TOD2エンディング後。14歳差のロニナナはどうしても悲恋に思えて仕方なかった。

聖女はいない

「最近、変な夢を見るんだ」
 ナナリーが言った。
「あたしが作った料理を、目の前のあんたが美味そうに食べてるんだ。別に、ただそれだけならおかしいことじゃない。今日だって、わざわざ遠くからやってきた挙句、食事目当てにこうしてうちに上がり込んでるんだからね」
 呆れたように笑って、ナナリーが小さく肩をすくめる。
「けど、その夢の中ではあんたは今よりずっと若いんだ。あたしとそう変わらない。そう、ちょうどあたしとあんたが初めて出会った時くらいかな……」
 変な夢だろう? と言って、ナナリーは空になった俺のグラスに水を注いだ。
「あたしはあたしなのに、あんただけが違うんだ。言葉も振る舞いもずっと幼い。いや、幼いってのはおかしいね。いくら若いっていったって、あたしよりは年上なんだろうからさ」
 からかうような言葉なのに、語尾にはどこか作り上げたような物悲しさが感じられる。
「それでも、あたしはそれを少しも疑っちゃいないんだ。そこにあんたがいるのが当たり前で、あんたもいつも通り笑ってる。くだらない話をして、『味付けが濃い』なんて文句を言おうものなら、その場で引っ叩いてやる勢いさ」
 それも今と変わらないか、と言って、ナナリーは笑った。伏せた瞳に長い睫毛が揺れた。
 それを聞いて俺は、
「ああ、変な夢だな」
 と言ってやった。
「若い頃の俺とお前が一緒にいるだあ? はっ、やっぱ夢は夢だな。そんなこと、どこをどうやったら起こるんだよ」
 そう、そんなことはあり得ない。少なくとも、この世界では。
 
 10年前のあの日、カイルはリアラと再会してすべての記憶を取り戻した。俺たちの旅のきっかけ、リアラとの最初の出会い、いくつもの苦難と、それを共に乗り越えた仲間のことも。まるで重たい本のページを捲るように、時にはリアラの手助けも加わって、カイルは自分の身に起こった〈もうひとつの旅〉での出来事を思い出した。
 隣でその様子を見ていた俺は、初めこそそんなことあり得るはずがないと思っていた。だってまさか、自分の人生がリセットされたものであるだなんて誰が信じられるだろう。
「世界が元々あるべき姿に戻っただけ。本当は、その記憶ははじめから存在しないものだったの」
 リアラはそう言ったが、それにしてはこの身体にはそれらしき記憶が残りすぎていた。時々夢に見る旅の断片。初めて訪れた場所や、初めて触れるものにどこか懐かしさを感じることだってあった。
 ただの夢ならば遠すぎるし、前世の記憶というなら近すぎる。それが〈もうひとつの旅〉の名残と言われて、すとんと腑に落ちてしまったのだからどうしようもない。俺たちは確かに一度旅をしていた。ここと同じ、そして何もかもが違う世界で。
 ジューダスやハロルドのことも思い出した。ジューダスは、かつてスタンさんやルーティさんとともに世界を救おうとしたリオン・マグナスだった。ハロルドは、あの天地戦争時代にソーディアンをつくったといわれる天才科学者で、確かにあの変人ぶりは歴史に名を残すのにふさわしい。それにしても死者や1000年前の偉人と旅をしていたなんて、それこそ夢みたいな話だ。
 そこでふと思った。ナナリーは、あの世話焼き怪力女はどうしているのだろう。
「ナナリーは……」
 リアラの表情が一瞬曇り、その大きな瞳が真っ直ぐにこちらを貫いた。
「ナナリーは、この世界にいるわ。カイルたちも、もう出会っているはずよ」
 そう言われて、まさかと思った。まさか、あの少女がナナリーなのか。
 ラグナ遺跡でリアラに再会する前のことだ。俺とカイルはホープタウンでとある姉弟に出会っていた。弟の重い病気を治したいが方法が見つからないという少女を見た時、俺はどうしてもその姉弟を助けてやりたいと思った。フィリアさんから聞いた薬の花をなんとか咲かせることに成功した俺たちは、調合してもらった薬を急いで姉弟たちの元へと届けたのだった。
 あの時必死で弟の看病をし続けていた少女が、ナナリーだった。自分も辛いだろうに、三日三晩寝ずに弟へと寄り添い続けたその健気さには思わずこちらの頭も下がるほどだった。
 それも当然だ。俺たちが出会ったナナリーは、愛する弟をとうの昔に亡くしていた。ナナリーが生きていた時代は神に頼ればどんな病気も治療ができたが、それは人間らしく生きる権利を奪われるということでもあった。それを拒んだ彼女は結局弟を亡くし、気丈に振る舞ってはいたがそれを後悔し続けたまま生きていた。自分が頭を下げれば弟を助けられたかもしれない、自分の我がままで弟を殺したようなものだとずっと悔やんでいた。
 普段は強気で、ことあるごとに俺を関節技で痛めつけるナナリーだったが、その強さの裏に自分の弱さを隠し続けていた。料理も裁縫も得意で、おまけに弓術にも長けているものだから隙が無いといえばそうなのに、本当はちょっとしたことでぽっきり折れてしまうようなそんな脆さも抱えていた。
 そんなナナリーのことが気にならなかったといったら嘘になる。あの旅の最後、神フォルトゥナを倒した後で俺たちは確かに再会を願った。同じ時代に生きているのだから、必ずまた会えると。
 でも実際、再会してみるとどうだ。俺はあの時のまま、ナナリーに出会った時のままなのに、ナナリーはまだ9歳かそこらの幼気な少女だ。俺たちのように薄っすら記憶が残っていたとしてもそれは19歳のあいつの記憶で、今はまだ記憶とも呼べないわけのわからない代物だろう。
 そんな少女に何を伝えられる? 俺たちは以前出会ったことがある、旅をしていたことがあると伝えて何になる? まだ年端もいかない少女に混乱と戸惑いを与えて良い影響など一つもあるはずがない。
 それに、すべてが元通りになった今、この先で待ち受ける未来はナナリー自身のものだ。どんな道を選ぶか、どんなふうに歩むかはナナリー次第。それはほかでもない俺自身にも当てはまることでもあった。
「ナナリーには、言わないでおこう」
 俺は考えた上でそう決めた。
「俺たちがかつて一緒に旅をしていたことも、そういう世界があったことも、ナナリーには言わないでくれ。本人が望むならまだしも、そうでないなら記憶に縛られてこの先を生きていく必要はないだろ?」
 少なくともナナリーが19歳になるまでは。自分でその記憶を取り戻し、あいつの方から何かを言い出すまでは何も伝えないでおく。そうするのが最善なのだと、俺はあの時自分に言い聞かせたのだった。

「それにしても、お前もそんな夢を見るんだな。19になったとはいっても、まだまだガキってことか」
 軽い口調で俺は言い、けたけたと笑ってやった。自分の心の中に渦巻くものを鎮めるように。
 ガキなのはどっちだ。結局あれから俺はナナリーとの繋がりを断てず、定期的にホープタウンに顔を出した。弟は元気か、ついでにお前も元気か、などと軽口を叩いてはその成長を見守った。
 期待していたのかもしれない。ナナリーも俺のことを思い出してくれるんじゃないか。あの旅で俺と出会っていたと、記憶が戻ったと、いつか話してくれるんじゃないか。だが時間が経つにつれて、そんな考えはごく浅はかなものであったことに気がついた。
 ナナリーがその真実に気づいたところで自分たちはあの頃の自分たちではない。14も年が離れた、それこそ兄妹のような関係にしかなれない。
 あの時のように言葉にしないまでも、想いを募らせた二人にはなれない。あの日々を過ごした頃と同じ人間であっても、まったく同じ二人にはなれないのだ。
 そのことにナナリーも薄々気が付いているのだろう。いつかどこかの世界で俺たちは出会っていた。心を通わせた。でもそれは今の自分たちとは違う。それに近しい気持ちを持ち合わせていたとしても、この先いずれ違和感を抱くことになる。なぜなら俺たちはあの旅をした二人ではないから。まるで違う人生を歩んできた二人だから。
 俺たちが一緒にいる未来はない。そう知ってなお、こうしてナナリーの家に通う自分はいったい何がしたいのだろう。婚期まで逃して、気付けば今年でもう33だ。理想をいうなら俺もスタンさんたちのように温かい家庭を築いてみたかった。忙しなくも賑やかで、笑いの絶えない家庭。描く理想像の中で俺の隣で笑っていたのは、いつも同じ奴だった。料理も裁縫も上手くて、ちょっと乱暴だがいつでも前向きな女。
「夢を見るってことは眠りが浅いってもいうしね。あたしも毎日チビたちの世話で疲れてんのかもね」
「あるいは夢はそいつの願望を見せるって言うしな。さてはお前、俺がもう少し若かったら、なんて考えてるとか」
「まさか、そんなわけないだろ!」
 そんなこと言うんだったら食事抜き! とナナリーは俺の皿を取り上げようとした。食べかけのオムライスが乗った白い皿。
 ふいと背けたその顔にはどんな表情が滲んでいるのだろう。怒っているのか、呆れているのか。できればあまり悲しい顔は見たくない。
 悲しい顔をしたところで、俺たちの時を戻す方法はない。あの世界、あの旅の頃には戻れない。
 この世界に聖女は存在しないのだから。

 終わり