行為を終えた後でふと、
「腹減った」
ロウが言った。
ベッドを軋ませ立ち上がったロウが、下の服だけを身につけて寝室を出て行く。
その様子を目だけで追いながら、私はシーツの海に身を委ねていた。まだ下半身が、全身が怠い。靄が掛かったような思考のまま、ぼんやり宙を見つめていた。
遠くで保存庫の扉を開け閉めするような音がする。続く、かさかさと紙の擦れるような音。ロウが思わず「甘っ」と零す声も聞こえた。
「それ!」
私は思わず起き上がると、すぐさま声を上げた。
「私のシュークリーム!」
壁一枚を隔てたリビングにもその声は届いたらしい。一瞬の沈黙の後で遠慮のない足音が近づき、と思うと寝室のドアのところにロウが立っていた。
その手の中には薄紙に包まれたシュークリームの無残な姿。食い破られた薄皮の間から、黄金色のカスタードクリームが覗いている。
「ちょっと! 勝手に食べないでよ!」
「なんだよ、5つもあったろ」
ロウはシュークリームの端をまたひとかじりして、無遠慮に言った。
「そうだけどそうじゃないの! 私が許可を出すまでは、それは私のものなの!」
私がお金を出して買ってきたのだから当然だ。たとえ後々ロウと分けることになろうと、それは私がそういう意思を示すまでは許されない。
私が口を尖らせると、ロウは小さく笑った。
「悪かったよ。今度また代わりの買ってきてやるから」
それも違う、と言おうとしたところで、ベッドがぎしりと軋んだ。縁に腰かけたロウが、既に半分ほどになったシュークリームを差し出していた。
「ほら」
あたかも自分のもののようにロウは言った。
だからそれは私のなんだってば。目線で訴えても、ロウは気にも留めない。
「ほら、早くしねえと」
ロウが落とした視線の先で、黄金のクリームが今にも溢れかけていた。私は咄嗟に口を開けそれに食らいつき、決壊を阻もうとする。
だがひと足遅かった。溢れ出たクリームは私の口端を逃れ、喉の先から胸元へと滑り落ちていく。
かろうじて差し出した右手がクリームを受け止め、シーツは汚さずに済んだ。代わりに私の上半身はどろどろだ。甘ったるい匂いが私をまるごと包み込む。
「あーあ、言わんこっちゃねえ」
そう言うと、ロウは残りのシュークリームをほんの2、3口で平らげてしまった。ほとんど残っていなかったとはいえ、美味しいと街で評判のシュークリームなのだ。もう少し味わって食べるとかできなかったのだろうか。
そんなことを考えている場合じゃない。何か拭くものを、と周囲を見回そうとしたところで、強く腕を掴まれた。と同時に感じる、ぬるりとした感触。
ロウが、私の右手に舌を這わせていた。正しくは、私の右手にこぼれたクリームに。
「な、なにしてるの!」
「何って、掃除」
さも当然のように言い、ロウはなおも舌を動かす。手のひらから指先、その間まで丁寧に、丹念に舌を這わせていく。
「や、やだ……」
私はそう零すが、ロウは視線を一瞬寄越しただけだった。あとはもうただひたすらに私の指を舐るだけ。
ただの指なのに、いつもロウに触れている部分のはずなのに、全然違った。体の一部であることは間違いないけれど、まるで胸の突起や秘部に触れられているみたいだった。
ぞくぞくと背中に痺れが走る。いまにも声が漏れてしまいそうだ。でも、いけない。指を舐められて嬌声を上げるなんてそんな恥ずかしい姿、晒したくない。
そうこうしているうち、いつの間にかロウの目標は手から私の胸元に移っていた。こちらの腕はしっかりと拘束したまま、谷間に落ちたクリームを熱い舌が掬い取っていく。
それは徐々に、下から上へ。体温で溶けたクリームの軌跡を追うように、舌はじりじりと鎖骨へと上っていった。
「っ、あんっ、」
と思うと胸の突起を吸われる。視線を投げると、ロウは目だけで笑っていた。
それを見て私はまた少し唇を尖らせる。もう、まるで寄り道するみたいに弄ばないでほしい。
掴まれた手首をそのままベッドに縫い留められた時、そこで初めて私は、自分はこれからロウに食べられてしまうのだと悟った。
さっきまでロウはお腹が空いたと言ってシュークリームを食べていたのに。その前だって、散々私のことを食べたはずなのに。
それなのに、ロウはまた私を食べてしまうらしい。さっきと違うのは、私がほんの事故でカスタードクリームを纏ってしまったということだ。
ふと今朝の出来事を思い出す。私はいつもより少し早起きをして、街に出かけていた。人気のシュークリームを買うためだ。
開店前の店に並んでいると、たまたま友人たちに出くわした。彼女たちも同じ目的のようで、それなら一緒に待とうということになった。
途端におしゃべりが始まる。年頃の女子が4人も集まればそうなるのは必然とも言えた。ちょっと騒がしいかなと周りの様子を気にしつつも、私もその輪に加わった。
話題は様々だった。宮殿内の噂話や、巷で流行の新しいお店など、次から次へと出てくる。ほとんど毎日顔を合わせているはずなのに、これだけ話が尽きないのはもはや感心してしまうほどだ。
その中で話題が恋愛の話に切り替わった。この世代の女子はそういった話が大好きなのだ。
「リンウェルは彼氏と上手くいってる?」
突然話を振られ、私は面食らった。
「う、うん、まあ」
「そうなんだ、良かった。リンウェルってば、自分のそういう話あまりしないから」
そうだったかな、と思いつつ、私は笑みを作る。
そうして投げかけられた次の質問には、一瞬顔がこわばるのを感じた。
「何考えてるんだ」
ベッド横の引き出しから避妊具を取り出してきて、ロウが言った。
「何って、何?」
「いや、今笑ってたろ」
言われて初めて気が付いた。どうやら私は笑っていたらしい。
「別に大したことじゃないんだけどね。今朝、友達と話したこと思い出したの」
ごろりとロウの方に寝返りを打ち、その顔を見上げながら軽くいきさつを話した。
「それで、彼氏とはどこまでいってるのって聞かれたから」
「お前はなんて?」
「『まだキスだけだよ』って」
それを聞いて、ロウは「すげえ嘘」と笑った。
だって、他にどう答えればいいのか分からなかった。付き合って3か月の彼氏とはいたって順調で、彼氏が泊まりに来る日はベッドにいる時間の方が長いんだよ、とでも言えば良かったのだろうか。
それでなくとも、どうも私は友人たちにちょっと勘違いされている節がある。そういうことには疎くて、ロウと付き合うのにもなかなか一歩が踏み出せなかったと思われているのだ。どちらかというと踏み出せなかったのは私ではなく、ロウの方なのに。
そういうイメージを急激に崩すわけにもいかず、咄嗟に出た答えが『まだキスだけ』だった。自分でも思う。とんでもない嘘だ。
用意ができたと言わんばかりに、ロウが仰向けになった。その身体に跨りながら、私はロウにキスをする。
「本当はこんなことしてんのにな」
からかうロウをよそに、私は身体にロウの一部を埋めていった。互いに吐息が漏れる。この瞬間がいつもたまらない。
指先同士を絡ませながら腰を揺すると、全身にびりびりと痺れが走るようだった。甘くて鈍くて、とろりと重さをもった痺れ。
そこに突如鋭い刺激が訪れる。ロウが私の胸の突起を弾いた。
「あっ、ああんっ」
腰から崩れ落ちると、今度はロウの番だった。下から何度も突き上げられ、そのたびに私はあられもない声を上げた。
繋がったまま膝を持ち上げられる。私の両脚を抱え込んで、ロウが言った。
「俺には嘘つくなよ」
意地の悪い笑みは、ロウにまだまだ余裕があることを示している。
ロウは腰を打ち付けながら、私の腹のあたりに触れた。その手はやがて下へ下へと降りていき、茂みの中を探り始める。
「やっ、やだ、まって、そこ、っ」
ロウの指が陰核に触れ、私は軽く悲鳴を上げた。自分のナカがきゅうっとロウを締め付けるのが分かる。同時に溢れ出た愛液でシーツが汚れた。
「やあっ、やっ、あっ、やだ、ああんっ、」
「やだ、じゃねえだろ。嘘つくなって」
ほら、と今度は胸の突起を強く吸われ、私の背中は木の枝のようにしなった。ひっきりなしに上がる嬌声をロウの唇が奪っていく。
少し角度を変えられただけでも駄目だった。感じすぎて、自分の身体が自分じゃないみたいで怖くなる。これ以上はいけないと私の中の誰かが叫んでいる。
「あっ、だめっ、やあっ、ああんっあっ、ああっ」
「だめじゃないだろ」
それなのに、ロウはそんなことを言う。
「ほら、本当のこと言えって」
ロウだって本当は分かっているのだ。「だめ」とか「いや」は私が吐く嘘じゃなく、行為中のちょっとした戯言であると。
いわば一種のスパイスのようなものだ。なくてもいいけれど、あるとちょっと美味しくなる。行為が盛り上がる。
でも今日はそれも必要ないらしい。とことん甘さ一辺倒で押し切るつもりのようだ。
「こういう時、なんて言うんだ」
優しくロウが囁いた。それでいてさっきよりもずっと余裕のない声。
それを聴いた途端、全部がどうでも良くなる。恥もプライドも、おそらくリビングに放置されっぱなしのシュークリームだって、一瞬でどうでも良くなった。
「いい……っ、き、もち、いい……っ」
素直に吐き出すと、そこから次々と快楽が溢れた。
「いい、そこ、っ、きもちいい……っ」
もっと、と強請ると、ロウは満足そうに笑った。背に回した腕が汗でぬるりと滑る。離すまいと腕に力を込めると、自然と距離が縮まった。
キスをしながら、私は心の中で笑った。そもそも、私たちに嘘なんか要らない。互いにこんな姿まで晒しておいて、いまさら何を覆い隠すというのだろう。
そんな薄皮一枚、すぐに食い破ってしまう。それほどには私たちは相手に餓えている。この嗄れかけた喉がその証拠だ。
「また別のこと考えてるな」
拗ねたような声でロウが言った。と思うと、脚を大きく開かされる。
「やっ、ちが、」
「覚悟しろよ」
もうむり、と首を振った主張も、どうやら嘘と取られたらしかった。
終わり