どうしてロウと一緒にいられるんだろうなあと考えるリンウェルの話。性行為匂わせとピロートークがあります。(約6,800字)

忠誠を誓う

 円満の秘訣は、と聞かれることがある。趣味も性格もまるで正反対なのに、どうしていつもそんなに仲良くいられるの、と。
 言われてみればそうだ。性格はともかく、趣味に関して私とロウは何も重なるものがない。食べ物の好みも正反対とまではいかないけれどそこまで似ていないし、生活習慣だって違う。唯一、あの頃一緒に旅した記憶だけは共通のものといってもいいかもしれない。
 でもそれ以外に何かあるだろうか。私とロウを繋ぐもの。繋ぎとめるもの。
 どうして私たちは一緒にいるのだろう。一緒にいられるのだろう。

 そもそも、仲が良いとは何だろう。
 私とロウはたくさんケンカをする。いや、正しくは、してきた。
 もうそんな山なんてとっくに越えてしまった。私たちはこれまで何度も、直すべき習慣だとか、いのちに関わるような過失について相手を叱り、またあるいはそれに反論してきた。
 ひととおりのことについてそれをこなすと、もう私たちに言い争いはほとんど必要なくなっていた。些細な内容では相手に腹を立てることもない。互いをよく理解していると言い換えてもいい。
 例えば、私は朝が苦手だ。自分の力で早起きするのがどうにも難しく、ようやく起き上がれたと思っても覚醒するまでに時間がかかる。
 そんな私に、ロウは朝食を作ってくれる。相変わらずどこか不器用な包丁づかいで果物をカットし、パンを焼いて、それらを皿に盛ったものをテーブルに並べておいてくれる。
 私はそれに感謝するとともに、自分が少し情けなくなる。ロウにはこの後仕事が待っているのに、それをサポートするどころか家事を負担させてしまったと申し訳なくなるのだ。
 それでもロウはグラスにミルクを注ぎながら、それを何でもないことだと笑う。
「人には向き不向きってもんがあるだろ」
 朝が苦手なら、得意な方が朝食を担当すればいいだけ。難しくもなんともない、ごく単純なこと。
 まあ確かに料理は俺には向いてねえけど、とロウが摘まんだリンゴは少しいびつな形をしていた。
 そうした私たちの姿は、周りからするとどうやらかなり仲が良さそうに見えるらしい。宮殿や街で私たちを見かけた友人たちは口々にそう言う。
「いいなあ、羨ましい」
 深いため息を漏らしてそう言ったのは、最近恋人と同棲を始めたという友人だった。
「ちょっと聞いてよ!」と勢いよく始まった彼女の愚痴には恨みと憤りとがない交ぜになっていた。
「彼がね、私の料理の味付けが濃すぎるって言うの。もう少し素材の味を生かすべきだって!」
「そんなこと言ったら私だって彼の洗濯物の畳み方に文句あるし、夜にイビキはうるさいし、結構我慢してることあるのに!」
「それなのに彼ってば自分ばっかり我慢してるみたいに言って!」
 憤慨した彼女はそっくりそのまま同じことを言ったのだろう。昨夜は大ゲンカになり、怒った恋人は同じベッドには入らずリビングのベッドで寝てしまったのだとか。
「リンウェルたちは一緒に暮らし始めた時、そういうすれ違いはなかったの?」
 唐突な問いには言葉が詰まった。本のページを捲る手が一瞬止まる。
 黙りこくった私に友人は何かを察したらしい。
「もしかして、全然そういうのなかった?」
 私は素直に頷いた。求めていたような共感を与えられなくて、申し訳ないけれど。
 ロウが私の部屋に越してきた時、ロウは驚くほど自然に、そして素早く私との共同生活に溶け込んだ。それはもうまるで初めからそうだったかのように、ごく当たり前のものであるかのように馴染んだ。
 それはロウが以前から何度も私の家を訪ねてきていたからかもしれない。その時には食器は既に二組ずつ存在していたし、タオルも二人分用意されていた。買い変えたのはベッドくらいだ。
 料理だって、味付けの好みは旅をしていた時から知っている。互いの好物も嫌いなものも全部把握していた。寝相もイビキも、寝起きの悪さだって知っていた。
 あらゆることにおいていまさらだった。いまさら新たに知ることは多くなく、いまさら指摘するところもほとんどない。私たちの出会いはやはりちょっと特殊だ。
「リンウェルたちの関係は羨ましいし理想だけど、ちっとも参考にはならないね」
「ご、ごめん……」
 ううん、いいの、と友人は首を振った。
「あこがれるのはこっちの勝手でしょ? だから、いつまでもそういう二人でいてよ」
 見ていてこっちが微笑ましくなるくらい仲良しの二人でさ、と友人は穏やかに笑った。

 宮殿から帰って夕飯の支度をしていると「ただいまー」と、ロウが帰ってきた。首や肩を回す仕草から察するに、今日も肉体労働が中心だったらしい。
「おかえり。夕飯もう少しでできるから、ちょっと待ってて」
 私の言葉にロウはへーい、と返事をして、そのまま洗面台の方へと向かう。
「あ、洗濯物今のうちに出しておいてよ。明日まとめて洗っちゃうから」
「へーい」
「裏返しのままにしないでよ。靴下も!」
「へーい」
 少し口うるさかったなと思ったが、聞こえてきたのは怒るでもなく面倒がるでもなく、気の抜けた声で安心する。もしこれが舌打ちなどであったなら、待っているのは部屋を破壊しかねない大乱闘だ。互いにそういう力を持ってしていまだそうならないのは、ひとえに自分とロウの感性が似通っているからなのだろう。この程度、怒ることでもなんでもない。私たちは相手の刺激ポイントがどこなのかをよく理解している。
 もしかしたら友人たちはこういうことでもケンカになってしまうのかもしれない。もしそうだとしたらそれはなかなか厄介だと思った。夕飯前にひと悶着あるだなんて、お腹も空くし気まずい気持ちで食卓につくことになりそうだ。
 友人には悪いけれど、自分たちはそうじゃなくて良かったなと思った。今夜もロウは私の作った料理をまるでごちそうのように平らげた。用意したのは肉を炒めたものに軽くスパイスで味付けをしただけのものだったが、ロウはそれをこの上なく満足そうに頬張っていた。肉自体も高級なものでもなければ、味付けだってそう珍しいものでもない。それをこんなふうに「美味い!」と喜ばれてしまって、嬉しさよりもかえって気恥ずかしさがこみ上げてくる。
 理想。ふと友人が言っていた言葉を思い出す。それはまさに、こういう相手のことを言うのかもしれない。
「そういや、ドーナツ屋が新作出すって触れ回ってたぜ」
 食事の途中でロウがそんなことを言った。
「クリームののったすげえ甘そうなヤツ。チョコレートのも出すって言ってたか」
「なにそれ、すっごい美味しそう」
 想像しただけで胸がときめく。あのふわふわの生地に、さらにふわふわのクリームがのるなんて。
「食いに行くか?」
 ロウはそう言ったが、私はぐっと堪えて首を横に振った。
「……ううん、我慢する」
「へえ、珍しいな。お前が甘いものを前にそういうこと言うなんて」
 可笑しそうにロウは言うが、本当は「誰のせいよ」と詰ってやりたい。どこかの誰かが先日「暑くなってきたから海とか行きてえなー」なんて言い出したから、こちらはダイエットを余儀なくされているのだ。その一環として夕飯だって少々量を減らしている。ロウはまったくもってそんなことには気が付いていないけれど。
「期間限定じゃないんでしょ? だったら、ちょっと我慢する」
「ふうん」
 無理すんなよ、と言ったきり、ロウはそれ以上何も言ってこなかった。
 夕飯の片付けを終えると、私は浴室に向かった。湯船につかれば一日の疲れがみるみる消えていく。この時間は至福のひとときだ。
 浴室を出て寝室に向かうと、ベッドの上で微睡んでいるロウを見つけた。どうやらトレーニングの途中で眠たくなってしまったらしい。毛布も被らずただ寝転がって、それでも小さく呻く姿はどうにか睡魔に抗おうとしているようにも見えた。
 そんなロウの姿を見て思わず小さく息を吐く。やれやれ、これではまるで遊び疲れてしまった幼子みたいだ。
「ほらロウ、寝るよ」
「うーん……」
 声を掛けてもロウはなかなか覚醒しない。眉間にシワを寄せつつ、ごろりと寝返りを打つ。
 朝に強いロウは夜に弱い。とはいえ昼間にあちこちを駆け回っていれば疲労もたまるだろうし、当然とも言える。
「ちゃんと毛布被って。じゃないとおなか冷やすよ」
 半ば無理やり剥ぎ取った毛布を被せると、ふっとロウの表情が和らいだ。どうやら険しい顔をしていたのは寒さを感じていたからだったようだ。寒いなら、初めから毛布を被ればよかったのに。
 その額に掛かった前髪を払って、私は自分の頬がふっと緩むのを感じた。なるほど、私たちはこうして均衡を保っているのかもしれない。朝はロウが、夜は自分が相手の面倒を見る。
 部屋のランプを消して、自分もベッドに潜り込む。毛布を上まで引き上げ、目を閉じようとした瞬間、急に身体を引き寄せられる感覚がした。
 目を開けると、そこにはロウの顔があった。半分ほどしか開いていない目は、しかしこちらをしっかりと捉えている。
「ロウ……?」
 問いかけには反応がない。代わりにロウは表情を緩め、そっと優しく私の頬にキスを落とす。
「おやすみ」
 耳元で囁かれた声は私だけが知るものだ。甘く低く、夜の帳が下りた後でしか聞けない声。
「お、おやすみ……」
 咄嗟にそう返しはするものの、火照った頬とロウの腕の力も相まって、寝付くまでにはそれなりに時間がかかってしまった。

「夜はどうしてるの? やっぱり頻繁に愛し合った方が良い?」
 声を潜めつつ、いたって真面目な顔でそう問うてくる友人には、なんと答えるべきか迷った。
 愛し合う。その言葉が示すところは心の疎通だけでないと、さすがにこの私でも分かる。
「コミュニケーションが大事だっていうでしょ? でも毎日そんなことしてたらさすがにマンネリになっちゃうだろうし」
 どう思う? と問われ、頭を抱えそうになった。正直、それについて私はこれまで悩んだことはなかったからだ。
 というのも、私はそのほとんどをロウに任せている。行為そのものの主導権も、回数も頻度も、タイミングも全部ロウに丸投げしている。
 だからといって、ただされるがままになっているわけではない。気分でない時はそうだとはっきり告げるし、逆にそういう気分の時はそういう雰囲気になるようにそれとなく迫ってみたりもする。そうした夜はごくまれではあるけれど、その時のロウは大喜びで応えてくれる。
 ロウは多分、そういうことをするのが好きなのだと思う。いや、これは男性であれば基本はそうなのだろうか。友人の恋人がどうなのかは分からないので断言はできないが。
 行為が好きだとはいえ、別にロウは毎日迫ってくるわけではない。確かにそれに近い時期はあったものの、今は違う。むしろ一緒にいる時間の多い今の方が頻度は減ったようにも思う。
 それはきっと、行為以外にもコミュニケーションを取れる方法や機会が増えたからなのだろう。コミュニケーションというのは会話や行為だけじゃない。たとえ会話がなくとも同じ空間にいるだけで満たされることもあるのだから、大事なのは互いの気持ちとそれが通じ合っているかどうかだと思う。
 ふと思い出したことがあった。それは少し前、ベッドの上でじゃれ合っていてそういう流れになった夜のことだ。
 ロウは私の唇にキスをしたと思うと、今度は頬に口づけてきた。それだけじゃない。次はこめかみ、その次は額、耳、首筋と、ありとあらゆるところに優しいキスを落としては、都度くすぐったがる私を見て微笑んだ。
「かわいい」
 もう何度言われたか分からない。一般的に見てそうじゃないことは自分でもよく分かっているけれど、ロウにそう言われるたびなんだか魔法にかけられたかのようになって、ついつい嬉しくなってしまう自分がいる。違うと言い聞かせつつも、ロウがそう思ってくれるならいいかな、なんて思って、またもや始まるキスと賛辞の猛襲にその夜の私はすっかり蕩かされてしまったのだった。
 行為が終わった後で、私は毛布にくるまりながらロウに訊ねた。
「ロウは、その……ちゃんと気持ちいいの?」
 へ? と間の抜けた声を出して、ロウはぽかんとした表情を見せる。
「だってなんか心配で……私ばっかり気持ちよくしてもらってるんじゃないかって」
「へえ、気持ちいいのか」
 ロウがにやにやと笑うものだから、その鼻先を指で摘まんでやった。
「こっちは真面目に聞いてるの。私はよくてロウはよくないとか、そういうのは嫌だから」
 貸し借りの問題とか、そういうことではない。二人でする行為である以上、片方だけが満たされるなんてそんなこと、私は嫌だった。
 でもそれは客観的に確かめようがない。ロウにこうして直接訊ねる以外方法はないのだ。
「ねえ、ロウは気持ちいい? 正直に言って」
 そうして迫る私に、ロウはただ愉快そうに笑った。
「なんで笑うの」
「いや、なんかすげえこと聞いてくるなって」
 ロウはくつくつ笑った後で私を抱き寄せると、そのまま髪を優しく撫で始めた。そして柔らかい声で言う。
「気持ちいいに決まってんだろ。すぐ出ちまわねえように我慢してんだぜ、これでも」
 バカ、と言って私はその頭に手刀を振るう。
「そ、そうだけど、そうじゃなくて、」
「分かってる。満足してるかってことだろ。してる。俺の手でお前が喘いでんだぜ。しかもすげえかわいく。これ以上があるか」
 ロウは鼻を鳴らすが、そんなふうに言われるとひどく恥ずかしい。私は隠れるようにして、ロウの胸に顔を埋めた。
「俺からしたら、お前がよくなってるのが一番なんだよ。それが一番気持ちいいっつーか」
 まあそれじゃお前が納得しないんだろうけど、とロウはまた小さく笑った。
 ロウの言いたいことは理解できた。私もロウが快感に息を漏らすのがたまらなく好きだから。自分でロウがよくなっているのかと思うと、嬉しくて胸が熱くなる。そこからもたらされる快楽はいつも声にならないくらい、いいものだった。
「嘘じゃないって、信じていい?」
 私の言葉に、ロウは「いいぜ」と言った。
「でももし信じられないなら、信じられるまで付き合ってもらうしかねえな」
 え、と声を漏らした私にロウはふっと笑う。
「ま、待って、もしかして、」
「これはそういう流れだったろ?」
 決してそういうつもりはなかった。違う、と言いかけた声は、すぐに嬌声へと取って代わった。
 その後のことはこの胸に秘めておこう。ここでは思い出さない方がいい。また顔に熱が上ってしまう。
 それでも、私が何か友人にアドバイスできるとしたら。私はよく考えて、ゆっくり口を開いた。
「不安に思ってること、迷ってることも含めて、相手と話し合ってみたらどうかな」
 思っていることは、思っている以上に相手には伝わっていない。不安も迷いも、察してほしいと願うだけではだめだ。
「言いづらいこともあるだろうけど、そういうことほど話し合った方がいいと思うよ。これからもずっと一緒に居たいなら、なおさら」
 私の言葉に、友人は大きく頷いた。
「そうだね。それが本当のコミュニケーションってやつかもね」
 アドバイスありがと! と友人は満足そうに笑った。どうやら私はそれらしいことを言えたらしい。
 家に帰る道すがら、私はぼんやり考えた。友人たちが見ている私たちは、あくまで今の私たちなのだ。
 たとえ今日まで仲が良くても明日には分からない。今まで気に留めなかったようなことでケンカになるかもしれないし、あるいは互いの新たな一面を知ることになるかもしれない。ロウが切った果物の形が気になり始めるかもしれないし、私の料理の味付けに飽きたと言われるかもしれない。
 それでもひとつ、確信していることがある。
 家に着くと、中から「おかえり」と声が聞こえた。そこにはキッチンで保存庫を覗くロウの姿があった。
「ただいま。今日は早かったんだね」
「おう。だから、たまには俺が夕飯でも作ってやろうかと思って」
「いいの?」
「任せとけって。その代わり、何出しても文句言うなよ」
 言わないよ、と言って私はその背に抱きついた。広くて温かい、ロウの背中に。
 私の確信。
 ロウは私を裏切らない。朝になれば食事を用意してくれるし、私の作ったものを美味しいと言って食べてくれる。街で見かけた甘いものの情報も教えてくれるし、夜は私を抱き締めて眠ってくれる。それはきっと明日も明後日も、その先もずっと続く。
 私たちが一緒にいられる理由はそれだけ。逆に言えば、それだけでいいのだ。
 相手を裏切らない。それがすべて。
「そういや、ドーナツ買ってきたぜ」
「えっ」
「我慢するって言ってたけど、やっぱ食いたいだろ?」
 ドーナツの入った箱をこれ見よがしに見せつけるロウは、胸を張って誇らしげだった。さながら投げたボールをくわえて取ってきた犬のように。
 私は心の中でため息を吐きながらも、「ありがとう」と言って笑った。これは裏切りじゃない。いわゆるサプライズの類だ。
 そうして私は箱の中身を一つ手に取る。甘くて丸くてふわふわのそれはまさに、幸せの形をしていると思った。

終わり