手指が冷たくなりがちなリンウェルの話。(約2,700字)

2024-01 お礼SS

 手が冷たい。
 そう気づいたのは街で買い出しをして、財布からガルドを取りだそうとした時だった。
 かじかんだ指が上手く動かず、小銭を掴めない。やっとのことで正しい枚数を摘まみ上げ、店主へと支払いを済ませた。少し時間がかかってしまったものの、派手に中身をぶちまけるようなことにならなくてよかった。
 通りを歩きつつ、両手の指先にはあと息を吐きかける。ほんの一瞬だけ、そこに熱が戻ったような気がしたが、本当に一瞬だけだった。炊事をしたわけでも、冷たいものに触れたわけでもないのにどうしてこうすぐに冷えてしまうのだろう。
 面倒だな、とリンウェルが思っていると、すぐ隣から声が降ってきた。
「お前、指すげえ赤くね?」
 返事をするよりも早く伸びてきたロウの手が、私の指に触れた。
「うおっ、つめたっ!」
 大きな声を上げながら、それでいてロウは私の指を離さない。
「なんだってこんな冷たくしてんだよ。手袋は?」
「家に置いてきた。動かしづらくてイヤなんだもん」
「指が動かねえんじゃ同じだろうが」
 仕方ない、というふうにロウは呆れつつ、私の指を自分の手のひらで包みこんだ。自分よりもやや高めの温度が心地よい。まるで湯につかっているかのような温かさだ。
「あったかーい……」
「ったく、次は手袋持って来いよ」
 はーい、と適当な返事をして手を離そうとするが、ロウはそれを許さなかった。そのまま片方の手を捉えたまま、上着のポケットに自分の手と一緒にねじ込む。私に奪われた温度をもう一度取り戻そうとしているのか。それもロウの体温ならすぐに元通りになりそうだ。
 そうして帰り道を歩き、家に着く頃にはすっかり指先は温められていた。夕飯を作って多少冷えはしたものの、かじかんで動かないというほどにはならなかった。
「風呂空いたぞ」
「はーい」
 今夜も冷えるからと浴槽に湯を張った。一番風呂を譲ったのは夕飯の片付けがあったからだ。加えて時間を気にせずゆっくり風呂に入りたいというのもあった。まあ自分がいくら長く入ったところでロウは文句なんか言わないだろうが。
 湯船につかりつつ、しみじみとその温かさに胸を緩める。温かさは幸せの象徴だ。頭の先から足のつま先までそれを感じられる風呂はいわば幸せそのもの。とっぷりつかれば身も心も解れていく。
 こんなに温かくて、まるで日中のあの冷えが嘘みたいだ。凍えすぎて指が動かなかっただなんてにわかには信じられない。ガルドさえ摘まめなくなるなんて。
 思えば自分の指が冷たくなりやすいのは今に始まったことではない。物心ついた時からそうだったようにも思う。
 指が冷たくて困ることは多くある。指先が動かしづらいと本を捲れないし、今日のように物を掴みづらくなる。顔を洗う時なんて最悪だ。水と自分の指で二重に冷たいのだから。
 だから寒い時期は湯や温かい飲み物が欠かせない。マグで指を温めつつ、読書に耽るというのはもうほとんど習慣になっていた。暖炉の火だけではどうも体を温めきれないのだ。
 どうして自分の指先はこんなに冷たいのだろうと真剣に考えたこともある。実は自分は人間ではなく冷徹な魔女で、人の心がないから指先も冷たいのかもしれないと、そういった子供じみた妄想をしたこともあった。
 それは正しくないと今ではきちんと理解している。どちらかと言えば自分は魔女ではなく魔法使いで、ダナでもレナでもないけれど、真ん中から両者を見極める存在。対立が起きたなら仲裁に入りたい。両者の手を取って、繋ぎ合わせる役になりたい。そう願う私は少なくとも冷徹とは違う、と思っている。
 ならばどうしてこんなに指が冷たいのか。心が温かい人はその分指が冷たいという話を聞いたこともあったけれど、それも違う気がしている。自分程度で心が温かいというなら、この街に暮らす人の手はどれもこれもキンキンに冷えているはずだ。
 遺伝かなあ。リンウェルは次第にそう思うようになった。母さんや父さんがどうだったかは知らないけれど、考えられるとしたらそのくらいだからだ。全く、不便な血筋に生まれたものだと思う。どうせならそれを温める魔法でも開発して、教えてくれれば良かったのに。
 あきらめにも近い感情で浴槽から出ると、窓が風で軋む音がした。今夜はもっと冷え込むかもしれない。でも大丈夫。風呂にも入ったし、何より今はこんなに温かい。これだけ温まったのだから今夜はきっとよく眠れるはずだ。
 ――そのはずだったのに。なぜだろう、今ベッドに入った私の指先は凍えるほど冷たい。
 手の指だけではない。なぜか足先も冷えていた。あれか、少しだけと思ってさっきまで机で本を読んでいたのがいけなかったのか。こんなことになるならさっさと布団に入るべきだった。後悔しても遅い。一度冷えてしまった指先はなかなか温まらない。今夜はこれとともに眠るしかない。
 そう思って絶望していると、隣の盛り上がった布団から声がした。
「どうした? 寝れないのか?」
「うん、ちょっと寒くて」
 口にしてしまってから、あっと思った。思った瞬間、今度はその布団から二本の腕がにょきっと伸びてくる。
「ほら、」
「う、わ」
 腕を引かれて、辿り着いた先はロウの腕の中だ。さらに分厚い毛布が自分たちを包み込み、さっきまでロウの体温で温められていたそこが私の体にまで熱をもたらす。
「すげえ冷えてる。風呂入ったんじゃねえのか」
「うん。でもちょっと本読んでたらこうなっちゃって」
 バカ、と声が聞こえて、背に回った腕にさらに力がこもる。
「さっさと寝ないからこうなるんだろ。ほら、手寄越せ」
 言われるまま両手を差し出すと、ロウはやはりそれを手のひらで包んでくれた。昼間よりもずっと強い力が込められたそれは、もう包むというより押し潰しているに近い。それでも伝わってくる熱が心地よかった。お湯みたいに、隙間を一つ残らずじわりと埋めていくような熱。
「昼も夜もずっと冷たいとか、不便だな」
 その声は呆れているようで、笑っているようにも聞こえた。布団の中の暗闇じゃそのどちらとも判断がつかない。
「ずっと冷たかったら、ずっとあっためてくれる?」
「そうするしかねえだろ。お前が寒がってんのは俺も嫌だ」
 また指に力が籠められるのが分かって、思わずふふっと笑い声が出た。
「何笑ってんだよ」
 頭の上から声がする。可笑しかったわけじゃない。ただ、自分の指が冷たい理由が分かった気がした。
 なんでもないと首を振って、私は布団から顔を出す。毛布に半分ほど顔を埋めたロウと至近距離で目が合った。
「そういえば知ってた? 子供って、眠いと手足が熱くなるんだよ」
「おい、何が言いたい」
「なんだろうね?」
 笑いながら額をそのままロウの胸へと押し付ける。分かっている、子供なのは私のほう。今はロウに温めてほしくって、甘えさせてほしくって仕方がないのだから。

終わり