雪の日の思い出といえば、幼い頃、家の前に雪だるまを作ったり、それを家族分並べたりしたことが頭に浮かぶ。
少し大きくなってからは年が近い子たちと雪合戦をしたりそりすべりをしたり、寒さのことなんかちっとも考えないで夢中になって外を駆け回っては、防寒具の中を汗まみれにしながらはしゃいだものだった。
それはそれで良い思い出だ。いつまでも庭に居座り続ける雪だるまを毎日観察するのは楽しかったし、雪合戦やそりすべりも同じことを何度繰り返したって飽きなかった。寒くて冷たくて、きっと外でケガをしたこともあったはずなのに、今思い返されるのはどれも笑顔に満ちた思い出ばかりだ。
あの頃は無邪気でいられたのにな。リンウェルは窓の外で降り続く雪を眺めながら、小さなため息をつく。
一年中大地を覆う雪がいかにうっとおしくて厄介なものか、このシスロディアに暮らす人間であればすぐに気づく。気づいてしまう。
道は凸凹になるし足は取られるし、服は濡れてしまうし、それを放置すれば風邪だって引きかねない。氷柱は鋭くて危険極まりないし、屋根に積もった雪は時として建物すら押し潰してしまう。面倒なだけならまだしも、下手をすると命をも取られかねないのが雪という物体の厄介なところだ。
それでもこの地に暮らすと決めた以上逃れられない。星霊力が均質化されつつあるとはいえ、気温が上昇して安定するのはまだまだ先の未来のことだろう。ならば今はまだこの雪の脅威に耐え続けるしかない。
一昨日も雪を掻いたばかりだった。その時はすぐに止んでくれたおかげで、門のところをさっと始末してしまうだけで良かった。
だが今日の雪はそうはいかない。一粒一粒が大きい上に降り止む気配もない。これはあれだ、どかっとくるやつだ、というよく分からない、でも地元の人間なら誰でも持っている勘みたいなものが働く。
面倒だ、と思いながら、リンウェルは防寒具を身に着けた。コートに手袋、帽子にブーツ。仕上げにマフラーをぐるりと巻いて、スコップ片手に外に出る。
広がる雲はものの見事なねずみ色で、重たくなったそれは沈んで空が近い。妙な圧迫感に辟易しながら今日の戦場へと向かう。
雪は既にむこうずねの辺りまで積もっていた。スコップを上から突き刺せば自立するほどには重たい雪だ。これから気温が下がればこれも氷の塊になる。運良く気温が上昇したって、これだけの量が溶けるまでにはそこそこ時間がかかるだろう。
結局これらは片さなければならないのだ。そうして諦めをつけたところでリンウェルは先ほど突き刺したスコップを引き抜き、今度は塊を掬うように下に差し入れた。それを持ち上げてえいやっと家の裏の林へと放る。さらさらと砂っぽい乾いた音がして、白いものが弧の軌跡を描くのが目端に映る。
それもいちいち気にしていられない。これから何度この作業を繰り返さなければならないか、考えただけでまた気が重くなりそうだ。
これはケーキ。リンウェルはそう思うようにしている。自分は今巨大なケーキをスコップで切り分けている最中。この白い雪はクリーム。時折下から覗く茶色い地面はチョコレート。スコップをフォークに見立てれば、ほら、今自分が立っているのは大きな皿の上ということになる。まあ結局、その掬ったケーキは思い切り遠くへ放ってしまうのだが。
そのくらいでもしないとやっていられない。単純作業である上、得られるものは何もない。近隣には誰も住んでいないから手を借りることもできないし、頑張って雪を掻いても賞賛の言葉もない。
おまけに今はフルルまで不在ときた。この寂しさ、虚しさを分かち合える人もいないなんて。もういっそ、この雪の上で暴れ回ってしまいたい気分だ。
そうして気が乗り切らないでいるうち、雪の粒の重みはさらに増してきた。慌てて門の外に出ると、街道へと繋がる小道は既に雪で埋まりかけていた。
まずい。この道が塞がるのは困る。自分が街へと出るための街道にはこの小道を使うしかないのだ。ここが通れなくなれば、買い出しにも行けなくなってしまう。
とはいえここから街道までの雪を一人で掻くとなるとなかなかの量になるだろう。作業の終わりが見えず途方に暮れていると、小道の向こうからこちらに向かってくる影があることに気が付いた。
見慣れない防寒具を纏った姿には一瞬誰かとも思ったが、それもすぐに消し飛んだ。
真っ直ぐな翡翠色の瞳。一房垂れ下がった前髪。
見覚えのありすぎるそれの持ち主が誰であるかなんて、今さらだ。
「ロウ!?」
ロウもこちらに気が付くと、あの人懐こい笑みを遠くからでも分かるくらいに輝かせた。振り上げた右手には、自分が持っているのと似たようなスコップが握られている。
「よお、久しぶり」
顔を合わせて早々、ロウは呑気にそう言った。いつも通りの笑顔の中で、その鼻頭だけが赤い。
「久しぶりって……どうしたのこんな日に。なんでこっちにいるの」
驚きのあまり、そんな言葉がついて出た。言ってしまってから今のは可愛くなかったなと猛省する。
それでもロウは何一つ気にしていない様子で、
「昨日からシスロデン来てたんだよ。商隊の護衛関係で」
と髪に積もった雪を払いながら言った。
「朝起きたらすげえ雪だろ。お前困ってんだろうなって思って」
どうやらロウは、リンウェルが以前言っていたことを覚えていてくれたらしかった。
「雪かきは大変だって言ってただろ。まあその気持ちは俺も少しは分かるしな。それに一人より二人の方が早く済むし」
「それでわざわざ来てくれたの? 道具借りてまで?」
別に大したことじゃない、と笑うロウは地面に刺さったスコップを引き抜いて、くるりと回してみせた。
「手伝いはありがたいけど……いいの?」
「いいのって、何が?」
「ほら、お仕事とか。それでこっち来てたんでしょ?」
そう問うと、ロウは諦めたように首を振る。
「仕事も何も、この雪じゃどうにもならねえよ。街の方もすごいことになってるしな。総出で雪かきだぜ」
どうやらシスロデンではあちこちが雪に埋まって被害が出ているらしい。荷車は一時的に雪を運ぶのに駆り出され、それでも物流を滞らせるわけにはいかないので皆必死なのだとか。
「あっちは人手も足りてるだろ。俺一人くらいいなくなったって困んねえよ」
じゃあさっさと片付けようぜ、と言って、ロウはまた再び来た道を戻っていった。どうやらリンウェルが家側から、ロウが街道側から雪を掻いて道を繋げようという作戦のようだ。
それに従い、リンウェルも雪を掻いた。合間に向こうを覗けば、ロウが同様にして懸命に雪を掻いている。
その手際はかなり良いように見えた。ロウの後ろには既にくっきりとした道が連なっている。まだ分かれてからほんの少ししか経っていないというのに、ロウはもうあれだけの量を掻いたのか。
それに対して自分はというと、その半分も掻けていない。雪かきは元々得意ではないとはいえ、これではシスロディア出身の名が廃る。
リンウェルは気合を入れ直すと、スコップを握る手に力を込めた。そうしてがむしゃらに雪を掻いているうち、いつの間にかロウが作った道と合流していた。
「よし、これでまあなんとか閉じ込められずには済んだだろ」
達成感に満ち満ちた表情でロウが言う。曰く、街道の方は既に有志たちが集まって道を拓きはじめているらしい。
「あとは家の前だな」
「だ、大丈夫。こっちは自分でやれるから」
「そうか? 別に遠慮しなくたっていいんだぜ?」
ロウはそう言うが、リンウェルは何度も首を振った。
「本当に大丈夫。玄関から門までだけだし」
「お前がそう言うなら、いいけどよ」
そうしてスコップ片手にロウは立ち上がると、リンウェルの家を後にする。
「また降ったら手伝いに来っから。お前もあんま無理すんなよ。風邪引く前に家戻っとけ」
「うん。ありがと」
その背中が小さくなるまで、見えなくなるまでずっと、リンウェルは門のところからロウを見送ったのだった。
ロウは翌日もリンウェルの家を訪れた。雪は夜通し降ったり降らなかったりを繰り返し、昨日ほどではないが、それでもまた足の甲が埋まるほどには新雪が積もった。
昨日のうちに拓いた街道までの小道は掻かなくてもいいとして、ならば今日はどうするか。
ロウが指摘したのは屋根の上の雪だった。
そういえば、自分では屋根の雪下ろしをしたことがなかった。少なからず危険が伴うし、どうにも気が進まない。
「これからまだ降るだろうし、今のうちに片づけといた方がいいんじゃねえか?」
「それはそうだけど……別に無理しなくても……」
「いいから任せとけって。このくらいの高さ屁でもねーよ」
そう言って梯子を上っていくロウを、リンウェルは下から支えながら見守る。その軽快さはまるで自分より体格の良い人間とは思えない。あんなに腕も脚も鍛えられているのに、その重さなどないかのようにしてロウはあっという間に屋根の上へと辿り着いた。
あらかじめ投げてあったスコップを手に取ると、ロウはまたしても軽快な様子で屋根の雪を掻いていった。反対側に放られていく雪がどさどさっと音を立てるのが聞こえる。
その様子を見ながら、やっぱり手馴れているな、と思った。普通は屋根になんて上ったら多少腰が引けそうなものだが、ロウにはそれがない。元々高いところが好きなのか、あるいはなんとも思っていないのか。はたまた実際に慣れているのか。いずれにせよ油断してケガだけはしないでほしいなと考えながら屋根上の様子を気に掛けつつ、リンウェルもまた庭の雪を掻いた。
翌朝になってもまだ鈍色の続く空には、いい加減苛立たしくもなってきた。それでも二日前に比べたらかなり落ち着いた方ではあるが、たとえ少量であっても降り続けば雪は積もる。積もればまた雪を掻かなくてはならない。この堂々巡りはシスロディアに暮らす者の運命と言われれば確かにそうだが、限度というものがある。せめてブーツを乾かす暇くらいくれてもいいだろう。
腹を立てるリンウェルとは裏腹に、ロウは例のごとく陽気な様子で現れた。
「おお、今日はやけに機嫌悪いな」
「だってここのところ毎日雪だよ? そろそろ青空が恋しいんですけど!」
そうはいっても雲の行方など誰にも分からない。分からないからこそ腹立たしい。この気持ちをぶつける相手がいない。
「確かに、こうもずっとどんよりしてちゃあな。一日中真っ暗闇もキツかったけど、これも違う意味でしんどいな」
そう言ってスコップを手に取るロウに、リンウェルは「待って」と声を掛けた。
「どうした?」
「今日は、雪かきはいいの」
「いいって?」
「代わりに買い物に行きたいんだけど、付き合ってくれる? 最近引きこもりがちだったから、全然食料なくて」
外の様子に気を取られるあまり、保存庫の状況をすっかり失念していたのだ。今朝朝食を用意しようと開けてみて驚いた。調味料の他にまともな食材が入っていなかったからだ。
「量が多くなっちゃいそうだから、手伝ってもらえるとありがたいんだけど」
「なんだ、そういうことなら早く言えよ。雪かきより楽でいいぜ」
ロウは軽く笑って、その辺の雪にスコップを放り投げた。
訪れたシスロデンには、見慣れない光景が広がっていた。大通りの片隅に山のように積み上げられていたのは、雪だった。
「街中だと捨てる場所もねえし、それでも雪は降るだろ。みんなしてここに捨ててたらこんな山になっちまったんだってよ」
当然街中の雪を一か所に集めたらこんなふうにもなる。少しずつ外に運び出すはずがあっという間に固まってしまい、今では崩す手段も無くなってしまったのだとか。
「大人はともかく、ガキたちは嬉しそうだけどな。あまりに人気だから登りやすいように階段でも作るかって声もあるんだぜ」
その言葉の通り、周辺では子供たちがその雪山に登ってはそりすべりを楽しんでいた。自分もそうした遊びをした記憶はあるものの、さすがにこんな大きな山から滑り降りたことはない。当時の自分ならきっとその高さに怖気づいていたに違いない。
その様子をじっと見つめていると、ロウがからかうような口調で言った。
「お、なんだその顔。もしかしてお前もやりたいのか?」
「そんなわけないでしょ! もう、早く行くよ!」
早足で通りを抜けつつ、目端にもう一度その光景を捉える。子供たちの笑顔が、積もった雪にも負けないほど眩しかった。
向かった先の市場は、まだ落ち着きを取り戻せていないようだった。青果店の店主曰く、ここ数日の雪で荷物の発着が遅れているらしい。それでも市民の生活に支障を来すわけにはいかないと近隣の村とも連絡を取り合い、なんとか物資を融通し合っているのだと聞いた。
辺りを見回してみれば、誰もがせわしなく動き回っていた。店主同士が声を掛け合い、協力しながら互いの情報を交換し合っている。
「ここも変わったよな。前はあんな陰気なとこだったのによ」
確かに、思い返せばシスロデンの市場にいいイメージはあまりなかった。薄暗い雰囲気もそうだが、疑心暗鬼をそのまま形にしたような通りは買い物というより取引、ガルドと品物の物々交換が行われる場所という感じで、そこには情も血の通ったやり取りもほとんど存在しなかった。
でも今は違う。ここには情の他にも人々の笑顔や歓声までもが満ちるようになり、真の意味で活気あふれる市場へと発展を遂げた。この困難な状況の中でだって手を取り合えるような、そんな場所へと生まれ変わったのだ。
今と昔、両方の姿を知っているからこそ感慨深い。あの頃は誰もが諦めていた理想をついに実現しつつあるのだから。
そんな光景を目の当たりにして、ロウがふと呟いた。
「親父の言葉が少しは効いたかななんて、さすがにそりゃ言い過ぎか」
その声色はどこか自嘲気味のようにも聞こえる。
「そんなことないよ」
リンウェルは強い確信を持って首を振った。
ここに暮らす多くの人たちがあの言葉を聞き、失いたくないもののために行動して、やり直した。それが今、今日の日に繋がっていることは明白だ。
間違いなくジルファの言葉は効いた。ジルファの言葉が皆の目を覚まさせたのだ。
「ちゃんと届いたよ。だからこんなに早く復興できてるんでしょ」
「そう……なのか?」
「そうだよ。少なくとも私はそう思ってる」
念を押してやって初めて、ロウは少し納得したような顔をした。そうして小さく笑って、
「せめてこの景色くらい、見せてやれたらな」
と雪の舞うシスロデンの空を見上げたのだった。
食材の買い出しを終えて家に戻ると、時計の針は昼を少し回ったところだった。
コーヒーとココアを淹れて、昼食がてら街で買ってきたサンドイッチを二人で摘まむ。
「これでもう買い出しは良いんだな?」
「うん。しばらくは持つと思う。まあ野菜とかはどうしようもないし、次の買い出しも天気次第だけど」
そう言ってリンウェルは窓の外を見つめるが、朝より雲が重たくなっている気がするのは気のせいだろうか。いやいや、昨日までにあれだけ降ったのだから、さすがにもう大雪にはならないだろう。……ならない、はず。
心の片隅に残る一抹の不安を振り払いながら、リンウェルはロウの方へと向き直る。
「ねえ、今度はいつこっちに来るの?」
「予定だと来月とかか。急に仕事押し付けられることもあるから、まだ分かんねえけど」
「……そっか」
ココアの入ったマグに一口付けると、湯気の向こうでロウがにやりと笑う。
「たまにはお前がこっち来てくれてもいいんだぜ」
「えー、そっち暑いしなあ。温度差で風邪引いちゃいそう」
「じゃあそこを行き来してる俺は何なんだよ」
「ロウはだってほら、ねえ」
「おい、さすがにそれは俺でも分かるからな。馬鹿は風邪引かないってやつだろ」
「えっ、ロウが成長してる!」
「いつまでも昔のままだと思うなよ。それに、この間ちゃーんと風邪引いたからな!」
俺は馬鹿じゃねえ! と鼻を鳴らすロウに、そういうところなんだよなあとリンウェルは密かに笑った。
そうして雑談を終えて、ロウを送ろうと外に出た時だった。鼻先に何かが当たる感覚がして空を見上げてみると、そこには再びならぬ大粒の雪がはらはらと舞い降りてきていた。
「うそ……また?」
「こりゃあすげえな。すぐ積もるぞ」
あっという間に数を増したそれは次々に地面に降り注いだ。玄関の木板もすぐに白く染まり、溶ける間もなく綿雪が積もっていく。
「どうする? やっぱ手伝ってくか?」
ロウが放っていたスコップを示しながら言った。
「え……いいよ。自分でやるし」
「けど結構降ってるぜ? 夜には玄関も埋まっちまうかもしんねーぞ」
「で、でも……」
返事を言い澱むリンウェルだったが、それを見たロウが訝しげな表情をして顔を覗きこんでくる。
「お前、なんかここ数日おかしいよな」
「お、おかしいって、何が」
「手伝いに来たってのに遠慮してるように見えるし、自分でできるとか言って帰されるし」
心臓がぎくりと跳ねる。
「なんか乗り気じゃないっつーか、遠ざけようとしてるように見えるっつーか」
リンウェルは思わず目を逸らした。視線の先で雪がロウの肩を滑り落ちていく。
「もしかして、迷惑だったか?」
「ち、違う!」
大きな声に驚いたのは自分も同じで、リンウェルはその気恥ずかしさにまた俯いた。
「違うの、迷惑とかじゃなくて、ただ……」
「ただ?」
「ロウに、嫌なこと思い出させてないか心配で……」
今にも消え入りそうな声で、リンウェルは呟いた。
ロウの雪を掻く手際を見ていれば分かる。ロウはきっと、たくさん雪かきをさせられてきた。
もちろんカラグリアを出てからこの地に住み始めて、自主的にそうすることもあったかもしれない。でもほとんどはその後、組織――〈蛇の目〉に入ってから強制的にさせられてきたものじゃないだろうか。
あるいは奴隷にそうするよう指示したこともあるだろう。不本意とはいえ同胞にそんなことを強いるのは随分辛かったに違いない。
それらに良い思い出なんかあるはずもない。ロウが雪かきをするたび、雪を見るたび、嫌なことを思い出させているんじゃないかと不安で仕方なくなる。
「ロウはシスロディアでたくさん辛い思いしてきたでしょ? だから、あまりそういうこと思い出してほしくなくて……」
本当はこの地を踏むのだって出来れば避けたいことなのかもしれない。仕事であれば仕方ないかもしれないが、そうでなくともロウは滞在期間を延ばしてまで自分を訪ねてきてくれることだってあった。
頼んだわけではない。頼んではいないけれども、やっぱりそうしてロウが自分に会いに来てくれるのは嬉しい。嬉しい気持ちを隠しきれていない自覚もある。だからこそロウが気を遣って、自分の苦しい気持ちを押し殺してまで会いに来てくれているんじゃないかと心配になってしまうのだ。
「我慢させてないか、不安なの。悲しい思いしてまで会いに来てほしくない」
やっぱり自分は可愛くないなと思う。もっと上手い言い方があったはずなのに、こんなふうにしか言葉を選べない。
リンウェルが項垂れる一方で、
「なんだよ、そんなことか」
聞こえてきたのは気の抜けるような声だった。それに小さく呆れとため息が混じる。
「あのな、別に我慢も何もしてねえよ。ここに来てるののも、雪かきとか手伝ってんのも、俺がそうしたくてやってるだけだっつの」
吐いた息を白く濁らせながら、ロウはきっぱりと言う。
「確かに雪かきは別に好きじゃねえけど、それはお前も一緒だろ。だったら早く終わらすに越したことはねえし、ほかの手伝いだって同じだ。二人してさっさと片付けた方が楽に決まってる。そこに辛いも何もねえよ。そこまで俺はお人好しじゃねえからな」
鼻先に指を突き付けられて、リンウェルは思わずたじろいだ。
「だからお前は何にも気にしなくていいんだよ。手伝いがありがたいならありがたいって、迷惑なら迷惑って、そう言ってくれりゃあいい」
「迷惑じゃないってば!」
リンウェルがまた声を上げると、ロウはけらけらと笑った。
「まあお前の言う通り、良い思い出は少ねえかもな。けど、まるっきりないって訳でもないだろ」
そうしてロウはさらりと言ってのける。
「お前に会えたしな」
「え……」
不意に心臓が跳ねて、リンウェルは思わず息を呑んだ。
「それに、アルフェンたちにも。じゃなきゃ野垂れ死んでた」
なんだ、そういう意味か。ちょっと期待した自分が馬鹿みたいだ。
「どうしても気になるってんなら」
そう言うとロウは突然リンウェルから少し離れ、その場で屈んだと思うと、
「今から楽しい思い出にすりゃいいだろ!」
手の中の何かをこちらに向かって投げつけてきた。
リンウェルの目の前で雑に押し固められた雪玉が弾ける。それが自分の頭を直撃したのだと気づいたのは、痛みにも似た冷たさが顔中に広がってからだった。
「……やってくれるじゃん!」
雪国出身を舐めないでよね、と言わんばかりにリンウェルも応戦する。ロウのよりも大きさは劣るがしっかりと固められたリンウェルの雪玉はコントロール性に長けていた。顔面に向けて放ったそれは、見事にロウの顎を捉える。
「痛ってえ! 冷てえ!」
「こういうのにはコツがあるんだよ! ほらもう一個、食らえ!」
続けて放った雪玉は今度は逃げ惑うロウの背に弾けた。茶色の防寒具には真っ白な弾丸の痕が残る。
お返しにとロウが特大のものを放ち、それを避けたリンウェルが確実にロウに小さな弾をお見舞いする。
そんな応酬を続けていればものの十数分のうちに手袋は汚れ、防寒具にも染みがたくさんできていた。どこもかしこもひんやりとして汚れている感覚はあるのに、それでも不思議と不快ではなかった。むしろ愉快が勝るから不思議だ。
二人で新雪の中に倒れ込むと、込み上げてくる笑みは一層強まった。声を上げて笑っていれば、身体中の冷えなんか一切気にならなかった。
「あー、おかしい。私たち、いい年して何やってるんだろう」
「いいだろ、この年だから楽しめることもあると思うぜ」
呟く声はすうっと宙に溶けて、それもまたくすくす小さな笑い声に変わっていく。
見上げた空は相変わらず鈍色だ。降り方こそやや穏やかになったものの、雪はまだまだ止む気配はない。
隣にいるロウは白い息を吐いていた。鼻先もやっぱりほんのり赤くなっていて、時々小さくすする音がする。この天候に慣れているとはいえ、寒いものは寒いらしい。
でも、ロウはそれをきっと認めないのだろう。平気、これくらい大丈夫だと言い張るに違いない。
そんなところが良いと思う。そんなふうに強情なところも、過去と向き合える真っ直ぐなところも、雪かきをわざわざ手伝いに来てくれる優しいところも全部――。
「……好き」
「え?」
誰のものかと思った声が自分のものだったので、リンウェルはひどく驚いた。そして一瞬青ざめて、たちまち頬を赤くする。
こちらを見つめるロウの目も大きく見開かれていた。聞かれてしまっただろうか。いや、この距離で聞こえなかったとは考えにくい。
――どうしよう。ドキドキとハラハラがない交ぜになって、頭の中が雪原のように真っ白に染まったところで、ロウがもう一度空を見上げて言った。
「雪? 雪って、雪かきのことか?」
それを聞いて、リンウェルはまたお腹を抱えて笑った。
「なんだよ」
「ううん、なんでもない。そういうところがロウだなあって」
こんな人、世界で一人しかいない。変なところで記憶力が良くて、カラグリアで一番雪かきが上手で、「好き」と「雪」を聞き間違える人は、私の知る限り世界でただ一人、ロウしかいない。
そんなロウが、私は好きだ。この気持ちはきっとこれからも、ずっと変わらず降り続く。深く長く、この雪みたいにして降り積もっていく。
終わり