ロウの鞄から避妊具が出てきて動揺するリンウェルの話。(約3,500字)

鞄の中のかくしごと

 珍しくよく膨らんだ鞄だと思った。
 道具屋の店先でのことだ。財布を取り出そうとしたロウがいつもより手間取っているのを見て気が付いた。今朝ロウと会ってから覚えていた違和感はこれだったのかと腑に落ちて、私は陰で心の中をすっきりさせていた。
 それはそれとして、その状態はあまりよろしくないのではないのだろうかとも思った。
 ロウの鞄はもともとそれほど大きくはない。いつも身軽で軽装なロウはあまり荷物を多く持たず、着替えも薬も最低限のものしか持ち歩かない。それなのに財布すら取り出しづらい状況にあるなんて。整理ができていないのか、あるいはとっ散らかってしまっているか。もしくはそのどちらもなのだろう。
「鞄の中身、整理しなよ」
 行きつけの食堂で昼食を摂りながら、私はロウに声を掛けた。
「鞄?」
「パンパンに膨らんでるじゃない。さっきも財布取りづらそうにしてたし」
 それにロウは戦闘となれば前線に出て敵と対峙することになる。薬を使うのだって隙となり得るのだから、鞄を漁る時間は短いに越したことはない。
「言われてみりゃ、最近気にしてなかったな」
 ロウはあっけらかんとそう言うと、その場で鞄の中身を広げ始めた。
「ちょ、ちょっと」
「すぐ終わらせるって」
 そういう問題じゃない、と言いかけて、諦めた。自分の指摘するタイミングが悪かったのだと反省した。
 ロウの鞄からは続々と物が出てきた。財布に怪我用の治療セットまでは良かったものの、空の薬のボトルが数本出てきたときは思わずため息が出た。
 意外にも着替えの類はきちんと畳まれていたが、ロウが白いタオルをそのまま引きずり出したのを見て、私はちょっと引いてしまった。
「まさか使用済みじゃないでしょうね」
「さすがにそんなことしねえっつの」
 その言葉に違わず、タオルはふわふわのようだった。せっかくの洗いたてなら、ちゃんと畳んでしまっておけばいいのに。
 そんなふうに思いながらロウがタオルを広げているのを見ていると、その隙間から何かがかさりと滑り落ちた。
 あ、と声を発する間も無かった。ロウの手がそれを一瞬にして掠め取っていったからだ。
「……見たか?」
 ロウは明らかにまずいという顔をしていた。その右手は固く何かを握りしめたままだ。
「なあに、それ」
 そんな素振りをされては気にならないものも気になってしまうというもの。私はロウの顔を見つめながら、顎でその右手をしゃくる。
「な、なんでもねえよ」
「なんでもないものを隠したりしないでしょ」
「マジでなんでもねえから」
 ロウはそう言って、右手の中身を鞄の中へと押し込んでしまった。それどころではない。整理しようとテーブルに並べたはずの他のものまで次々に鞄へと詰め込み始めた。
「えっ、どうしたの」
「宿でやるわ」
 席を立ったロウに次いで、私も店を出た。いつもよりずっと歩幅の大きいロウに追いつくのにはそこそこ時間がかかった。
 宿屋に着くなりロウはさっさと中へと入っていってしまった。「すぐ戻る」と言い残したあたり、今日はこのまま解散というわけではないらしい。
 ロウを待つ間、私は宿屋の壁にもたれかかりながらぼうっとしていた。頭の中には、先ほど目にしたもののことが浮かんでいる。
 ほんの一瞬だけ目端に捉えたそれを、私はどこかで見たことがあったような気がしていた。それもつい最近。脳内の引き出しを片っ端から開けては、その記憶がないかあらゆるところを引っ掻き回してみる。
 はっと思い出したのは、数日前に友人の一人が見せてくれたものだった。
「これからはこういうものが必要になるわよ」
 皆よりちょっと年上の彼女はポーチの中からそれを取り出すと、やや声を潜めてそう言った。
 それが何なのか、私を含め他の友人たちも知らなかった。見たこともなかった。けれど、彼女の故郷・レネギスではごく一般的なものだったのだという。
「これは望まない妊娠や、病気を防ぐためのものなの。性行為の時にパートナーに着けてもらうのよ」
 それを聞いて、私たちは皆驚いた。彼女の口から出た言葉がいろんな意味で衝撃的だったからだ。
 けれど彼女は臆せず続けた。
「これまでは馴染みがなかったかもしれないけれど、これからは違うわ。女性も自分の身体は自分で守るべきだし、男性も一種のマナーとしてこれを受け入れる日が来るはずよ」
 彼女は柔らかく微笑んで、四角いパッケージのそれを指の間で揺らしていた。
 あれと全く同じではなかったにしろ、ロウがうっかり落としたものはそれと一緒だったと思う。パッケージの色は違っても、大きさやあの平べったい形状などは間違いなく同一のものだ。
 ロウがどうしてあれを持っていたのだろう。あれはどこかで気軽に入手できるようなものなのだろうか。街中では見たことはないが、特定の商人たちが売ったりしているのだろうか。
 そもそもロウがあれを持っていた理由。友人は性行為の時に使うものだと言っていた。パートナーに着けてもらう、ということは男性側が使用するもので、その点で矛盾はないけれど、それってつまり――。
 ロウにはそういう相手がいるということ? でもそんな話は聞いていない。そういう素振りを見せたこともない、多分。
 まさか私には秘密にしていた? それが思わぬ形で知られてしまって、ロウは動揺していた? あれを落とした時のロウの表情は、明らかに焦っていた。見られてはいけないものを見られてしまった、という気持ちがありありと出ていた。
 どうしてロウはあんな顔をしたのだろう。私には知られたくなかった? どうして? 恋人ができたなんて重要なこと、教えてくれない方が悲しい。胸がちくりと痛む。
 そうしているうち、ロウが戻って来た。鞄はすっかり見慣れた大きさに戻っていて、きちんと整理してきたことが伺えた。
 一方で私の心はまだ晴れていない。ロウの口から報告を聞いていない。
 視線を投げかけてはみるが、ロウは何も気づかない。「じゃ、行くか」などと言って、通りを歩き出す始末だ。
 私は痺れを切らして、ロウへと問いかけた。
「ロウ、私に隠してることない?」
「な、なんだよ急に」
 明らかに動揺しながらも、ロウは「ねえよそんなの」と言い張った。
 私はそれを聞いて、この期に及んでまだ何も言わない気なのかと思って、
「付き合ってる人、いるんでしょ」
 と問い詰めた。
「はあ?」
「だってさっき、その、持ってたじゃない」
 避妊具、と消え入りそうな声で言うと、ロウは何かを思い出したような顔をした後で「あー……」と頭を掻いた。
「この間、友達から聞いたの。そういう時に使うものがあるって。それをロウが持ってるってことは、つまり、そういうことなんでしょ」
 半ば捨て鉢になって、そうまくしたてると顔が熱くなっていくのが分かった。頭の中は怒りも羞恥もない交ぜになっていた。
「なんで教えてくれなかったの」
 何度もこうして一緒に買い物や食事に行く機会はあったのに、どうして何も言ってくれなかったのか。何も知らず、何にも気づかずにいた自分が恥ずかしくて、気分が落ち込んでしまう。
「恋人がいるならそう言ってよ」
 口を尖らせた私に、ロウは小さく息を吐きながら言った。
「あのな、お前色々と勘違いしてるからな」
「……勘違い?」
「付き合ってる奴なんかいねえよ。それに、あれはこないだ一緒に仕事した奴から貰っただけだからな。男ならいざって時のために持っておけ、とか言われて」
「いざって時?」
「いざって時は、いざって時だよ」
 視線を逸らしながら、ロウが言う。
「渡されたはいいけど使い方もよく分かんねえから、大将あたりにでも聞こうかと思って鞄に入れてたんだけど、すっかり忘れてたんだよ。それでお前に見つかって、つい」
「隠したってこと?」
「か、勘違いされたくなかったんだよ」
 結局されちまったけど、と呟いて、ロウは口をへの字に曲げた。
「じゃあ、ロウに付き合ってる人はいないってこと?」
「最初っからそう言ってるだろ」
「そう、だったんだ」
 その言葉を聞いて、私はほっと胸を撫で下ろした。――撫で下ろした?
「大体俺は……」
「俺は?」
「いや、なんでもねえよ」
「あ、また隠し事してる」
「こ、これは隠し事とは違うっつうか、まだ言えないってだけで」
「それを隠し事って言うの!」
 ほら早く吐いて、と詰め寄る私から逃げ出すようにロウは歩幅を大きくする。その後を追いかけながら私はふふっと密かに笑った。自分もロウも、いつもの調子に戻ったようだ。
 そこで私はようやく思い至った。私はロウに隠し事をされたくなかったのだ。だからロウの言葉でそうでないと分かって胸を撫で下ろした。
 きっとそうだ。今はそう言い聞かせることにする。

終わり