大学生パロ。新年を一緒に過ごすロウリンの話。(約5,100字)

16.こたつ、餅、時計

 部屋に入って真っ先にこたつのスイッチを入れる。
 脱いだコートからは外の、冷たい冬の匂いがしていた。枯れた草のような、干からびた土のような乾いた匂い。
「うう~、さぶい~」
 一足遅れて入ってきたリンウェルからコートを受け取り、自分のと一緒にハンガーに掛ける。それらをその辺のフックに引っ掛け、洗面所で手洗いうがいを済ませると、ようやくオアシスのごときこたつへと辿り着いた。
 新年早々出かけたのは、初詣のためだった。元日特有のどことなく浮いた気分に当てられたのか、俺もリンウェルも早朝に目が覚めてしまった。
 せっかくだから、と初詣を提案したのはリンウェルだった。それでもあまり混むのは疲れるからと、目的地は近場の神社にした。
 ところが人間というものは考えが似るもので、大して広くもないその神社にはすでに人で溢れていた。いつもは通りがかっても誰もいないことがほとんどなのに、今日という日だけはずらりと人が列どころか波となって連なっていた。
 正直引き返したい気持ちもあったがここまで来て帰るのは癪だ。とりあえず最低限のことは済ませようと覚悟を決めて列に並んだ。人の波は思ったよりスムーズに進んだが、それでもそれなりに待ったと思う。ようやく先頭に並び立ち、賽銭箱の前で手を合わせた俺たちは、その後どこへも寄り道せず真っすぐ帰路についたのだった。
 部屋を出てから半日と経っていないのに疲労はどっと押し寄せる。足先から伝わってくるこたつの熱がそれをじんわり解していくようだった。ストーブもいいが、冬はやはりこたつに限る。こんなに便利なものを考えた人は天才であると同時に相当罪深い。ひとたび足を踏み入れれば最後、抜け出せなくなるようなものをこの世に生み出してしまうなんて。
 正面に腰を下ろしたリンウェルもぬくぬくと暖を取っていた。できるだけ上の方まで布団を引き上げ、全身でその熱を享受している。
「やっぱりこたつはいいね~早くあったまるし」
 手も入れちゃえ、と布団の隙間から差し込まれたリンウェルの手が不意に俺の足首に触れた。思わぬ冷たさに悲鳴を上げた俺を見て、リンウェルはけらけら声を上げて笑っていた。
「なんかあったかい飲み物でも淹れよっか。ココアでいい?」
 おう、なんでも、と俺が返事をすると、リンウェルは「わかった」と言って席を立った。
 なんとなくテレビをつけると、よくある正月の特番をやっていた。顔も名前も知らないお笑い芸人が漫才をしては、本物とも録音ともつかぬ笑い声が響いている。どのチャンネルにしたって似たようなことを繰り広げているのだろう。これが夜、あるいは明日までずっと続くのかと思うと番組表を確認する気にもなれなかった。
 正月は暇だ。幼い頃は大義名分を得て夜更かしができることに興奮していたが、この年になるともうそんなことはない。昨夜も年越しのカウントダウンだけは済ませ、その後気付いたように襲ってきた睡魔にろくに抗うこともせずベッドに入ったのだった。今となっては夜通し起きていることなんか特別でもなんでもなく、それこそご来光などレポートの提出期限や試験前日に嫌というほど見てきた。ありがたみなど感じなければもはや忌々しさの方が勝るというもので、不眠不休で鞭打った体に強すぎる朝日を浴びたかつての日のことがまざまざと思い出される。そんな日々が再び近づいているということも。月末に控える期末試験は目下のところの頭痛の種だ。
 結局自分にとって年末も正月も日常の延長でしかなかった。少しの間大学が休みになったり、街が騒がしくなったりするが、特別なことは何もない。何もないが――。
 テレビに視線を向けるふりをして、横目でキッチンに立つリンウェルを盗み見た。コンロにはケトルではなく小さい鍋が掛かっている。中身は見えないが、おそらく牛乳を温めているのだろう。時折鍋を揺らして底が焦げ付かないようにと注視する姿は、もはや寒くなってからはおなじみと言っていいほど何度も目の当たりにした光景だった。
 どうにも不思議だ。俺は同じくこれまで何度も思ったことを思う。どうしてリンウェルがここにいるんだろう。
 どうしてここにいるのが俺なんだろう。生まれも育ちも、通う大学も違うし、趣味や好物だってあまり重ならないのに。
 こうした疑問を持つようになったのは、友人の一人に言われた言葉がきっかけだった。そいつにはリンウェルと同じ大学に通う知人がいるらしい。
「友達から聞いたけど、リンウェルちゃんって大学でも結構人気あるみたいだぜ。クラスとかサークルにも狙ってる奴多いんだとか。確かに可愛いし気が利くし、いい子だもんな~。お前、いったいどんな手使って落としたんだよ? ったく、羨ましいな!」
 その場でこそ笑って誤魔化したが、俺は結構な衝撃を受けていた。リンウェルがそんなに人気を集めているなんてまったく知りもしなければ、気付いてもいなかった。
 考えてみればむしろモテない理由の方が見当たらなかった。恋人の贔屓目なしにしてもリンウェルは可愛いし、性格だって悪くない。おまけに人当たりまで良いのだからマイナス要素なんてどこにもなく、しいて言うならちょっと頭が良すぎるくらいのことだろう。
 そんな相手をどうやって落としたのかなんて聞かれても答えられない。俺たちはたまたまバイト先で出会って、たまたま気が合って付き合うようになっただけだった。
 いくつも偶然が重なった結果だった。リンウェルが俺のバイト先に新人として入ってきた日、ホール担当の女の子が急遽休むことになってしまった。本当なら彼女がリンウェルの指導係になるはずだったが、その日に同じ時間から出勤していた俺が担当することになった。他に適任がいなかったのだ。
 バイトを終える頃に降り出した雨も、ひとつきっかけをつくったのだろう。傘を持っていないという後輩を放っておくこともできず、俺はリンウェルを駅まで送った。それがいつしか当たり前になって、家まで送るようになって、バイトが休みの日にも外で会うようになって、その何度目かの帰り道で俺たちは初めてキスをした。柔らかい雨が降る夜の、傘の中だった。
 特別なことは何もない。劇的な展開もなかった。
 ただ俺たちは気が合って、話が合った。ただそれだけだったのだ。
 友人の話を聞いてからというもの、ふとした瞬間に疑問が浮かぶようになった。どうしてリンウェルと一緒にいるのが俺なのか。どうして俺が選ばれたのか。
 俺なんか釣り合わない、と卑屈になっているわけじゃない。付き合ってみてわかったことだが、意外とリンウェルは雑だし、わがままも言うし、寝起きも悪い。何かに夢中になっている時はテコでも動かないし、俺に対する扱いだって雑になる。こんな奴と上手くやっていけるのは、この世界で自分だけじゃないかと思うこともある。逆に言えば、俺はどうしてリンウェルを選んだのか。
 ただ不思議に思うのだ。出会ったことも、それから交際に発展したことも、今こうして正月から一緒に過ごしていることだって。
 偶然の積み重なりで今があるとすると、ひとつの条件でも欠けていればこの時間は存在しなかったわけだ。果たして最初の偶然はいつだったのか。大学生になった時? バイトを始めた時? あるいはもっと前、生まれた時からか。そんなことをいったらそれはこの世のすべてのものに当てはまるわけで、いよいよ俺たちの出会いは特別でないことになる。ならば何故、俺はリンウェルを特別な存在に感じるんだろう。これまで出会った友人やバイト先の人たちとはどこか違ったように感じるのはどうしてだろう。
 とはいえ別に確固たる答えが欲しいわけでもない。この「不思議だなあ」は、いわば空を見て「青いなあ」とか「晴れてるなあ」と思うのと同じ調子のもので、そこに真面目な返答などは望んでいない。おまけに「不思議だなあ」は既に「俺の彼女可愛いなあ」に変わりつつあり、そんな疑問を持ったことすら鍋から立ち上る湯気のように薄れていく。何度も同じことを思ってしまうのはそのせいだろう。考えては忘れ、考えては忘れ、鶏も顔負けの記憶力が年明け早々の俺の脳内を掻き乱す。結局はそうして掻き乱されたことさえ、ものの数秒後には忘れてしまっているのだろうが。
「どうしたの、じろじろ見て」
 いつの間にか俺の視線はテレビからリンウェルの方へと移っていたらしい。
「ココアはもうすぐできるよ。それとも何? お腹空いた?」
「あーいや……まあ、少し、」
 本当はそんなに空腹ではなかったが、何もないのに見つめていたというのはなんだか気恥ずかしくて咄嗟に取り繕う。
「なんだ、だったらさっき露店で食べてくればよかったね。ほら、お団子とか売ってたでしょ?」
 私も食べたかったけど結構並んでたからなあ、とリンウェルが残念そうに言った。俺が見つめていたということにはどうやら気付いていないようだった。
「露店といえば、おみくじも引きたかったなあ。新年最初の運試し」
「それこそすげえ並んでただろ。あれじゃいつ帰れるかわかんないぜ」
 帰りに横目で見た社務所の行列も例に漏れずすさまじかった。お守りや破魔矢を求める人も多かっただろうが、ほとんどはおみくじ目当ての人間だろう。小さな神社にあれだけの人が押し寄せれば混乱もする。社務所の中では巫女衣装をまとった女性が何人か慌ただしく走り回っていた。
「そもそもなんで人間ってのはあんなにおみくじ引きたがるんだろうな」
 俺にはその辺の気持ちがよく理解できない。ただの紙切れを、それも代金を支払ってまで受けようとするなんて。
 リンウェルの言う通り、ただ運試しをしたいというなら話もわかる。だがいい運勢が出るまで何度も引く奴もいるし、そのために何十分と列に並び直すなんてまさに理解不能だ。
 ついでに言えば書いていることは小難しいし、漢字がやたら多いしで頭にすっと入ってこないところも好きになれない。大吉の割には「待人 来ない」などと書いてあるし、良い運勢なのか悪い運勢なのかはっきりしてほしい。
「みんな、くじ引きが好きなんだよ。ロウも好きでしょ? お祭りとか、お店のイベントのやつ」
「あれは商品が出るかもだけど、こっちは違うだろ。貰えるのは紙きれ一枚だけで、おまけに【凶】とか書かれてるかもしれないんだぜ」
 良くない気を払うためだといってそれを木の枝や境内の中に結ぶ奴もいる。そうしたら結局手元には何も残らない。ただ金を払って少し落ち込んだ気分にさせられるだけだ。
 それの何が楽しいんだろう。ただ友人との間で消費される話題の一つになるだけだ。
「人間は理由を欲しがる生き物だからね。おみくじはそれにうってつけなんだよ」
 穏やかな微笑みを浮かべながらリンウェルは言った。
「例えば今年ツイてないことがあったら、『おみくじ【凶】だったしな~』で済むし、告白成功したら、『【大吉】信じてよかった~』って思うでしょ?」
「【大吉】なのに財布落としたら?」
「人間は都合が良いから、その時はおみくじのせいにしないんだよね。『その日の星座占い悪かったしな~』って思うだけだと思う」
 なるほど、と妙に納得してしまう。俺はあまり占いを信じないが、そういう気持ちになるのはわかる気がする。
「おみくじはね、未来のための御守りなの。おみくじ引いて過去のこと考える人っていないでしょ。そもそも過去のこと考えたってどうにもなんないし」
 リンウェルはそう言って、出来立てのココアの入ったマグをこたつの上に置いた。
「はい、できた。牛乳で作るとね、お湯で作るより甘くて美味しいんだよ」
 ふうふうと吹きかけた息で湯気が上がる。上がった湯気がリンウェルの前髪を揺らす。
 俺も目の前のマグを見つめた。過去のことは考えたってどうにもならない、か。
 テレビでは、先ほどの漫才師たちがこの道を目指そうと思ったきっかけについてトークを行っていた。絵にかいたような凸凹のコンビがおもしろおかしく話題を繰り広げる。
「僕は漫才師なんか目指してなかったんですよ。ケンジツな公務員になりたかったのに」
 こいつに誘われて、気が付いたらこんなとこにいました。おい、こんなとこって言うな。安っぽいセットですよね。おい、やめろ。上がる歓声。
「……出会っちまったもんは、仕方ねえよな」
「ん? 何か言った?」
 いいや、と首を振って、「やっぱ腹減ってきたな」と誤魔化す。
「私もそう思ってた。何か適当に作って食べよっか」
「そうしようぜ。俺も手伝う」
 うん、よろしく、とリンウェルが立ち上がるのに続けてこたつを抜け出す。俺を芯から温めてくれる温もりが恋しいが、それもほんの少しの辛抱だ。
 また新たな1年が始まる。
 時計の針はもうすぐ昼の12時を回ろうとしていた。

 終わり
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 餅はお団子になりました。