晴れた空、白い雲。
「はあ……」
それに似つかわしくないため息が零れるのは、この見るからに情けない格好のせいだ。
上着は泥にまみれ、顔にも腕にもあちこちに土が纏って時折出る咳には土埃が混じっている。お気に入りのブーツは水分を吸って重たくなり、背後に続く道に見事なまでの足跡を残していた。
ヴィスキントまではもうすぐだが、この格好で街中に入らなければならないのかと思うと酷く心苦しい。できるだけ早く部屋に戻ってすぐにシャワーを浴びたい。逸る気持ちはリンウェルを自然と急がせ、歩幅を少しばかり大きくさせる。
視界の端に映ったのは隣を歩くロウの姿だった。自分同様、いやそれ以上に服を汚して藤色の上衣はすっかり渋い褐色へと染まっている。お気に入りの銀の狼を泥まみれにしてしまえば、背中を丸めて歩きたくもなるだろう。
事の発端は、ほんの数分前に遡る。
リンウェルは以前から目を付けていた遺跡に今朝早くからロウと二人で探索に向かっていた。遺跡の調査自体は何事もなく終えることができたのだが、その帰り道に悲劇は起きた。二人で談笑を繰り広げながら道を歩いている途中で、リンウェルは石に躓きバランスを崩すと、地面にぽっかりとあいた大穴に落っこちてしまったのだ。さらにそれを追ったロウも巻き添えになり、被害は単純に二倍になった。無事だったのは陽だまりに誘われて空を散歩していたフルルだけで、人間二人はこの爽やかな陽気とはまるで正反対の様相となってしまった。帰宅するまでが遺跡探索であるとは言ったものだが、まさか自分の身にこんなことが起こるとは思いもしなかった。
「ツイてない……」
リンウェルはまた一つ小さなため息をついて、隣を歩くロウへと視線を送る。今や元の色がわからないほど汚れたその上衣の裾からは泥水が無情に滴っていた。
「ていうかなんでロウも落ちてきたの? ただ服が汚れただけじゃん」
自分が穴に落ちたのは紛れもなく自身の不注意によるものだ。そこに昨日まで降っていた雨でできた水たまりがあったことも、運が悪かったとしか言いようがない。
だが、自分に続いてロウまでもが落ちてきたことは率直に疑問でしかない。石に蹴躓いたのは自分の方だけで、ロウが穴に落ちる要素なんて一つもなかったのだ。穴の深さはそれなりだったとはいえ、一人で這いあがれないほどのものでもなかった。寧ろロウが上にいて引き上げてくれた方がより早く脱出できたはずだ。
「いや、それはお前を……」
「お前を、何?」
「か、庇おうとしたっていうか」
「庇って、なんて言ってないでしょ」
歯切れ悪く答えるロウに、リンウェルはぴしゃりと言い放った。
ロウはいつもそうだ。何かあればすぐにこちらを心配し、様子を窺ってくる。それだけならいいのだが、ときどき身を挺してまで私を守ろうとする節がある。
皆で旅をしているときは集団戦になることも多く、後方から攻撃をする際には確かにそういったサポートは不可欠だった。
だが今はそうではない。ましてやズーグルと戦っているわけでもなく、ただ穴に落ちただけの私を自分が犠牲になってまで守ろうとする必要なんてどこにもない。
「ロウは過保護なんだよ」
私だって旅の中で成長してきた。体力もついたし、身体もそこそこ丈夫になった。穴に落ちて怪我をしても、そうひどくもならないだろう。
「そんな言い方はねえだろ」
「だってロウが落ちてこなきゃ、その服は汚れなかったんだよ」
だからといって帰り道が短くなるとか、そういった得はなにもないのだが、少なくともロウまで気落ちすることはなかったはずだ。
「勝手に落ちてこられて気分悪くされても困る」
自分の虫の居所が悪いことは自覚していた。
だがそれを抑えきれずに放った言葉の鋭さは想定以上だったらしい。
「……なんだよそれ」
声色を変えたロウが立ち止まる。
「俺は、お前のことが心配で……!」
「それが過保護だって言ってるの!」
張り上げた声が昼下がりの山道に響く。
そう声を大きくされてはますます苛立ちが募っていくばかりで、ついムキになって言葉をぶつけてしまう。売り言葉に買い言葉だとはわかってはいたが、止めようにも冷静さなどとうに失ってしまっていた。
「お前危なっかしいんだよ!」
「それはロウには関係ないじゃん! 怪我もしてないのに大げさなの!」
何よりロウのその言いぐさが気に入らない。お前が、などと言われてしまっては、まるでこちらに非があるように感じられる。
助けて、守って、なんて言ってない。勝手に行動したのはロウの方なのに。
「なんでそんなに私のこと気に掛けるの? それでロウが怪我したら……」
「お前が好きだからだろ!」
突然投げつけられた言葉は、受け止める僅かな隙もなかった。
「……え?」
「……あ?」
一瞬の沈黙はすぐさま顔にのぼる熱となる。心臓の音が耳元に聞こえて、弾けた鼓動で頭が真っ白になった。
「~~っ、なっ、なんで」
「なんで今そういうこと言うのっ!」
震える唇でそう吐き出すのが精一杯だった。
やっちゃえ! なんてフルルをけしかけることもできず、リンウェルはロウに背を向けて走り出した。
ロウの言葉からほんの十数秒後の敵前逃亡であった。
◇
――なにが起きているんだろう。誰が誰を好きだって?
ヴィスキントの街を駆けるリンウェルの頭では、先ほどのロウの言葉が何度も再生されていた。
『お前が好きだからだろ!』
聞き間違いかと思ったその言葉は、直後のロウの表情で紛れもない本心なのだとわかった。わかってしまった。
――なんで、どうして。
ただ浮かぶのは疑問符とあの時のロウの顔で、今にも沸騰しそうな頭ではそれ以上のことを考えられる余裕はなかった。道行く人の視線を集めてしまっていることにも気づいてはいたが、もうこの足を止めることは出来ない。逃げなくては、遠くへ。
夢中になって走った先に見えたのは、街から少し外れたところにある一軒家だ。
はじめからここに来ようと思って走っていたわけではない。ほとんど無意識のうちに足がこちらへと向き、気が付いたら辿り着いていた。
リンウェルが呼び鈴を鳴らすと、すぐに中から声がした。それだけでも随分と救われた気持ちになる。
「はーい、……って、リンウェル!? どうしたの、その恰好!」
ドアを開けたのはシオンで、その奥には驚いた様子でこちらを窺うアルフェンの姿もあった。
「……シオン……」
その名を口にすると安心感からか、あるいは自分の情けなさからかひどく泣きそうになった。
込み上げてくる涙を必死にこらえ顔を上げることもできない自分に、シオンは優しい口調で言った。
「まずはシャワーを浴びましょう。着替えなら貸すから。服も洗うわね」
頷くのがやっとで、渡されたタオルの柔らかさが心を包んだ。
シャワーを浴びて汚れを落とすと、気持ちもいくらか落ち着いた。
「大丈夫? ココアで良かったかしら」
リビングの中央にあるテーブルには、湯気の立つマグが二つ用意されていた。その端ではフルルが小皿に入ったミルクをつついていて、こちらに気付くと嬉しそうに声を上げた。
「ありがとう、ごめんね急に」
「いいのよ。さあ、座って」
シオンに促されダイニングチェアに着くと、ココアの甘い香りが漂ってきた。それをゆっくりと身体に流し込みほっと息をつく。ふと辺りを見回すと、先ほどまでいたはずのアルフェンの姿がどこにも無い。
「アルフェンにはちょっと買出しに出てもらったわ」
シオンはこちらに何かあったことを僅かの間に察したようだ。こういった気遣いができるシオンには本当に憧れるし、頭が上がらない。
「それで、何があったの?」
リンウェルは今日起こったことをシオンに話した。
ロウと遺跡探索に行ったこと、その帰りで穴に落ちたこと。
ロウとケンカになったこと、そしてその後言われたことも包み隠さず、ありのままに伝えた。
「私、びっくりしちゃって……それで、逃げちゃったの」
「なるほどね……」
話しているうちに再び頬に熱が込み上げてくるのを感じる。リンウェルはそれを手のひらで鎮めようとしてみるが、その温度はマグの中のココアよりもずっと高いように感じられた。
青天の霹靂だったのだ。ロウにあの時、あんなことを言われるなんて思ってもみなかった。思い出すたびに心臓が爆発してしまいそうになるし、これからしばらく忘れることも出来そうにない。
それなのに話を聞いたシオンは驚く様子も見せず、いたって冷静だった。
寧ろ呆れたように小さなため息をついて、「ロウらしいわね……」などと呟いている。
「……もしかしてシオン、気づいてた?」
「ええ……まあなんとなく、そうじゃないかとは思っていたわ」
まさか、と息を呑んでリンウェルは目を大きく見開く。
「おそらくアルフェンも、他の皆もそうでしょうね」
「うそ……」
ということは、知らなかったのは自分だけということだろうか。
先ほど立ち上った熱に続いて、また少し違った気恥ずかしさが込み上げてくる。
仲間たちにそういった視線を向けられていたことも、それに気づかずにいた自分の鈍さにも顔が焼けるような思いだ。
「寧ろあなたには何の心当たりもないの? ロウがあなたを想い続けていたことに」
「えっ……」
心当たり、と言われてリンウェルは一瞬戸惑った。
そんなものはない、と思い込んでいたが果たして本当にそうだろうか。
思い返してみれば、ロウはいつもそばにいた。
買い物に行きたいと言えば付き合ってくれるし、ご飯に誘ってくれることも多い。
今日のように突然遺跡探索に行きたいと言っても、小言を言いながらも付いてきてくれた。
ロウは親切だな、と思ったことはあっても、その理由までは考えたことは無かった。
あれらが単なる親切ではなく、自分だけに向けられた親愛の情だったとしたら――。
また一層鼓動が大きくなるのを感じて、リンウェルは唇をぎゅっと絞る。
ならば一体いつから、そんな想いを抱えていたというのだろう。
「……私、酷いこと言っちゃった」
過保護だとか大げさだとか、ロウの気持ちを軽んじていた。
好きという言葉だって、ロウが今まで内に秘めていたものだったのに「そんなこと」だなんて吐き捨ててしまった。気づいていなかったとはいえ随分な言い草だ。流石に嫌われてしまったかもしれない。
そう思うと自然と心は痛んだ。恋愛感情云々よりも、ロウに軽蔑されてしまうことの方が怖かった。
「謝らないと。それから……」
答えを出さないと――。
恋人になってくれだとかそういったことを言われたわけではないが、ロウの気持ちを知ってしまった以上聞かなかったことにはできない。
「そうね。でも難しく考えすぎる必要もないわ。自分の素直な気持ちを伝えたらいいのよ」
「素直な、気持ち……」
自分の中でぼんやりと浮かぶそれの輪郭はいまだはっきりしない。
どんな形で、どんなふうに伝えようかと懸命に考えてみるものの、その自分の姿さえ思い浮かばないのだ。
そんなもどかしさを押し流すようにリンウェルがマグの残りを一気に流し込むと、呼び鈴が鳴った。街へと出ていたアルフェンが帰ってきたようだった。
◇
「……マジか……」
誰にも聞こえないであろう独り言は街の喧騒に掻き消される。
そのまま自分も消えてしまいたい、なんて考えは多少大げさではあるが、それくらいにロウの気分は落ち込んでしまっていた。ずるずると身体を引き摺るようにして街を歩いてみれば、通りがかった店のガラスにはひどくしょぼくれた男の姿が映っている。
こんなはずではなかった。少なくとも、こんなタイミングで言うつもりはなかった。
口にした言葉に嘘偽りはない。だからといって後悔が無いわけでもない。
もっとこう、場所とか雰囲気とか、いろいろあったはずなのだ。
いつか告げるつもりだったとはいえ、あんな口喧嘩の最中に吐き捨てるものではなかったことくらい自分が一番よくわかっている。わかっているからこそ悔やまれる。
何故あんなときに口を滑らせてしまったのか、自分の軽率さに頭を抱えるばかりだ。
宿に戻るとロウはすぐさまシャワーを借りた。この沈んだ気持ちを一旦リセットしたかったのだ。
だが頭から水を被ってみても、身体を隅々まで洗っても、服の汚れを落としても、心にかかった靄はさっぱり晴れそうにない。寧ろ上手く言葉に出来なかったあの時の自分の怨念が、どす黒い何かを纏って心の中をぐるぐると徘徊し始める始末だ。
自棄になって好きなだけ美味いものを食べたい気もしたが、服は洗濯の最中で他に外に出られるようなものは持っていない。そうなれば行きつく先はたった一つ、今夜の寝床である。
ロウが今日借りたのはこの宿屋で一番安い部屋だった。狭い部屋の半分以上をベッドが占めていて、それ以外にあるものといえば窓に掛けられた質素なカーテンくらいのものだ。
身体をぞんざいに投げ出すと古びたベッドは小さく悲鳴を上げた。柔らかくもないシーツの上でロウはゆっくり目を閉じる。
期待したのはそのまま意識を手放すことだったのだが、込み上げてきたのは残念ながら眠気などではなかった。
あの時の光景、リンウェルの表情。大きな目をこれでもかというほど見開いて、声にならない声を上げていた。
――そうだよな、そういう反応になるよな。
自分の方こそ用意が出来ていなかったのだ、リンウェルが驚くのも無理はない。
いつまでも訪れない睡魔には嫌気が差した。
ならば消耗したこの体をもっと疲弊させてやろうと、ロウは床に這いつくばって腕を立てる。
何が失敗だ、何が失態だ。そんなの疲れて寝りゃあすぐに忘れる、今までもそうしてきただろう。
がむしゃらに体を動かし、頭の中で数字を数えていれば余計な事を考えずに済む、はずだった。
「だあああぁーっ!」
――全っ然忘れらんねえ!
目を開けたって閉じたって浮かんでくるほんの数時間前のあの光景は、忘れたいと思えば思うほど鮮明に焼き付いて離れない。
悔やんでいることはたくさんある。言葉、言い方、タイミング。どれを取ってもマイナスでしかないそれらは、一本一本が長い釘となって心に深く突き刺さっている。
だがそんなことより何より一番惜しまれるのは、自分の中に積もり積もったこの気持ち全部を伝えられなかったということだ。
一体どれくらい想ってきたと思う。
時間も回数もその強さの証明にはならないと知っているが、少なくとも自分が秘めてきたリンウェルへの想いはあんな言葉一つで到底表しきれるものではない。
いつかは打ち明けるつもりでいた。今は自分の中で複雑に絡まったそれを解きほぐし、自分なりの形に編み上げるはずだった。
あんなぐちゃぐちゃの毛糸玉を投げつけるみたいに渡すつもりはなかったのに。
自分が抱えてきた想いの数分の一、数十分の一さえ伝えきれずに終わってしまったことが悔しくてならない。
「うるせえぞ!」
隣から壁を強く叩く音とともに聞こえてきた声は、明らかに自分へと向けられたものだ。
声を荒げたい気持ちをぐっと飲み込み、ロウは歯を食いしばる。
小さな舌打ちは自分にしか聞こえない。
全ての元凶は己の未熟さ、軽率さ、堪え性のなさ。自業自得と言えばそうなのかもしれない。
リンウェルの言う通りだ。
守りたいという気持ちばかりが先行して、結局自分にもリンウェルにも身にならない結果となってしまった。
それに落ち込んでリンウェルまで巻き込んで、痛いところを突かれてカッとなって余計なことばかり言って――。
これでは子供と何も変わらない。いや、素直さがある分そっちの方がだいぶマシだ。
「俺ほんと、ダセーなあ……」
天井に投げかけたはずの言葉は重たく床へと転がっていく。
やがて静まり返った部屋には、外の喧騒だけが届くようになっていた。
◇
翌日、ロウは朝食を摂ろうと宿を出た。
苦しみながらもようやく辿り着いた夢の底は傷を癒してくれるほど深くはなく、かといって全て流してしまえるほど浅くもなかった。
目が覚めてみて残ったものといえばかさぶたには程遠い何かと、食いっぱぐれた夕食の恨みを訴える腹の虫だ。
前者には何の施しようもないがせめて後者くらいは解消してやらねばなるまい。
昨日叶わなかった贅沢三昧の食事を楽しむべく、市場へと続く路地の角を曲がった時だった。
「ちょっと、」
ぐんと腕を引かれた先の小路にいたのはあまりにも見覚えのありすぎる人物だ。主に昨日脳内を占拠していた張本人である。
「え、おま、なんでここに」
「アルフェンが、昨日そこに入っていくロウを見たっていうから」
リンウェルがしゃくった先には昨晩の安宿がある。なるほど、第三者に目撃されていたらしい。
そこにアルフェンという名前が出たことは想定外だったが、昨日のあの自分の姿を見られていたと思うといたたまれない。
服をどろどろにしていただけでなく、べっこべこに打ちひしがれた歩き様にとても声を掛けられなかったのだろう。
「……少し話したいの。今、時間ある?」
急ぎの用はない。朝食を摂りに行く以外には午後から宮殿に仕事の確認をしに行く程度だ。
だが頭の中では警報が鳴り響いている。これ以上はいけない――駄目だ、フラれる。
「……朝飯食ってねえし、また後にしてくれよ」
目も合わせられずに背を向けると、そこへ聞き捨てならない台詞が聞こえてきた。
「……逃げるんだ」
「なっ……!」
手痛い指摘は昨日受けたものとよく似ていた。なまじ自覚があるだけにさらりとかわすこともできない。
「に、逃げたのはお前だろ!」
ついムキになって放った言葉は自分を棚に上げるというなかなかに最低の選択だ。反省したのも昨日の今日だというのに早くも脊髄反射の自分を呪う。
「急に好きとか言われてもわかんないよ! どうしたらいいかわかんない!」
そこへ突然刺さった言葉のナイフはロウのまだ塞がっていない傷をぐりぐりと抉った。
次いで激しくなる心臓の動きに合わせてそこから生温かいものが溢れだしてくる始末。その止め方を残念ながら自分は知らない。
「シオンに言われて、考えてみたの」
シオン、という名前と先ほどのアルフェンという名前がようやく繋がった。昨日リンウェルが駆けこんだ先は二人の家だったらしい。
だがアルフェンに情けない姿を見られてしまったとか、二人に事情を知られてしまったとか、そんなことは今はどうでもよかった。
悪い予感は収まらない。誰か時間を止めてくれ。
「私が……私とロウが、こ、恋人になるとか、考えられない。想像つかないの」
願いもむなしく放たれたその言葉にさあっと腹が冷えていくような感覚がした。
先ほど流れていたはずの生温かいものは急激に温度を下げて全身を駆け巡り始める。情けなくも震えてしまいそうな体を繋ぎ留めておくことで必死だ。――そうか、これが失恋ってやつなのか。
「でも」
ガツンと殴られたような感覚で揺らいでいた頭がリンウェルの声によって現実に引き戻される。
その時、今日初めてまともにリンウェルの顔を見ることができた。目に映ったリンウェルは今この瞬間も必死で考えをめぐらせ、丁寧に言葉を選んでいるようだった。
「ロウと気まずくもなりたくない。それに、」
一瞬口端を引き絞って、その後で意を決したようにリンウェルは口にする。
「……ロウが他の子に同じことをするのも嫌なの」
そう吐き出したリンウェルは自分の言葉の意味を充分理解しているようだった。
だからこそ、こんなふうに湯気を立てそうなほどに顔を赤くしているのだろう。
「私、昨日酷いこと言った。ロウは過保護だとか大げさだとか。好きだって言ってくれたのに、それも投げ出しちゃって……」
本当にごめん、と頭を下げたリンウェルは続けて言葉をぽつぽつと並べ始める。
「ロウと、つ、付き合いたいのかとか、そういうのはわかんないんだけど、一緒にいて楽しい……とは思うの」
「だけど私とロウが、シオンとアルフェン……みたいになるの? って考えたら、全然ピンとこないし……っ」
「だからといってロウが……誰かと一緒に歩いてたらなんかヤだな、って……ああもうわかんない!」
一言紡ぐたびに表情をころころと変えるリンウェルはいまだ混乱のさなかにいた。
表情だけではない、顔色を赤くしたり青くしたり風に吹かれる旗のごとく変化させ、両の指先は絡めたりくるくると回してみたりと実に落ち着かない。
本人はいたって真面目なのだろう、それは痛いほど伝わってくる。だがこの見ていて飽きない感じ、――言ってしまえばかなり可笑しい。
「私って、ロウのことが好きなの!?」
ついにはそう迫られて、こらえきれずロウは吹き出してしまった。
「な、なんで笑うの!」
「お前、それ俺に聞いてどうすんだよ!」
必死にこちらに問いかけるその表情が可笑しい。真剣であるからこそ余計に。
「俺がそうだって言ってお前納得すんのか?」
そう言えばリンウェルはうっと喉を鳴らして口ごもった。
そうして首を縦に振ってもらえるならこちらとしては願ってもないことだが、それで叶った恋に価値などない。
「いいんだ。今はお前の気持ちが聞けただけで充分だぜ」
息をつくとそれまで自分の中で澱んでいたものが一気に抜け出ていくような感覚がした。
表面上はフラれたことになるのかもしれないが、気分はこの上なく清々しい。
リンウェルがここまで悩んでくれたこと、考えてくれたことが何より嬉しかった。
落ち着いてくると急に空腹を感じる。そういえば朝食を摂りに行く途中だった。
「お前も朝飯行くか?」
「え? えーと……」
リンウェルは明らかに戸惑っていた。
それもそうだ、その奥にある本心を知ってしまったのだから。
でも、それでいい。これからは正々堂々といってやる。
「お前と、二人で、行きたいんだけど」
敢えて強調するように言ってやれば再びリンウェルの顔から湯気が立ち上る。なるほど、自分にはこちらの方が近道だったのかもしれない。
――覚悟しとけよ。
隣のリンウェルには聞こえないくらいの声で呟いて、ロウは賑やかな声の溢れる街の方へと足を向けた。ようやく立つことのできたスタートラインから新たな一歩を今踏み出したのだ。
終わり