ロウが眠れていないことに気が付いたリンウェルの話。(約5,200字)

2023-10 お礼SS

 野営の夜にはたくさんの発見がある。
 眠るとき、目を閉じる前の闇の深さ。そこに瞬く煌々とした星の光。風に揺れる木々のさざめき。今この瞬間もどこかで息を潜める生き物たちのあたたかな星霊力。どれもこれも一つとして同じもの、同じ日はない。何がどう違うとははっきり分からなくとも、その事実は今自分が流れる時間の中を生きているのだと確信させてくれた。安心する。まるでゆりかごの中みたいだ。
 そこに歪みが生じ始めたのはいつのことだったか。日々背中を預ける仲間に向かってそんな言葉を使うのはちょっと失礼なような気もするが、初めは本当にそう思っていた。これほど心地よい微睡みの中で一日を終えようとしているのに、それを無配慮なあいつが気配一つでかき消していく。たとえその理由が人間としての生理現象なのだとしても思わず眉を顰めずにはいられなかった。だがそうではないと気付いたのも、割とすぐ後のことだったと思う。
 ロウが何か悩みを抱えている、というのは憶測に憶測を重ねた結果だが、そう間違ってはいない気がする。皆の前では何事もないように振舞っているものの、ふとした時にロウの目に昏いものが宿っていることに私はなんとなく気が付いた。
 加えて欠伸を噛み殺していたり、誰にも気づかれないくらいのごく小さなため息を吐いていたりすることもあった。あのロウが、だ。普段デリカシーの欠片もないあいつが何もなしに周りに気を遣うような真似をするとは思えない。
 だから私は黙っていた。アルフェンたちやロウ本人にも、何も言わなかった。皆に悟られないようひた隠しにするほどには知られたくないことなのかもしれないと思ったのだ。
 その一方で野営の際、ロウが夜な夜な床を抜け出すことも徐々に増えていった。どうやらその辺を散歩したり筋トレをして体を疲れさせたりしているらしいというのは、戻ってきたロウの星霊力からなんとなくわかったことだ。再度床に就く直前、吐き出されたため息とそれに滲む感情の沈み具合は、昼間のロウとは似ても似つかない。
 何がロウをそこまで悩ませているのだろう。ジルファのこと? それともかつての仲間たちのこと? ああ見えてロウはあまり自分に自信が持てないところもあるし、このままでは寝不足による体調の悪化で戦闘にも影響が出るかもしれない。
 それに何より、私自身が気になってしまって仕方なかった。あの嫌になるくらい真っすぐでお気楽なロウが実は笑顔を無理して作っていて、その裏では何かと必死に戦っているなんてあまり想像したくないことだ。それはある意味自分のわがままとも言えるけれど、引きずられてこちらまで寝不足になるわけにもいかない。
 何か悩んでいるの?
 ロウに直接そう伺う機会はないだろうか。できれば皆が知らない、誰にも聞かれない、二人きりの時に。
 
 その日は夕方までに街に着くはずが、予定がものの見事に狂ってしまった。途中でズーグルに襲われている人を助けたり、彼らを安全な集落まで送ったりしているうちにすっかり陽が落ちてしまったのだった。
「仕方ない、今夜はこの辺で野営にしよう」
 アルフェンとキサラがそう決定を下し、シオンが不満そうな顔をする。野営の際のお決まりの構図だ。
「急なことだから食料がやや心許ないが、夕飯は任せてくれ」
 私の腕の見せ所だな、と言ってキサラが腕を捲った。キサラが夕飯の担当なら美味しい食事は約束されたも同然だ。
「代わりに洗濯を誰かにお願いしたい」
「なら、私がやるわ」
 シオンがそう言って、アルフェンが俺も手伝う、と続く。
 そこでふと、この流れはチャンスかもしれないと思った。目線ひとつ動かさずに、隣に立つロウとの距離をはかる。
「そうなると夜の見張りは……」
 アルフェンの言葉を食い気味に遮って、
「はいっ!」
 私は勢いよく手を挙げた。同時にもう片方の手に、ロウの腕を掴みながら。
「えっ」
「今夜は私たちで見張りするから!」
 いいでしょ、と強い視線を向ければ、ロウはそれだけで口をつぐんだ。続けてゆっくりと頷き、おう、と小さく返事をする。
「そうか? じゃあよろしくな」
「任せて!」
 そうして胸を張ったのはどうやら自分の方だけだったようだが、この際そこはあまり重要ではないので気にしないことにした。
「何企んでんだよ」
 皆が寝床に向かった後で、ロウは訝しげな視線をこちらに寄越した。間に挟んだ焚火の火がゆらゆらとその輪郭を滲ませている。
「別に。何も企んではないけど」
 私は手元の本を捲りながら気のない返事をした。嘘は言っていない。企みなんか一切企てていない。
「じゃあなんで二人で見張りするって、そんなこと言ったんだよ」
「あれ、もしかして嫌だった?」
「別に……嫌とかそういうんじゃねえけど」
 ならいいでしょ、と普段なら言っていたところだが今夜は違う。企みはないけれど、機会は欲しかった。こうしてロウとゆっくり向き合う機会が。
「ロウとね、二人きりになりたかったんだ」
 私がそう言うと、ロウは「へ?」と間抜けな声を出した。
「いつもは皆がいるでしょ? だからロウも言いづらいんじゃないかと思って」
「い、言いづらいって、何が」
「ロウの本当の気持ち。隠してること」
 そう言って本閉じると、私はロウの顔をじっと見つめる。途端に泳ぎ始めた瞳に向かって、思い切って訊ねてみた。
「ロウ、最近よく眠れてないでしょ? 何か悩んでることあるんじゃない?」
 その言葉にロウは一瞬目を見開いた後で、あからさまに肩からがくりと脱力した。
「なんだよ、そんなことか。すげえビビった」
「ビビったって、何が?」
「なんでもねえよ、こっちの話だ」
 ロウが頭を掻いて、息を吐く。
「つーかなんで俺が眠れてないって知ってんだよ」
「夜中起き上がってどこか行くじゃない。日中欠伸もしてるし」
「欠伸なんか、お前もみんなもしてるだろ」
「噛み殺す必要なんかどこにもないでしょ。回数も増えてるし、戦闘での動きも鈍ってる気がする」
 一番の懸念は、それを誰にも言わないことだ。今日は寝不足で体調が悪いと一言申し出ればいいのに、ロウはそれをしない。あたかもいつも通りであるかのように振舞って、笑顔を無理くり作っているのだ。
「そんなのロウじゃない。悩み事があるなら言って」
「別に、悩み事ってほどじゃ」
 改めて強い視線を向けると、ロウは観念したように視線を落とした。そして不本意そうに小さな声で呟く。
「……最近、夢見が悪いんだよ」
「夢? また昔の夢、見るようになったの?」
 いいや、とロウが首を振る。
「それとは違う。けど、何かに追いかけられてる夢とか、逃げ回ってる夢とか」
 はあ、と息を吐いてロウが頭を掻いた。
「そんで寝れなくなって、無理やり寝付くために身体動かしたりしてたんだよ」
 それでもあまり効果はなかったのだとロウは言った。
「考えてみりゃ、俺のやらかしは昔の仲間たちのことだけじゃねえしな。ダナもレナも関係なく、俺のせいで不幸になった奴はいっぱいいる」
 遠い目をしたロウの目線の先には〈蛇の目〉に与していた頃の自分が映っているのだろう。それはどんなに悔やんだって戻らないし、なかったことにもならない。
「そういうのも忘れんなってことなのかもな。頭の悪い俺に、誰かが夢使って教えてくれてるとか」
 自嘲気味にロウが笑うのを見て、私は少し首を傾げた。
「ロウは確かに馬鹿ではあるけど、頭悪くはないんじゃない?」
「はあ?」
 今度はロウが不思議そうに首を傾げる。
「馬鹿と頭悪いって、どう考えたってそれ同じこと言ってんだろ」
 私は強く首を振った。
「馬鹿なのと頭悪いのは全然違うよ。ロウは別に頭が悪いとは思わないけど」
 使ってないだけで、と言えば、ロウはまだ納得しない様子のまま視線を宙に投げたのだった。
「でもちょっとすっきりした。ロウの悩みが分かって」
「お前がすっきりすんのかよ」
「ロウは? 全くすっきりしてない?」
「そう言われたら、したっていうしかねえだろ。せっかくお前が聞いてくれたんだから」
「あ、ロウがまた気遣ってる。かなり重症だよ、これは」
「言ってろ」
 忍び笑いを交えた二人きりの時間は刻々と過ぎていく。空の闇は深さを一層増して、星たちは今にも燃え尽きそうなほど煌めいていた。耳をすませば遠くで木々の葉の擦れる音が聞こえてくる。
 やっぱり夜は落ち着く。星霊力のあたたかさに加えて、今夜は胸にもそれが宿っているような気がする。ぽかぽかとするそれは私を内側から包み込んで、この上ない安心感をもたらした。
 ロウも同じ気持ちだったら、とつい願ってしまう。覗いたロウの表情からは疲れも息苦しさも感じられない。それはただの自分の願望であるか、あるいは自惚れのようなものかもしれないけれど。
 ふと頭に浮かんだのはかつてロウが旅の途中で零した言葉だ。
「ロウ、前言ってたよね。皆の前ではうっかり愚痴の一つも言えやしないって」
 こっそり私だけに囁いたその言葉は、それこそぽろっと転がり出た愚痴だったのだろう。当時の私はそれを特段気に留めてはいなかった。単に自分の心を律するものとなり、背筋が伸びるという意味ならむしろ良いことであるとさえ思っていた。
 でもそれは同時に自らを縛り付ける呪いともなりうる。苦しい時に苦しいと言えないことほど苦しいものはない。ロウは知ってか知らずか、その呪いを自分にかけてしまっていたのではないだろうか。
 とはいえその気持ちも少し分かる気がした。シオンを救う、世界を救う。理想郷を追い求め、世界を変える。皆の志は大きい。あまりに大きすぎて、私たちにはまだその大きさの想像もつかない。それをひたむきに追いかける彼らの背中を必死に追うことしかできない。その目標が明確に見えてきている今は特に足を引っ張るわけにはいかないと、弱音も不安も抑え込みがちだ。
 致し方ないこととはいえ、どうしても胸が詰まってしまいそうになる。それはロウだけでなく、私自身も時折感じていることでもあった。
「でも、だからって、私の前でまで気を張らなくていいんだからね。愚痴だってなんだって聞いてあげるし、それも全部、皆には内緒にしててあげる」
 一人で悩みを抱え込むには私たちの心はまだまだ小さすぎる。それでも、一人では無理そうでも、二人なら何とかなるかもしれない。単純に容量二倍とはいかないかもしれないけれど、はんぶんこにはできる。支え合うというのは、そういうことだ。
 私の言葉に、ロウが小さく笑った。
「愚痴って、なんでもいいのか?」
「いいよ。自分のことでも、皆のことでも」
「テュオハリムが説教臭い、とか?」
「そうそう」
「アルフェンの夕飯が辛すぎる、とか?」
「あー分かる。でもそれは本人にも言ってあげるべきじゃない?」
「言っても辛いままなんだよ。むしろ増してるっつーか」
「シオンに言ってもらった方が効くかもね」
 くすくすと小さな笑い声が薪の弾ける音に混じる。
 こそこそ分け合う秘密の味はどうしてこうも甘いのだろう。内容自体は大したこともないのに、なぜか胸が、心が、口元がむず痒くなってくる。
 それは分け合う相手にもよるのだろうか。ロウの顔を見つめつつ、間に焚火があって良かったと思った。これならいろいろと言い訳がきく。
「秘密をはんぶんこにしたところで、見張りもはんぶんこにしよっか」
 私の提案はこうだ。ロウが最初に寝て、私が見張りをしつつ途中でロウを起こす。そして今度は私が眠って、役目を交代する。
「なんだよ、二人で見張りって最初からこうするつもりだったんだろ」
「だって一人だとどうしても後半眠くなるんだもん。それにロウが寝てる間、本も好きなだけ読めるし」
「得してんのお前だけじゃねーか」
 まあいいか、とロウが毛布を羽織る。
「ちゃんと起こせよ。本に夢中になって見張りも忘れんなよ」
「分かってるってば。おやすみ」
 そうして数分も経たないうちにロウからは規則正しい寝息が聞こえてきた。どうやら普段は相当寝つきがいいらしい。夢見でも悪くなければ短時間でも休息は取れそうだ。
 今のところは穏やかなその寝顔を眺めつつ、私は自分の口元が緩むのを感じていた。誰に見られているわけでもないのに、それを隠すように唇にきゅっと力を入れてみる。
 ロウは自分のせいで苦しんでいる人がいると言った。それを忘れないようにしないといけないとも。
 ロウはすっかり忘れているようだけれど、同じようにロウに救われた人だっている。こうして私が夜な夜な本を開くようになったのだって、元を辿ればそういうことだ。
 あるいは今夜、直接そう言ってあげられたら良かったのかもしれない。でもちょっと口にできそうにはなかった。その奥にある自分の中の灯に気付かれてしまったらと思うと、少し怖かったのだ。
 自分でも確証の持てないそれをロウに知られるのはまだ早い。これは、この気持ちはもう少し自分自身で探ってみないと。
 いつか発見できたら、その時は。
 赤く燃える火の向こうにロウの輪郭を揺らしながら、私はひとり高鳴る胸の鼓動を抑えたのだった。

終わり