っている。自分たちがどうやって生まれ、どうやって生みだすのか体のどこかに詳細に記されていて、その時が来たらきちんと実行出来るようになっているのだ。
 いつか私も子孫を残すことになるかもしれない。今はまだそれに遠く及ばないけれど、もしそうなったらとても幸せなことだと思う。そういうふうになれたらと思う。会話やキス、身体を重ねた先に生まれるものがあるなら、それが残っていくなら、どんなに喜ばしいことだろう。
 その時、私の隣には誰がいますか。子供みたいに笑う、真っ直ぐな人ですか。答え合わせができるその日まで、待っていてね、未来の私。
 あなたの幸せを心から願って。

 終わり