ロウ→リン。リンウェルと別れたばかりのロウと付き合っているモブちゃん視点のお話。(約2,600字)

7.砂時計、ティーカップ、窓

 白く塗られた木造りの壁。そこに彩られたドライフラワーのリース。目の前のテーブルには瑞々しい生花が飾られていて、それはほのかに甘い香りを放っている。
 どこを見ても素敵なものばかりで、私の心は弾む。きょろきょろと顔を動かすのはみっともないかと思って、目だけでひたすら辺りを見回している。その合間に、正面の彼を覗きながら。
「お待たせしました」
 店員のお姉さんがやってきて、私の前にティーカップをそっと置いた。ターコイズブルーの食器に、金の縁取りがされている。その隣にお揃いのポットと、ケーキののったお皿を並べて、にっこりと笑う。
「こちら、砂が落ちましたら紅茶を注いでください」
 最後に小さな砂時計をひっくり返してお姉さんは戻っていった。透き通ったガラスの中で、水色の砂が音もなくさらさらと落ちていく。
「すごい、こんなふうになってるんだね」
 ヴィスキントの一画に本格的な紅茶を楽しめるお店ができたと聞いたのは、つい先週のことだった。実際に行ってきたという友人が絶賛していて、デートなら絶対盛り上がるよ、と勧めてくれたのだ。
 評判通り内装も可愛らしくて、いい雰囲気のお店だ。看板メニューは味だけでなく見た目にもこだわっている。ポットから漂う紅茶の香りと、可愛らしいケーキの取り合わせに胸をときめかせずにはいられない。
「砂時計なんてオシャレだね。なんかわくわくしちゃう」
 ね、と私がかけた声は、彼には届いていなかった。
「ロウくん」
「あ、わり、なんだっけ」
 その名前を呼んで初めて、ロウくんは私の存在に気が付いたような顔をした。
「なんでもない」と、私はそう言って、小さく笑って見せる。
「ケーキ美味しそうだねって、それだけ」
「おう、そうだな」
 本当に何も聞いていなかったみたいだ。私はケーキじゃなくて、砂時計の話をしたのに。
 それでも私は何も言わずに、ケーキのてっぺんのイチゴをフォークで掬うと自分の口へとそれを運んだ。香りの良い甘酸っぱさが口の中いっぱいに広がっていく。
 美味しい、と私が漏らした声にも、ロウくんは「良かったな」と言っただけだった。あとはもう、ひたすらにその視線を店のまあるい窓に向けているだけ。
 ロウくんは横を向いたまま。私からはその左目しか見えない。半分だけしか見えないのに、その瞳は随分と哀しげに見えた。哀しげで、寂しげで、温度がない。窓ガラス一枚隔てた向こうの外の陽気とはまるで似つかわしくない。
 そんな瞳をさせているのは、きっと私のせいなんだろうな。そしてそれはロウくんのせいでもあって、その視線のずっと先にいるあの子のせいでもある。
 ロウくんはついこの間、それまで付き合っていた女の子と別れた。激しいケンカの末にそうなったのだとロウくん本人から聞いた。
 私はそれを知ってチャンスだと思った。ずっとロウくんのことが好きで、密かに想い続けていたから。
 ダメで元々、私は思い切ってロウくんに告白した。ずっと好きだったと。彼女と別れたのなら自分と付き合ってほしいと。
 驚いたことに、ロウくんは私の告白を嬉しいと言ってくれた。付き合うことにもOKしてくれた。晴れてその日から私はロウくんの彼女になったのだ。
 私は浮かれていた。ううん、今日、今この瞬間も浮かれている。だって、目の前に好きな人がいる。一緒のお店にいて、同じ時間を共有できている。例えロウくんの心にいるのが、私でないと分かっていても。
 本当は、ロウくんに私の方を向いてもらいたいという気持ちも当然ある。あの子のことなんか忘れて、私のことを心から好きになってもらいたい。
 けどそれは私が願って叶うようなことじゃない。願っただけで叶うなら、今頃世界中の人が幸せになっているはずだ。
 今ここに心から幸せな人なんていない。あの子がどう思っているかは分からないけれど、ロウくんはあの子を想っているし、そんなロウくんを私は想っていて、誰一人恋が叶っている人はいない。不毛、なんて言葉はこんなときに使うのだろう。
 今日だって、このお店に行こうと誘ったのは私の方からだった。ロウくんは二つ返事で了承してくれたけれど、おそらく興味なんて初めからなかったのだと思う。新しくできたお店にも、私とのデートにも。
 私はそれを分かっていて声を掛けた。ロウくんが断らないのも、全部分かっていた。
 ロウくんが上の空でいることだって、今日が初めてのことではない。一緒にいても会話が途切れてしまうこともあるし、何回か同じ説明をすることだってある。
 その度にロウくんは「ごめんな」と申し訳なさそうな顔をする。「次からは気を付ける」と言って、その後は私の話を懸命に聞いてくれる。また次に会った時には、元に戻ってしまっているけれど。
 時々、ロウくんは私を嫌いにさせようとしているのかなと思うことがある。こんなふうに振る舞うのも本当はそれが目的で、わざとやっているんじゃないだろうかと疑ってしまう。
 もしかしたらロウくんは私に嫌いにさせて、私から別れを切り出すのを待っているのかもしれない。そうして身も心も軽くして、あの子のところに行こうとしているのかもしれない。
 あるいは抱えた罪悪感のやり場を探しているのだろうか。私が手酷くロウくんを振ることで、それが解消されるのを願っているのかもしれない。
 たとえそれが当たっていたとして、ほかの誰かがそれを聞いたらきっとロウくんのことを酷い男だと罵るだろう。
 それでも私は、それをロウくんの優しさだと思う。本当に酷いひとなら、今この場で私を切り捨てることだってできるはずだ。
 でもロウくんはそうしない。いや、できない。一度取ってしまった手を無下にすることはどうしたって彼にはできないのだ。
 そんなロウくんが好きだよ。好きだから幸せになって欲しいのに、私はどうしてもまだその手を離してあげられない。そんな覚悟はまだ、ないの。
 砂時計の砂が落ちていく。きらきらと光を反射させて流れていく。
 その時が来るまで、もう少しだけ待って欲しい。私の気持ちに整理がつくまで、覚悟の砂を落とし終えるまで。
 そうしたらきっと、私はあなたの背中を押したいと思う。一緒に居させてくれたことへの感謝とちょっとの恨み言を伝えて、手を離してあげたい。
 その時はロウくんが、私を正面から見てくれるといいのだけど。最後まで半分だけのあなたしか見られないのは、どうにも悲しすぎるから。

 終わり