ロウリンと四季の話。(約6,100字)

君とめぐる四季

 見栄えもしなければ、変わり映えもしない土地だと思う。
 暗い海洞を抜けてようやく太陽の下に出られたというのに、目の前に広がるのは一面の雪、雪、雪の雪景色。真っ青な空以外には黒々とした木々が立ち並ぶくらいで、その彩度の低さには物足りなさを感じざるを得ない。これに感動できるのはシスロディアを初めて訪れる旅人くらいのもので、それもはじめの数度だけだろう。雪そのものに物珍しさを覚える人もいるだろうが、その寒さにすぐにうっとおしさを感じるに違いない。まあほんの少しでもこの光景に心躍らせられるのならそれもいいのかもしれない。私はもう、とうの昔にそんな新鮮味を失ってしまっている。
「どうかしたか?」
 隣を歩くロウがこちらを覗き込みながら言った。
「その顔、腹でも減ったか? シスロデンもうすぐだろ」
 あ、もしかして腹痛か? などと言いながら若干慌て始めるロウも相変わらずデリカシーがない。私は少し呆れつつ、首を振る。
「ちがうよ。そうじゃなくて、相変わらずここは雪だらけだなって思っただけ」
「雪?」
 何をいまさら、といった様子でロウが首を傾げた。
「ほら、世界合一で星霊力も変わったでしょ。まだまだ偏りはあるけれど、世界全体で均一になろうとしてるって」
「ああ、だから極端な気候とかも減るんじゃねえかって話だったよな」
 この世界の様相を一変させた世界合一は星霊力の在り方さえも変化させた。私が肌で感じる星霊力の流れも以前とはまるで違う。今すぐにというわけではないけれども、その兆しはある、ような気がする。それらはゆっくりと、だが確実に〈ひとつ〉になろうとしている。
 この世界が〈在るべき姿〉に戻るためには、この先気の遠くなるような時間が必要だと聞いた。それがどのくらいの期間なのかは見当もつかないけれど、むしろそうでなければならないらしい。長い時間を掛けなければ今度は私たちがその変化についていけないからだ。世界が元の姿に戻っても、そこに住む生物がいないだなんてあまりにも悲しすぎる。
 そう思いつつも、はやくその変化をこの目で見てみたいとも思う。自分の知る世界とどう違うのか、どのくらい違うのか。元々あったかつての大地とはどのくらい異なるのか。知りたいことが山ほどある。だからこそつい、その萌しを探してしまう。
「何か変わってないかなあって期待したの。見慣れない花とか、植物とか生き物とか。メナンシア側から来たから、一番そう思うのかもしれないけど」
 結局ここまで進んできて、これといった変化はなかった。いつもの見慣れた雪景色が広がっているだけ。緑豊かな彼の地とは雲泥の差だ。
「ちょっとつまんないなあって、そう思ったの」
 ため息交じりの吐息が白く濁る。何につけても白、白、白。特段嫌いな色というわけではないけれど、もう少し彩りはないものか。
「なるほどな」
 ロウもまた宙に白い息を吐きながら言った。
「まあ、俺も少しは気持ち分かるぜ。帰ればその辺赤とか茶色だけだからな」
 それを聞いて、ああ、と思う。ロウの故郷――カラグリアの風景を思えば。
「カラグリアも似たようなものだもんね。どこ見ても砂、砂、砂」
「相変わらずの砂煙で目が痛いのなんのって」
 そんなところもよく似ていると思った。シスロディアの風も雪を舞い上げては強く吹きつけ、こちらの視界を容赦なく奪ってくる。
 聞けば聞くほど互いの故郷はなかなかに過酷な環境だ。五領の中でも常に人手不足が叫ばれているのはこういうところに理由があるのかもしれない。
「けどよ、結構変わったところもあるかもな」
 何かを思い出したように、ロウが言った。
「この道も前は吹雪ばっかだったろ? 最近、そういう天気に遭わねえんだよな。これも極端な天気が減ったってことじゃねえのか?」
 言われてみれば、今日も天気だけは良い。風も穏やかで、冷たくはあるものの身を縮こまらせて歩くほどではない。かつてはここを通るたび、どうか吹雪かないようにと願うばかりだった。今日はたまたま、ということもないわけではないだろうが、それでもここをよく利用するロウが言うのならあながち間違いではないのだろう。――間違ってはいないのだろうけれど。
「天気が安定してきたってんなら、良いこと……って、なんだよお前、その顔」
「……別に」
 喜ばしいことの反面、自分の知らないことをあのロウに教えられた気がして、なんだか悔しいと思ってしまったのだった。

 シスロデンに着くと、二人で広場へと向かった。
 自分がここへと来た理由は観光とかドーナツを食べたいとかそういう気まぐれなものだったが、ロウは違った。どうやら〈銀の剣〉がロウ経由で〈紅の鴉〉に頼みたい仕事があるらしい。
「じゃあ俺、話聞きに行ってくっから」
「うん。私はその辺ぶらついてるから。ブレゴンによろしく」
 おう、と旧獄塔の方へ去っていくロウの背中を見送って、私はその間広場の市を見て回ることにした。
 シスロデンの中心部と言っていいこの広場は今日も多くの人で溢れていた。立ち並ぶのは特産品を売る屋台だったり、古物商の露店だったりと様々だ。店の数も来るたびに増え、商人たちが我こそはと商機を窺っている。その規模はヴィスキントにも負けずの勢いで、どの地でも商人が活発なのは同じらしい。
 お気に入りのドーナツ屋も今日も今日とて繁盛しているようで安心した。売り切れになる前にと列に並び、揚げたてのドーナツをいくつか買った。甘い香りが手元の袋から漂ってきて、おなかがぐうと鳴る。今すぐにでも一つ齧りつきたいが、せっかくシスロデンまで来たのだから誰かとその美味しさを分かち合いたい。仕事ついでに自分の気まぐれに付き合ってくれた誰かと。
 お腹の虫を抑えつつ立ち寄った露店には見慣れない意匠の骨董が置いてあった。壺のような焼き物から木製の小箱。どれもかなり古いもののようではあったが、彫られた細工がなかなかに精巧で目を引く。
 その中にひと際気になるものがあった。一見木箱のように見えたそれは、手に取ってみるとなんと古書だった。手の込んだつくりの表紙が箱の蓋に見えたのだ。
「おお、それに興味があるのかい?」
 思わずまじまじと眺めていると、店のおじいさんに声を掛けられた。豊かな髭をたくわえた、それだけで口周りが暖かそうなおじいさんだった。
「うん、こういう本、あまり見たことなくて」
 正直にそう話すと、おじいさんはくしゃっとシワを寄せて笑った。
「そうだろう。実は、それはついこないだ仕入れたばかりなんだ。小さなメザイに寄った時に倉庫から出てきたっていうんでわしが買い取ったのさ」
 表紙が特にお気に入りでね、と話すだけあってそれは確かによく磨かれていた。金具にもきちんと手入れが行き届いていて、それだけでも商品をぞんざいに扱うような商人でないことが分かった。
「けどなかなかそいつが重たくてね。年を取るとどうもいけない。商品が重たいだなんて仮にも商人が言うことじゃないんだけどね」
 店主は眉をハの字にして笑うと、
「どうだい、安くしとくから嬢ちゃんがこいつの主人になるってのは」
 そんなことを声を潜めて囁いた。その緑の瞳の奥は深い輝きを放っている。
 それを聞いて、ついふふっと笑いがこみ上げた。優しそうな老人に見えて、商人はやっぱり商人なのだ。
「いいよ、私がそれ買い取ってあげる」
 財布からガルドを取り出すと、おじいさんの手にそれを載せる。年季の入った、温かみのある手だった。
「まいどあり、どうもありがとう。優しい嬢ちゃんに貰われてそいつも喜んでるさ」
 どこまでも口が達者なおじいさんではあったが不思議と悪い気分ではない。手に入れた古書が物珍しいものだっただけではなく、こういった人との出会いがあるから市を見て回るのはやめられない。
 とはいえ中身も確認せずに買ってしまったのは早計だったかもしれなかった。だがたとえ内容が見知ったものであったとしても、古書の見た目は気に入っている。表紙をたまに眺めるだけでも充分価値はありそうだ。
 ふと辺りを見回してみたが、まだ待ち人の影はないようだった。なら、ちょっとくらいの〈つまみぐい〉は許されるだろう。逸る気持ちと一緒に古書を胸へと強く抱く。
 確か旧獄塔の中にソファがあったはずだと、そのまま塔へと向かった。重たい扉を開き、中へ進むと空いているソファに腰かけた。
 つるりとした古書の表紙は木製のようだった。鳥や花などをモチーフにした細工を施した上からつやのある塗料が塗られているらしい。おそらくこの本自体かなり古いものであるが、思ったほど汚れていないのは、塗料が傷や傷みから守ってきたからだろう。
 古書を開いてみると、そこには一面細かい文字がびっしりと並んでいた。これはロウやアルフェンが嫌な顔をするやつだ。おそらくシオンやキサラも少し戸惑うかもしれない。
 おまけに文法までかなり古めかしいものだった。文字自体は読めるが、なかなか難解だ。表現も独特で、でもその分解読に燃えてくる。
 どうやら内容は地方の郷土史のようだった。小さなメザイの倉庫にあったものとしてはふさわしいかもしれない。とはいえこれがこのシスロディアで寒さをしのぐ燃料とならなかったことは奇跡に近い。
 郷土史といっても闘いの記録や有力者の話なんかは記載されていなかった。記されていたのはこの地で採れる作物だったり、動物の副産物の記録がほとんどだった。
 これはこれで興味深い。自分はシスロディアの出身とはいっても、特産物なんかまるで知らない。生まれた時にはもう雪で辺りが覆われていたのだから、畑がある時代のことなんか見当もつかない。
 中でも心惹かれる記述があった。どうやら、このシスロディアにはかつて【四季】というものが存在したらしい。
 花の咲き乱れる春。強い日射しの降り注ぐ夏。実り豊かな秋。一面雪に覆われる冬。
 同じ土地にいても時期によってそれらが移り変わっていく。天候も風景も変化していき、それによって採れる作物や咲く花も変化していく。
 人々は【四季】によって時間の流れを感じ取り、それによって植える作物を変えたり、生活の仕方も変化させて適応していった、とのことだ。
「なるほど……」
「何がなるほどなんだ?」
 思わずあげた感嘆の声に、まさか返答があるとは思わなかった。
 驚いて顔を上げると、そこには一仕事終えた待ち人の姿があった。
「ロウ。思ったより早かったね」
「まあな。話聞いてこいつを渡してくれってだけだったからな」
 そう言ってロウは指の間に挟んだ手紙のようなものをひらひらと揺らしてみせた。
「まあいいや。用事も済んだし、外に出ようぜ」
 ぐぐっと伸びをしたロウが塔を出ようとする。それに続いて立ち上がると、私も早足でその背中を追った。
 通りに出て街を歩きながら、私はさっき読んだ本のことをロウに話した。
「昔は季節っていうのがあったんだって。シスロディアでもメナンシアみたいに花が咲いたり、日射しが強い時期があったらしいよ」
「へえ。今は雪しかないのにな」
「想像つかないよね。防寒具のいらないシスロディアなんて」
 どこへ行っても吐く息は白く、部屋には暖炉が欠かせない。毎朝の雪かきも必須で、外を歩くときは軒からせり出した雪に注意しなければならない。それらが一切必要ないシスロディアがかつてこの世に本当に存在していたとは。
 街の様相を眺めつつ歩みを進めると、その想像は一層膨らんだ。メナンシアのようにあちこちに花が咲き乱れ、その香りが風に乗ってどこかへと運ばれていく。夏が来たら日陰を探して歩いて、秋には色づく葉を眺める。そんな色鮮やかな故郷と、その中に佇む自分の姿を頭の中に描いた。
 同時にため息も出てくる。今度は感嘆ではなく、どちらかと言えば落胆にも近い。
「どうした?」
 ロウがこちらを覗き込んでくる。その鼻頭は微かに赤くなっていた。
「なんかちょっと、未来の人が羨ましいかも」
「羨ましい? なんでだよ」
「だってそうでしょ。星霊力が元に戻っても、私たちは季節を見られないんだよ」
 変わりゆく星霊力だが、元の形へ戻るにはまだまだ時間がかかる。その果てに元あったような季節がやってくるとしても、この地で花が舞ったり太陽の眩しさに目を細めたりする日が来るのはもっとずっと先のことなのだ。
 その時自分たちはおそらくこの世にはいない。レナの機械を使って眠ったりしない限り、その【四季】というものを拝むことはできない。
「あーあ、見たかったな。花いっぱいの街とか、太陽の光で眩しい海とか」
 故郷のあるべき姿を、かつて覗かせていた豊かな景色を、この目で見てみたかった。白い雪に覆われた冬の一端だけでなく、自分の知る故郷とはもっと異なる様相に心弾ませてみたかった。
 少なくとも、この地に来るたび身を震わせる寒さや同じ景色にうんざりなんかしたくなかった。毛嫌いしているわけではないとはいえ、もう少し胸を張って人に勧められるような土地だったら良かったのに。
「季節、見てみたかったな」
 私の無謀ともいえる願いに、ロウから返ってきた言葉はあっけらかんとしたものだった。
「見れるだろ」
「え?」
「メナンシアに行けば花も咲いてるし、暑いのが良いってんならカラグリアもガナスハロスもあるだろ。実りが多いってのはメナンシアだろうけど、最近はミハグサールでも野菜の収穫量伸びてるって言うし。雪ならシスロディアでいくらでも見れるし」
 私は思わず面食らって、何も返答できなかった。開いた口から冷気がするりと入り込む。
「今だってその、キセツ? だっけ? そういうのいくらでも見れるだろ。別に何十、何百年も待たなくたっていいじゃねえか」
 違う、私が言いたいことはそういうことじゃない。そういうことじゃないのだけれど。
「ふっ、ふふっ」
「な、なんだよ」
「確かにロウの言う通りだね。今は季節がみんな共存してるんだ」
 春ならメナンシア。夏の暑さならカラグリア、ガナスハロス。秋ならミハグサール。冬はシスロディア。この地に四季はなくとも、世界にはある。
 私はおそらく【四季】を見ることはできない。でも、きっと未来の人もいまの【共存】を見ることはできない。
 これは今を生きる人の特権。未来の人にしか得られないものがあるように、今を生きる私たちにしか得られないものがある。当たり前だ、人は永遠を生きられないのだから。だからこそ今を大切にしないといけないのだ。
 そんな単純で当たり前のことをまたロウから教えられてしまった。でも今回ばかりは悔しくはなかった。この【共存】の中に奇跡的に一緒にいられる嬉しさの方が勝っているから。
「お前、これからどうするんだ?」
 そんな私の気持ちはつゆ知らず、ロウが訊ねてくる。
「これからって?」
「メナンシア戻んのか?」
 問われて、少し考えた。考えたふりをした。そして手元の紙袋からドーナツをひとつ取り出し、ロウへと差し出す。
「カラグリアに行こうかな」
「え? なんでまた」
「夏の暑さとやらも知りたいし、ココルにドーナツの感想言おうかなって」
 このタイミングで? と首を傾げつつドーナツを受け取るロウはやっぱり何も気付いていない。
 これは言い訳。
 どうにかしてもう少し長く同じ時間を過ごすための体のいい言い訳なのだ。

終わり